第3話 明石平八郎
明石平八郎
ツングースカでの大爆発が起きた時、ロシアは革命の真最中だった。それ故、政府による調査はおざなりにされた。というよりも調査などする余裕が無かったのだ。その隙に漬け込んだのはロシア軍の南下を警戒していた日本であった。
「明石元二郎」。日露戦争に於ける影の立役者と言われる人物である。当時、彼はひそかにロシアの革命派と接触し、資金の提供を行っていた。ロシアに混乱をもたらし、軍事力によるアジア侵攻を断念させようとしていたのだ。レーニンやスターリンといった革命の中心をなした人物とも接触を持っていたと言う。そういう意味では、後のソビエト社会主義革命は日本が行ったと言っても良かった。それが後の世に広まった彼の逸話である。しかしながら事実は違っていた。彼の行動はロシアの諜報機関によって監視され、思ったような行動が取れなかったのだ。その上、その状況を知るレーニンやスターリンは彼と接触することすら警戒していたと言う。いわば、彼の活躍は実態とかけ離れた伝説に近いものであった。
その結果、事情を知る者には彼の評価はそれほど高いものとはならなかった。いや、むしろ評価されなかった、と言った方が良かった。
そんな明石元二郎の下に一人の男が配属された。名を明石平八郎と言った。長身に剃髪、筋肉質の体はまるで岩のようであった。その苗字からロシアにおける諜報部のトップ明石元二郎の親族ではないかという者もいたが、事実その通りだった。だが、明石の実子ではなかった。日露戦争で戦死した戦友の子を元二郎が養育したのだ。養子の縁組をしたわけではなかったが、平八朗が軍に入隊するとき、元二郎への感謝の印として自から望んで改名をしたのだ。その男がツングースカの大爆発に関する調査へと乗り出した。一つは養父の手助けをしてその名を上げるため。もう一つは平八郎には予感するものがあったから、である。
1,000㎞も届く衝撃波や、数日間も発光を続けるような爆発が通常のものであるはずが無い。何か軍事的な意図が隠されているのではないか、あるいは噂に聞いた新型爆弾の実験なのかもしれない。だが時勢もあり、他の国が調査に乗り出した様子はなかった。日本軍でも調査の必要を認めていなかった。業を煮やした平八郎は極秘に単独での調査を始めたのだった。
シベリアという極寒の地を行った日本人は過去にも前例がある。海難事故で遭難し、皇帝に帰国の許可を取りにシベリア横断をした大黒屋光太夫、そして最近では日露戦争の準備のために陸軍の福島安正中佐が、単身馬での偵察行に出ている。
そのシベリアの探検行と同時に彼にはもう一つ行わなければならないことがあった。
養父が仕掛けたロシア革命を成功させることと、成功がなった際の皇帝一家の亡命先を確保することであった。その亡命先には心当たりがあった。ドイツである。最近まで、ドイツとロシアは戦争をしていた。それゆえに追っ手になる革命派も皇帝一家がかつての敵国へと逃げることはまず無いと考えるはず。そう明石は踏んだのだ。もっとも彼らをドイツに受け入れさせるためには、それ相応の手土産が必要になるだろうことは目に見えていた。
だが、皇帝たるロマノフ家にはそれが十分以上にあるはずだった。
ツングースカへの出発は深夜になった。ロシア諜報機関の目をかすめる為である。 秘密保持には単独行が望ましかったが、監視の目もあり十分な準備を行えなかった。 そのため苦肉の策ではあったが、ある人物に探検の準備を依頼することにした。
石神と言う名のその男は資源調査のため、かつて何度もシベリアには渡ったことがあるという。見ず知らずの人物ではあったが、背に腹は代えられない、調査は一刻も早く行わなければならないのだ。出発を急ぐため、明石はこの男に準備を託すことにした。
数週間に及ぶ旅の後、シベリア、ツングースカの地で彼らが見たのは、簡単に表現できるようなものではなかった。炭化した木々が円心状に傾いている。しかもその範囲が尋常ではない。見渡す限りという言葉がふさわしく、地平線のかなたまで同じような景色が続いるのだ。それは何時間移動してもほぼ同じ風景が続く程広範囲に渡っていた。それが単なる山火事などによるものではないことは誰の目にも明らかだった。予想した通り大規模な爆発によるものである。明石はそう確信すると最初の一歩を踏み出した。その先にあるのは死の世界か、それとも、何かしらの希望が隠されているのか、それは明石にも分からない。
辺りには焼け焦げた木々が延々と転がっている。いまだに焦げた匂いが漂っていることがその爆発の大きさを物語っていた。
石神に馬車を任せると、明石はひとり馬に跨り、その焦熱地獄であったであろう場所に入り込む。人里から遠く離れているとは言え、直近の集落を離れてからここ数日、人ひとり会わないことを明石は疑問を感じていた。これが新型爆弾の実験であれば、警備の兵や実験の検証部隊が展開しているはず。それが兵隊どころか原住民にすら出くわしていないのだ。
これはもしや見込み違いであったか、そんなことを考えながらも明石の足は着実に爆心地へと向っていた。
陽射しをさえぎる森が無くなったことで、大地は思いのほか熱い光に晒されていた。
シベリアという極寒の土地柄、相応の寒さに備えた装備をして来たが、この暑さは意外だった。先ほどまでの森林地帯と異なり、森がないと言うことがこれほどまでに環境に影響を与えるものだとは、正直想像もしていなかった。10㎞ほど進んだだろうか、明石はすり鉢状にえぐれた大地のほぼ最深部に達していた。この辺りには木々どころか草一本生えていない。完全に焼き尽くされているのだ。明石は馬を下りて己の足で大地に立ってみた。
より大地に近づいたせいか、焦げた臭いが鼻を突く。実際に歩いてみると大地は硬くしまっており、それはまるでべトン(*)のようであった。
「これはまさか、土が一度溶けて固まったのか、だとすれば爆発の熱量はどれ程のものだったのか」
大地をよく観察すれば、そこには太陽に照らされてキラキラと輝くものがある。
「これは、もしやガラス?なぜ、こんなところにガラスが転がっているのか。こんな僻地に人家があった訳でもあるまいに」
その後数時間、明石は荒れ野を歩き回った。あちこちに転がるこのガラス状のもの以外、目立った収穫は得られなかった。当然である。これほどの広大な範囲を一人で探索しきれるものではない。日は既に陰り始め、間もなく夜がやってくる。そろそろキャンプを張らねばならない。夜の森は危険に満ちている。寒さ、そして野獣。明石の人生にはまだやるべきことが沢山ある。こんなところで死ぬわけには行かない身なのだ。
「無駄足に終わったか」
そう考える明石であった。が、行幸はあきらめた頃にやって来る。
日が沈んだ。吸い込む空気は肺を締め付けるような冷たさを帯びていた。星明りは昼とは違った明るさを大地にもたらした。それは何もかもを映し出す強大な光ではなく、己に反応してくれるものだけを輝かせる、ある意味わがままで、それでいて優しい光だった。
最初その輝きを見つけたとき、明石は昼間見たガラス状の物体が転がっているのかと思った。が、先ほどまで見ていたものとはその大きさがあまりにも違っている。近づいて見るとそれは円筒状の物体であった。星明りの元でもそれは明らかに人為的に作られた物体であると分かった。それは尾を引くように地面を削り取り、その先端は大地にめり込んでいた。その状態から、この物体がかなりの速度で落ちて来たものであることが想像された。
爆弾の破片であろうか。走りよった明石の目に映ったのは、表面が焼け焦げた、これまでに見たこともない物体だった。長さは50㎝程度。手に取ってみると、それは見た目以上に重く、片手では地面から引き抜けない程であった。両手でがっしりと掴む。触った感触は陶器のようでもあり、金属のようでもあった。地面をえぐるほどの威力で落ちてきたのだ、相応の衝撃を受けた筈だが、見た目ではほとんど傷もないようだった。何かが中に入っているようだったが、どういう構造なのか、その開け方がわからない。ダイヤルのようなものもあったが、それらが複雑に組み合わさって箱根細工のような、あるいは知恵の輪のような構造になっているようだった。明石はその場で確認することをあきらめ、事務所のあるモスクワに持ち帰って開封することにした。それは人力で運ぶには大変な労力が必要であったが、馬に乗せればそれほど大変な事ではなかった。明石は馬という家畜のありがたさをあらためて思い知った。人類最大の発明は、火でも車輪でもなく家畜ではないかとさえ思った。
従者の下に帰り着いたときには、すでに火が起こされ幕営の準備は整っていた。 火に掛けられた鍋で米が炊かれている。このような僻地で米を食えるということは心底ありがたかった。自分が日本人であることを実感するひと時である。
一汁一菜の素朴な食事ではあったが、それでも十分満足のいくものであった。
特にロシアに赴任して以来一度も米を口にしていない明石にとって、それは身も心も解きほぐす効果があった。自然、たわいのない会話が口をつく。
「こんな所で米の飯を食えるとは思わなかった。君を雇って本当に良かった。ありがとう」
明石は防寒用の帽子を脱ぎ剃髪の頭を下げた。
「私の実家は青森でして、細々とですが田んぼもやっとります」
石神という男はぼくとつ木訥と自分の話を始めた。実家の生業のこと、ロシアの資源探索のこと、家族のこと、なまりもあり上手な話の進め方でもなかったが人を信用させるような柔らかいしゃべり方だった。
明石はこの夜のことで石神という男をすっかり信用した。
その後数日間、二人は爆心地付近を歩き回った。その間、先に見つけた円筒状物体に似たものを幾つか見つけたが、それらはどれも焼け焦げており、半分が溶けかけ、何かが燃えた灰だけが中に残されていた。だがそれは別の使い道があった。物体の構造を知ることができたのだ。それはやはり「箱根細工」と同じ仕組みだった。回転と押し込みの複雑な組み合わせで作られており、その構造を知らない者には到底開封できるものではなかった。
明石程度の頭脳では、手本がなければ破壊する以外、開封する手段はなかった。
ところが、その外筒も極めて頑丈ときている。事実上開封することは不可能だった。
回収した円筒状物体は外見を見ただけでも非常に高度な技術をもって作られていることが創造できた。焼け焦げやごく一部の小さな凹みを除けば筒の表面は非常に滑らかで、摩擦抵抗が感じられない程であった。
モスクワに戻ってからの明石は忙しかった。姿を消した間の行動を上司から問いただされ、同時に回収した円筒状物体の中身も調べなければならなかった。ロシアの諜報機関にも警戒され監視の目も強まっている。行動は慎重にならざるを得なかった。そこで活躍したのが一緒に戻ってきた石神である。明石は石神に回収した物体の日本への移送を依頼した。
その結果がもたらすことに思いをいたさずに。
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