第6話 交易港カンタール:3

「あっ。ごめんなさい、積み荷待ちのお客様でしょうか?」


 背筋をぴしぃっと伸ばし、ずれた眼鏡の位置を押し上げる少女。その様にもまた、〝働く大人〟の格好良さを感じ取って唇が綻ぶ。それをきゅっと引き結び直して、ミアは言った。


「鋼のインゴットを30kg、買えますか?」

「はい、その量ならば。今日の船がこなくとも、過去仕入れ分だけで十分にご用意できます。一般的な鋼で良いですか?」

「えっ。種類を選べるんですか?」

「炭素の含有量ですとか、鉄の産地などで。拘る方ですと、インゴット生成の加工場まで指定する方もいらっしゃいますよ」

「ほぇー……」


 ミアに、そこまでの強い拘りは無い。というより、拘れる程の知識と経験が無い。確かに過去、〝今日の鋼はなんだか感じが違うなぁ〟と思ったことは有ったが、その理由を追及するには至らなかった。


「じゃあ、その辺りはお任せで……」

「はい、標準的なものをご用意します。ところで30kgとなると、持ち帰るのに苦労なさるかと思いますが、荷馬車などの手配はお済みですか? 失礼ながら、どちらまでお持ちに?」

「アーシュ村です。あの、川沿いに一日くらい北に行ったところの」

「あちらですね、えーと、それなら……」


 少女の手が背負子に伸びて、本の一冊を引き出した。カウンターの上に、どん! と重い音を立てて乗せ、ページを捲る。その時にミアは気付いたが、彼女が背負っているのは物語本だとかではなく、どうも、帳簿や資料の類いらしい。


「えーと……ああ、やっぱり。二日後に出る荷馬車が、アーシュ村より少し先の、ポンサ村まで向かう予定になってます。荷台が随分空いてましたので、もしご希望なら、このくらいの運送料でお届けも──」

「えっ、安い! 本当にいいんですか!?」

「荷馬車の出発が二日後。道中で荷の積み替えもありますので、アーシュ村への配達は四日後になりますが」

「全然大丈夫ですっ! お願いします!」


 さらさらと紙に記された金額は、相場より随分と安かった。適当な荷車を購入し引いて帰る手間と、帰路の宿屋での荷物保管料を考えると、十分にお釣りが出るほどだ。


(やった、得しちゃった。なんだか悪いなぁ、私は何もしてないのに……)


 実際、緊急事態の対応のどさくさに紛れて、無関係なまま厚遇されてしまった感はあった。理由無く好待遇を与えられた時、平然と受け取れる者もいれば、何故か申し訳なさや居心地の悪さを感じてしまう者もいる。ミアの場合は後者で、つまり小心者なのであった。

 そんな小心者を、黒髪の少女は、分厚いレンズの奥からじっと見つめていた。かと思うと、唐突にカウンターから身を乗り出して、ミアの顔を覗き込むようにして言うのである。


「違っていたら申し訳ないんですが、ユーウェミアさんですか?」

「え? そ、そうですが──どこかでお会いしましたっけ?」


 急に名前を言い当てられ、ミアは挙動不審気味に、視線をあちらこちらに飛ばして狼狽えた。その様がよほどおかしかったのか、少女は両手で口元を覆って少しの間俯き、深呼吸をしてから顔を上げた。


「アーシュ村の方で、鉄や鋼をお求めになる方は珍しいんです。でも定期的に、少量の注文は来る。珍しいなと思って話を聞いてみると、買いに来る方はまちまちなんですけど、みんな〝ミアちゃんって子に頼まれて〟と仰るんですよ」

「なるほどぉ。……みんな、外で私の話をしていたとは」


 ネタばらしを聞けば、単純な話である。知らぬところで噂になっていたと聞かされるのも、これまた奇妙な感覚ではあった。眉間にきゅうっと皺を寄せたミア。そこへ少女が、すうっと手を差し出した。


「私はネフィル。これも何かの縁、今後とも御贔屓に」

「あ──はいっ。ユーウェミアです、みんなにミアって呼ばれてます。……って、知ってるんですよねすいませんっ!」


 差し出された手を握り返しながら、ミアは慌てて言い直した。小さな、ざらつきのない、綺麗な手だ。けれども、指に大きなペンだこが出来ている。これもまた、働き者の手なのだと、ミアは思った。

 ちょうどその時だ。搬入口の方から、ようやく銀行の用事を終えたのだろうクーが、革袋を手に姿を現したのは。


「ミア、友達か?」

「あっ、クーさん。ええと、そういう訳じゃないんですが、ネフィルさんです」

「いらっしゃいませ。ミアさんのお連れの方ですか?」

「そうだ。クー、と言う。よろしく頼む」


 手短な挨拶と共に、皮袋をカウンターに置く。じゃらん。重い音がした。


「手続きはもう終わったか?」

「あ、いえ。それが……」

「はい。お恥ずかしいことながら……」


 ミアとネフィルは、クーにも現状を説明した。ラウドメア商会の船が行方知れずとなっており、その対処に追われていて、ミアへの対応が遅れたと。船団がまるごと姿を消したくだりを聞くと、クーは腕を組み、顎に手を当てて、どこを見るともなく視線を飛ばして呟いた。


「昔、似たようなことがあったな」

「えっ。昔って言うと、何年前の」

「オーエン達と初めてここへ来た時だから、50年も前になる」


 ネフィルが、ミアの耳元に口を寄せる。


「あの……この方、おいくつなんですか?」

「確か180歳とかなんとか……」

「長命種の方でしたか……」


 二人の様子をさして気にするでもなく、クーはしばらく腕組みをしたままだったが、ふと、その腕を解いて言うには。


「ああ、そうだ。確か、あの時は民間の漁船だったよ。時期もこれくらいの、夏が終わって秋に移る頃だ。海に慣れたはずの猟師達が、シケでも無いのに帰ってこなくってな。心配になった町のみんなと、船を用立てて探しに出たんだ」

「その時は、どうなりました?」


 ずい、とネフィルが身を乗り出す。真剣な眼差し。クーは穏やかに、聞き取りやすい早さで、一語ずつ噛み締めるように答えた。


「大型の海獣の巣に連れ込まれていた。彼らのうちの、若くて好奇心の強いのが、漁船をおもちゃだと思って集めてしまったんだ。ここから数十キロも沖の、小島の周りの岩礁だ。船は傷つけられず、丁寧に並べられていたよ」

「……ありがとうございます! 誰か!」


 かぁん、と強く通る声。聞きつけた従業員が扉を開けるや、ネフィルは彼の袖を捕まえて早口で命令した。


「今、大倉庫にいる経営幹部陣を片っ端から収集! 武装船の船長も呼びなさい! 全速力で!」

「え、は? はい!? はいっ!?」


 状況が飲み込めないまま、従業員は駆けて行く。その背を見届けてから、ネフィルは再び、クーの方に向き直った。


「申し訳ありません。お客様にお願いすることでは無いと承知はしておりますが……どうかお力添えを。詳しい話をお聞かせいただけませんでしょうか?」

「構わないぞ」


 クーは、わずかにも躊躇わずに応えた。それからミアの顔を、高い角度から覗き込んで、


「冒険の気配がする。懐かしくて、楽しそうだ」

「冒険の……?」

「うん。わたしには、50年ぶりの。そして君との、初めての冒険だ」


 クーの目が、子供のように輝いていた。人より遥かに長い時を生きて、この長命種は未だ、幼児のごとき無垢な冒険心を失っていないのだ。それが、他人事だというのに何故かミアには嬉しくて、クーと似たような笑顔になって、こう応じた。


「……はい! 冒険、行きましょう!」

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