第4話 「依頼」


 「はじめまして。高木彩花たかぎあやかといいます。」

雑然とした事務所の一室で、少し遠慮がち、申し訳なさそうに彼女は言った。


 小柄だ。暗い茶髪、色白、切れ長の一重。眉が細く整った顔立ち、歳は30代半ばくらいだろうか。たたずまいが落ち着いている。


 「では、こちらの用紙に、簡単に記入をお願いします。答えられる範囲で構いません」

 僕が冷静に言うと、彼女はすぐさま、ポールペンを手にとった。


 「桃介、コーヒーを3つだ」


 桃介がコーヒーカップを用意し、差し出す。彼女は軽く会釈をしてさらにペンを走らせた。



 しばらく無言で僕らは見守る。


 「ありがとうございます。


 彩花さんですね。保育士さんなんですか。


 私も保育士資格、使ってはいないけど無意味にありますよ。元は高校教員です。私が代表の木村です。こちらが助手の吉田です。吉田は、看護師ですけどね」


 「そうなんですね」彼女が何か少しホッとして力が抜けたのが見て取れた。


 「保育士は何歳児を?」


 「年中さんです」


 「ああ、なるほど。まあまあ落ち着いた年齢ですが、大変でしょうね」


 「そうですね、どのクラスもまた違う大変さがありますよね」


 「で、ですね。単刀直入たんとうちょくにゅうに伺いますが、浮気を疑っていらっしゃる、ということなんですね?何かキッカケがあったのですか?不審な点がありますか?」


 僕が質問する。桃介は横でメモを取る分担だ。桃介は、さすが看護師仕込なのか、記録が得意だ。ノートパソコンをカチカチ打つ。




 「ええ。最近、夜が遅いんです。だいたい前から帰宅は22時頃……でした。でもこの頃は何か違う気がするんです…」


 「どういった所か違うんでしょう?」


 「コロナで会社は、外食がかなり規制されてるらしいんです。そんな話は、1年前から聞かされてました。なので、前なら気にならなかったかもしれません。でもコロナ禍なのに、外食を結構しているみたいです。ご飯は食べて帰ってくる事が多いんです」


 「しかし…同僚では?」


 「はい。私もはじめそうは思いました」


 「相手を聞いてみましたか?」


 「聞きましたけど、何か曖昧あいまいに『食べちゃった、ごめん。』とだけ。また、『今日はご飯はいらない。』と朝から言う日も増えました。理由は言わないんです」


 「旦那さんが、家にいる時に頻繁にスマホを触るようになったみたいな事ないですか?」


 「スマホ…。ラインとかは音がしない設定みたいなので来ていても、わかりません」


 「うーん。浮気かは、わかりませんよね。」桃介は急に口を開いた。


 「確かにわかりません 」


 「問い詰めないんですか?誰と食事を?と。答えが曖昧なんですよね」


 「聞けないです。心配でたまらないけど聞けません。聞いて疑っていると思われたくありません」


 「なるほど」 


 「子供はまだいません。でも今まで結婚してから、ずっと何もなく仲良くやってきました。この大切な関係を壊したくないです」


 「ですよね」

 桃介と僕はすごく気持ちがわかった。二人とも独身だけどね。そんな心配させる男はやめて僕と付き合えばいいのに、いや冗談。


 「ただ浮気ではない、と事実だけ分ればいいんです。私は夫を信じてはいるんです…ただ、不安で仕方ありません。調べてもらえないでしょうか?」


 彼女が少し熱気を帯びて、汗ばんでいるのがわかった。真面目な人だ。


 「はい、わかりました。それは心配ですよね。精一杯、やらせて頂きます」


 「それで旦那さん○○社なんですか?、なかなか大手。収入も良いのでしょうね」


 「はい。特には生活には困ってはいません」


 (うん、うん、報酬がしっかり貰えそうである。)事実、支払い能力がさほどない人も依頼者には居て、受けるか悩ましい時もある。赤字になってしまうからだ。


 「私達も、あまり余裕ある健全経営けんぜんけいえいとは言えずでして。近々いくらか着手金をまず、ご入金して頂けますか?


 尾行など経費がかかりますからね。細かな料金や支払い方法は、こちらに記載しましたので。うちは良心的です。


 まあ要するには、直ぐにわかれば、お金は日数や時間分しか、かからなくて、ですね。


 振込後に、1週間は、とりあえずは貼り付きで尾行します」


 「お願いします」彼女が頭を下げる。


 「気づかれないようにやります。こちらもプロです。安心してください。あと旦那さん、大知だいちさん、の写真をメールで何枚かください」


 「あっ。2年前に夫の実家の金沢かなざわで撮った写真があります」

 彼女がスマホのフォトから写真を見せてくれた。


 「おお。兼六園けんろくえんですかね」

 庭園を背景に二人が笑顔で写っていた。


 「いい笑顔ですね」

 桃介がボソっと呟く。


 「ですかね」 


 彼女が嬉しそうに微笑んだ。何かイントネーションが関西訛かんさいなまりである。(なにか気になってたんだ。ま、いっか。)


 「これは顔がよくわかりますね。これをメールに添付して、送って頂ければ。


 あとはメールで細かに随時、報告はします。何かあとから思いついたことがあったら、その都度、メール、電話、何でも連絡ください」


 ……こうして調査がはじまったのである。

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