まがいもんとほんまもん
「美帆・・・・・・ねえ,美帆ったら!」
へ,と間の抜けた声とともに,今自分がいる場所を理解してパニックに陥った。
体が沈むように柔らかいソファに座っている私の顔を,心配そうにこと葉が覗き込む。
こと葉とは大学からの中で,関西から一人で上京した私を気にかけてくれたのがきっかけで仲良くなった。以来,大学卒業後も定期的に会っている。
「ごめんやん。ほんで,何の話やっけ?」
「急に気を失ったみたいになったと思ったらなに? 具合でも悪いの?」
疲れてるんじゃない,とこと葉が言った直後,後ろで女の人と従業員の叫ぶ声が重なった。
驚いて振り返ると,その光景に息を呑んだ。
コーヒーを運んでいた店員が誤ってお客さんにこぼしてしまったようだ。店内は従業員が慌ただしく動いて対応をしている。
白のカーディガンとハイブランドのバッグに染みができているようで,女性客はかなりご立腹だ。
この光景,一ヶ月前ほどに出くわした場面と酷似している。いや,女性の服装も横に置かれたバッグも,泣きそうな顔で頭を下げている女性授業員も,全てが同じだ。
なんやんねんこれ。ほんまに過去に戻ってへん?
まだ信じきれない私にそのことを確信させたのは,こと葉の言葉だった。
「あーあ,ありゃ相当へこむね。頑張れよアルバイトちゃん。人生なんて・・・・・・」
「死ぬこと以外はかすり傷」
私とこと葉の声が重なった。一瞬訝しんだこと葉は,ただの偶然だと思ったのか「私の思考はお見通しってわけね」と言ってコーヒーカップに手を伸ばし,香りを楽しんで美味しそうに飲んだ。
やばいやん。ほんまに過去に戻ってきてる。これ,美帆に言ってもええんかな。いや,絶対信じひんやろし,ほんまに頭おかしなったと思われて病院に連れていかれるかもしれへん
「何よ〜難しい顔しちゃって。それで,美帆はどうしたいの? 卓也さんと」
そうだ,卓也さんとの関係に悩んだ私は,今日の夜卓也さんと会う前に美帆に相談を持ちかけていたのだ。このまま関係を続けるべきか,それとも・・・・・・
「そこやねん。私は卓也さんとずっと,これからも一緒にいれたらな最高やなって思うねんけど,卓也さんがどう思ってるかイマイチ掴みきれへんくて」
ディズニーみたいな真実の愛はないでしょ,と笑いながら美帆は言う。「やんな。夢見がちやねん」と笑い返してコーヒーをすする。コーヒー飲んでもいいのかな,と考えていると,「でもね」と美帆は真剣な顔つきになった。
「まがいもんは,ほんまもんにはかなわんのよ。ってうちのばあちゃんがよく言ってるわ。卓也さんの愛が,まがいもんかどうか見極めてやりなさいよ」
美帆が決めたならそれが正解,となぜか自分の胸を叩くこと葉にツッコミを入れて,私たちは笑い合った。
こと葉の言葉を胸に,私は今日,卓也さんに会いに行く。
そして,あの時は伝えられなかったことを,聞きたかっとことをこの耳で聞こう。そう決意した。
繁華街から少し外れた路地にあるイタリアンレストランの前に着き,一つ息をつく。
こと葉と別れてから,卓也さんと約束していた場所に着いた。
お店の前に置かれている仰々しい観葉植物を見ていると,不意に扉が開いた。
「いらっしゃいませ。ご予約のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
塚原で予約が入っていると思います,と告げると,整髪剤で髪を小綺麗に整えた男は「少々お待ちください」と言ってタブレットで予約の確認を始めた。
「確かに承っております。先に中でお待ちになりますか?」
お願いします,と答えると,爽やかに席まで案内してくれた。
気持ちの良い接客に「ありがとうございます」と笑顔で答えたものの,気分は全く晴れなかった。
そや,あの日の私もこんな気分だったんよな。今と同じで。
今日もなんやな,と思うのが正直な気持ちだった。というのも,出会ったばかりの頃は何よりも私のことを優先させて考えてくれていたのに,今は仕事が忙しいのもあるのだろうけど,今日も遅刻するのだろうし,実際したのだ。
「ごめん,待たせたね」
案内してくれたスタッフが,少なくなった私のグラスに水をちょうど注いでくれているところに,卓也さんは現れた。
「全然,私も遅刻して焦ってたところやってん。やし,ほんま絶妙なタイミングやで」
「いらっしゃいませ。メニューをお持ちしますので少々お待ちください」
スタッフは私に柔らかい笑顔を向けて,颯爽と去って行った。優しさを感じるとともに,自分が惨めに思えてきた。
「こうやってゆっくりご飯を食べるのも久しぶりだね」
卓也さんが選んだコース料理を,シャンパンで乾杯して白ワインで味わった。
私のメニュー表には値段が書いてないから分からないけど,結構な値段がするに違いない。
あの日の私は有頂天になって食事を楽しみ,ワインをお代わりしたけれど,今日の私は違うんだ。飲みすぎないようにして,ちゃんと卓也さんと向き合わないと。
そして,あの日は知らなかった事実も打ち明けて,話をしないと。
そう強く誓い,器用にナイフを使う卓也さんを上目遣いで見ながらナプキンで口元を拭った。
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