第48話「呼び方」
部屋へと戻ると、続きを読むのを楽しみにしていたのだろう。
有栖川さんは嬉しそうに漫画の続きを取りに本棚の方へと向かって行った。
本当に漫画にハマってるなと思いつつ、やっぱり自分の好きな作品を一緒に楽しんでくれている事が嬉しかった俺はそんな有栖川さんの姿に微笑ましさみたいなものを感じつつ、俺は俺でベッドに腰掛けながら好きな漫画を読み直す事にした。
ちなみに手にしたのは王道ラブコメ作品で、お気に入りの作品だ。
ここでファンタジーではなくラブコメを手にしたのは、きっと無意識ながらも今の状況に高ぶりみたいなものを感じてしまっているからだろう。
そんな事を感じつつも漫画を開くと、突然ベッドの隣がぐっと凹む。
それは勿論、俺の隣に有栖川さんが座ってきたからに他ならない。
しかし、てっきり俺はまたあの人を駄目にするクッションで駄目になるものだとばかり思っていたため、突然有栖川さんが隣に座ってきた事に驚きを隠せなかった。
「えへへ、一緒に読んだ方が楽しいかなって思いまして」
恥ずかしそうに頬を染めながら、隣に座った理由を説明する有栖川さん。
確かにそれはそうかもしれないし理由は分かったけれど、それでも俺はすぐ隣に有栖川さんが座ってきた事にドキドキしてしまう。
そして、そんな風に完全に意識してしまっている俺はというと、もう手にした漫画の内容がほとんど頭の中に入って来ないのであった。
「あの、それでですね――」
すると、有栖川さんは読んでいた漫画から顔を上げると、何やら言い辛そうにしながら話しかけてくる。
そんな有栖川さんの様子が気になった俺は、これから一体何を言われるのかと緊張しながら言葉の続きを待った。
「――そのぉ、もし嫌じゃなければなんですけどね?」
「う、うん」
「――――名前で呼んでも、良いですか?」
一体何を言われるのかとドキドキしたが、もじもじと恥ずかしそうにしながら有栖川さんはまさかのお願い事をしてきたのであった。
そして俺は、そのお願い事に対して俺は何て答えれば良いのか分からなくなって悩んでしまう。
確かに帰り道、名前で呼ばれた事は凄く嬉しかった。
けれど、日常的に名前で呼ばれる事とそれとでは全然違うのだ。
そんな事になってしまっては、当然周りの目は気になるし、それに違うと分かっていてもそんな距離感に期待して、思わず勘違いしてしまいそうだから……。
しかし、不安そうな表情を浮かべる有栖川さんの顔を見ていたら、簡単にノーとも言えない自分がいた。
何故ならこれは、有栖川さんから自分に対して踏み込んできてくれているのだ。
それは当然勇気のいる事だったということは客観的に考えればすぐに分かるし、何より有栖川さんのその不安そうなその表情が全てを物語っていた。
――となると、答えはやっぱ一つだよな
そう覚悟を決めた俺は、そんな不安そうにする有栖川さんへ返事をする。
「――うん、いいよ」
「本当ですかっ!?」
「正直言えば、色々周りの目とか気になるけどね」
「そ、そうですよね……」
俺の言葉に、喜んだのも束の間シュンと落ち込む有栖川さん。
そんな喜怒哀楽がコロコロと入れ替わる有栖川さんの可愛い姿に、俺は思わずクスッと笑ってしまう。
「でもいいんだ、嬉しいから」
「……嬉しい、ですか?」
「うん、有栖川さんからそう言ってくれた事が、素直に嬉しいよ」
そう言って俺が微笑むと、有栖川さんも言葉の意味を理解したのかまたパァっと花開くように満面の笑みを浮かべるのであった。
とは言っても、当然これからの事や二人の関係、色々と気掛かりは正直ある。
けれどやっぱり、俺は有栖川さんからそう言ってくれた事が何より嬉しかったのだ。
だったらもう、この先何が待っていようがそれを受け入れる以外の答え何てなかった。
ただ、そうなると受け入れるうえでも一つ気になる事があった。
「でも、そうなると俺だけ苗字呼びはおかしいような……」
そう、俺の事を名前で呼ぶのに、俺だけ苗字で呼ぶのは何て言うか少し違和感があるのだ。
さっきは勢いで名前呼びしてしまったが、あれはあの場を逃れるためにした事だから話が違うのだ。
すると、いきなり隣に座る有栖川さんはグイっと顔を近付けてくる。
そして――、
「玲って呼んでくださいっ!」
それはもう満開の笑みを浮かべながら、有栖川さんは自ら名前で呼んで欲しいと申し出てくれたのであった。
そんなに呼ばれたかったのかな……? とその勢いにちょっと呆気にとられつつも、ならばと俺は緊張しながら有栖川さんに話かける。
「――じゃ、じゃあその、えっと……玲さん?」
「はいっ! 健斗くんっ!」
恐る恐る俺が名前を呼ぶと、有栖川さんは嬉しそうに返事をしてくれた。
そんな有栖川さんの微笑みに引っ張られて、俺まで自然と笑みが零れてしまう。
すぐ隣に座り、嬉しそうに微笑む有栖川さん。
こうして、以前よりぐっと近づいているこの距離感が、やっぱり俺は嬉しくて仕方が無いのであった。
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