第7話 戦艦 信濃

戦艦 信濃


 艦底は濃緑色、艦首にあるべき菊花紋章もなし。前甲板にあるはずの副砲と呼ばれる60口径15.5センチ砲も無し。後部甲板にあった主砲、福砲、射撃指揮所、カタパルトもなく代わりに昇降機と長大な飛行甲板を装備。掲げる旗は日章旗にあらず。青地に地球の描かれた見慣れぬものだった。その全体の持つ優美なシルエットはともかく、1945年3月、大和型三号艦「信濃」は兄弟艦の二隻とはあきらかに様相の異なる仕様で室蘭の秘密ドックを出港した。派手な進水式も無く、見送る者も無く、これから戦場に赴く軍艦としてもあまりにも静かな旅立ちであった。夜の帳の中、静かに、滑らかに、波をすべるようにゆるやかに艦は進む。三月といえど、北海道は真冬である。空間を支配する空気の温度は生物にとって極めて過酷だ。ゆえに空気は澄み、透明感を感じさせるほどに美しい。空を見上げれば、星明りと、水平線に沈みかけた朧のかかった月が見える。ある意味でロマンチックではある。

もし、陸地から海を見るものがあったならば、薄明かりの月を横切る巨大な船のシルエットを見ることが出来たであろう。それを不吉な死神の姿と見るか、神々しい英雄と見るかは別として。

 本来であれば信濃は戦艦として計画され、戦況の変化をかんがみ空母として完成するはずだった。しかし表向きの計画を隠れ蓑として「信濃」は計画通り、いや初期の計画以上の性能を持って、出撃した。

 その姿をたった一人見送る者があった。室蘭を見下ろす様にそびえる岬の先端、樹木の陰から密やかに見つめていた。信濃の出撃を見送ると、男は冷え切った体をいたわりながら、もと来た道とも言えない道を引き返した。足を雪に取られながらも、軽やかな足取りで男は進む。

「予定通りの出撃だ。これを報告すれば俺の任務は終わり、もうこんなに寒い思いをしなくてすむ」男はほくそ笑み、寒さしのぎのために持っていた焼酎を口に含んだ。

寒さから集中力は落ち、酔いがそれを加速させた。結果、彼の姿を見つめる監視の目にはついに気づくことはなかった。

信濃はその優美ともいえる外見とは異なり、艦内は騒然としていた。航海長の速水が不安そうに田代に話しかけた。

「現在の航路で間違いありませんでしょうか」                   通常は安全の為日本沿岸に沿って航海するのが通常だが、信濃は敵艦に待ち伏せされる可能性のある外洋航路に針路を取っていることを指摘しているのだった。

「進水と出撃が同時というのはこの危機的な戦況を考えてもあまりに無謀。司令部はいったい何を考えているのでしょうか」

速水の心情を察して代弁した副官島村の言葉であったが、それはすべての乗組員の持つ疑問でもあった。艦長兼艦隊司令の田代はそれに答えなければならなかった。単艦での出撃とはいえ、戦艦クラスの船で艦長と艦隊司令を兼任するということがそもそも異例中の異例であった。異例はそれだけではない。艦の乗船人数も定員にはるかに満たず、操船や慣熟訓練すら行われていない。艤装も主砲とわずかな対空砲以外は施されておらず、随伴艦の一隻も無い。「沈みに行け」といわれているようなものである。そのような艦に乗り込めばどのような者であろうと、囮や人身御供に供されたと考えて当然である。田代の最初の仕事はそのような状況下で兵の士気を落とさず作戦に従事させることであった。「そのためにはどのような手を打つか、軍機には触れるが作戦内容をばらすか?ここまでくれば機密が外部に漏れる心配は無い。よしんばもれたとしても戦況に変化がおきることは無い。ならば、いっそ知っていることを洗いざらい話しておこうか」そういう腹を田代は決めた。

「閣下、よろしければ幹部会議を招集いたしますが」

参謀兼副官の島村である。長い付き合いとはいえ、絶好のタイミングでの言葉に改めて島村の頭の回転に舌を巻いた。

「自分もこの作戦、納得しがたいものがあります」

一言多いのもこの男の特徴であることを思い出し、苦笑せざるをえなかった。

 信濃の長官公室兼会議室は簡素で必要最低限のしつらえで済まされていた。これが同型艦の大和や武蔵であれば一流ホテル並みの内装が施されているが、予算不足と急ごしらえでは贅沢なことを言うことは出来なかった。大和、武蔵に乗艦した将官からみれば、貧弱そのものであったが、提督の称号をいただいているとはいえ、一度たりとも両艦に搭乗することの無かった田代にとって、大和型に乗って指揮を取るということは極めて誇らしいことであった。その行く末に待ち受けているのが絶望的な戦いでしかなかったとしても、だ。

田代は考えていた。「この作戦は己の名誉欲を満たす為だけのものかもしれない。その欲のために部下の命を犠牲にすることになる。しかしながらこの作戦に勝利しなければ、日本が滅ぶ、日本が滅ぶならば、死んでも同じ。部下にはそう思って納得してもらうほかあるまい」

私欲は絡むが結果的には日本という国の為でもある。そして、帝国軍人すべてが高潔というわけではない。中には軍需を横領するものもいるし、敵前逃亡するものもいる。そいつらに比べれば、己の名誉の為に戦うことなど、まだましではないか。誰もが山口多聞のような英傑になれるわけではない。それらを言い訳にして田代は心中にわずかにふくらんだ後ろめたさを押しつぶした。

会議室に集まった面々については事前に知らされてはいたが、思った通りくせ者がそろっていた。くせ者だからこそ、捨て駒にされ、この作戦に回されたともいえる。

航海長の速水は、腕は一流だが慎重に過ぎるとの評価でいままで戦艦勤務はなし。操舵員も先日まで客船に登場していたものばかりだ。

本来、常設されてはいない海軍陸戦隊は、朝鮮半島出身の金大佐を筆頭に日本人、朝鮮人、満州人と五族協和を体言したような多民族による編成。航空班はメーカーの試作品とその技術者にテストパイロット、砲手にしても46cm砲を撃ったものなど一人もいない。極めつけは機関、及び機関員だ。世界初の新開発機関に加え、人員は民間人ばかりで軍人は一人としていない。そして電探および電子戦の操作員は民間人の女性が配置されている。

これで戦場に到着するまでにそれなりの動きが出来るように、訓練しなければならない。

通常、乗組員が大和型の運行に慣熟するまでに一年を要するといわれている。戦闘までの二ヶ月ほどでどこまで戦えるようになるか。いや勝てるようにならなければならないのだ。

やはり彼らにはすべてを話し協力を得なければなるまい。

 彼らが不満や疑問を口にし、士気を落とす前に覚悟を決めてもらおう。まず間違いなく不満や疑問に加え絶望の声が上がるのは目に見えているが。

「諸君、先ずは作戦内容を伝える」

作戦指示書の封を切り、おもむろに読み上げる。

「第110号艦および揮下の全乗員のツングースカ協定機構軍への編入を命ず。大日本帝国海軍軍令部」

場にいる全員が静まり返った。何を言われているのか理解が出来なかったのだ。

そして田代は二通目の指示書を読み上げた。

「ツングースカ協定機構軍所属の全軍は全力を持って敵を討て」

「なんだ、その命令は?」「ツングースカ協定機構ってなんだ?」「我々は日本軍ではなくなるということか」「敵とは何なのか、連合国以外にも敵がいるということか」

田代にとってはすべて予想内の質問であった。

さすがに参謀の島村は言葉にはしないものの非難の目は向けている。

「諸君らの疑問は当然だが、まずは私から諸君らに確認を取りたい。そしてこの情報はここにいる全員で共有してもらいたい。慣熟訓練もまともにできない本艦には横の連携が重要になる。先ず金大佐、陸戦隊の練度はどうか」

「正直なところを申し上げましょう。わが隊は各地から集められた兵の寄せ集めです。連携も何もあったものじゃありません。新配備の人型重機も稼働試験を終えたばかりで、実戦が出来るまでにはほど遠い状態です。この状態で戦うのは無謀以外の何者でもありません」

場内にいる全員が金大佐に同意する眼をしていた。田代は全員の顔を一瞥して、やはり話せることは全てを話しておこうと決意した。

「本来なら、軍人は命令に従えばよい、と言うところだが、あまりに突飛な命令だ。諸君の疑問に答えよう。軍機に触れることなので他言無用、部下にも必要最低限の説明ですませ緘口令は徹底するように」

 田代は大きく息をついた。暖房の聞いている会議室においても吐く息は白くなっているように見えた。冷えた心がそう思わせたのだ。

田代は、ここにいたった事情を事細かく説明した。地位に関係なく、死地に赴くものに誠心誠意を持って作戦意義を伝え、兵の士気を上げこの戦闘に勝つ為の可能性を少しでも高めなければならないからだ。「大日本帝国の敵は米英を中心とした連合国だが、われわれ協定機構軍の敵は連合国ではない。未知の相手だ。そしてこの未知の敵と戦う限り、連合国もわれわれに協力することになっている。米英は国を滅ぼすだけだが、この敵は星を滅ぼす。諸君らが疑問に持つのは当然だが、これは事実なのだ。私の言葉は今後の戦闘でおのずと証明されることになるだろう」

最後は反論は許さないというような気迫をこめた言葉になったがそれが功を奏したのか、理解を超えていたのか先ほどのようなざわめきはおきなかった。そこで会議は解散となった。田代は何とか会議を乗り越えられたことにほっとしていた。

提督だなんだと地位は高くても所詮は人間、悩みは深く人を使うということには苦労をする。大きなため息とともに脱力感と安堵感が体を支配し、田代は椅子からしばらく立ち上がることが出来なかった。

ひとつ心配事は解決したが、もう一つ確認しなければならない懸案があった。

それは機関のことである。戦艦はその性質上、安全性の不確定な新開発の装備よりも、評価の確定している装備が配備されることが通常である。ましてや艦の運命を決めるとも言える機関ならば、なおさらである。その田代の心を察してか、一度退出した機関長の仁科が舞い戻ってきた。そしてもう二人、副官の島村、電子戦操作員の冷泉院元子も険しい目つきで後に続いていた。

「提督はまだ何かお隠しになっていますね。そこにいらっしゃる仁科技術大佐に関係のあることではありませんか」

その言葉を受け、仁科は田代に許可を取るように見つめ、田代はゆっくりうなずいた。

「仁科さん、二人に現状を説明していただきたい」そういう田代の目には、今まで以上の切迫感を持って、島村に緘口令を強いていた。

「ただその前になぜここに民間人が同席している理由も知りたいのですが」

反発心を隠しもせずに島村は問いただした。

仁科は、議場に四人以外の人間がいないことを確認するように周囲を見渡し、かつ声を潜めて語りだした。あえて島村の問いかけには答えない。仁科も冷泉院と同じ民間人であり、島村の差別意識を感じ取ったからだ。島村には悪意はない、それはわかってはいたが同じ船に乗るものに向けて現していい態度ではなかった。

「先ず、炉は現在のところ安定はしていますが、作業は人型重機の使用が絶対条件です。重機なくしては作業員の安全は確保できません」

「ということは、漏れていると判断してよろしいか」

「微量ですが、確実に漏れています。この技術は我々には早すぎる技術です。それに加え、戦闘を前提とした艦になぜあんなものが積まれているのか理解できません。危険性をさらに増すだけに思われてなりません」

島村は眉をひそめた。今の会話から察するに、噂に聞いたあれのことか、もう実現したのか、その疑問を口にした。その言葉に口を挟んだのが民間人冷泉院元子だった。

「その通り、この艦は原子力で動いています。帝國単独でも、ドイツでも、アメリカでも、一国単独の力ではせいぜいが爆弾どまりだったものを技術交換することで機関を造るまでに至ったのです。工作技術の関係で完璧ではありませんが」

「アメリカ?敵国と技術交換などありえない」

島村の瞳は怒りに燃えていた。民間人からの回答に反発したことに加え、アメリカという国名が彼の怒りを倍増させたように見えた。そこへ泣き喚く子どもをあやすように田代が口を挟んだ。

「それがツングースカ協定の効果なのだよ。機関室や陸戦隊で使っている人型重機と呼ばれる機械鎧、あれもツングースカ協定の成果の一つだよ。装甲は我が國、駆動システムや武装はドイツ、エンジンもドイツのマイバッハ社、そしてまるきり未知の技術、伝導金属も我が國の提供だ。そして我が艦は目的地まで連合国によって攻撃を受けることは無い。加えて補給の全てはツングースカ協定機構軍に編入された連合国艦艇から受けることになる。」

「閣下、敵から施しを受けるなど、閣下には誇りというものが無いのですか!閣下も自分も米国には散々煮え湯を飲まされてきました。閣下のご子息はミッドウエーで戦死され、私の友人も数え切れないほど戦死した。この恨みを忘れるのですか!」

「私も東京の空襲ですべてを失ったよ。両親も妻も二人の子どもも、全て」

静かに悲しい笑顔を浮かべて仁科は語った。

「だが、その恨みを捨てて我々は協力し合わなければならない。より多くの犠牲を避ける為に。この國のためだけではなく、この星の未来を守る為に、子どもたちに平和な未来を渡す為に、やつらに勝利する為に、怨みも怒りも憎しみも忘れ去らねばならないのだよ。

汝の隣人を愛するがごとく、汝の敵を愛せよ、キリスト教の言葉だったかな。神様は結構よいことを言うものだ。もっともそのキリスト教の国家が戦争大好きときている。矛盾だな。世界は矛盾と混乱で満ちている」

「島村、我々は勝たなければならないのだ。例え、わが国がアメリカに敗れても日本人全てが滅びるわけではない。だが、奴らに敗れるということは全人類が滅びの道を歩むことになるのだ。マヤはなぜ滅びた?インダス文明が消え去った理由は?イースター島の文明が消失した理由は?奴らははるか昔からこの星の人間を利用してきたのだ。奴隷とし、ときには食料とし。己の利益のために、やっかいなことに国家や民族を超えて奴らと通じ同じ地球の民を裏切る組織がある。そいつらによって今もある民族が滅びようとしている。数百万人のこの星の同胞が殺されようとしている。

我々日本人は日本という一国家の利益よりもこの星の民のために戦おうとしているのだ。

だが、我々だけではないぞ。南極の同胞がすでに出航している」

島村は田代の言葉に納得しているわけではなかった。そしてもう一つ、民間人、しかも女性が何人も乗り込んでいる理由も確認しなければならなかった。

「自分がこの艦に乗っている理由?」

女性でありながら冷泉院の話し方は男そのままだった。男装の麗人と呼ばれた川島芳子を彷彿とさせる趣だった。

「それはこの船の建造は我が社が担当し、新型電探や新装備を艤装したのも我が社、使いこなせるものも我々しかいないから、というのが理由です」

「華族出身のお嬢様の火遊びではありませんぞ」

あくまでも島村の反発は収まらない。

「男も女も家の出身も関係ありません。これは総力戦なのです。ありとあらゆる手段を行使しても勝たなければならないのです。軍人のつまらない意地はお捨てください」

冷泉院はよく見れば極めて整った顔立ちをしていた。その見事なまでに真っ直ぐな黒髪と相まって超のつく一流の銀幕スターに引けを取らない顔立ち、男の目を引きつける魅力に満ちていた。その顔から放たれた、顔の美しさからは到底想像できない、島村の本質を深くえぐる言葉はさらに彼を激高させた。高ぶる怒りを爆発させようとした島村をいさめたのは田代だった。肩を叩き「お前が間違っている」と言った。冷静に考えればその通りであることは島村も分かってはいた。しかし、敵国アメリカへの憎しみ、今まで受けてきた教育が冷静さを失わせていた。しかし上官の言葉がなんとか彼に理性を取り戻させたのも事実だった。


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