第2話

「マンモスダンス!マンモスダンス!マンモスダンスイエイイエイイエイ!」

路上の真ん中で、突然、上半身裸、下半身にはピッチリした黒いタイツを着用した中年男性が、そのように叫びながら、仁王立ちし、目を見開き、股間を激しく弄る動作を繰り返していた。


私はコンビニでいくつかの缶ビールとイカ焼きを購入し、帰宅する途中であった。


「マンモスダンス!マンモスダンス!マンモスダンスイエイイエイ!」

目が合うと叫び、また股間を弄る動作を開始。非常にキレの良い動きである。


男性は基本的に痩せているが、下腹にのみ、贅肉がかなり付いていた。そうして頭髪は、前の方が欠如している。汗を体中から噴出させている。


私は、男性の正面、3メートルほどの距離に、白いビニール袋を持って、立っていた。


「マンモスダンス!マンモスダンス!マンモスダンスイエイイエイイエイ!」

それしか言葉を知らぬかのごとく、男性は繰り返した。


私は、彼のことを理解したいと願った。だが、マンモスダンスについて、生憎、流行に疎い私は全く知らないのだ。このことを、彼に謝罪したいと思う。こんなにも熱心に、汗を流しながら、私一人に見せるために、彼はマンモスダンスを踊ったのだ。


きっと、マンモスダンスというのは相当に重要なものであるに違いない。


彼は、世間に疎い私に対し、重要なマンモスダンスというムーブメントについて、なんとか伝えようと、試みているのだろう。


その気持ちは痛いほどに理解ができた。


だが、マンモスダンスそのものについては、一向に、理解ができない。


仁王立ちになる。両手を大きく広げる。素早く股間に手をやって弄る。……それだけの動きである。


何か、重要な意味があるに違いない。


そうでなければ、大の大人が、こんなに熱心に、汗だくになりながら、わざわざこんな路上の真ん中で、こんなことを、するわけがないのだ。


だが、理解できない。


そのことが、私の口を半開きにさせる。

私の半開きの口からは、涎が零れ出ていた。それは事実である。


なんて残酷なことを、と思いながらも、私は黙ってその場を立ち去ったのだった。


幼い頃から良心の発達が著しい私は、マンモスダンスを結果的に黙殺してしまったことについて、かなり後悔した。彼がマンモスダンスを激しく踊っていたあの路上を通過するたびに、マンモスダンスという恐らく現代社会において極めて重要なムーブメントを知る機会が、自分からは永遠に失われてしまったのだと思い知り、愕然とした。後悔……後悔……2週間以上、良心が痛み、吐き気さえ催したのである。


《人生は後悔の連続である。どのようにすれば悔いの残らない生活を送ることができるのか。未だにわからない。お前に真の人生を教えてやる、と路上でいきなり声を掛けて来た老人については、その場でバール状のものを用いて頭蓋骨を損傷させてしまった。老人は救急車で運ばれ、私は付き添いをした。12時間に及ぶ大手術が行われ、奇跡的に老人は助かった。その後3か月間のリハビリを経て、彼は社会復帰した。私は、時折、彼の自宅である平屋のぼろい日本家屋にお邪魔して和菓子とお茶を頂くことにしている。夏の盛りを迎えようとしていたある日に、彼が、お前に真の人生を教えねばならないな、と再び言い出したので、私は奇声をあげながら手元にあったバール状のもので、再び老人の頭蓋骨を損傷させたのだが、今度は、だいぶ派手にやってしまい、脳漿がその場にぶち撒かれていたし、脳みそも大部分が床に散乱していた。誰がどう考えても、これを治療するのは不可能であると思われた。私は頭から足先まで血を浴びていた。バール状のものを握りしめて荒い息をして、しばらくそこに立っていた。》


オレンジ色の夕日で染まるカフェテラスには、人はあまりいない。

木目調の壁、黒い窓枠、丸い柱。クラシックな印象。全体的にかなりの洗練されたお洒落レベルを持つカフェテラスである。多くのカップルが、ホテルでセックスをする前に立ち寄るようなカフェである。

今、外のテラス席に座っているのは三ツ矢だけであった。

他の人たちは、店内の席に座り、スマートフォンを凝視しながら、コーヒーを啜っている。

三ツ矢は、クッキーを齧りながら、路上を見ていた。

路上を歩く人々も、スマートフォンを凝視していた。

スマートフォンを凝視する人々は皆、無表情であった。

三ツ矢は、クッキーを齧る。粉が、ぼろぼろとテーブルに落ちた。


「よお、暇なのか?」

肩を叩かれた。見れば、グレーのスーツを着た吉岡イグレシアス守男である。

すでに50代半ば、白髪で、肌もシミだらけで弛んでいる。少し腹が出て来ていた。


「俺は、もうバナナを食えない」

三ツ矢が言った。

「ドクターストップだ」


吉岡イグレシアス守男は三ツ矢の正面の席に座った。

「お前が初めてバナナを食ってから30年くらい経つか」

「ああ。それくらいだ。あの地下室にある牢屋で」

「園子もあの頃は元気だったよな」

「ああ。初めてのとき、園子が俺にバナナを食わせたんだ」

「覚えているよ」

「うん。一生忘れない」

三ツ矢は、自分の年老いた皺だらけの手を見た。ここまで年を取るとは思わなかった。園子にバナナを食わされ……園子はその後、自身の母親とミートソースグラタンの味付けについて凄絶な口論を行い、その際に「あんたのマンコは臭いからあんたはすぐにフラれてしまうの凄い可哀想」と言われ、即座に激高して母親を絞殺し、その日の夜にamazonであらかじめ購入しておいたピッチリとした黒い全身タイツを着用して自衛隊の基地に侵入し、多くの爆発物の保管してある倉庫に、どのような形で身に着けた技術なのかわからないが高度なサイバーハックのテクニックを多用してロックを解除して入り込み、その爆発物をその場で発動させて爆死したのだ。現場は黒焦げであり、何か、爆撃でもされたのかと、空襲でもあったのかと思われる様相を呈していた。園子の遺体は、吹き飛んだ顔面の一部と右手しか残っていなかった。後はすべて灰と化したのだろう。


「人生いろいろあるよね」

三ツ矢は微笑みを浮かべながら、言った。

「そうだろうか?」

「え?」

「そうだろうか?と言った」

「え?」

「まあ、いいさ……」

吉岡イグレシアス守男はそう言って指パッチンをした。


店内でそれまでスマートフォンを凝視していた十数人の男女が外に出て来た。


そうして三ツ矢を捕獲した。


無表情で、三ツ矢を羽交い絞めにした。


無表情でひたすら三ツ矢の脇腹を殴りつける者もいた。


三ツ矢は「なんだ?どういうことだ?」と言い続けていた。


その様子を見て、吉岡イグレシアス守男はニヤニヤ笑いを浮かべていた。


三ツ矢は手足を縛られ、運ばれた。


地下室だった。


牢屋に放り込まれた。


「人生いろいろあるよねって、何様なんだ?お前はよお……」吉岡イグレシアス守男が言って、地下室から出て行った。


鉄格子の向こう、牢屋のなか、手足を縛られた状態の三ツ矢が顔をあげると、1メートルほど先に皮を剥かれていないバナナが一つ、転がっていた。

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