第6話 ドイツ フランツ・ハインツ・シュナイダー 1943年

ドイツ フランツ・ハインツ・シュナイダー 1943年


 ドイツ軍准将シュナイダーの元に辞令が下ったのは、黒い雲が空を覆う雨の日の午後だった。アフリカ戦線を離れて以来待機状態にあった彼にとって、次の作戦が如何に重要なものであっても、それは今日の天気と同じくらい憂鬱で退屈なものになるであろうと思っていた。

それほどまでに彼の元上官は偉大であった。

「エルヴィン・ヨハネス・オイゲン・ロンメル」。勇名をはせたその男は、アフリカにおける大胆不敵な活躍だけでなく、その人格をもってしても世界中にその名前を知らしめていた。

かく言うシュナイダーもその人柄に惚れ、能力の高さに心酔していている一人であった。

シュナイダーの作戦立案能力、指揮統率力のほとんどがロンメルから学び取ったものであると言えた。故に、彼の部隊を離れて他の指揮官の下で働くことなど、あまりにも退屈で学ぶべきことがないものように思えていたのだ。だが、そんなシュナイダーのもとに下された命令は、彼の想像を遥かに超えるものであった。 

「ツングースカ協定」の発効後、新たに発足する部隊の指揮を執ること。そしてそれに伴う少将への昇進。ソ連および英米との戦争はもう5年前に始まっていた。その一方でこれから現われるであろう新たな敵に対抗すべく、その英米と共同戦線を張る準備をせよと言うのだ。こんな馬鹿げた話はない。参謀たちは一体何を考えているのか、シュナイダーは彼らの頭の中身を本気で疑った。しかしながら、そんな彼をやる気にさせたのは、長年連れ添った副官プリュムの言葉だった。

「ロンメル閣下の教えを実践する好機ではありませんか」

その通りだった。シュナイダーの活躍は恩師の名前を高めることにもなる。ロンメルへの恩返しの意味も含めてシュナイダーはその辞令を受けることにした。

与えられた兵員は三千余名。一部隊としてはそれなりの数だが、本気で戦争を仕掛けるには少な過ぎる。そもそも、なぜこんな不可解な部隊の指揮官にシュナイダーが選ばれたのか、プリュムは疑問に思ったが、シュナイダーには思い当たる節があった。

「まさかあの出会いがこんなところに影響するとは…」

時は26年前に遡る。当時は第一次世界大戦の真最中で、ロシア革命の火が勢いを増していた頃だった。そんな折り、彼の家を訪れる1人の外国人があった。エッセン郊外の片田舎、近くを流れるライン川の周囲には農地と葡萄畑が広がっていた。代々高級軍人の家系である彼の家はそんなのどかな風景の中でもひときわ大きく目立っていた。

若きシュナイダーはその日も家の庭で、日課であるトレーニングをしていた。筋肉に負荷を与え、わずかの時間だけ休み、再び筋肉に負荷を与える。そうすることで筋肉は固く鍛え上げられていく。そうして来たるべき日のために備えていた。

その彼に声をかける者があった。挨拶はドイツ語であるが、見た目は東洋人のようだった。

だが黄色人種はみんな同じに見える。シュナイダーはその男が中国人なのか、日本人なのか、全く見分けがつかなかった。その男はシュナイダーよりも少し年上に見えた。長身に筋肉質の肉体は自分よりも大きく見え、独特の威圧感を持っていた。が、しかしその一方で見る者を安心させるような魅力的な笑顔も浮かべている。彼はシュナイダーの父親の所在を訪ねた。

男は名前を明石平八郎と言った。シュナイダーはその音の響きで、ようやく彼が日本人だと分かった。

 父親のアドルフとその男の会談は数時間に及んだ。そして翌朝、男は父親と連れ立って首都ベルリンへと出かけて行った。再び彼らが返って来たのはそれから二週間の後であった。その夜、シュナイダーは改めて明石と名乗ったその男と引き合わされた。

その時聞いた明石の話は全く常軌を逸していた。何も疑わず全てを信じろという方が無理だった。だが、彼の父親はその男の話を信じ、彼に協力せよと命じた。

そのころ、一部のドイツ貴族や高級軍人の間ではある驚くべき噂が流れるようになっていた。その噂が事実であることもシュナイダーは明石との会見で聞かされていた。

ロシア皇帝ニコライ二世のドイツ亡命である。

その事は当然ながらドイツ国内では極秘事項になっていた。ニコライ二世一家は暗殺されたことになっている。ドイツ国内で生存していることが発覚すれば、ドイツとロシア革命政府との関係は最悪なものになってしまう。だがそれ程のリスクを冒してでも、ドイツにはニコライ二世を受け入れるだけの理由があった。すなわち、大戦で疲弊したドイツ経済の立て直しにニコライ二世の持つ莫大な財産が必要だったのだ。そう言った意味では亡命を受け入れたドイツ皇帝ヴィルヘルムは相当にしたたかであったと言える。しかしそれは先にシュナイダー家を訪れた明石平八郎が裏で手を廻した結果でもあった。

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