2. 始まり


 それは前触れもなくやってきた。


「は、はじめまして……っ」


 国境の視察に出ていた陛下が連れ帰ってきたのは、漆黒の髪をなびかせた可愛らしい少女だった。この国ではあり得ない丈の短い服を着て、陛下の背中に隠れるようにして挨拶するその姿に、開いた口が塞がらなかった。


「……陛下? ご説明を」

「彼女は異界からの客人だ。この城で丁重にもてなす」

「説明になっておりません。異界からなど、何故そのような……」

「俺が決めたことだ」


 そう突っ撥ねて、陛下は少女の肩を抱くようにして王城に入っていく。その背中越しに、彼が少女に向ける眼差しの熱さに私は早々に気づいてしまった。

 ぞわり、背中が粟立つ。それは憎悪でも嫌悪でも嫉妬でもなく、この先の漠然とした不安だった。




 それから二人の間に何があったのか……私にはよくわからない。

 私は城内ではなく敷地内の館に居を構えていたし、そもそも割り切った関係だった陛下と公務以外で顔を合わせる機会などそれほど多くはなかった。ときどき襲来する無邪気な少女を王妃としての立場であしらっていたのも良くなかったのかもしれない。


「この館を出て行け、アイリス。此処にはリオを住まわせる」


 だから、私の知らないところで、物語はどんどん進行していたのだ。私にとっては、ただただ悪い方へ。


「此処は王妃の住まう館であるはず。側室ならばまだしも、客人を招き入れる場所ではございません」

「リオはただの客人ではない」


 陛下が向き合う私を真っ直ぐに見据える。

 ───この、相手の目を見て話す陛下の癖を、私は好ましいと思っていた。


「彼女は……俺の愛する人だ」


 私が嫁いでからの三年間、ついぞ聞いたことのない熱量のこもった声だった。

 彼の中で、既に結論は出ているのだ。

 とはいえ王妃という立場上、それを是とするわけにはいかない。


「……ならば彼女をこの館に歓迎しましょう。互いに不可侵であることを守っていただければ、居を共にすることも叶います」

「どの口が……!」


 陛下が苛立ちを露わにする。


「報告は受けている! お前がリオに陰湿な嫌がらせを仕掛け、城から追い出そうとしていると!」

「………………」

「賢い人間だと思っていたが……やはりお前も俺の寵愛に縋るひとりの女でしかなかったか!」


 絶句、というしかない。

 この方は、私の何を見てきたのだろう。

 陛下の方針に余計な口出しはしなかった。それでも求められれば助言もした。この国の大地の為に欠かさず"祈り"を捧げた。王妃としての公務を全てこなしてみせた。時折、国の未来について語り合った───

 その全てが燃え盛る恋の炎に塗り替えられてしまったのだと思うと、一気に力が抜けてしまった。

 立っているのもやっとの状態で、それでも最後の矜持で言葉を紡ぐ。


「……それらについては全て否定しますが、お聞きにはならないでしょう。陛下がそこまで仰るならば、私は従います」

「……最初からそう言えば良いものを」


 忌々しげに端正な顔を歪めたまま、陛下は踵を返した。


「西の塔に行け。生活道具は揃えてある。……公務以外で、この城には近づくな」


 扉の閉まる大きな音を聞きながら目を閉じる。

 もっと抵抗すべきだっただろうか? いや、きっと無意味だ。

 私の知らないところで、私を追い落とす物語が動いている。きっと、私の力では覆せないところまで。


「…………陣を……創らなければ」


 新しい住まいに、"祈り"の為の陣を急ぎ用意しなければ。

 これは、欠かしてはならないもの。

 例えば、王妃の座を追われることになっても。

 この国を豊かにすることこそが私の定め。

 見返りなど何一つないとしても───それだけが、私の生きる意味なのだから。


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