3.5 王の回顧


「アイリス様ってほんと素敵……」


 会食を終え、塔に戻って行くアイリスの背中を窓から見送りながら、リオはほう、と息をついた。


「リオ、君はまた……」

「だってだって! 私、あんなに綺麗な人見たことなかったの! 雪の妖精……ううん、女神様がいたらきっとあんな姿だろうなって思っちゃう!」


 きゃあきゃあとはしゃぐ年相応の姿を微笑ましく思いつつも、その対象が自分ではないことが面白くない。

 そっと肩を寄せて甘く囁く。


「俺だってなかなかのものだと思うが?」

「そ、そりゃあヴァンだって超絶美形だけど……方向性が違うっていうか……」


 頰を赤らめながらもごもごと言い募るリオが愛おしくて仕方ない。


 リオ=カトー。

 国境の村で突然空から降ってきた、運命の少女。

 極々稀に、時空の歪みに巻き込まれてて異界からやってくる人間がいる。その現場に偶然俺が居合わせたのだ。

 俺が咄嗟に抱きとめた彼女は恐る恐る目を開くと、俺の目を見て、ぽつりと呟いた。


『…………きれい』


 なんの衒いもない、真っ直ぐな言葉。

 それは俺の心臓を強く締めつけた。


 この城に彼女を招いて三ヶ月が過ぎようとしている。

 文化の違いに戸惑いながら、いろいろな葛藤を乗り越えて、リオは俺の隣で笑っている。

 それがどれだけ尊いことか───きっとあの女には分かるまい。


 イシュタリア皇女、アイリス=アウル=イシュタリア。

 三年前に嫁いできた俺の正妃。

 俺はずっと、アイリスの考えが読めない。


『私は子を為しません』


 婚礼の日に彼女はきっぱりとそう言った。


『為せない、ではなく為さない、と?』

『私は出産に耐えられる丈夫な身体を持ち合わせておりません。そして私にはこの国の国土を潤す義務がある。出産で命を落とすわけにはいかないのです』


 王子を産んで国母となり、国を牛耳る……といった野望はないらしい。

 確かに花嫁衣裳を纏った少女は折れそうなほどに細く、あまりにも儚げな印象だった。

 絶世の、と枕詞をつけてしかるべき美貌。イシュタリア特有の肌の白さと相まって、本当に人間かと疑いたくなる容姿だった。

 朝焼けのような不思議な色合いの瞳の揺るぎなさを見て、俺は首肯した。


『いいだろう。世継ぎを貴殿には期待しない。では、貴殿は王妃として何をする?』

『何なりと。それが叶うだけの教養は積んで参りました。陛下のお力になるとお約束いたしましょう』


 王妃となるべく育てられた人間の絶対の自信。

 それは決して驕りではないと、俺はすぐに実感することになる。


 内政も外交も、アイリスは完璧にこなしてみせた。

 唯一欠けているところがあるとすれば、表情の変化が薄いところか。

 ああしかし、時折、ふとした時に見せる小さな笑みはとても───……


「ねぇヴァン! 今度アイリス様のお部屋にお邪魔してもいいかな!」


 明るく弾けるリオの声にはっと思惟を引き戻される。


「……いや、いくら君でも易々と彼女を訪うものではない。アイリスも忙しい身だ」

「そっかぁ……お仕事の邪魔はしたくないしなぁ……」

「どうしてそこまでアイリスにこだわる? 奴は君に嫌がらせを……」

「もー、だから違うったら!」


 リオは俺の腕を擦り抜けて憤慨した様子でこちらを振り返る。


「アイリス様がそんなことするわけないでしょ! 確かに悪戯? はされたけど……絶対にあの人じゃない!」

「……君は純粋だからそう思うんだ。大人というのはそう単純じゃない」

「また子ども扱いする〜〜!」


 すっかり臍を曲げてしまったリオの機嫌を取りながら、ぼんやりと考える。

 あいつの仕業の筈だ。

 リオが気に食わず追い落とそうとした。

 だから、無力な彼女を守るためにあいつを隔離した。


 何も、何一つ、間違えてなどいない筈だ───

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