第7話 最初の冒険:1

 人員の招集は、十数分で完了した。ラウドメア商会、カンタール大倉庫統括。荷卸方番頭。勘定方番頭。武装船船団長。その他、大層な肩書きを持つ面々が集まって、その端の方にネフィルが、販売方番頭という肩書きで席についている。


「偉い人だったのか、あの子」

「そうみたいですね。私と同じくらいの歳なのに……すごいなぁ」


 ミアとクーは、臨時顧問なる肩書きを与えられて、上等の椅子に座っている。……ついでに言えばその隣に、おそらくは70歳かもう少し行っているだろう老爺が、やはり顧問扱いで腰掛けている。日に焼けた肌に、塩の粒のような短い白髭。その髭をぽりぽりと引っ掻きながら、老爺が言い。


「知らんのかい、ネフィル嬢のこと。10歳のころにはあの背負子をつけて、客の対応に当たっとったよ」

「へぇー、凄い……! 天才児ってやつですね!」


 少し離れたところで、ネフィルが心なしか胸を反らせた。


「……ちなみにお爺さんは、どういう人なんです?」

「わしか? わしは漁師よ。ガキの時分から数十年、毎日この海と向き合っとる。しかもな──」

「しかも、50年前の海獣騒ぎの当事者だ。たしかあの時は、船が海獣に引き回されてすごい勢いで走らされてた。君は帆柱にしがみついてたな」

「──ぉ?」


 老爺とミアの会話に、クーが横合いから首を突っ込む。すると老爺は、皺を伸ばすように両眼を見開いてクーを見つめ、待つことしばし。


「……おぉ! あの時の、弓のねえちゃんか! 名前は覚えてねぇが! 変わってねえな!」

「うん、弓のねえちゃんだ。そしてわたしも君の名前は覚えてないが、その顔は見覚えがある。凄いな、50年経ってもこんな、皺の有る無しの他に顔が変わらない人間がいるんだな」

「はっはっは。おかげで老けねえって女房にゃ好評よぉ!」


 ひょんなところで再会したふたりが旧交を温める一方、ラウドメア商会の幹部陣は、渋面を付き合わせている。大倉庫統括なる肩書きの中年の男が、広げられた海図の一点を指差した。


「ここだ。この旅の方と、地元の漁師の方の話によれば、この小島──ティネイ島とその周辺の海域が、大型の海獣の巣となっている。我らラウドメア商会の船団は、そこで足止めを受けている可能性があるという」

「海獣とは言うがよ、統括」


 武装船の船団長だと言う女性。海藻のような癖のついた黒髪と、酒焼けした声の、〝船乗りらしい〟船乗りが言う。


「交易船ったって、海賊対策は万全なんだぜ。払い下げられた戦列艦の流用で、三本マストに砲門が左右10ずつ。船首は鋼板、鯨とぶつかったって負けやしない。こいつを捕まえるってのは、どんなバケモノなんだい」

「けっ。小娘が海を分かったような口をよぅ」

「あぁ? なんだよ爺さん……って、あんたは〝当事者〟なんだったな。見た目じゃ信じられないが、そっちのバカでかい弓持ってる姉さんも」

「ああ。イメージとしては、そうだな……君達が所有する最も大きい船を、縦に3つか4つ繋いだくらいの大きさだと思えばいい」

「ぅえっ。海獣ってそんな大きいんですか!?」


 重要な話題とは知っていながら、ミアは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。だが、咎める者が誰もいなかったのは、立場もさることながら、この会議の参加者は大なり小なり同じことを思ったからだろう。


「んなわきゃあねえよ。わしはうん十年、海に出とるがな。そもそも海獣なんぞ、せいぜいが釣り船くらいの大きさだ。でかいもんでも、帆船と比べりゃ子供みたいに見える。だが、あん時に出てきた奴は……でかかったなぁ。ツラも、ほれ……牙がずらっと並んでて、とげとげしくって、怖えんだ」

「……海獣って言う分類が、そもそも、〝海に住む大型の生物〟くらいの大雑把な括りなようです。出典が怪しいところだと、お城より大きなイカとかタコとか、鋼鉄の鯨とか、そんなものまで記録が……」


 怖いと言いつつ、老爺は昔の思い出を、なんとも楽しげに語る。その一方で生真面目な顔をしているのはネフィルである。背負子から幾つかの図鑑を取り出し、海獣の記述を探しあて、分厚い眼鏡のレンズをページに擦りつけるような距離で文字を追っている。


「う、むむむ……これが行きの空船ならば、国軍に丸投げして解決を待てばよいものを……」

「問題発言ですよ、統括。船員の給与は拘束日数ベースなのをお忘れなく」


 大倉庫統括が、頭を抱えてうなり声を上げる。冷ややかな指摘を挟んだのは、勘定方の番頭である。


「悩んでもしかたがねえだろう。そもそも、うちの連中が本当に、その島の辺りでとっ捕まってるかも定かじゃねえんだ。可能性があるって話を聞いちまったら、物見の船は出さなきゃならない。なら手間を省こうぜ。ラウドメア商会、私設武装船団、5分で碇を上げられるよ」

「賛成」

「賛成です」

「賛成」

「……むむむむむ。ええい、やむを得まい! けれど、拙そうだったら撤退前提で行きなさいよ! これ以上問題が起こったら、私の首が本当に飛ぶから!」


 会議は短時間で決着を見た。総砲数98門を数える武装船団が、行方不明船探索の為に出航することになったのである。会議参加者が席を立ち、各々、仕事をこなすべく動き始めた──その時であった。

 クーと、漁師の老爺とが、すっと手を上げた。


「わたしたちも船に乗せてくれ」

「わしも、わしも」







 ──そういう訳で今、ミアとクーは、船の上にいる。

 ラウドメア商会私設武装船団、一番艦(旗艦)カンタール。カンタール市の名を与えられた三本マストの大型船は、50の砲門、最大800人の武装兵士を搭載可能なスペースを持ち、一民間企業が持つには過ぎたる武力である。二番艦ドーゼル、三番艦エスタ・ムア、いずれも砲門24。この三隻からなる船団は、カンタール港を出て、南に進路を取っていた。

 クーは、船首に立って風を受けている。たとえは悪いが、畑に立たせる案山子のように、片脚立ちで器用にバランスを取り、よろめく様子もない。

 一方で──ふなばりの柵にへばりつき、胃を空っぽにしている者もいた。ネフィル嬢であった。


「ぅえええ……、嘘でしょ、船ってこんな揺れるの……?」

「もー。こんなとこまで来て本なんか読んでるからですよー……馬車でも酔う人はいるのに」


 ミアは、ネフィルの側で介抱に努めていた。ミア自身は、船に乗るのは初めてだが、酔った様子はなかった。農作業で鍛えた足腰が安定を生むからやもしれない。或いは生来鈍感なのかもしれない。いっそ両方やも──


「べ、別にあたしが貧弱だとかそんなんじゃないんだから……うぷっ……!」

「はいはい。すっきりするまで吐ききっちゃいましょうねー」


 いずれにせよ、ケロっとしているミアに背中をさすられているネフィルである。販売方番頭という立場に縛られているのか、商会の人員に介抱されるのは気が進まないようだったが、商会と無関係なミアに対しては抵抗も薄かったので、こうなっている。……なお、酔いの原因となった本の山は、背負子ごと船室へ追いやられているのだが。


「……ぅー、ちょっと楽になった」

「あっ、よかったです。でもまだ無理しちゃダメですよ、どこかで横になって──こらっ」


 まだネフィルの顔は青白かったが、胃液まで全部出し切ったと見えて、幾分か落ち着いた様子だった。ミアは安堵するが、その目の前でネフィルは、潮風避けの皮のローブから、本を一冊取り出して開き始めたのである。流石のミアも看過できず、横から手を伸ばして表紙を閉じさせた。


「ちょっと……なにすんのよ……」

「また気持ち悪くなるからダメですー。……ん、これは……魔術書ってやつですか?」


 閉じさせた表紙が目に入る。長いこと携帯しているのか、擦り切れてぼろぼろになってはいたが、『軍用魔術の理論構築とその実践』というタイトルは、金の箔押しで明確に読み取れた。

 魔術書。その話題が出た途端に、ネフィルの青ざめた顔に血の気が戻る。甲板に腰を下ろしたまま、それでもレンズ奥の両目がギラリと光を放った。


「そうよ、それもあのヘルガ・モルグ先生の直筆。写本じゃないのよ! 古典的な魔術体系の習得とか全部省略してね、まずは魔術を独学でも実用できる範囲まで習得させて、その後に理論をっていう画期的な指導書で──」

「……へぇ、そうなんですね!」


 ヘルガ・モルグなる人物をミアは知らないが、著名な魔術士の名である。

 優れた魔術師が、魔術について記述するならば、その文字列はすなわち詠唱に等しい。ページそのものに魔術的な力が備わる書物、つまり魔術書。写本でなく、著者が直接ペンを持ち記したものは、特に強い力を秘めるという。

 ……なお、ミアに魔術的な知識は何もない。文字こそ、母から教わったので読めはするが、そもアーシュ村は識字率も三割程度。学問とは無縁の土地である。


「そもそもね、基礎中の基礎の『内的神秘の外部出力』だけで何十ページも費やす本がおかしいのよ! 派閥だ権威だって馬鹿馬鹿しいものに縛られて、純粋な学問よりも〝それらしさ〟に偏った魔術書がどれだけ多いことか……その点ね、ヘルガ先生の本はね、近〜現代の形式的魔術学と全く無縁な観点からねっ」

「…………」


 先程まで死にそうな顔をしていた人間とは思えない早口である。そしてミアには、その言葉の大半が理解できず、ただ愛想笑いを浮かべるしかなかった。

 しかし、ネフィルとて聡い少女である。自分の語りが、どれだけ自分本位のものか思い至る。加えて、ミアは商会の身内ではなく、外部の協力者であり、顧客であると思い出し、小さな体をさらに小さく縮こまらせた。


「ごめんなさい……夢中になってしまいまして……お客様に対して、大変失礼いたしました……あの……」

「いっ……いえ、大丈夫ですよ! その、ちょっと気圧されてはしまいましたし、何を言ってたのかはわかりませんでしたけど!」


 ミアの言葉は、良かれ悪しかれ嘯が無い。ますますネフィルは恥じらい、いよいよ耳まで真っ赤になった。

 だがミアは、その嘘の無い言葉と態度のまま、ネフィルの視線より低くしゃがみ込み、顔を下から覗き込むようにして、こう続けたのである。


「けど、ネフィルさんが真剣で、しかも楽しそうなことはわかりました。凄くかっこいいなって思います」

「か、かっこいい?」


 声の裏返るネフィル。


「はいっ。上手く言えないんですけど、私と同しくらいの歳なのに──あっ何歳ですか?」

「じ、15歳……」

「同い年ですね! ……その歳で大人に混ざって働くどころか、商会の中でも偉い人らしくって、学問も詳しくって。そんな子に私、初めて会いました。村には」


 息継ぎをする。続く言葉は見つけているが、呼吸が言葉に追いついてこない時がある。伝えたい心が、体を追い抜いてしまう。今のミアがちょうど、そういう時だった。


「アーシュ村には、そんな子はいなかった。農家の子供は畑を手伝って、猟師の子供は弓を練習するんです。生まれた時に決まってたことを、当たり前に続けるんです。何十年か先に、その子が何をしてるのか、今を見たら分かっちゃう……そういう子しか周りにいませんでした。だから──」


 ネフィルが片手を上げ、その言葉を静止する。そして溜息を一つ付き、ミアと同い年とは思えないような大人びた笑みを浮かべ、呆れたように言った。


「あんた、友達いないでしょ」

「うっ」


 その指摘は全く正しかった。実の所、ミアはアーシュ村の中では、やや浮いた存在である。年長者には若い娘ということで可愛がられるが、同世代の少年少女に、友と呼べる者はいない。


「みんな退屈だ。自分はああなりたくない……そんな態度が透けて見えてたら、そりゃ友達なんか寄ってこないわよ。だってあんた、嘘とか下手そうだもん」

「お、おっしゃる通りです、はい……」

「あー、恐縮しないでよ。私も似たようなもんっていうか、経験談だから」


 商会の大倉庫で会った時のように、ネフィルが右手を差し出す。ミアは、おずおずと手を伸ばして握手に応じた。ネフィルの手はやはり小さく、力強いとは言えない。だが非力なりに意思を込めて、ぎゅっと握り込まれた。


「あたしも、街の子が好きじゃなかった。親の家業を継ぐか、どこかの職人の下に見習いに出されるか。女の子なら、出来るだけ金持ちの男を捕まえて結婚しろって期待されるの。大きな間違いはしないし、楽かもしれないけれど、私はそんなの嫌。寄宿学校に行けって言われたのに反発して、商会の採用試験、トップで合格してやったわ。……可愛げが無いとかよく言われるし、友達なんて一人もいないけど、これがあたしなの」

「……やっぱりネフィルさん、かっこいいです」

「ありがと。……お仕事抜きでまっすぐ褒めて貰って、お礼を言うのも初めてかも」


 ミアとネフィルはしばらくの間、手を繋ぎあったままで視線を重ねた。やがて、どちらからともなく声を上げて笑って、それが収まってから、順に言った。


「友達になりませんか、ネフィルさん」

「その敬語をやめてくれたらね、ミア」

「えー……じゃあ、ネフィル。これでいいかな?」

「上等よ。あらためて、ミア。友達になってくれる?」


 最後に一度、握り合った手に力を込めて、それから勢いよく解いて、


「うん!」


 と、ミアは言った。

 カンタール号は波を切って進んでいく。……にわかに船員達が騒がしくなる。


「あっ。これ、もしかして」

「ええ……見えたみたいね、島」


 カンタール号の前方、数キロの地点にティネイ島が浮かんでいる。そして確かに、そのすぐ側には、行方知れずのラウドメア商会交易船団が数隻、岩礁に乗り上げていた。

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