みにくい顔

王生らてぃ

本文

 小さい頃、事故で失明した。

 五歳の時だ。

 たまたま家に遊びにきていた友だちのかなこが、わたしの顔に熱湯を浴びせかけたのだ。

 わざとなのか、事故なのか。いや、そもそも本当にかなこがやったのかどうかもわからない。とにかくわたしの顔はひどい火傷を負い、眼球に直接熱湯を浴びたことでまったく目が見えなくなった。

 いつも真っ暗。



「ごめんねあいちゃん」



 かなこは毎日、ベッドで横たわっているわたしに会いにきて、ごめんね、と言った。

 顔も姿も見えないので、どんな気持ちでいるのかはほとんど想像するしかなかったけど、声は震えているように聞こえた。



「これから、あいちゃんの身の回りのお世話は、ぜんぶわたしがするから。だからゆるして、おねがい」



 ゆるして、と言われても、わたしは怒っているわけじゃなかった。なんかいつの間にか目が見えなくなっていたような気持ちだ。だけど、いろいろ不便なのは確かなので、かなこが世話を焼いてくれるままにしていた。






 しばらくすると家の中くらいはひとりで歩き回れるようになり、だんだん指先で点字を読めるようにもなってきた。朝も昼も夜のように暗いだけで、夜中に家の中をこっそり歩き回るような気持ちだ。ちょっとした冒険気分だ。

 かなこは小学校に上がって、わたしは盲学校で、それぞれ勉強をする。週末は必ずかなこはわたしの家に来て、遊んでくれた。人生ゲームとか、チェスとかを覚えた。



「大きくなったら、わたし医者になる」



 かなこは自信たっぷりにわたしに宣言した。



「医者になって、あいちゃんの目を手術するの」

「へーすごい。頑張ってね!」

「うん、頑張るよ。だから待っててね、あいちゃん」



 言われた通りわたしは待った。

 他に手術や治療の話があっても、かなこがやってくれるから、と断り続けた。それを教えるとかなこはふん、と大きく息をつくのだった。







 中学になるとかなこはそんなに家に来なくなった。勉強が忙しいらしい。

 わたしは心細くなった。

 目の前は真っ暗。いつもかなこがわたしのそばにいてくれたのに、いなくなったらわたしは、いよいよ一人になってしまうような気がした。

 すでに家の中でならほとんどひとりで歩き回り、インターネットでラジオを聴いたり、音声入力でネットサーフィンもできるようになった。



「あいちゃん、久しぶり。あまり会いに来られなくてごめんね」



 たまに遊びに来たときは、かなこはそれまでの埋め合わせをするように、お茶菓子を用意したり、おしゃべりしまくったりした。

 わたしのために点字を覚えてくれたそうで、点字で打った手紙を読ませてくれたりした。流行っている小説や映画があったりすると、点字で文字起こしをしたりしてくれた。別にいいのにな。オーディオブックとかあるし。だけどかなこがやってくれるのは嬉しかったので、わたしはなんでも受け入れた。



「いつもありがとう」



 あるとき、わたしが言うと、かなこはこう言った。



「なんであいちゃんがお礼を言うの? わたしが言わなくちゃいけないのに、『あんなひどいことをしたのに、友だちでいてくれてありがとう』って。なのに、なのに……」

「友だち……?」



 かなこは泣いていた。たぶん。



「そんなふうに思うくらいなら、もうわたしのことは気にしなくていいのに」



 と、わたしは思った。







 高校生になるとかなこはますます勉強にのめりこみ、医学部合格はほぼ確実と目されているらしい。お母さんから聞いた。代わりに、わたしに会いに来る機会はますます減った。

 わたしは真っ暗な視界の中で、かなこが身を粉にして机に向かい、勉強している姿を想像する。わたしのために医者になるなんて言ってくれているかなこは、それがわたしにとっての罪滅ぼしになると思っているのだろう。

 あのとき、わたしの顔に熱湯を浴びせかけたのが、悪ふざけなのか、ほんとうに事故なのか、それはもうわからない。かなこはたぶん、意識して触れないようにしているのだろう。わたしも、それはもうどっちでもいいことだ。



「どうなの?」



 だけど、次に会ったとき、わたしはかなこに聞いてみた。そしたらかなこは黙ってしまった。息遣いは聞こえるので、そこにいるのは確かだけど、返事をしない。



「どう答えても怒らないから、教えて。ただの好奇心だから」



 やがて、かなこは絞り出すように答えた。



「覚えてない……」

「え?」

「とにかく、あなたの目を潰したのは、私なんだから。わざとでも、まちがってでも。どっちにしても私が悪いの、それでいいでしょ!」



 最後はちょっと怒っているみたいな言い方だった。そしたらまたかなこは泣き出した。

 別に怒らせるつもりも泣かせるつもりもなかった、「そんなこともあったね」くらいの笑い話で済ませて欲しかったのに……



「ごめんね」




 そんな反応をされたら、わたしのほうが変な気持ちになってしまう。



「受験、頑張ってね」







 かなこは東京の一流医大に現役で合格し、着々と医者への道を歩んでいるそうだ。ほぼ毎日電話をしてくれる。



「そうなんだ。大変だね」

『うん、でも、頑張るよ』

「ねえ、どんな感じ?」

『え?』

「わたしの顔が見えないって」



 電話越しのかなこは答えない。



「わたしはずっとかなこの顔が見えないのに、かなこはわたしの顔、ずっと見えてたでしょ。どう? わたしとおんなじ」

『それは……そうだね、さみしいよ。早く会いたい』

「わたしも会いたいよ。かなこの顔、五歳の時から変わってない。身長も分からないし」

『あいちゃん……』

「だから、頑張ってね。はやくわたしをかなこに会わせて」








 また時間は流れているらしい。

 わたしは暗闇に閉じ込められたままだけど、体は日々成長している。

 かなこから連絡があった。大学を卒業して、研修医になったらしい。わたしの目が見えるようになるまで、あと少しなのだそうだ。

 急にさみしい気持ちになった。こんな気持ちになるくらいなら、ずっと目が見えないままでいい。

 わたしはこの暗闇の中から、かなこのことをずっと見ていたいだけなのに。



 かなこの顔が見たいとか、早く会いたいとか、そんなこと本気で思っちゃいない。ただ、かなこが自分の罪で傷ついて、わたしのことを愛してくれるのが心地よいだけだ。



『もうすぐ会えるから、待っててね』



 なんて、電話越しにうきうきした声で言われて、わたしがいい気持ちになると思っているのだろうか、この女。



「うん。頑張ってね。楽しみだな」



 そうだ。

 あなたはわたしのために、この先ずっとずっと、頑張ってもらわなくちゃ。それがあなたの生きる意味なのだ。

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