第8話 リアトリスは義母に髪を整えてもらっている
水浴びを終えると、私は自室に戻って読みかけだった本を読んでいた。
「…………」
読書は私にとって唯一と言っていい趣味だが、内容がまるで入ってこない。勿論、ティムのことが気になって仕方がないためだ。
「愚かなリアトリス・ルチアーク。こんなだから魔王に唆されるんだぞ」
ティムが私から離れていくとき、すぐに後を追わなかったのは既に弁明の余地はなく、時間を置かないとどうしても言い訳に聞こえると判断してのことだった。
実際、今でもその考えは正しいと思う。ただ、水浴びをして落ち着いた私は考えとは裏腹に、ティムへ早急に陳謝したくて仕方がなかった。これも私の心の弱さが原因なのだろう。
心ここにあらずで本を読むことはできないと諦めると、壁にかけてある時計を見る。
「……夕食まであと2時間ぐらいか」
ルチアーク家では夕食は家族で集まって食べる決まりがある。当然、ティムとも同じテーブルを囲う。謝るならそのタイミングだろうと本を読んで時間を潰していたが、当てが外れてしまった。
あと2時間どうしようか悩んでいると、コンコンとドアがノックされる音が聞こえる。
「リアちゃんいますか?」
ドア越しに間延びした可愛らしい声が聞こえると、本を置いて扉を開ける。
扉の前には私よりも随分と背の低い女性がお菓子の入ったバケットを持って立っていた。
私のお義母様であるシャルロッテ・ルチアーク様だ。
「お菓子作ったんですけど食べませんか? シェフ長さんに教えてもらって作ったからきっとおいしいですよ」
お義母様は有力貴族にも関わらず、お菓子作りが趣味で作ったお菓子を家族や使用人に配り歩いている。身長も小柄なこともあって可憐という言葉がよく似合う人だ。
私は謝意を述べてバケットの中のお菓子を一つ頂く。焼きたての芳ばしい香りを堪能しながら口の中へ運ぶと、上品な甘さが口の中に広がった。
「とってもおいしいです」
「良かった。今回はサムくんにも好評だったんですよ」
「サムくん」とはお義父様のことだ。フルネームが「サムロッツ・ルチアーク」のためサムくんとお義母様は呼んでいる。
騎士団では厳格なお義父様がそんな可愛らしい愛称で呼ばれていることに最初は驚いたが、今では仲睦まじい様子が見て取れて微笑ましいとすら思える。
ちなみにお義父様はお義母様のことを「シャルロッテ・ルチアーク」から「るーちゃん」と呼んでいる。こっちは何時まで経っても慣れないでいた。
「そういえばティムくんを見ませんでしたか? お菓子渡したいんですけど訓練場にもお部屋にもいないみたいなんです」
「部屋にもいないのですか?」
訓練場にはいないことは分かっていたが、てっきり自室に戻っているものだと思っていた。
『俺も義姉さんの境地に辿り着きたい。俺だってやれる!』
一瞬、ティムの言葉が頭を過る。そして、最悪の想像をしてしまう。
「……ちょっと失礼します」
目の前のお義母様に断りを入れると、手を組んで瞳を閉じる。すると、私を中心に小規模のつむじ風が発生する。
辺りに魔力で作った風を充満させて索敵することができる風属性の中級魔法だ。ルチアーク家は中々の豪邸だが、私の魔力をもってすれば屋敷中のどこに何人いるか、さらに人体の構造まで把握して性別や背格好まで分かる。
「…………」
屋敷の索敵を終えると私は髪を整え始めた。焦った自分を落ち着かせようとしてのことだった。屋敷のどこにもティムが居なかったのだ。
恐らく私の真似事をしに森へ向かったのだろう。よく考えれば想定できることだった。謝るのは後にするにしても魔法を使って動向を観測しておくべきだった。
すぐに助けにいかないと……いや、そもそも本当に森に向かったのか?
ティムが居なくなったと分かれば私は真っ先に森を思いつく。それはティムも分かっているはずだ。私の捜索を避けて別の場所に向かっていてもおかしくはない。
そうなると探すのは至難になる。
クソ……クソッ!
「リアちゃん!」
お義母様の呼びかけでハッとして我に返る。そうだ、考える前に動かないと。何かあってからでは遅い。
「すみません。急いで……」
「そんなに手で髪を構うとよくありませんよ!」
「……はい?」
「部屋にいるときは櫛を使った方がいいです。そうだ! 私が整えてあげます。一度リアちゃんの長くて綺麗な髪を整えてみたかったんですよ」
お義母様がぷんぷんと可愛らしく怒った後、今度は途端にご機嫌になって私はされるがまま真後ろの自室へ押し込まれ、鏡の前に座らせられる。
お義母様は鼻歌を歌いながら、私の髪を櫛で流すように整え始めた。
「あ、あの……」
つい勢いに流されてしまったがこんなことしている場合じゃない。急いでティムを探しに行かないと……。
「ティムくんならきっと大丈夫ですよ。男の子なんですから」
お義母様の発言に目を見張る。
「あれ、違いました? ティムくんの話をした後に風魔法なんて使ったからてっきり……」
どうやら、私の行動からティムに何かあったのか悟ったらしい。だがその様子から、どの程度の事態なのかは想像出来ていないようだった。
「お義母様はティムの身に危険が及んでいても平気なのですか?」
「ええ!? そんなに大事だったんですか? うーん。それは嫌ですね。最悪泣いちゃうかもしれません」
お義母様は忙しそうに表情をころころ変える。しかし、やはりことの重大性を理解していなかったようだ。
「だったら……」
「でも、これでリアちゃんは言い訳が出来ますよね?」
「え?」
「ティムくんになにかあったら私が呑気にリアちゃんの髪を整えてたからだーって」
お義母様の言っていることは分かるが、そんなことをする理由は分からなかった。
しかし、お義母様は私の疑問に直ぐに答えてくれた。
「さっきリアちゃんが髪を整えてるとき、とっても苦しそうだったんです。その……リアちゃんが屋敷に来たばかりの時と同じ顔をしてました」
お義母様はオブラートに包んで言っているが、ルチアーク家に来たばかりの私は家族を惨殺されて間もない頃だった。
「ずっとずっと辛そうで。何かしてあげたいけど、何をしていいか分からなくて。でも、今度はティムくんのことで悩んでるなら私を言い訳に……逃げ道にして欲しかったんです」
鏡越しに見るお義母様は、女神のような優しい面持ちで、天使のように満開に笑っていた。
「家族なんですから」
「…………」
私は何も言わずに立ち上がると、スタスタと早足で部屋から出ようとする。
「リアちゃん?」
「……すみません」
お義母様はいい人だ。こんな恥ずかしいことを打算も無しに言ってくれていると理解できた。
お義母様だけじゃない。お義父様も、ティムも、ルチアーク家は私に優しくしてくれる。
この人達なら私が騎士団に入ってまで欲しかった「家族愛」みたいなものを与えてくれるのかもしれない。
でも、だからこそ駄目だ。私は家族に認められたくて、結果その家族を殺してしまった。あの日以来、私は人と強く関わるのが怖くなってしまった。
私が望めば望むほど、悪い方向へ進んでしまうのではないかと思うようになってしまった。
「お義母様を言い訳にはしません。ティムは必ず連れて帰ります」
言葉だけ残して部屋を後にする。
後ろにいるお義母様は、果たしてどんな顔をしていただろうか。
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