07話.[余裕ぶっこいて]
「『抱きしめてもらったわ』とか言われたんだけど」
彼女はつまらなさそうな顔でこちらを見ていた。
頬杖をついているそれはいつも通りと言えるけど、いまはそれだけじゃないと顔から分かってしまう。
「うっ、あ、その……」
「抱きしめてもらうとか美羽ってちょっとあれじゃね?」
「美――宇都山さんは自分らしく生きているだけって言ってたよ」
彼女の口から好きじゃないと聞く度に好きなんじゃないかとすら思えてくる。
昨日までの私であればそうであってほしいと願っているところだけど、なんか少し本当のとことろを聞いてしまってからは変わってきてしまった。
だってもし私のことを意識しているのであればそこにアタックしたって駄目になるから。
私も私でどういう感じであの子といればいいのかが分からなくなってきてしまった。
抱きしめたのはそうしないと帰ってくれなさそうだったからだ。
「あ、いきなり話変えて悪いんだけどさ」
「ん? どうした?」
「その、彼氏さんってどうなってるの?」
さらっと出された情報だけどいまでも気になってしまっていることのひとつだった。
いやだって、あんまり知らない男の人が出入りするって私だったら警戒してしまうことだ。
娘目当てに再婚するとかそういうこともあるみたいだから気をつけてもらうしかない。
「ああ、一ヶ月に二回ぐらいしか来ないからな」
「そうなんだ? だったら家にいられていいね」
「んー、母さんともあんまり仲良くないからな。ほら、だから美羽を取られたくなかったんだ」
うっ、そうなるとなんか悪いことをしているみたいになってしまう。
それに最初はそういう感じでも時間を重ねていく内に変わっていくのが恋感情というもので、美羽が彼女を優先すればどうなるのかなんて分からない。
美羽だってやっぱり……となりかねない。
「そうだ、今度舞菜の家に泊まり行っていいか?」
「うん、お母さんもまた来てほしいって言ってたよ」
「流石に美羽の家にばかり世話になるのは違うからな。あと、先輩にもあんまり迷惑をかけたくないんだ――って、舞菜にならいいと思ってるとかそういうのじゃないからな?」
そこでそう言ってしまうと逆にそう言っているように聞こえてしまうのも難しいところだ。
私もよくやるから本当にどうにかならないかと毎回考え込む羽目になる。
「はは、大丈夫だよ、寧ろいまの西尾さんなら来てほしいし」
「だからあれは違うって、掴まれてるのが嫌そうだったからだよ……」
あの距離感のまま黙られると怖いから正直ありがたいことだった。
でも、メンタルクソ弱々人間だから結構どころかかなり傷ついたけど……。
仮にやってしまったと感じているのならちらちら見てきてもいいのにそれがなかったから。
さも最初からふたりでいましたよ~みたいな雰囲気で歩いていってしまいそうだった。
「そうよ、悪いのは舞菜だわ」
「えぇ」
いきなり現れたかと思えばそんなこと……。
彼女は西尾さんの方を見つつ「だって私の意思であなたのところに行っているのに『他にしたいことがあるんじゃないの?』とか言われたら複雑な気持ちになるに決まっているじゃない」と重ねていた。
味方にしてしまえば私にとっては最強の存在だから楽だと考えたのかもしれない。
「そんなことを言ってきたのか?」
「ええ、結局普段は色々と隠しているだけなのよ」
「なるほどな」
西尾さんに興味を抱いていると考えていたからだ。
そうでもなければ嫉妬するとか言わないだろうと片付けていたわけだけど……。
「美羽、人としては好きだけどそういう意味で好きじゃないからな」
好きなら無自覚でもなんでも動けてしまうだろうから信じて大丈夫なのかな?
ある程度関係が変わってから「実は好きだったんだ」とか言われてもどうしようもなくなってしまうぞ。
その頃には私の方だって変わってきてしまうだろうし……。
「ええ、けれどどうして急に?」
「それは舞菜が不安になって動けなくなるからだ、私はそれを邪魔したいわけじゃないからな――あ、だけど相手はちゃんとしてくれないと駄目だからな」
「ふふ、可愛い子ね」
「可愛げがあるのは舞菜だろ」
すぐうじうじするから可愛げなんか微塵もないと思う。
こればかりはいくら努力しても私が星谷舞菜をやっている限り変わらないことだ。
周りを巻き込んだり、ひとり傷ついたりを繰り返しながらこれからも生きていくんだろう。
「舞菜もだからな? 私の存在を忘れていちゃいちゃしてたらぶっ飛ばすからな」
「え、私も?」
「当たり前だ。つか、一緒にいる時間の長さは私の方が上だろ」
「ふふ。分かった、じゃあどんどん行かせてもらうね」
「ああ、最近は眠気とかもなくなってきたからどんどん来い」
それにしてもなんで急になんだろう?
彼女をまとう雰囲気は微塵も変わっていないからなんでか分からない。
本人にああ言ったことから、恋をしたからというわけではない、ないよね?
まあいいか、いまは私のことも名前で呼んでくれただけで嬉し、
「あれ? なんで私は廊下の柱に押さえつけられているの?」
嬉しかったり楽しかったりでやっぱりいいなと言おうと思っていたのにこれだ。
「どうして綾子が名前で呼んでいるの?」
「さっきからあんな感じだったよ?」
美羽のことだけ名前で呼んだら私が不安になってしまうからだ。
一応西尾さんを起こしたりしていたからそのお礼、なのかもしれない。
なにかをしてほしくてしたわけではないけど、いい気しかしないね。
まだあの遠回しの帰れ発言とびしっは気になるところだけどそれは片付けてしまおう。
「あれ、なんかいつもと違う匂いがするね」
「あ、そうなのよ、昨日新しいシャンプーを買ってきて使ってみたの」
「え、皮膚的に大丈夫なの?」
「特に痒みとかもないし、匂いも気に入っているから問題ないわ」
こっちは某社の物しか使えないから羨ましかった。
他者のやつを使うと痒くなったりそれはもう本当に酷いことになるからこれからも潰れない限りはお世話になるつもりでいる。
「クラス、同じだったらよかったのにね」
そうすれば西尾さんだって不安にならずに済んだ。
願ったところで変わるわけではないけど、来年は三人で一緒になれればいいな。
来年も楽しむためにはずっと仲良くしていくしかない。
できるかどうかは分からないものの、そのために頑張ろうと決めた。
「そうね。でも、遠いわけではないから」
「じゃ、また次の休み時間にでも」
「ええ、お昼休みは久しぶりにあそこに行きましょ」
「分かった、それじゃあまたね」
お昼ご飯を味わって食べるためにもいまは授業に集中する必要がある。
お腹が空いたりして敵も多いけどこれまた頑張ろうと決めたのだった。
七月になった。
あまり汗をかかない自分でもこの季節になるとはっきり暑いと感じる。
彼女は汗っかきのようで暑い暑い暑いと言いまくっていた。
「プールって面倒くさくね?」
「でも、やっておかないと溺れちゃうかもしれないし」
小学生の頃に遊びに行った川で溺れかけたことがあるから少し怖かったりもする。
何気に深いし、中学校と違って五十メートルもあるから辛いけども。
「いやほら、……剃り残しとかあったら恥ずかしいだろ?」
「ははは、綾子もやっぱり女の子だよね」
「さ、流石にそういうところはな……」
こういうときは男の子が羨ましいなーとか思ったり思わなかったり。
まあでも、私にとっての戦いはそこではないから生きるために頑張るしかない。
自分であんなことを言っておきながらあれなものの、いざ実際に溺れそうになったらなにもできないどころか慌てることしかできないから活かすことができていない気がする。
だからなんでこんなことをしなければならないんだとか考えつつ泳ぐことになった。
「ぷはあ!」
なんとかやりきって熱々のタイルの上に戻ってくることができた。
ふわふわしているあそこよりもまだ熱いタイルの方が幸せだ。
「舞菜……、私はずっと水に触れていたいぞ」
「本当に暑いのが苦手なんだね」
「ああ、それとほら……臭うかもしれないだろ?」
「大丈夫だよ」
「いやいや、汗をかく側は気になるんだ」
そうか、止めようと思っても止められることじゃないしね。
私が汗をだらだらかく人間だったら間違いなく自分の席で縮こまっていた自信がある。
それよりもだ、私はいますぐにでもこの格好から着替えたかった。
このままこの格好でいたら風邪を引いてしまうかもしれないし、そもそも私の水着姿なんて誰得なの? と自分で聞きたくなってしまう。
幸い割とすぐに終了となってくれたから急いで移動し、急いで着替えた。
「ふぅ」
やっぱり制服が一番だ、私服なんかよりもよっぽど安心できる。
……私でも少し可愛く見えるというのも影響していた。
「舞菜、先に行くなよ」
「あはは、ちょっと水着ではいたくなくて」
「気にする必要はないだろ、十分細いんだから」
細ければいいというわけじゃないんだー!
彼女や美羽みたいにお胸がないとそれはもう悲しいことになる。
そりゃもちろんそのうえで細いならもっと堂々としているけどさあ……。
「多分、美羽が見たら興奮してたと思うぞ」
「ないない! 私が綾子や美羽のそれを見て興奮するならともかくね」
正直、同性だろうが目のやり場に困るからああいうことは少なくていいかな。
自分に自信がないからこういうことになるんだろうけど。
でも、健康体で生んでくれただけで十分だった。
五体満足の状態でいられればいいことだってたくさんあるんだから。
「興奮、したか?」
「格好よかった!」
だって髪の毛をあまり気にしていないこと以外はもうやばいんだもん。
ぎこちなくでも抱きしめられたらドキッとしちゃうね。
あ、本当はこの子みたいな子が照れた方が可愛いのかな?
「……可愛いって言ってくれよ」
「そういうところすっごく可愛い! 乙女だね!」
「こ、声がでかすぎだ……」
調子に乗ってしまうとあれだからここいらでやめておく。
少しだけ待っていたら少し調子悪そうな感じで美羽もやって来た。
「……もう期末考査だから頑張らなければいけないのよ」
「だからって寝不足になるまでやるのは馬鹿だろ」
「……やっておかないと私は駄目なのよ」
結局誰だってなんらかのことで不安になってしまうんだろう。
私にしてあげられることはこれしかない。
「マッサージだよ」
「気持ちがいいわ……」
特に首の根本の部分とかが疲れるから気をつけつつ揉んでいく。
腕とかも酷使していそうだからもみもみと中枢へ向かってゆっくりと。
休まれたりしたら嫌だからとにかく少しでも楽な状態になってくれればよかった。
「美羽、ちゃんと寝て早く起きてやれよ」
「そうね、あなた達に会えなくなってしまったら嫌だからそうするわ」
「おう、私や舞菜だって美羽がいてくれなかったら嫌だからな」
おお、なんか友達らしいやり取りって感じがする。
そこに私も加われているというだけですごく嬉しかった。
あとはこうして合法的に彼女に触れられることだろうか。
いやらしい意味ではない、ないけど、ずっと触れてみたかったから願いのひとつが叶ったことになるわけで。
「いい子だね」
「綾子、これは私がする側ではないかしら?」
「いいんだよ、甘えるときがあったって別に恥ずかしいことじゃないだろ」
そのお礼として頭を撫でてみたら少しだけ怖い顔をされてしまった。
それでも綾子がフォローしてくれたことで怒られるようなことにはならずに終わる。
綾子にも後でしてあげようと決めつつ、いまは少しでも楽になれるように集中。
「気持ちいいけれどこれよりもっと回復に繋がることがあるわ」
「そうなの? 言ってみて」
「でも、綾子もしてほしそうな顔をしているからしてあげてちょうだい」
「分かった」
お世話になっているわけだからちょうどよかった。
というか、私にできることって本当にないから物理的にできるのは本当に助かる。
綾子は特に肩が疲れているみたいだったからそこをメインに揉んでいく。
「舞菜は結構力が強いんだな」
「お母さんとかお姉ちゃんにする機会が多かったからね」
父にもたまにするけど、そういうことをしていると母が怒るからあまりできていなかった。
娘といえども取られたくないという心理が働くのかもしれない。
母も働いてくれているものの、やっぱりメインは父が頑張ってくれているおかげだからなにかしてあげたいんだけどね。
でもまあ、結局は肩揉みとかそれぐらいしかできないからもどかしいところだけど。
「よし、ありがとな」
「わっ、なんか綾子ってお父さんみたい」
「せめてお母さんと言ってくれ……」
仕方がない、格好いいのが悪い。
その後すぐに予鈴が鳴ったから解散となった。
ところで、もっと回復に繋がることってなんだろう?
「これかあ」
放課後になったらすぐに分かった。
いやでも、なんで私は持ち上げられているんだろう?
ふたりより小さいとはいえ、そう変わらないから結構重いと思うんだけど……。
「一度こうしてみたかったの」
「それはいいけど体調は大丈夫なの?」
「ええ、大丈夫よ」
彼女はこちらを床に下ろすと椅子に静かに座った。
残念ながらそれで自分の椅子には座れなくなったから隣の椅子を借りることに。
彼女を見ているととてもじゃないけど七月には見えない。
秋とか冬とか、彼女のところだけ涼しそうに見えてくる。
「少し馬鹿だったわ、こういうところがあるから真似しない方がいいと言ったのよ」
「でも、頑張っているんだから責められることじゃないでしょ?」
「それで調子を悪くしていたら意味がないもの」
完璧主義――とまではいかなくてもある程度きっちりしていないと嫌なのかも。
人間なんだから調子が悪くなるときなんてたくさんある。
しっかり寝ていても悪くなる可能性もあるし、夜ふかしを続けていても全く問題ない可能性だってあるんだ。
「読書とかでそうなっているわけではないんだからいいんだよ」
「前回も同じことをしてしまって気をつけなければならないと考えたの。けれど、その結果がこれなのよ?」
「だ、だから、それもまた勉強でそうなっているだけなんだからいいんだって」
「甘いわね」
私なんかふたりより頭がよくないのにゆっくりしているんだし。
向上心もなく、赤点を取らなければおっけー程度の思考しかしていない。
それに比べれば彼女は遥かにマシ――どころか、遥かに最高だ。
あとね、こういうときに必要なのは自分を責めることではなく褒めることだと思うんだ。
「自信を持ちなさい、あなたが悪く考えるのは似合わないわ」
「ふふ、なに真似をしているのよ」
「いいんだよ、頑張っているんだから褒めてあげればいいのっ」
お前はもっと自分に厳しくしろよ、などと言われても嫌だからこれで終わりにした。
やってしまったと思ったのならこれから変えていけばいいんだ。
普段ごちゃごちゃ考えているから分かる、そういう思考は絶対にいい方へはいかないと。
だからこそ大切な友達に同じような思いを味わってほしくないんだ。
とはいえ、私と彼女では内のレベルも違いすぎるから余計なお世話なのかもしれないけどね。
「ありがとう、少し気が楽になったわ」
「うん」
……今日帰ったら勉強をしよう。
平均点ぐらいは余裕だけど、余裕ぶっこいていたらどうなるのかなんて分からないし。
赤点を取ってしまったら気持ちよく夏休みを満喫できないからその方があれだ。
ただ、私は完全に暗記型だからテスト本番日に近い方が好都合なんだよなあと。
だってあまりに早く覚えすぎると本番には抜け落ちていることもあるぐらいで……。
「ところで、あなたは大丈夫なのよね?」
「大丈夫!」
結局自分ひとりで頑張って結果を出すしかないからこれでよかった。
私が誰かと一緒にやるなんて雨が降ってしまうかもしれないから駄目なんだ。
なんてね、どうせ集中するから集まる必要がないだけだった。
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