第3話 佐伯
「日向幸希君だね。宜しく。」
奥から現れた男性は礼儀正しく、帽子を胸に当て挨拶をする。
いかにも、紳士的な所作に日向は反射的に頭を下げてしまった。
「は、はい。よろしくお願いします。それで、あのーなんとお呼びしたら……」
「はっはっは、紹介が遅れたね。私のことは佐伯とでも呼んでくれたまえ」
くれたまえ?なぜそんな言い方をするのか?と疑問符がつく。
少なくとも、佐伯がこの男の本名ではないというのは何となく察することができた。
「それで……柑奈さんと佐伯さんはどういったご関係で?」
「うん、生徒と先生って感じの関係かな」
と、柑奈。日向はいまいち要領を得ないが、続けて質問する。
「では、何故この洞窟と学校の古井戸が繋がっているんですか?」
「ここの洞窟はね。明治時代、有名な銅の採掘場となっていてね。開発が進んでたんだよ。多分この古井戸はその時に労働者が外に出る時に使用されていたものだろうね。」
と、佐伯が言う。
「なるほど」
「まぁ、立ち話もなんだし、コーヒーでも飲まないか?美味しい豆が入ったんだ。」
日向と柑奈は横長のソファに座り、机を挟んで一人用のソファに佐伯が座った。
佐伯の淹れてきたコーヒーはランプに照らされ、湯気が火柱のように立っていた。
「日向君、すまないが昨日、君の身に起こった摩訶不思議な体験の全てに解答することが出来ないことを先に断っておく。」
「はい……分かりました」
柑奈は先程から黙って隣で考え事をしている。
それはまるで日向に言っていい情報とそうでないものを思索しているようにも見えた。
「まず、昨日君と会った少女。あの子には名前、家族、記憶、そういったものは一切ない」
「へ?それって、ただ単に名前や家族のことを忘れてるってことじゃないんですか?」
「違うね。忘れたんじゃなく、あの子には名前も家族もないんだ。元々ね」
疑問、
「そ、それじゃあ、どうやって今まで生きてきたんですか?」
「あの子はね、この世界の“記憶”なんだよ」
日向はいよいよ意味が分からなくなってきた。
「あの子は突然、一定の期間、世界に現れては消滅する。生成消滅を繰り返す観念的な存在なんだ。いや、観念そのものだね」
「えっと、つまり……え?」
「とにかく、あの子はこの世界に紛れ込んだ異物、イレギュラーな存在だってことだよ」
と、柑奈が言う。
「えっ、そ、それじゃあ、あの子はこれから一体どうなるんですか?」
「いつか、ふと消滅するだろうね。昨日、いきなり君の前に現れた時のようにね」
突然勝手に生み出されたと思えば、突然勝手に消滅させられる。
そんな人生あんまりじゃないか。
日向は少女の行く末が不憫でたまらなくなった。
もうひとつの疑問、
「そ、それじゃあ、あの子を狙っていた男は何なんですか?」
「私にも、彼の考えている全ては分からない。だが、分かることは、彼は少女を消し去ることで世界を正常に保てると考えていることだ」
佐伯はコーヒーに手を伸ばし、口をつける。
すると、柑奈が
「私と先生はね、少女を消し去るのは間違ってると考えているの。いつかは消えることが分かってるんだし、無闇に消滅を急いだらよくないことが起こると思ってるの」
よくないことって何だよ……
それにさっきから二人のあの子に対する話し方が気に食わない。
あの子も血の通った同じ人間だ。
安易に消滅だの異物だの無機的な言葉使うもんじゃない……
「それでね、幸希君、君には私たちと協力してあの子の身を守って欲しいの」
と、柑奈。
「話によると、その子は君に懐いているようだし、これ以上人に知られたくない。だから君の家に彼女を住まわせるのがあの子には一番じゃないかな」
と、佐伯が話す。
予想外の展開。
「え?そちらで保護してもらうのじゃダメなんですか?」
「あの子が世界に現れて最初に出会ったのが君だった。それはただの偶然ではなく、何らかの理由があるんじゃないかと思うんだ。だから、あの子が望むままに、君の元に居させてあげたいんだ。もちろん、君が負担にならないようにこちらからもサポートさせて貰うつもりだ」
と、日向は淡々と佐伯に言いくるめられてしまう。
「……分かりました」
「他に質問はないかね?」
佐伯はコーヒーを片手にリラックスした体勢をとる。
「いえ、特にありません……」
ただでさえ、今まで話された内容を把握できてない日向は、完全に気が削がれてコーヒーカップに目を落とすばかりだった。
「幸希君、大丈夫?」
その後、日向は柑奈と二人で帰り道を歩いていた。
「大丈夫、でもちょっと混乱してるかも」
「それも仕方ないよ。いきなりあんなこと話されてすぐ納得する方が怖いよ」
「ははは、たしかに」
いつから佐伯さんと知り合いだったの?
なんであの少女のことを君が知ってるの?
道中、洞窟では聞かなかった……というより混乱して聞けなかった質問をしたが、多くは秘密ということで躱されてしまった。
「いつか、正しい時期が来たら君にも分かるよ」
別れ際、柑奈はそう言った。
正しい時期……か。
そういえば、もうそろそろ夏休みだったなぁと、
日向は山に消えゆく真っ赤な夕陽を見ながら、そう思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます