第7話 めんどい探偵としっぽり温泉未遂

「コバヤシくんさあ」

「はい」

「ここの領収書、警察の名前で切ったんだよね」

「…はい」

「で、これ?」


二人の前には、ぴったり並べられたふた組の布団。鄙びた温泉旅館。つやつやと磨かれた床の間の柱。

窓の外には紅葉の絶景だ。


「あいつらバカなの?ちょっと文句言ってきてやるよ」

腕まくりした探偵が部屋を出ようとすると古林はその袖を掴んだ。

「なにすんだ、止めんな」

「先生ごめん、今回経費おりなかったからオレ、自腹なんス!」

「なぬ?」

古風にコケた探偵の前で、古林は頭を擦り付けるようにいつもの土下座だ。

「あと、見てもらいたいって言ってたのも殺人現場じゃないんス、ここです」

「あ、あんだと」

「昨日渡した資料の犯人が泊まったとされる部屋、ここなんです」

「騙したな。また騙したな」

「でも宿泊の予約はちゃんと取ってます!」


探偵は納得いかない顔の腕組みで古林の後頭部を見下ろしている。いい加減黙っていたがようやく口を開いた。

「なんかいっつも、キミの後頭部とばっか喋ってる気がするな」

ふん、と小さく笑って探偵は布団をまたいで窓際へ歩いた。

「じゃあ先生!」

「そのままのポーズ!」

「はい!」

体を起こそうとした古林を手で制して探偵は腰掛けに座る。


「なんだ、めんどい話だな。先に資料の登場人物の説明しとけよって思ったけどそういう話か、これ。公に捜査できないんだね。だから領収書も切れない。で、キミが自腹を切るってことはアレだろ。この部屋に泊まった横田なんちゃらってのはこの間更迭された例の部長か。そうか、別件で殺人の罪を着せられたか」

古林は返事をしない。

「所詮仕事だろ、なんでそんな他人のために自腹を切るかね。しかも一泊36000円の温泉。なんかその部長に弱みでも握られてんの?」

古林は答えず、ある種美しいとも言える土下座を崩さない。

「ま、どうせ今のタイミングで罪を着せられてるんなら五十嵐事件の捜査止めろってメッセージだろ。だったら無駄だよ、この部屋を調べたって部長さんの無実の証拠なんてなんも出てこない。濡れ衣の証拠もだ。五十嵐事件と違ってこっちは用意周到に準備してあるからね。凶器はここで部長さんの荷物に入れられたんじゃないよ」


探偵はふう、と息を吐いた。古林は彫像だ。


「あの五十嵐事件ってのもめんどい事件だよな。どうせ犯人は国会議員の鮫肌何某だろうけど、事件の日は訪日した大使と料亭で会う予定だったんだっけか。もうそのアリバイの件は諦めるしかないね。完璧に根回し済だ。ていうかアリバイ本当だしね。でも、ってことはさ、あの子供は、横浜で殺されたんじゃなくて、料亭で殺されたって考えるのが普通じゃないか。で、その証拠を掴んだキミんとこの部長がハメられて捕まった。無実の証拠も、冤罪の証拠もない」

古林が土下座したまま絞り出すような声を出した。

「横田さんは、オレの、恩人なんス」

「こっちだってずいぶん助けてやってるだろ。情けない声出すなよ、ほら、顔上げて」

古林の顔を見て探偵は一瞬、言葉に詰まった。


「なんだ、なんだよ。もう」


つい、と横を向いて、あるとしたらここかな、と手を伸ばして籐のテーブルの裏を探る。

「じゃ、じゃ、じゃーん。なーんだこれ」

魔法のように探偵の手にあらわれたのは、microSDカード。

「部長さんの無実の証拠はなくても、五十嵐事件の証拠だけは残ってたりするんだよなあ」

古林が口をパクパクさせた。

「公安出身の連中ってみんなここに隠すのな。君んとこの部長も公安出身だろ。あれって研修とかで習うの?もうバレバレだからやめたほうがいいと思うんだけど」

「せ、先生ぇ」

「コバヤシくん、どうせもう、飯も食わないですぐ帰るんだろ、せめて布団だけは離して敷き直して、宿の人に説明しておけよな」


先生、オレ、先生がピンチの時には絶対助けますからね!と大急ぎで布団を敷き直しにかかる古林の尻をちょっと不機嫌そうに眺める探偵。

すっくと立ち上がり、そしてスパァンと綺麗な音を立てて決まる探偵のローキック。もが、と布団につんのめる古林。

窓の外の紅葉。日暮。

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