第3話 即決の番犬

 ――ちょ、ちょっと! あんた、その後ろの! 魔物じゃないか!!

 ――え? 賢者様が大丈夫だって? そ、そうなの? なら安心だね。


 ――おいっ!? 警備の若造が、なんで魔物なんか引き連れて来やがった!

 ――安全は賢者様のお墨付きだぁ? そうか、なら問題ねえな!


(……まあ、いいんだけど)

 キャシーと別れた後も、すれ違っては同じ反応を示す村人に遭遇し、何とも言えないため息がヒナゲシから漏れる。一時王都住まいだったとはいえ、昔から知るヒナゲシよりも賢者を信じる瞳の輝きは、老いも若きも男も女も純粋で、眩いばかり。

 嫉妬……という訳でもないのだが、そんな賢者に不信感しか持てないヒナゲシにとって、村人たちの厚い信頼はどうにも居心地が悪い。

 勝手知ったる故郷のはずなのに、まるでよく似た別世界にいるようだ。

 賢者がこの村に暮らし始めたのが、ヒナゲシが王都に行っている間のことだったせいもある――なんてこともなかった。何せ、ヒナゲシの後に帰ってきた同期が、ヒナゲシとは違ってすぐに他の村人同様、賢者に懐いていたのだから。

 もちろんそれはヒナゲシの母とて例外ではない。白い毛玉をこのまま連れ帰ったとしても、賢者の名前一つで、あっさり受け入れてしまうだろう。

 白い毛玉の安全性に太鼓判を押した賢者の考えは知らないし、知ったことではないが、とりあえず、賢者の名の下、エントの村人でこの毛玉、もとい、魔物を厭う者はいないことになる。

(村の人たちの反応は元より想定内。だけど、どうしたもんか……)

 村人が気にしなくなったとしても、この白い毛玉が魔物であることに変わりはなく、ヒナゲシはそんな魔物含めた驚異を警戒すべき役人の端くれ。もちろん、個人的にも、あの賢者をして詳細不明という未知の生物を傍に置くのは、少々、いや、かなり怖い。

 隠す面倒はなくなっても、根本的な面倒は今も呑気にヒナゲシの後ろを転がっており、何度目かの深いため息が出ていく。

(……獣使いの中には魔物を使役する人もいるけど、最低条件として対象の魔物と意思疎通ができなきゃ話にならない。こっちの声は届いても、”声”すら発さない魔物じゃなあ……)

 ちらっと肩越しに見れば、ピタッと止まる毛玉。

 向かい合い、ふわふわ風にそよぐ真っ白い毛をじっと見つめる。

 ”声”というのは、魔獣や魔物が意思伝達に使う、声帯に依らない魔力の波長だ。獣使いは、この”声”を聴き取り、使役する魔獣や魔物から情報を得たり、逆に”声”を発して指示を出すことができる。

 個体差の激しい人間ならいざ知らず、魔を冠する生物であれば必ずある魔力、使うことのできる”声”。

 ――だというのに。

(こうして待ってみても、この毛玉から”声”は聴こえない……)

 たぶん、状況から考えて懐かれてはいる、はず。

 そうであれば、何かしら聴こえてきそうなものだが、ヒナゲシが感じられるのは、白い毛並みを揺らす風と同じ風に揺れる草の音だけ。

 段々と、ただのクッションを見ている気になってきた。

 あるいはヒナゲシから”声”をかければ、他の反応が期待できるのかもしれない。が、人間である獣使いが”声”を発するには、波長を合わせる必要があるため、まず相手から”声”をかけて貰わなければならない。

(……まあ、こうしていても仕方ないか。気は進まないけど……このまま詰め所に帰って、レティに相談しよう)

 首を振ったヒナゲシは、当然のようについてくる背後の気配を伴い、詰め所へと向かうのだった。


* * *


 ヒナゲシのような警備職を始め、騎士や衛兵、自警団に至るまで、この国の守りに携わる組織の総称を”鐘”と言う。これは「危機をいち早く知らしめる鐘のような存在であれ」という各組織の信条から、自然にそう呼ぶようになったらしい。ついでに、そんな信条を常に意識させるためか、”鐘”に属する組織には各々、鐘をモチーフにした意匠や備品が存在する。

 そんな訳で、ぱっと見、釣り鐘のような形の詰め所まで辿り着いたヒナゲシは、しかし、その姿を見つけて足を止めた。

 茶色い犬が一匹、道の真ん中に立っている。

 しかも、ただ立っているだけではない。

 三角の耳を後ろに倒し、尻尾を下げ、鼻面には深い皺を寄せ、白い牙を剥き出し、姿勢を低くした臨戦態勢。

 詰め所前でそんな犬と対峙したヒナゲシは、内心で(うっ)と呻いた。

 ただし、犬嫌いでなくても近づくのを躊躇う様子に臆してのことではない。

『……主様、ソレは何ですか?』

 たじろぐヒナゲシの聴覚が女の声を捉えた。

 常であれば穏やかであろう声に滲む険は、ヘタな怒声よりも迫力がある。

 ヒナゲシは愛想笑いを貼り付けると、目の前の犬に向かって言った。

「レティ、言いたいことが山ほどあるのは分かるけど、とりあえず、詰め所で話さない? こんな道の真ん中じゃ、通行人の邪魔――」

 言いかけ、ぐるりと周囲を見渡す。ヒナゲシと犬と毛玉以外に、動くものの姿はないことを確かめ、

「……うん、通行人はいないけど、話せば長くなりそうだからさ」

 目の前の犬と毛玉以外は、いつも通り、危険のない光景に詰め所を指す。

 ヒナゲシのこの提案に、犬はしばらく唸りを上げていたが、ゆっくり鼻面の皺と低い姿勢を解くと身体を一振り。

『……はあ、分かりました』

 ヒナゲシの聴覚に届く女のため息に合わせ、犬から「ふっ」人間が吐くような息が漏れた。


 一見、その辺にいそうなただの犬は、”声”を用いてヒナゲシと言葉を交わしていることからも分かる通り、ヒナゲシが使役する魔獣だ。

 そして、彼女がこの世界で一番信頼している友でもある。

 そんな友からの不満げな視線を床から受けつつ、狭い詰め所の椅子に腰かけたヒナゲシは、変わらずコロコロとついてきた毛玉を見て、深いため息をついた。

「見ての通り、懐かれたみたいなんだ」

『魔物ですよね、コレ』

「うん……そうみたい」

 間髪入れずに問われ、頷いたなら更に疑問がやってくる。

『そうみたい……つまり、魔物というのは奴の言葉ですか? ポチを呼ばれていましたから、呼ばれたのでしょう、奴を』

 低くなるレティの声音に、ヒナゲシは「ははは……」と力なく笑った。

 エント村の村人から絶大な信頼を得ている賢者は、しかし、ヒナゲシと彼女が使役する魔獣からは、どこまでも胡散臭い不審者として認識されていた。かといって、それは主であるヒナゲシの感覚が彼らに影響している、というわけでもないらしい。

 いや、もっと言えば某賢者の人望は、読んで字のごとく人間にしかないようで、魔獣どころか野生動物、人に馴れたペットにさえ、賢者はとことん嫌われていた。その嫌われようは、逆にヒナゲシの方が魔獣に影響されて、賢者を邪険にしているのでは?、と思われるほど。

 もしも賢者への不信度を測る機械なんぞがあったなら、ヒナゲシよりも彼らの方が高い数値を叩き出すことだろう。何せヒナゲシは、賢者をどこに出しても恥ずかしい不審者と思ってはいても、その知識に限って言えばたぶん、彼を信頼する村人たちよりも信用しているのだから。

「ま、まあ、賢者様のことはともかく。問題はこの魔物のことなんだけど」

『分かりました。殺しましょう』

 即決だった。

 即決で、しかも、レティの行動は迅速だった。

 想像以上の早い返しにヒナゲシが驚く最中、毛玉の真下に魔方陣が浮かび、その円周に沿って伸びた結界が退路を塞ぐ。と同時に、炎が渦巻き、爆破音が続いた。

「う……わ……」

 毛玉を閉じ込めた魔法の円筒は、レティの主たるヒナゲシを守るものでもあり、爆破音も見た目よりだいぶ抑えられている。とはいえ、目の前で問答無用に行われる、容赦ない攻撃魔法の数々に、ヒナゲシは呻くしかない。

 だが、執拗な攻撃を前に漏らした呻きは、余韻の煙が収まるなり別の音になった。

『そんな……手応えは確かにあったのに……』

 レティもヒナゲシ同様、呆然とした茶色い目で、円筒の結界越しにソレを見る。

 何事もなかったように純白を保つ、毛玉の魔物を――。

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