第3話 月光のようなひと:3
「──というわけで、私はあなたのお母様のご友人なのです」
「そうですか。それはどうも、ご丁寧な挨拶をいただきまして」
それから数分後。ミアの母とクーとは、玄関先で顔を突き合わせ、まるでお互い頭を下げた回数を競い合っているかのような状況に陥っていた。
「お父上の葬儀に顔出しもできず申し訳ありません。先んじて墓前には伺いまして──」
「ありがとうございます、きっと父も喜んでいるかと──」
社交辞令の応酬を、ミアはあくびを噛み殺しながら眺めていた。二人の会話が本題に入ったのは、もう数往復ほどおじき合戦が繰り広げられてからだ。
「ですので、お嬢様──ミアさんに、私の弓を打ってもらおうと思うのです。もちろん代金はお支払いしますが、それに当たってご両親のお許しを──」
「あら。そんなことでしたら、いくらでも構いませんよ」
ミアの母は、迷う様子もなくあっさりと許可を出した。
「……ええと、その。弓の材料は、街で買い揃える必要があるそうで、つまり私とお嬢様の二人でカンタール市まで出向く必要が」
「ですから、ええ。構いません。ミアも良いと言ってるのでしょう?」
母の視線を向けられて、ミアは首が取れるかと思うほど頷く。
首振り人形のようになってしまった娘をよそに、母の方は、首をほんの僅かに傾けて、まだ若々しいかんばせに、成熟した思慮深さを滲ませる微笑を示した。
「母のリネットから、昔、あなたのことを聞かされました。下手な絵と一緒に。〝大切なふたりの友達がいる。騎士のクリードと弓取りのクー〟……最後に会った時、あなただけは歳を取ったように見えなくてずるいと思った。髪も少しも白くならないで、綺麗な金髪のまんまだった、って」
やりきれないような顔をして、クーが顔を背ける。逃げた先でミアと視線が重なった。そこからも逃げるようにクーは目を瞑ってしまった。……ミアの胸が、ずきずきと痛んだ。
「……リネットは、どうしていますか?」
「この頃は体調が悪いことが多くて、今も奥で寝ています。でもお友達が来てくださったと聞いたら、きっと喜びますよ。そうだ、起こして来ましょうか──」
「いっ、いいえ!」
今にも家の中へ戻っていきそうだったミアの母。その肩をクーが慌てて掴み引き留める。
「……今はまだ、リネットには伝えないでください。その……まだ、何を言えばいいのか、わからないんです」
「そうですか」
「でも、必ず! ……必ず、ミアさんと一緒に戻ってきたら、その時はリネットに挨拶します。ですから……今は、あと少しだけ……」
クーの声は言葉を繰るごとに力を失い、最後には消え入りそうな程の小さな声になっていた。ミアより、ミアの母より何倍も生きているだろう〝森の女王の娘たち〟が。旧友との再会の歓びへ踏み出せない、臆病な子供のように……。
ククフラ川の広大な流れに沿い、共に海へ向かう街道は、石畳で整然と舗装され、馬車がすれ違えるほど広く作られている。街道の両脇は平原になっており、背の低い草の上を、時折は兎や狐のような小動物が駆けていく──かと思えば、どこから降りてきたものか、鹿が悠々と歩いていたりもするのだ。
ミアとクーは、街道を南に歩いた。
アーシュ村を出たのは、日が中天に達するより少し前だ。そこから歩いて、日が西の山に落ちたころに、街道沿いの宿場町に辿り着く。そこで一夜を過ごし、カンタール市へ向かう算段であった。
カンタール市は大規模な交易港を持つ都市である。世界中から集まる品々をそこで購入できるし、コークスの精製炉も有る。普段ミアがコークスを必要とする時は、カンタールへ向かう村人へ金銭を渡して、代わりに買ってきてくれるよう頼んでいた。家族に連れられて遊びに出たことはあるが、自分の足で買い出しに向かうのは、これが初めてのことだった。
「──それに、こういうところの宿に泊まるのも初めてで! 今、ちょっとドキドキしてます!」
「ほうほう。旅はいいぞぉ。部屋に入って、荷物を置いてベッドに横になる瞬間な。ここはわたしの巣だー! って心地になる」
「巣……? それは……ちょっとわからないです……」
アーシュ村から宿場町までの道中は、時折北へ向かう荷馬車とすれ違いはしたが、ほとんどの時間は静かなものだった。旅の無聊の慰めに、ふたりは他愛ない話を続けていた。
そして無事、一軒の宿でふたり部屋を確保したのである。
「ここは私の巣だーっ!」
……部屋に入るや否や、ベッドの片方にダイブするミアであった。
クーの方は比較的冷静に荷物を降ろしていたが、それが済むや、背中からベッドに横になる。都会の高級宿のようにスプリングこそ効いてはいないが、陽光で乾かしたシーツの香りが心地良かった。
それからしばらくの間、宿場町を散歩してみたり、夕食を食べたりして夜まで過ごした。風呂は無い宿だったので、入浴は翌日までお預け。だがその他は、ひととおり不満のない環境であった。
敢えて難点を上げるとしたら、部屋のランプの油が少ないことか。節約か、それとも客の夜更かしを防ぐ為か。いずれにせよ、日が落ちてしばらく過ぎれば、もう本も読めない暗さとなる。半日歩き通した疲労もあるので、すぐにも寝入るだろうとベッドに入ったミアだったが──
(……眠れないっ!)
おそろしく目が冴えていた。丸一日眠った後に目を覚まして、軽く体操をした直後のような思考の明晰さだ。これはどうしても眠れそうにないと、直感を越えて確信に至る。
ミアは自問する。やっぱり環境が変わると眠れないものなんだろうか。枕の違いは影響が大きいって聞いたことがあるな。ずっと眠れなかったら明日大変そうだ。など、など。そうやって、眠気の来ない理由を探していると──意識がどうしても、窓際の、もう一つのベッドの方に向く。
ドアの方に体を向けて、ミアは横になっていた。もう一つのベッド、つまりクーの居る方に背を向けて。……就寝時に誰かの姿が見えるのは、落ち着かないものだ。だが視界に入れずとも、そこに居る気配だけで、ミアはもう心静かにはいられなかった。
すぅ。息を吸う音が聞こえる。
ふぅ。息を吐く音が聞こえる。
さら。寝返りを打ったのだろう。シーツと衣服の擦れる音。
寧ろ見えないからこそ、音だけで、クーがどうしているのかを想像してしまう。空想の中のクーは、淡い光がひとの形に集まったような姿をしていて、それは何故か艶めかしく、見てはならないもののように思えた。
ミアはついに諦めた。このままでは、この空想に朝まで引きずられてしまう。それならいっそ、現実の彼女を目に映した方が良いのではないか。そう思い、努めて自然な形を装って寝返りを打ち、薄く、悟られぬように目を開けた。
クーは、いつのまにかベッドの上で体を起こし、窓辺に片肘をかけていた。窓から差し込む月明かりが逆光となって、暗い部屋に輪郭線を浮かび上がらせる。……何度目だろうか。やはり彼女には月の光が似合う、と思った。
(……あ)
シルエットの手が、目元を拭っていた。
何度も、何度も。合間合間に、浅い呼吸の音がする。呼吸を整えて、心を落ち着けようとして、それでも耐えられなくなったものが目元から落ちるのを、何度も手で拭っている。
泣いているのだ。きっと。
声を殺して、誰にも気取られないようにして。心配をかけない為だろうか。それとも、哀しみを自分だけのものにしたいのか、ミアにはわからなかった。
(どっちでも……なんだか、苦しいな……)
クーが啜り泣く小さな声を、ミアは背中に聞き続けた。
(クーさんが辛そうだと……苦しいな……)
眠りに落ちる寸前、そんなことを思った。
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