第8話 冷泉院家

冷泉院家


 公家、貴族、華族、時代によりその呼び名は違えど、その立ち位置は同じである。帝に使える、政を行う、仕事は多少の変化はあれ、政府ではなく日本という国の「中央」に常に存在する。それは四民平等で貴族制度が無くなった後も変わらない。その中の一つが冷泉院家であった。

彼女の家は代々、帝に使える家系であった。一族の女性は帝の家族の世話をするために使えていた。冷泉院元子はその家の五人兄弟の二番目、長女として生まれた。兄が一人、弟二人と妹が一人である。本来なら長女たる元子が宮内省へと出向くことになっていたが、それをあっさりと捨てた。家業を継ぐべき兄が戦死したからである。大陸での戦闘中撃墜されたのだという。広い大陸で撃墜されるということは即、死を意味する。広すぎて生きて基地にたどり着くことはできないからである。そこで戦死認定を受けたのである。結果として年長の元子が全てを受け継がざるを得なくなったのである。年長とはいっても女学校を出たばかりの18歳。その職務の重さに比べて若すぎる彼女であったが、華族とは別の顔の財閥という複合企業体、そして口伝という形で伝えられた知られざるこの国の歴史、それを引き継がざるをえなくなった。その彼女に最初に与えられた仕事が新造戦艦「信濃」の建造と電探や電子戦装備の偽装だった。欧米では早くから注目され開発がすすめられた電探は軍の一部の反対で日本では開発が遅れていた。軍の反対の理由は「電探を使い相手に気づかれる前に攻撃を仕掛けるのは卑怯」などという総力戦とは思えない前時代的な価値観に囚われた人の発言だった。だが、もともと軍属ではない元子にはそのような考え方はなかった。華族ながら財閥を築きあげた家系の一員である。合理的かつ進歩的な考え方、先を見通す目は人として成長する過程で身についている。そして信濃建造の過程で、軍との交渉、下請けとのやり取りを経験するうちに彼女はしたたか強かさと人の心理を見抜く技を身につけていった。それが、信濃乗艦時、二十代前半とは思えない覇気と近寄りがたい硬質な気配をその身に纏うことになった。

女学校時代の彼女は見事という言葉がふさわしい真っ直ぐな黒髪とつぶらな瞳、小振りな鼻と口の一等の造形美で「生きているお人形さん」と揶揄されるほど美しい娘だった。

ところが、交渉折衝を通して身に着けた覇気は元子を人形というただの飾り物から大人の女へと変化させ、彼女の家に伝わった口伝を知り、それは彼女に巨大な責任感をもたらした。ゆえに百戦錬磨の田代や島村ら将官との会話にも十分に対応できる力をその身に宿しており、理屈を背景に話す言葉は島村を抑え込むに足る説得力を持っていた。

加えて、精神主義に陥り合理的な戦略戦法を見失い、無茶な作戦の責任は現場に押し付ける参謀や軍官僚、まともに扱い方の訓練もできない環境の兵に新思想の兵器を使いこなせるわけがなかった。地球人がおかれた状況を考えれば、新システムを熟知した彼女が信濃に乗り込み管理するのが最も有効に生かせることは火を見るより明らかだった。

 冷泉院家の長男であり本来の跡取りである冷泉院隆俊は突然出帆した。冷泉院財閥経営の一員に加えられ、そして口伝を伝えられた直後の出来事だった。兄よりも五つ年下の妹、元子は兄に代わってその業務を引き継いだとき、兄はその責任の重大さから逃げ出したのだと直感し嫌悪した。それ以前は年も離れていることもあり可愛がられ、相応の敬愛を持っていたがその一件で兄に対する感情は一気に逆転した。それは他の男性への警戒心へと変化していくこととなった。それが信濃艦内における島村への態度として現れた。己の心情を素直に出しすぎる男への嫌悪、兄の姿を島村に重ねてしまったのだ。

しかし、実情は少々違っていた。冷泉院隆俊は確かに密かに出帆した。それは責任から逃れる為ではなかった。責任の大きさに耐えられるほどに自分を鍛える為、口伝が伝える人類の真実に打ち勝ちうる精神力をつける為、軍へ入隊するために出帆したのである。当然家に話せばそんな勝手は許されるはずもなく止められるのが落ちであり、誰にも知らせず偽名を使い軍へ入隊した。

 投入された戦線は大陸であった。戦闘を重ねることで己を鍛えられると確信していた隆俊にとって実戦は想像のはるか上の過酷さだった。彼は初戦ではなんとか生き残ることはできた。だが敵を撃墜することなどできず、帰還した後は倒れるように眠り込んだ。裕福な生活を送ってきた彼にとって食事も労働も慣れるまでには相当の時間を要したうえ、生死をかけた戦場の敵味方入り乱れた生の感情のぶつかり合いのような戦いには、そこにいるだけで精神を削られた。戦場に来たことを彼は後悔した。全てを実家に告白し、実家の力で無理やり除隊させてもらおうと考え、手紙を書いた。しかしそれは結局投函されることはなかった。それは彼の人間的成長が止めさせたのだ。封を閉じてはみたが、ここで実家に頼り戦場から逃げることは今までの己の人生を、出帆したときの決意を全て否定することになる、そのことに気付いたのだ。彼はその手紙を自分の荷物の奥底に仕舞い込み、やがてそんなものがあることも忘れ去ってしまった。

 そして彼は撃墜された。彼の機体が落ちていく様を僚機が確認し、三日後彼は戦死認定された。彼の荷物を遺品として整理している際、以前に書いた手紙が発見され正体が知れた。軍上層部は一時蜂の子をつついたような騒ぎになり、最初に戦死の報告を受けた冷泉院家の執事はその場で卒倒したという。

だが冷泉院隆俊は死んではいなかった。

彼の機体は確かに撃墜され、死ぬと覚悟した。大陸奥地で基地に帰還できない損傷を負った機体は通常地上への激突、もしくは特攻という形で死を選んだ。着陸しても基地まで生きて帰る事はかなわないからだ。片翼を失って基地まで飛行できるほどの技量はなく、燃料も漏れ出している。機体は錐もみ上に落下していく。この状況から機首を立て直すことすら神業だった。そして無事着陸できたとしても生きて基地へ帰れる保証は全くなかった。それでも隆俊は、万が一にも生き残る道を選んだ。片翼での未整地への着陸は死と同義の程に難しい。だが、生存確率は0ではない。その限りなく0に近いが0ではない確率にかける。ここで死んでは己に与えられた責任を果たせなくなる。目的を達成するためにわざわざ家を捨てたことが無駄になる。覚悟を決めて草原へと着地を試みた。

そして彼は、体中の痛みで目を覚ました。見渡せば、壁が布でできた円形の建物で、草と土の匂いのする部屋だった。隆俊は自分がどこにいるのかわからなかった。草原へ着陸を試みたところまでは覚えていたが、そこから先のことは全く覚えていなかった。起き上がろうと試みたが痛みが電気のように体中に走り背を起すことすらできず、諦めて再び横になると、抗いようのない眠気が彼を襲い再び深い眠りについた。次に彼が目を覚ましたのは、先ほどの草と土に交じって、肉を煮込む良い臭いが流れてきたときである。

自分でもぐうぐうと腹が鳴るのが分かった。体の痛みも先ほどよりは引いているようで、背中を起そうとしても電気が走るような痛みはない。ゆっくりと体を起こすと先ほどよりも暗く、たき火のような火の明かりが周囲を照らしている。その火の回りで動いている人が

隆俊の姿に気付いたようで声をかけてきた。何を話しているかまるで分らなかったが、中国語でも韓国語でもなく、もちろん日本語でもなかった。モンゴル語のようであった。

話しかけた人は隆俊に声をかけると笑顔になり、火の回りにいる他の人々に声をかけていた。隆俊はモンゴルの遊牧民に偶然発見され助けられたのだと悟った。声をかけてきたのは女性で、様子をうかがうとこの家の主人の嫁のようであった。その人が器にスープをよそり持ってきてくれた。初めて口に入れた羊の肉は臭みが強く平時であれば吐き出してしまったかもしれない。しかし彼の空腹は耐えがたいものがあって、一口飲みこむと五臓六腑に染み渡っていくのがはっきりとわかった。一口食べれば後は堰を切ったようにむさぼりついた。思わず涙が零れ落ちていた。命が助かったこと、助けられたこと。感謝の涙だった。

 言葉は通じなかったが、彼らは嫌な顔一つせず、献身的に介抱してくれた。彼らの生活レベルからすれば隆俊に食事を与えることですら相当きついはずであった。ありがとうという感謝の言葉以外彼には口にする言葉がなかった。この人たちの恩に報いるためにも日本に帰り責務を果たさなければ、という思いに駆られた。

変化が起こったのは彼が目覚めてから一週間ほどたってからである。隆俊が起き上がり、外を歩き回れるほどに回復したころのことだった。馬にまたがり一人の日本人がやってきたのだ。最初は軍の捜索隊がやってきたのかと考えた。がしかし、その日本人は意外な言葉を発した。

「お迎えに上がりました。藤堂隆俊様、いえ冷泉院隆俊様」

女性の声だった。

「数日前にこちらのご家族から日本兵を救助したとご連絡をいただきまして、調べましたところあなた様の偽名「藤堂隆俊」という名の兵が死亡宣告を受けていることが判明し、確認に参ったわけです。が、ご無事で何よりでした」

その女性は短髪にズボン姿と動きやすい恰好はしているが、明らかに軍人とは違う雰囲気を醸し出していた。そして年齢も二十代半ば、妹の元子よりも少しだけ年上に見えた。

だがそれでもモンゴル奥地まで一人で馬を駆ってくるほどの人物である。それなりの訓練を積んでいることは確かで、隆俊の正体を知っていることも鑑みれば、冷泉院財閥の手のものであることは容易に推察できた。

「私どもも手が足りず、お迎えが私一人で申し訳ございません」

その一言で隆俊はこの女性が冷泉院家のものであると錯覚した。彼女が自分の所属を一言も告げていないにもかかわらず、である。

二人して遊牧民の家族に礼を言い、女性が持参した土産物を渡すと彼らは遠慮することなく素直に受け取った。日本人であれば一度は遠慮するところであるが、歓待や贈り物は素直に受け取るのがモンゴル人の文化である。女性もその辺は心得ているのかお返しにと渡された馬乳酒をありがたく受け取っていた。

 モンゴル流の乗馬の仕方は鞍を使わず直接馬にまたがることになり、慣れない者は尻の皮がむけるという悲惨な目に合うことになる。案の定隆俊の尻の皮もあっという間に向け痛みに耐えるのに必死であった。せっかく女性の後ろに乗り腰に手を回して捕まるという幸運に恵まれたにもかかわらず、痛みでそれどころではなかった。

 それなりの交通網がある都市部に戻るのに一泊をテントで過ごさなければならなかった。多くの荷物を積むわけにはいかない馬にはテント一つしかなく二人で眠ることになった。女性とは全く縁のない軍隊生活を送っていた隆俊にとってそれは拷問であった。ただでさえ若い女性特有の良い臭いに加え、色気を感じる声に男の本能を抑えることに必死だった。空戦以上に忍耐力の必要な戦いだった。だが、「妹さんも元気ですよ」という一言に興をそがれて、かろうじて男を抑えることに成功した。

 そのくろば黒葉まかぜ真風と名乗った女性は都市に戻ってからも同行を申し出てくれた。というよりも、隆俊生存の報を日本に送った際に命令を受けたのだということだった。

「軍へ戻りますか、それとも帰国なさいますか」

という真風の問いかけに

「いや、アフリカへ」

と、隆俊は答えた。この機会に口伝にある、一文の真実を確かめようと考えたのだ。

そして彼ら二人はアフリカの地でドイツ軍と遭遇、拿捕されることになる。

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