第5話 交易港カンタール:2

 カンタール市最南端・港湾区画。水路を小型船が行き交い、陸路は荷車がひっきりなしに走り回る、活気に満ちた場所だ。大型船の積み荷はここで降ろされ、市内の市場や、他の街や村へと運ばれていく。風が穏やかな日には、小山ほどもある帆船が、商会の紋章を刻んだ帆を広げて、我らここにありと高らかに喧伝する。この日はちょうど気候に恵まれ、十数隻もの帆船が積み荷の入れ替えを行いながら、白帆を潮風に打たせていた。


「ミア、わたしは銀行に寄ってくるよ。この街に口座を作ってあるんだ」

「……何年前にですか?」

「……40年よりは前……かな……」

「時間掛かりそうですね……」

「うん……」


〝森の女王の娘たち〟に限らずとも、人並み外れた長命の種族は存在する。よって、40年や50年程度で、個人財産の凍結や回収は行われない。が、本人確認の手間は掛かる。魔術式の特殊鍵は定期的な更新を必要とするが、クーの言い草を聞くに、それはとうに期限切れだろう。となれば古めかしい手段──割り符か。数十年分の台帳を遡る羽目になる係員の手間を思い、ミアはほろりと涙を落とした。


「だから、先に品の検討を付けててくれ。見立ては君に任せる。わたしたちの種族はどうも、金属の善し悪しというものは分からなくってな……」

「任せてください! お値段と品質のバランス感覚には自信があります!」


 どん! と胸を叩いてミアは宣言した。

 さて。銀行の苦労はさておき、鋼の仕入れである。カンタール市の商業区画はもう少し北にあるが、そこは素通りしてきた。商業区画はどちらかと言えば、加工済の品の取り扱いが多い。食料や鋼材の扱いも無いではないが、個人向けの小規模な商いが主流だ。30kgの鋼インゴットを仕入れるとなれば、港湾区画の大倉庫から買い付ける方が手早く、かつ安価である。

 行き先はもう決めてある。老舗ラウドメア商会の大倉庫だ。鋼を扱う商会は数多いが、小さなインゴットの重量を厳密に計り、不純物の混入を許さないことにかけては、ラウドメア商会に勝るものは無い。村の者におつかいを頼む時も、必ずラウドメア商会での購入を依頼していた。

 商会旗の紋章を目印に、目的の大倉庫に辿り着く。銀の盾に黒の天秤、簡素なデザインがラウドメアの紋章だ。大倉庫の搬入口には、小舟を乗り入れられる水路がある。その脇の通路を通り、小口販売の窓口へ向かう──と。


「……あれ?」


 何やら、おかしな雰囲気だった。

 多くの人で賑わっているのは間違い無いが、その活気はポジティブなものではなかった。


「確かに契約上はそうだけど、困るよ!」

「誠に申し訳ございません……!」

「私たちはラウドメア商会さんを信頼しているから、いつも取引の算段はお任せしているのですよ。それなのに──」

「はい、本当に仰る通りで──」


(……なんだか不穏な雰囲気……クレーム対応だ……)


 小口販売カウンターの向こうで、従業員数名がひたすら頭を下げている。そして、その数倍の人数の来客が、極端に声を荒げることこそ無いが、口々に不平を突きつけているのだった。

 ミアは極力気配を殺して、部屋の隅で様子を伺っていた。そうすると、段々と状況が見えてきた。

 どうやら、今朝方寄港予定だったラウドメア商会の船団が、今になっても──つまり正午を過ぎても到着していないのだという。それも、遅れているというのではなく、所在が全くわからないというのだ。

 言うまでもなく、これは異常事態である。

 他大陸との交易ならばさておき、大陸内を行き来する定期船団であれば、航路は陸からせいぜい十数kmしか離れていない。その距離ならば、海岸線沿いに配置された物見台の遠視士(国家資格:魔術を駆使して遠方を目視する専門技術者)が見逃す筈は無いし、なんらかの事故が確認された時点で報せが商会に届く。船の側から何らかの発信が出来なかったとしても、対策は十分に施されている。

 どこで沈んだ。或いはどこで立ち往生している。どこの港に緊急避難している。そういう情報がひとつも無く、所在がわからないというのは、普通ならばあり得ない話なのだ。


「積荷が届かないと困るんだよ、なあ……!」

「申し訳ありません、ですが──」


 詰め寄る側も詰め寄られる側も、あと一押しで泣き出しそうな顔をしている。ミアはなんだか居心地が悪くなって、自分の用件も住んではいないが、この場から逃げ出そうとした。

 その時、カウンター奥の扉が、もぎ取られるかと思うほどの勢いで押し開けられた。そうして現れたのは、ミアより手のひら半分背の低い少女で──大量の本を背負っていた。


「み、皆様……ぜぇ……たいへん、ごほっ……お待たせ、ひぃ、しました……」


 ここまで駆けてきたものか、長い前髪から滴るほどの汗を流し、肩で荒く呼吸をしている。……ミアが見るに、その疲労の半分ほどは、背負った本が原因だろうが。

 木こり仕事に使われるような背負子を、その少女は背負っていた。そこに、大小様々の本を積み上げ、ロープでガッチリと括り付けている。

 それを除けば、地味な印象の拭えない少女だった。黒髪は長く、だがそれはクーのような天性の美しさを備えてはおらず、無造作に背中まで伸びているだけ。前髪もそのせいで、簾のように顔にかかる。前髪の隙間からは、分厚いレンズの眼鏡が見えているが、ふたつの障害物のせいで目の造形までは見て取れなかった。

 べしゃっ。カウンターにつっぷしてしまった少女は、しばらく呼吸を整えようと荒い息を繰り返す。その様子を、従業員も来客達も、不思議と静かに見守っていた。


「げほっ、ごほっ……っ、んんっ。……皆さん、商会長から特例対応の許可を取り付けてきました。お客様の積み荷に関しては、同等か、または商会内製品ランクがひとつ上の商品を以て保障致します。納期の遅れは、運送料、仲介手数料の免除を以て謝罪を。既に大倉庫から商品をピックアップし、〝蜥蜴車〟への積み込みまで完了致しました」


 カウンターに潰れたままの少女が言う。詰め寄せていた客達の中から、どよめきと安堵の溜息とが起こった。

〝蜥蜴車〟──用は馬車の、馬の代わりに、家畜化した体長4mほどの大蜥蜴を繋いだものである。二頭立ての蜥蜴車は、大量の積み荷を苦にもせず、馬と遜色無いスピードで長駆する。輸送手段としては優秀だが、大蜥蜴の飼育難度から数を用意できず、必然的に運送料は高額となる。


「つきましては、商品と運送手段の切り替わりに伴い、皆さんから承諾のサインをいただきたく。あちらの部屋で係の者が準備をしております、再契約が完了次第、すぐに車は出られますので」

「た……助かったっ!」


 少女がカウンター後方の扉を指差すや、先ほどまで渋面で頭を抱えていた客の群れが、牧羊犬に誘導された羊のように扉へ流れ込んでいく。たちまち小口販売所は静まりかえって、少女の呼吸音すら反響して聞こえるようだった。


「特例対応……マジですかぁ。どんだけ赤出るんだろ……」

「マジよマジ、大マジ。マイナスは数えなくて良いって言質取ってるから……ごめん誰か水持ってきて……」


 販売員のひとりが引きつった笑みを浮かべ、少女の背を撫でながら言う。……背負子に隠れていない狭い部分を。少女の方は、まだぜえぜえと喉を鳴らしながら、それでも従業員に持ってこさせたコップを手に取ると、景気よく一息に水を飲み干した。


「……っ、ふう。この程度のマイナス決算、損失の内に入んないってば。お得意様を二十何人、よその商会に持ってかれるよりずっとマシ。まして〝ラウドメアは対応が悪い〟なんて噂が流れでもしたら……あー、怖い怖い」

「それは、そうだと思うんですけど。でもよく蜥蜴車なんて掻き集められましたね」

「〝金に糸目はつけない〟って奴よ。今日で金貨を一袋失っても、一年後に十袋帰ってくるならこっちの勝ち」

「小規模な商店じゃ出来ない芸ですねぇ。一年待たずに潰れるかも知れないし」

「お金は武力だし、体力なのよ」


 少女と販売員の会話を、ミアはまだ部屋の隅で聞いていた。口はぽかんと開きっぱなしになっていたが、目はキラキラと強い光を帯びていた。憧れ、尊敬の念、そういう色合いである。

 黒髪の地味少女は、おそらくはミアと同世代だろう。ひとつかふたつ、若いかも知れない。同世代の若者はアーシュ村にも居るが、その殆どは親の家業を継いで麦を育てたり、山で獣を狩ったりしている。この少女のように、大都会で大人と対等に渡り合う姿を見たことは無かった。


(そっか、これがインテリ層……かっこいい……!)


 身近に居ない、異質なものへの憧れであった。

 その熱の入った視線を感じ取ったものだろう。へばり気味だった少女が首を巡らし、ミアと視線が重なった。

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