第2話

 土曜日は違う天気だった。生ぬるくて重い風が吹いていた。ついでに雨が沢山降っていた。

 朝目覚めたとき最初に目に付いたのは、11時27分と表示されたデジタル時計だった。重い身体をなんとか持ち上げたのと同時に背徳感が襲いかかった。1日の半分を意識のない空間に使用してしまったからだ。だからといって、覚醒している時に背徳感を感じない訳では無い。ただ茫然と明日が来るのを待って、気付いたら先週と同じ一週間が始まるだけだ。

 僕は時々思う、このまま死なないんじゃないかって。同じ時間の流れを繰り返して、一向に完結に向って進んでいる気がしない。それでも何の焦りもなく、寿命を無駄に勘定して、いつのまにか二十歳になっていた。人生の履歴を見返しても、誕生、入園、卒園、入学、卒業、入学、卒業、入学、卒業、就職これで今までの僕の人生は語れる。この先追加するなら退職と他界だけだ。いや、もしかしたら、それも叶わないかもしれない。大抵の人は自分がまさか死ぬなんて思わないだろう。医者に「あなたの余命は半年です」と残酷を告げられるか、寝る前に死神が現れて耳元で「急で悪いんだけど、明日の夕暮れ時にあなた死ぬからよろしくね。死因についてはまだ言えないけど」なんて囁かれれば別の話だが、ほとんどの人は死ぬまで分かるはずがない。

 今まで事件の無い生き方をしてこれたのは、喜ぶべきことであろう、しかし逆を言えば大きな幸せもなかった。それでも自ずと人生に退屈して現役を終わらせようとは考えなかったのはきっと、何かを望んでいるからかもしれない。

 LARKに火を付ける前に仕方ない気持ちでテレビを付けると、芸能人の不倫について番組司会者が当然の顔で何かを話していた。僕にとっては、無関心な話題だったけれど誰かにとっては需要があって、必要な娯楽になっているに違いない。テレビで放送されるニュースや番組はほとんどが需要なかった。芸能人の不倫や海外セレブの生活、中東で起きている内戦、国内のどこかで起きた悲惨な事件だってそうだ。全く無関心な訳では無いけれど、この街で起きた工場災害や交通情報以外のニュースは駅のホームのクリニックの広告と同じくらいにしか思えなかった。

 黒色合皮の3人掛けソファに座りながらテレビを眺めていると、刻々と時間が過ぎてあっという間に外の世界は夜になっていた。

 母親がスーパーマーケットのパートから帰ってくると「雨がすごい、びしょびしょよ。何、あんた家でずっとゴロゴロしていたの」と呆れた口調で聞いてきた、適当に頷くと「最近物騒ね、パート先の相田さんのお母さんがオレオレ詐欺に騙されて200万円も盗まれちゃったの」母親が驚きながら話すと、相田さんも知らなければ、そのお母さんももっと知らないけれど、この碁に及んでオレオレ詐欺に騙される人もいるんだと思った。「ま、うちに詐欺師に渡せるような大金はないけどね、みんなお金持ちよね」と厭味ったらしく話ながら、雨で濡れた茶色がかった髪をタオルで乾かして、晩飯を作る準備を始めた。「みんなお金持ち」その言葉だけがやけに頭の中にこびり着いた。

 「やっぱり金かぁ」ため息にも似たような声で無意識に漏れた。金さえあればこんな生活から抜け出して、好きなものを見つけ、好きなものに貢ぎ、自己満足できるのだろうと世の中の富裕層共を羨ましく思った。

 母親が揚げ上がった唐揚げと千切りしたキャベツ、パート先のスーパーマーケットから貰ってきたコロッケを皿に盛り付けている間にも、僕は金を稼ぐ妄想をした。

宝くじ、一流企業に転職、起業、何かを発明するか――。どれも儚い妄想。結局のところ何をするのにもお金が必要だった。 

 「自分でご飯ついで」しゃもじを渡され茶碗にほかほかの白米をついでいると、突然食欲に侵され、他のことがどうでもよく思えて楽な気持ちになった。僕はご飯を毎日食べて生きて行ければ、それで幸せなんだと無理矢理完結させることにした。

 「あんた一人暮らししないの」少し考えてから、「うん、職場から近いし物件探したり自炊したりするのが面倒臭いからね。それにお袋の料理を毎日食べたいからね」口角を上げながら言うと、母親は微笑んだ。

 「仕事して家賃と食費だけしっかり払ってくれれば文句は言わないよ。でも私がいつまでも生きてると思わないでね。ちゃんと労って頂戴。」「そうだね。今日親父は」僕は唐揚げを咀嚼しながら聞いた。「今日から泊まりみたい。来週にはお父さん帰って来ると思うわ」

 裕福ではないけれど、家庭環境になんの支障もないこの家は、きっと何処かの誰かに物凄く羨まれていたと思う。家族という人生で一番最初に経験する社会が僕にとって、当たり前に居心地が良かった。

 死神から話しかけられることもなく、何時間か眠ってから目を覚ますと日曜日の朝が来て、僕はまた同じ一日を過ごした。 

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