第2話 農村の王子様
左右に広がる畑を眺めながら、柄の長い網を担いで歩く若者一人。
そして、その後ろをふわふわ弾んで続く、白い毛玉が一つ。
(……どうしたもんか)
若者――ヒナゲシは、ここに来るまでの間で幾度となく思ったことを再び思う。
次いで肩越し、つかず離れずついてくる毛玉をちらりと見て、ため息をついた。
この毛玉を珍しいと言い、主人がいるなら安全だと言った賢者とは、すでに別れた後だった。――というか、「珍しい」「安全」しか言わず、もっと詳しく知りたいなら自宅に来るよう誘ってきた賢者を払ったのは、他でもないヒナゲシだ。
とりあえず、主人――ヒナゲシがいるなら、村人に害はないと聞けた以上、他に賢者へ求めることはない、と。
正体不明の白い毛玉を見つけ、真っ先に頼った相手に対して酷い話かもしれないが、ヒナゲシは賢者が教えてくれる情報ほど、彼自身のことは信用していない。
このことは賢者も重々承知しており、いつも通り「つれないなあ」とだけ言って笑った男は、連れて来られた道を徒歩で戻ることなく、魔法でもって何処かへ消え去った。
――しきりに「珍しい」と言っていた白い毛玉をそのままにして。
ヒナゲシがそのことに気づいたのは、警備の仕事に戻ろうと一歩踏み出した時。視界の端で白い毛並みが同じ方向に動いたなら、意味することを悟って頭痛に襲われた。
ずぶ濡れからふわふわの毛並みを取り戻した当初、ヒナゲシにぐいぐい身体をすり寄せてきた毛玉は、ヒナゲシの「止めて」「落ち着いて」の言葉に従い、大人しくしてくれたのだが、同じように「ここでお別れだよ」と言っても聞き入れてはくれなかった。耳も目も存在するか分からない、陽に眩く反射する丸いフォルムへ、一度は届いた声と思って何度か語りかけ、果ては人と魔物の関係を説いてみても無駄だった。
ヒナゲシがいくら手を振り別れを口にして去ろうとしても、毛玉は同じ方向へふわふわ弾みながらついてくる。いや、長毛のせいでそう見えるだけで、実際は転りながら、だが。しかも滑らかな毛は道の砂すら留め置かないようで、どれだけ転がっても毛玉の白さが失われることはない。
(……こんな真っ白い毛玉、どうしたって目立つよね。大きさもあるし)
長毛のため目測でしかないが、毛玉の体高はヒナゲシの膝上まである。生き物とまでは分からなくとも、遠目からでもその姿は確認できるはずだ。
(隠す……ってのも、無理だろうな。……目立つみたいだから)
二度目の「目立つ」は、毛玉に向けられたものではない。
大国の食料の一部を下支えする農村の一つ、エント。どんな作物でも育てやすい気候と土地を持つ反面、コレという特産品もないせいで、村外の人間から「そんな村あったっけ?」と悪気もなく言われてしまうこの村で、ヒナゲシは割と目立つ人間だった。
王都まで赴き、獣使いという資格を得、警備の公職にまで就きながら、同時期に村を出て行った若者たちが帰ってこない中、唯一人だけ帰ってきた――という内実はさておき。
原因は、その容姿にある。
肩口で綺麗に切り揃えられた、さらりとした金髪。宝石のように煌めく薄緑の瞳は大きくも凜々しく、毎日村の外を歩き回っているはずの肌は荒れ知らずの滑らかさ。警備職の割に華奢な身体つきは、地味な色合いのシャツとベスト、ズボンに革靴という格好であっても、どこか気品を感じさせる。
そう、その姿はまるで――
「王子様!?――じゃなくて、ヒナゲシ様!」
「様って……」
素っ頓狂な甲高い声を叩きつけられた挙句、訂正してもなおついてきた敬称に嫌気を感じつつ、ヒナゲシは声の主へと目を向けた。
「こんにちは、キャシー」
土を踏み固めた道より低い位置に、麦わら帽子を被った、赤毛の三つ編みの少女が一人。作業中と思しき顔や服には泥がついているが、茶色の瞳は構う様子もなく、驚き戦く指をヒナゲシの後方へ向けていた。
「こんにちはって! そんな呑気に挨拶してる場合じゃないですよ!? うううう、後ろ、後ろになんか、変なのが!!」
「ああ、うん」
ただでさえ目立つらしい自分と確実に目立つ毛玉。
突きつけられた反応から目を逸らすように毛玉へ向き直れば、ヒナゲシが立ち止まったのに合わせて止まった白い長毛が、ふわふわ風にそよいでいる。
「ま、魔物……じゃないんですか?」
焦りのないヒナゲシの様子を受け、道まで登ってきたキャシーが、背後まで来て恐る恐る問う。ソレとの距離を考えれば畑にいた方が安全だと思うのだが、得体の知れない物体への恐怖とは別口に、興味もしっかりあるらしい。
(……まあ、変に隠し立てするより、そっちの方が早いか。キャシーに教えておけば、会う人全員に一々説明しなくても、明日にはコレについて村中が知っていることになるだろうし)
これはキャシーが特別おしゃべりという話ではない。
村人全員が顔見知りと言って過言ではない以上、良くも悪くも新しい情報は共有されるべき、という暗黙の了解があるためだ。――刺激と娯楽の少ない土地柄のせい、とも言えるかもしれない。
(……それにしても)
身体は白毛のソレへ向けつつ、ヒナゲシの目がちらりと自分の背中を見る。
薄緑の瞳に映るのは不安そうなキャシーの顔――を通り越した、その下。味気ない農業服にも関わらず、ヒナゲシの背中で魅惑的に拉げる豊かな胸がある。
これでヒナゲシが、容姿の表現として度々使われる「王子様」の如く、真に性別が男であったなら、あるいは同性に興味が尽きなかったのなら、また別の感想を抱くものなのだろうが。
(いたたまれない……)
押しつけられる柔らかさに、毎度のコトながらヒナゲシはどうしたもんかと悩む。
怖がっているところを引き剥がすのも悪い気がするし、こんな「オイシイ」状態で困ることしかできない申し訳なさみたいなものもある。
ついでに、同性であるからには――個人差はさておき――ヒナゲシにも想像できる感覚、どうして気づかないことがあるだろうか、という疑問も少々。そこは突っ込むと藪蛇になる可能性が捨てきれないため、あえて口を噤んでおくが。
(いっそ、ケビンがいたなら)
こんな時、キャシーの幼馴染みであり、実質婚約者と言って良い青年がいてくれたなら、こちらが恥ずかしくなるほどの嫉妬心丸出しで、ヒナゲシからキャシーを引き離してくれるところだろう。
しかし残念ながら、開けた視野のどこにも彼の姿は見つけられない。
(あとは――って、ああ、そっか)
他にこの状況を打開できそうな人物の心当たりに、肝心なことを思い出す。
何のことはない。キャシーがヒナゲシにしがみついているのは、白い毛玉を警戒してのこと。ならば、そんなに怯える必要はない、と告げてやれば良い。
この状況を打開できると浮かべた人物――賢者の名と共に。
「キャシー、大丈夫だよ。確かにアレは魔物だけど」
「ひっ!? や、やっぱり!!」
むぎゅぅっ。
「っぐ」
続く言葉を待たず、押しつけられる膨らみ。
しかも常日頃、農作業に精を出すキャシーの腕力は、警備職のくせに非力なヒナゲシよりも強く、件の出っ張りも相まって、このままでは背骨が終わってしまいそうだ。
なので、ヒナゲシはがっちり掴まれた両肩により、良く晴れた青空を仰ぎながら叫ぶ。
「だ、大丈夫! 安全だって賢者様が言っていたから!!」
「え? そうなんですか?」
途端、キャシーの手と同時に、悩ましい柔らかな凶器も背中から失せた。
ヒナゲシは過ぎ去った危機に内心で大きく安堵の息をつきつつ、にっこり笑顔をキャシーへ向けた。
「うん、賢者様のお墨付きだから、大丈夫」
もう一度、面と向かってしっかりと。
すると、先程までの怯えようはなんだったのか、「そうだったんですね」と心底ほっとした様子で胸を撫で下ろすキャシー。
これを見るヒナゲシは終始笑顔だったが、心の中は全く晴れない。
例えば公職である警備員、もっと言えば、それ以上に魔物の知識を持つ獣使いのヒナゲシが、「安全」と言ったところで、キャシーはこんなにもすんなり納得しない。いや、ヒナゲシ以上の知識と力を持つ聖騎士が言ったとしても、あまり大差はないだろう。基本、魔物は忌むべき存在であり、たった一言で警戒を解くような相手ではないのだ。それはキャシーやエントに住まう村人たちだけではなく、この世界の人間全てが持つべき、本能的な恐怖の為せる業。
それなのに、賢者のお墨付きというだけでこの有り様なのだ。
(楽ではあるけど……やっぱりあの人だけは信用できない)
キャシーのこの様子に、改めて賢者への不信感を強めたヒナゲシは、だからとこれをそのまま表に出しはしない。ヒナゲシの気持ちはどうあれ、こうしてキャシーの平常心が簡単に取り戻せるのなら、賢者を信用できる名として騙ることなど、造作もないことなのだから。
――もちろん、言ったら最後、賢者の素晴らしさを延々聞かされる羽目になるため、そんな経験は一度きりで十分、という思いもあることは否めないが。
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