むさしのぎかい
鈴ノ木 鈴ノ子
むさしのぎかい
「さて、武蔵野議会と言うものをご存知だろうか?」
居酒屋で飲んでいた彼から不意にそんな話題を振られた。
東京の線路下にある小さな飲み屋でコップ酒を煽っているスーツ姿の彼は、何処となく、自由業家業のような雰囲気を漂わせることもある魅力的な男であった。数回、この飲み屋で話をしているうちに意気投合し、会って飲むことが多くなった飲み友達だ。
武蔵野市議会のことかと尋ねた。
「ああ、武蔵野市議会のことではない。そんな小さな町会議ではないのだ。」
武蔵野市の市民として少し抗議を示した。小さな町ではない。都会と田舎の狭間程度である。
「え?それは失礼だと。ああ、では丁重に謝罪しよう。」
彼はコップ酒を掲げて、お詫びに乾杯と言って一口で清酒を飲み干した。
「ああ、でね、その武蔵野議会と言うものはだね、君、日本が成立してからずっと存在しているのだよ」
そんな昔からあるのなら朝廷の関係のことだろうかと尋ねてみながら、サントリーのウイスキーを飲み干し、次を注いだ。
「いやいや、そうではないよ、君。まぁ、皇室にも関わりはあるのだけれどもね」
では、神話の時代からということであれば、出雲の議会かと聞いてみる。八百万の神々が出雲大社に集まって、ヒトの縁を結ぶ議会だ。
「違う違う、あれは神様の議会だからね。ヒトは入り込むことができないんだ。私が言っているのはね、人も関わる議会のことだよ」
ヒトの縁を結んでいるのだから、人も関わりあると私は悪態をついた。
「あはは、そうだね。それは言える。しかし、最近は縁切りの神も手が回らないほど、結んでは切りの大変な話し合いになっているそうだよ」
ああ、つい最近、僕も妻と別れたところであったので、多分、その議会で縁切りの神様に迷惑をかけただろう。神様にお詫びせねばならないなぁと小声で呟いた。
「なに、君も縁切りを経験している口なのかね。ああ、まぁ、そんなことはどうでもいいんだよ。さて、先ほど話に戻るがね、武蔵野議会と言うのは、今の日本を維持するための最高議会なのだよ」
日本で最高議会ということであれば、それは、国会だろうと言ってみる。
「うん、寝ていても給与が出るし、ヒトの粗を探って週刊誌を持ち出して、井戸端会議の拡大版のようなことをしているバラエティーのことかい?あれ一回3億円かかることは知ってるかい?」
3億もと私は驚いてみせた。
「ああ、それくらいはかかるさ、あんなところでやってれば無駄でしょうがないよ。私は常々思うのだけどね、青空国会にして炎天下に行ってはどうだろうかと考えているのだよ。彼はらは死ぬほどスピーディーに物事を決めるだろうし、地球温暖化防止にも貢献できると思うがね」
彼は机の上の焼いたメザシを手に取ると、もしゃもしゃと食べて、再び清酒を煽った。
「ああ、話がずれたね。国会はヒトの議会だ。私が言っている武蔵野議会とは、日本に住むすべてのモノが集まる議会なのだよ」
酔いが回りすぎてませんか?と私はウイスキーを飲み干してまた注いだ。
「聞くのが嫌かね?」
少し困惑した彼の声を聞くのは久しぶりであった。耳を垂れて猫のような顔をして。
まさか、楽しそうなので伺いますよ。と僕もメザシを齧ってもしゃもしゃと食べる。
その姿に彼は何かしらの満足を得たのか、笑みを浮かべ、清酒を煽ると、再び口を開いた。
「聞いてくれて嬉しいよ。さてだね、武蔵野議会の歴史は古くてね。昔は京都で行っていただんだ」
武蔵野議会なのに京都なんですか?と首を捻る。
「うん、明治前までは都は京都だったからね、嵯峨野のあたりでぶらぶらとやっていたよ。それがね、時代が変わって遷都が行われたのでね。議会も移さざるをえなくなったのだよ」
それまた大変なことですね。と話半分に聞きながら、手元の手羽先を齧る。パリパリの皮を噛むと彼の手が伸びてきて、文字通り、一手羽持っていった。
「移動は大変だったよ、汽車とやらが開通して、それに乗ったのだがね。揺れるし、煩いし、時間はかかるし、まったくもって大変だった」
新幹線がないですもんねぇと返しておく、今なら東京大阪は3時間ちょっとで行ける。
「新幹線!あれはすごかったね。乗ってみたが雲泥の差だった。あれは良いものを拵えたと思うよ」
彼も手羽先にかぶりつきながら、そう言って、店員のおねぇさんに清酒の一升瓶を注文した。
「脱線ばかりで申し訳ないね。ああ、君は枢密院を知っているかい?」
枢密院ですか?確か歴史で習ったと思いますが・・・。歴史の高林先生がそのあたりを授業で説明していたが、はっきり言えばもう忘れている。卒業して何年も経ているのだから仕方ないと自分に言い訳をして、ウイスキーを飲む。
「そうか、最近の者は枢密院を知らんか・・・」
彼は悲しそうに、そして、懐かしそうにそんなことを言って、再び、メザシをもしゃもしゃと食べ、店員のおねぇさんが持ってきた一升瓶からコップに酒を注いでもらうと、嬉しそうにありがとうと言って、食べているメザシのしっぽをお礼に差し出した。彼女は愛想良くそれを受け取ると戻っていった。
「彼女はプロだね、暫く通うことにしよう」
迷惑ですからやめなさい。酔っ払いでも紳士的振る舞いは必要だと思いますよと僕は注意する。
「紳士的振る舞いができれば、離婚なんぞしないだろう」
呆れて閉口していると、彼はメザシをもう一本食べてから、赤くなった猫顔をおしぼりで拭いた。
「ああ、失礼、悪気はあるのだよ。嫌味だから気にして欲しい。でね、昔は枢密院で議会をしていたのだが、第二次世界大戦で東京大空襲を境に、武蔵野丘陵のあたりに疎開して議会を行うことになったんだ」
当時の武蔵野はどんなとこだったんです?と尋ねてみる。
「君ね、素晴らしところだよ。今も素晴らしいがね。自然豊かで皆が安心して過ごせる場所さ、君もを自宅を買うならそっちがいいぞ」
自宅は妻に慰謝料として渡したと告げる、彼は高笑いをして自分で注いだコップ酒を煽った。
「あはは、それなら尚更好都合じゃないか、あ、そうではなくだね。その時に武蔵野議会と名前が改まってね、あそこに国定公園があるのは知っているかい?」
武蔵野丘陵森林公園ですか?と尋ねてみる。私の勤める会社はそこの造園も受注しているのだ。
「そうそう、その公園もね、武蔵野議会をやりやすくするために整備したのだよ。だから、国営公園第一号になったのさ」
メザシを大学の教授の指示棒ように振る。するとその手元からするりと抜けて宙を舞ったメザシを彼は口で器用に噛むと、モシャモシャと食べて再び清酒を煽った。
「で、この武蔵野議会と言うものはだね。君たちのあのバラエティーに出てくる議員さんとね、各界の代表が集まるんだよ、動物、虫、妖怪、そしてたまに神様もくる」
それは騒がしい議会でしょうねぇと少し眠くなった僕は相槌を打った。動物だの虫だの種類の多いものから相当な数に上るだろう。
「ああ、そうなんだよ。何せね、日本全体のことを話し合っているからね。戦争と、政権交代とか言うもので議会にヒトが参加しないこともあったが、概ね、今はみんなで話し合っているよ。議題も多くてね。時間がかかる議会さ」
どれくらいかかるんですかと残ったウイスキーを飲み干しながら僕は聞いてみた。
「そうだねぇ。ざっと24時間はかかるさ、日中にくるものもあれば、夜間にくるものもいるんだ」
それは大変だなぁと水を飲んで意識をさまそうとするが、酔いのまわりすぎた頭はなかなかシャキッとしない。
「もしだね、この話に興味があるのなら、一度、公園を尋ねてみるといい。そこに小さな手作りの看板で「武蔵野議会議場」というものがあるから、その看板に触れは議場に入れる。あ、おねぇちゃんお勘定!」
先ほどのメザシのしっぽのおねぇちゃんが、会計用紙を手早く整えて持ってきた。彼は私の分まで支払ってくれると、ふらつく私を心配したのか、タクシーまで支えてくれた。
「今日は奢りだ、次回は君が奢りたまえよ。さて、私はこれから議場に向かうのでね。君はきちんと自宅に帰り給えよ」
そう言って彼がタクシーのドアを閉めた。私はお礼を言おうとして窓に頭をつけて頭を下げた。彼は気前よく笑いながら手を振った。タクシーは行き先も告げていないのに自宅の方角へと走っていく。
ああ、そういえばその時、見間違えでないと思うのだが、お尻の後ろあたりに2本ほどふさふさの尻尾が目に入ったような気がした。面白いこともあるものだなぁと思いながら、意識はどんどんと眠りへと入ってゆく。
次は、猫又さんにお礼して奢らないと、と小声で呟く。奢ったら奢り返すのが暗黙のルールとなっている。
仕事は確か、代表をやっているとか言っていたっけ・・・。
むさしのぎかい 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki
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