8.「与えられんがために与う」

 ランスの市内は「悦ばしき入城」に沸き立っていました。広場や大通りには、お芝居や曲芸を見せる舞台、ワインの流れ出る泉、高い台の上から「国王陛下万歳!」と叫びお金を撒く人、そのお金に群がる人々などが、ひしめきあっています。


 私は、その様子を、家に帰る馬車のなかから通りすがりに眺めるだけです。家で父と母に迎えられると、ほとんどねぎらいの言葉もないまま、眠くもないのに床につかされました。もっとも、心の緊張が解けて、ほどなく深い眠りに落ちたのですが……。


     ◇


 アンリ様のもとへ馬車で送られたのは、もう真夜中のことです。翌日の戴冠式が行われる大聖堂でのミサから、ようやくお戻りになったところでした。


 ええ、そうですね。心の準備はすっかりできておりました。不安や恐れがなかったとは申しません。ただ、恐れといっても、アンリ様に向けられたものではなかったと思います。


 もしも「長旅で疲れた。下がってよい」などと言われたらどうしよう、という考えのほうがはるかに強かったのです。母の教えどおり、「陛下のものになる」ことに、私はなんの躊躇ためらいも感じませんでした。


 ふたたびアンリ様にお目にかかってから夜が明けるまでのわずか数時間のことは、けっして忘れることができません。こそ、私一人だけでアンリ様をお迎えできるという境遇を、誇らしくさえ感じていました。


 アンリ様にお会いしたのは、それが最後です。


     ◇


 その後、父の仕事は、以前にも増して盛んになっていきます。戴冠式の後、陛下は、ランスの町に古くから認められていた権利や庇護の約束を、あらためて確認する宣誓をされました。


 それだけでなく、町の名士たちは、新たにさまざまな権利を付与されたそうです。とりわけ、「悦ばしき入城」で父の果たした功績は高く評価され、父の声望も増すことになりました。


与えられんがために与うド・ユト・デス、だ」


 あるとき、父がそう言っているのを耳にしたことがあります。ラテン語の格言だそうです。


 そうしたある日、私は自分が子を身ごもっていることを知りました。


 父は、大喜びで、あちこちに知らせていたようです。母は、どこか悲しげな様子でしたが、私の行く末を案じてのことだったのか、それとも体調がすぐれないことによるのか、今となっては知るすべもありません。


 あくる年、生まれた男の子を、私はアンリと名づけました。

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