第23話「犬」
突然飛び出してきた、天敵ことポメラニアン――。
突然の犬の登場に驚いた俺は、無様にもその場に尻餅をついてしまう。
俺が犬が苦手な事を知っている有栖川さんは、咄嗟に犬を抱き抱えようとしてくれたのだが、そんな有栖川さんの動きをひらりと躱した犬は、そのまま俺目がけて飛び掛かってきたのであった。
「う、うわぁああ!!」
「キャンキャーン!」
ペロペロペロ――。
飛び掛かってきた犬は、そのまま俺にくっつくと、俺の頬をペロペロと舐めだした。
――えっ?
恐怖心でいっぱいになってしまった俺は、思っていたのと違う状況にテンパる。
てっきり俺はまた噛まれるものだとばかり思っていたのだが、クンクン言いながら俺の頬を舐めるだけの犬に、それからどうしたら良いのか分からずただ舐められ続けた。
「ご、ごめんなさい一色くん!! 大丈夫ですか!?」
そして慌てて駆け寄ってきた有栖川さんが犬を抱き抱えてくれたおかげで、ようやく解放された俺。
「おやまぁ、ケンは一色くんに遊んで欲しかったのね」
そして、一通りを見ていた有栖川さんのおばあちゃんは、そう言って笑っているのであった。
――俺に遊んで欲しかった?
どういう事だ? と思い、俺は恐る恐る有栖川さんの腕に抱き抱えられた犬に目を向ける。
すると犬は、楽しそうにこっちを見てきており、視線が合うとまた「キャン!」と一回吠えるのであった。
「……えっと、一色くん。おばあちゃんの言う通りこの子はただ遊んで欲しいだけみたいです。――その、なので無理にとは言いませんが、私がちゃんと抱き抱えてますので、一回触ってみますか?」
俺の前に屈んだ有栖川さんは、そう言って微笑む。
そうか、こいつは俺と遊んで欲しいだけなのか……。
そう思い、俺は犬に向かってそっと手を伸ばす。
しかし、そこでまたしても嫌なイメージが浮かび上がってしまう。
――いや、この手をいきなりガブって噛みつかれるかもしれない
そして、そんな事を思ってしまったが最後、それ以上手を差し出すのが怖くなり俺は目を閉じてしまう。
しかし、そんな俺の震える手の指先に、柔らかくて湿った感触が触れる――。
何だろうと思い目を開けると、それは有栖川さんの抱き抱える犬が俺の指先をペロペロと舐めているからであった。
だから俺は、その手をそっと犬の頭の上に乗っけると、咬まれる事無く犬は気持ち良さそうに撫でられてくれたのであった――。
「俺……犬を撫でてる……?」
「はい、そうです! 一色くん今、犬を撫でられていますよ!」
そうか、俺今本当に犬を撫でてるんだ……。
そんな、全然そんなつもりは無かったのだけれど、成り行きでこれまでのトラウマを克服出来てしまった俺。
他人からしたらきっとしょうもない事なのだろうが、俺にとっては大きな一歩とも言えるこの成果だった。
そして、その事を有栖川さんも一緒に喜んでくれている事が、俺は何より嬉しかった。
「……可愛い、ね。ケンちゃんだっけ?」
「はい、ケンちゃんです。私、この子と一緒にこの街に引っ越してきたんです」
「そうなんだ。じゃあ、ケンちゃんも有栖川さんの大事な家族なんだね」
「はい、そうなんです!」
有栖川さんの抱き抱える犬を、俺が撫でる。
撫でられた犬も心地よさそうに目を細め、そこには何とも言えない優しい空間が生まれていた――。
「ああ、ごめん! じゃあ俺はそろそろ帰るよ!」
「そうでしたね! もう遅いですし、気を付けて下さいね! ほら、ケンちゃんもバイバイって」
「キャンキャン!」
「はは、ありがとう」
そう言って俺は立ち上がると、有栖川さんのおばあちゃんと向き合う。
「えっと、夜分遅くにすみませんでした。帰ります」
「何言ってんだい。ここまでうちの子を送ってくれたんだろう? ありがとうね、またいらっしゃい」
有栖川さんのおばあちゃんは、そう言って笑って見送ってくれた。
そして俺はありがとうございますと頭を下げると、有栖川さんにももう一度別れを告げて帰る事にした。
夜道を一人歩きながら、俺は先程の出来事を整理する。
有栖川さんは実は今おばあちゃん家で暮らしており、意外と近所だったこと。
それから、これまでずっとトラウマだった犬を克服できたこと。まぁ小型犬ではあるけれど……。
あとはそう、有栖川さんのおばあちゃんは、やはり家族な事もあり有栖川さんにも似た白髪の綺麗な大人の女性という感じで、決しておばあちゃんとは思えない上品な美しさをしていたこと。
それこそ、うちの母さんと比べてみても正直どちらが年上かなんて分からないレベルだった。
――あ、そういえば有栖川さん、おばあちゃんについて何か言いかけていたような……まぁ、それはまた今度聞けばいいか
そんなこんなで、ただ有栖川さんを送って行くだけのつもりだったけれど、結果として俺は色んな収穫があった事に満足しながら、のんびりと夜道を歩いて帰宅したのであった。
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