第40話 大団円
「さて、帰るとしましょうか?」
また、馬に乗ろうとする涼香殿に、
「待ってくれ、佐貫殿に謝らねば、死ねというのなら、死んで詫びねばならない。いま、話を付けてくる故、お前はここで待っておれ」
俺が、皆の衆が囲む向こうの屋敷の閉じられた門に駆け寄ろうとした時に、
「兄上! ダメ!!」
俺の背後から声を上げる涼香殿におれは振り向き、
「このままで良いわけがなかろう!」
「佐貫様にはとっくにお断りしてあるの。だから、今から言っても何のこと? になるから行かないで、ひっそりと戻りましょう。早く誰にも見られないうちに!!」
え?
「縁談の話を頂いて直ぐにお断りいたしました。後は、涼香と母上で一芝居打ったまででございます」
はあ、それであの時、母上と涼香殿は廊下で俺をみてそそくさといなくなったのか、うす笑いながら。
謀られた。ちょっと待て!
「お前らも、もしかして知っていたのか?」
周囲で驚く様子が無い皆の衆に俺は不審に思い聞いてみた。
「いや~、なかなかの良い芝居を見させていただきましたよ。何処にもいかないでく~れ~。なかなか聞けない台詞でございますな」
安兵衛さんが芝居がかって、さっき俺がはいた恥ずかしいセリフを復唱している。普段、不愛想なくせにいい笑顔だ。
くそ!皆の衆。嬉しそうに笑って……。
「名主! あんた、こうでもしねえと言えねえべさ、ほんとの気持ち。だから、俺達も一肌脱いだまでヨ」
弥平がそんな事を言ってくる。
それもそうか、馬の上から、にこやかにいつもの様に微笑む、俺の大好きな妹だった、これからは大切な伴侶、涼香殿を見たら、俺の為に動いてくれた皆の衆に感謝しかなかった。俺は、笑顔の皆の衆に向かって、
「皆の衆のおかげで俺は逃げる事を少しずつやめることが出来申した。まだまだ、名主としては未熟者ですが、涼香共々よろしくお願いいたします」
礼を言ってた。
佐平治が涙ぐみながら、
「ああ、名主様。これで、水の心配は無くなった。あんたがやっぺって言ってくれたから、涼香様が怒ってくれたから、ここまでこれた、礼を言うのはこっちだ。そんで、
これからは……
いっぺ~田んぼ作っぺな!!」
うれし涙で言い切った。
皆の笑顔を貰った。名主のやりがいとはこういう事なのですね。父上。
逃げない事で得たものは俺の生涯の宝になるのだろう。
皆の衆の俺への信頼、涼香殿の期待に応えることが出来た安堵感、水に困る事の無い水田。
名主として、逃げない事の大切さを知った。やり抜く辛さも知った。やり切った時の達成感も知った。次はどんな事が待っているのだろう?
俺は、思う。
逃げるとは責任の重さに耐えきれずに、先回りして出来ない事を、あげ連ねていたのだと、でも今の俺には理解できる。
ダメだと思ったら出来る人達にお願いすれば何とかなるよ。お願いするのが俺の名主の仕事なのだと。そう思って、今後も、気楽に逃げずにやっていけそうだ。
すっかり、暗くなり、松井の屋敷に近づくとかがり火を焚いた門の前でにこやかに手を振る母上が待っていた。戻って来るのを知っていたのか、そうだろうな。
今回の首謀者なのだから。
馬の上から良い笑顔で手を振り続ける涼香殿が、
「止めて!」
馬の手綱を引く俺に告げて、下ろせというので抱っこしてやったら、そのまま、走って、門の前まで行き、にこやかに母上に挨拶をし、抱き合って喜んでいる。
「母上!……只今、戻りました。今後とも末永くよろしくお願いします!!」
惣佐衛門達は自分たちが工事に積極的に関わることで、費用と工期を削減し、お上の見積もりの10分の1で用水路を完成させました。
この用水路は350年過ぎた今も現役で使われています。30年前までは、ほぼ手を入れられることなく使われ続けていましたが、最近になって、磔柱の置かれた神社付近から下流はコンクリート製の蓋つきに置き換えられました。それでも、上流の岩盤に金堀衆が掘割を通した部分は今でも当時のままです。
凡そ0.35立方メートル毎秒(一秒間に1リットル牛乳パックで350本相当)、80ヘクタールがこの用水路から水を供給されました。
そして、この用水路の完成で周囲の村でも同様な灌漑用水の工事が広がり、耕作面積が1.5倍に増え、350年たった現在のこの町の水田の基礎になっています。
この功績で惣佐衛門は藩主から主計の名を頂き、沼田
以降、功績をたたえこの用水路は十石堀として地元では有名な、小学生は必ず学習する地元の歴史です。
そして、今でも十石堀は、使う農家が自主的に管理しています。先人が作った大切な用水路として。惣佐衛門たちの想いがそのまま受け継がれているのです。
その結果、2019年9月世界灌漑遺産に登録されました。
終
この物語は事実を元に描いておりますが、人物に関する描写はフィクションです。
田んぼ作っぺ! 樹本 茂 @shigeru_kimoto
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