あの日、拾った毛玉

かなぶん

毛玉、拾われる

第1話 どんぶらこっ

 最初ソレを見た時、ヒナゲシは餅かと思った。

 緑の草原にとろける真っ白な餅。

 あまりに真っ白なソレから目を離せず、じっと見ていれば気づく異変。

「……動いてる?」

(なんだろう? 新種の……魔物?)

 この世界において、田舎だろうが何だろうが、人間を脅かしてくる存在を浮かべ、ただ見ているだけだった薄緑の瞳が険のあるものへと変わっていく。

 口元へ指を持っていき、ふっと息を吹きかける。

 と、左手の人差し指と中指の爪に朱色の模様が描かれた。

「あ」

 途端、ぼちゃんと音を立てて、ソレが川に落ちた。

 思わず指を見るヒナゲシだが、今の動作にそんな効果はない。

 迷うように周囲を見渡し、代わり映えのない光景に、仕方がないとため息一つ。

 意を決し、警戒は怠らずに川へと近づいていく。

 川、と言っても小川と言ってよい幅と深さ、緩い流れの中に落ちたソレ。

 一度見失いかけたソレを近くで見たヒナゲシは、

「げっ」

 と思わず呻いた。

 輝く純白はそのままに、草原にいた時には気づかなかった長い体毛が、滑らかなに水流をなぞっている。

 上質な糸を思わせる美しさではあるが、持ち主が見たこともない生物であることは頂けない。

(間違いなく魔物だ……どうしよう)

 ヒナゲシは村の巡回を日々の糧にしているが、その身一つで戦える術を持っていない。先ほど指に吹きかけた息は、こういう時のための応援を呼ぶ法だが、今もって周りにあるのは草原と踏み固めた土の道、せせらぐ小川、そしてたゆたう毛。

(コレで掬う? あれだけ長い毛なら水を吸って重いだろうし、そんなすぐには動けないと思うけど……)

 ヒナゲシの目がちらりと、さらりとした金髪越しに虫取り網を確認する。

 巡回直前、そろそろ採れる果物があるから、と母に持たされた長い得物。

 呆れるヒナゲシをなだめすかした母を思い出し、そんな網に得体の知れないびしょ濡れ毛玉を入れたら怒るだろうか、と想像する。

 だが、迷っている暇はあまりない。

 水量は決して生活用水に満たない小川だが、流れの先は村に続いている。今はどこかに引っかかっているのか、落ちた場所から動いていない毛玉だが、放っておけばその内流れに乗って村へ行ってしまうだろう。

 そうなればどうなるか。

 全く分からない。

 だからこそ、今、掬わなければ。

「うわっ!?」

 ヒナゲシが決意した直後、毛玉が流れ出した。

 と同時に、ジタバタもがく毛玉。

(もしかして、今までそこにいたのは流れないようにしがみついて?)

 ヒナゲシは毛玉の事情に思いを巡らせつつ、毛玉の先目がけて網を入れた。

 魔物ゆえにするりと網を透過することも予想の一つにあったが、流れる毛は水に遊ばれながらも、本体はしっかり網の中に収まった。

「ぐっ、重……っ」

 緩やかな流れでも、相当水を含んでいるのか、網が重い。

 手放さないことだけを考えてたぐり寄せるヒナゲシは、引きずるように網を草上へ。

 べっちゃり濡れた毛玉は、最初に見た餅とはかけ離れた姿になっていた。

(さて……どうしようか)

 網に入ってからというもの、もがくのを止めた毛玉は、陸に上がっても動く気配がなかった。かといって魔物に間違いない生き物、迂闊に近づいて確かめるわけにもいかない。

 再び訪れる迷いの時。

 すると、遠くから人の声が聞こえてきた。

 否、人の絶叫が。

「ぎゃあああああああああああああああっっ!!?」

「あ、ポチ。ここだよ」

 手を上げれば、砂煙を上げて走ってきた四つ足の獣が立ち止まるなり首を振った。

「おわっ――ぶべっ!?」

 併せ、四つ足の獣――ポチが咥えてきたモノがヒナゲシの近くに落ちる。

 だが、ヒナゲシはそちらを一瞥することなく、ひょこひょこやって来たポチの首を撫でてやる。体高がヒナゲシの肩まである大型の獣は、黒い毛並みを撫でつける小さな手に長い尾を振った。

「仕事中にありがとう、ポチ」

「ワウッ」

 短く低い声で鳴いたポチは来た道を戻り、ヒナゲシはこれを先ほどとは打って変わった明るい顔で見送った。

 次いで、ようやくポチが放ったモノへ目を向ける。

「賢者様も、お忙しいところありがとうございます」

「……君、頼むから、今度はもう少しまともな運び方を命じてくれないか?」

「それは難しいですね。私にできる獣笛じゅうてきは限られていますから。賢者様ご自身で無理なくお越し頂ける道具を作った方が早いです。――と、それは置いといて」

「君ね……」

 毎度のぞんざいな扱いへ向けられる白い目も構わず、ヒナゲシは未だにピクリともしないずぶ濡れの毛玉を指差した。

「アレ、魔物ですよね?」

「アレ? アレは……」

 長いローブを払いつつ身を起こした賢者が、左目部分を覆う革から伸びたレンズを回す。

「! ほお? これは……ほほう? 実に珍しい……ふむ、そうだな」

 ひとしきり感嘆の声を上げ、おもむろに取り出したのは木の枝にしか見えない棒。賢者がその先端を指で擦れば、マッチ大の炎が灯る。そうしてツカツカ毛玉に近づいた賢者は、何の躊躇いもなく、炎の先端で毛玉を突き刺した。

 瞬間、

「あっつ!?」

 大量の蒸気が毛玉から発せられ、ヒナゲシは目を庇うように手を翳した。

 すると程なく、別の感触が手の平にぶつかってきた。

「う、わ……ふわっふわ……」

 ついつい感想が漏れたなら、賢者から「ふむ」と声が聞こえてきた。

「どうやら君を主人と定めたようだな」

「……は?」

 ぐいぐい押される手の平。

 抵抗しつつ賢者を怪訝に見ようとしたヒナゲシは、かざした手の平の向こう、蒸気の晴れた草原を背景に、賢者よりも手前にいるふさふさの毛玉を見て口の端を引きつらせた。

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