第6話 リアトリスは義弟に昔話をしている
「魔物の狩猟を10歳で……馬鹿な」
私の言葉にティムは狼狽える。
無理もない。低級の魔物の討伐であってもギルド冒険者や国直属の騎士達が仕事として、つまりは少なからず命を賭してやっていることだ。
「事実です。幼さ故の危機感の軽薄さがあったことは認めます」
当時の私は田舎とはいえ腐っても貴族であり、魔物の知識は英雄譚を綴った本でしか見たことがなかった。
本で読む魔物はいつもやられ役であり、それ故に危険なものであることを認識していなかった。
「それに……」
「それに?」
当時の私は騎士団に入れたことを家族に認められるチャンスだと思っていた。同時に早く認められたいと焦っていた。それ故の無茶だったのだ。
「……なんでもありません」
だが、今ティムに言いたいのはそんなことじゃない。私は言葉を飲み込む。
「私が最初に戦った魔物はゴブリンでした。それも運が良く1匹です。私は魔法で気づかれることなく、ナイフで標的の頭を一突きして絶命させました」
ゴブリンはナイフでも狩れる程度の低級の魔物だが基本的に群れをなしており、1匹でいる方が珍しい。
そして当然、ゴブリン程度に低級魔法といえども幻影を見せる闇魔法を破る術はなく。子供ゆえの無垢な残虐性も加わり、初めての狩猟とは思えないくらい簡単にゴブリンを討伐することができた。
「ですが、私は甘かった。ゴブリンが1匹でいるのは群れから追い出されたのではなく。ただ逸れていたのです」
ティムはこれから私が話す内容を予期して顔を青くしながら冷や汗を掻いた。
「ゴブリンを狩った後、直ぐに別のゴブリンが現れました。それも3匹、しかも仲間の死体を見て興奮状態です」
怒り狂ったゴブリンに、私は初めて他者からの明確な「殺意」を感じた。
幼い私はようやく魔物がどれほど恐ろしいものか理解することが出来たのだ。
「1歩ずつ近づいてくるゴブリンに、後悔と恐怖で足は震え、涙で視界が霞み、早くなった鼓動は収まることがありませんでした」
自分の名誉のために言わなかったが、加えて失禁もしていた。
当然、戦える状態ではなかったが、恐怖による硬直でナイフを手放さなかったのが唯一の救いだった。
「近づいてきた1匹のゴブリンがボロボロのナイフを私に振り下ろすと、無意識で後退していた私は運良く小石に躓いて尻餅をつき、手の甲に掠った程度で済みました」
ゴブリンの持っていたナイフは今にも砕けそうなほど刃こぼれをしていたが、10歳の少女の柔肌には十分な切れ味だった。
「……手の甲から出た真っ赤な血を見たとき、声が聞こえたんです」
「声?」
「……死神の声です」
私の言葉に反応してティムに緊張が走る。
「戦わないと死ぬぞ。逃げると死ぬぞ。死にたくなくても死ぬぞ。殺さないと死ぬぞ。」
当時の死神の言葉を再現する。
まあ、もしかするとティムは「死神」という突飛な単語を聞いて眠れる力に目覚めたとか作り話のようなものを期待しているのかも知れないが、残念ながら死神なんてものはそもそも存在しない。
「当然私の妄想ですが。ようは『こんなところで死にたくない』と我に帰ることが出来たんです」
自分の血を見て、死に直面して、私は諦めずに抵抗することが出来たのだ。そこが私の転機だろう。
「3匹のゴブリンとの戦闘は数分の出来事でしたが永遠のように感じました。最初は1匹のゴブリンに常に幻影を見せて、解けたら別のゴブリンにかけ直す。それを繰り返しながら残り2体の攻撃を避けることに専念して──」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
懐かしきゴブリンとの戦闘を思い出しながら説明すると、ティムが疑義を持ったような顔をして割って入る。
「なんの訓練もしていない10歳の少女がゴブリン3匹を相手にしたのか? いくら義姉さんでも流石にそれは……」
どうやらティムは私の武勇伝を疑っているらしい。
しかし、彼の疑問に感じているものこそが、私の強さの根幹となっているものなのだ。
「そこなんです。少し前の私ならそこで終わっていたでしょう。しかし、死に直面したことによる圧倒的な集中力は、ゴブリンとの戦闘を可能にしていたのです」
1つ1つの行動が死に直結している場面で私の身体はまるですべての細胞が一丸となって目の前のゴブリンに集中していた。
ゴブリンの次の動きをミクロレベルの動作で感知し、私もまたミクロレベルの精巧な動きでこれに対応することが出来た。
「同時に濃密な戦闘による成長の早熟も感じていました。身体の何処に力を入れ、何処の力を抜くのか。ゴブリンを倒すために体が最適化されていったのです」
当時の私は鑑定スキル「様子見の紫視線」を持っていなかったため正確には分からなかったが、低く見積もって正規の訓練兵の平均であるレベル5程度には成長していただろう。
「実戦に勝る訓練はない」とは殊勝な言葉だと痛感する。
「そして、結果ゴブリンに勝利することが出来たのです」
「……何というか。レベルが違いすぎてしっくり来ないな」
ティムの言い分も当たり前だろう。どれもこれも感覚の話に過ぎない。
彼は「うーん」と唸って腕を組んだ。
「今までの話は私の無知が産んだ偶然の産物に過ぎません。しかし、私独自の訓練を語る上では欠かせないものだったのです」
私の訓練はこの経験を元に考えたものなのだ。話をしないわけにはいかなかった。
客観的にはどうであれ、私自身にとっては急成長することができた経験であることを知っておいて欲しかったのだ。
「では、これから訓練内容について話していきます。まず──」
私は口を開けながらいよいよ訓練内容について話そうとすると、心中でティムに謝罪した。私の目的はあくまで私と彼の違いを教えることであり、これから話す内容は彼の望むものではないのは分かっていたからだ。
かつての訓練は、ティムには絶対に出来ないものであると私は確信していた。
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