第弐話

 フタフタマルマル。

 駐屯地から十キロ程離れた、夏山市郊外。

 ベッドタウンであるこの地域で、連日吸血鬼が出現している。幾つかの中隊が討伐を試みたが、その度に返り討ちにあってきた。

 そんな怪物を、今度こそ打ち倒すべく計画された作戦行動が、遂に開始してから、早二時間。

 ニ時間前、半径三キロの球状の結界が構築された。中にいるものを逃さないためのもので、外からは入れるが、中から出るには外部の協力が必要である。その中こそが作戦区域で、周囲は霧に覆われているが、神衛隊の精鋭達にとって、それは気に留める必要も感じない程度のものだった。

 作戦区域内に、一般人はいない。郁花は宣言通り、避難を間に合わせた。これで、最悪の場合はここを更地にしても良いことになる。人死にさえ無ければ、この際他は仕方がない。

 瑠羅は、その結界の外にいた。

私達わたしが変に出張って君の手柄を横取りしてはマズい。幸い私達わたしはここからでも見えるし、攻撃も出来る。中に入るより、余程君の助けになれるよ」

 というのが瑠羅の言い分だった。

 知っての通り仮面で顔の上半を隠している彼女、奈以亜瑠羅の考えを読むことは、余人には不可能である。だが彼女の言葉には、不思議と安心して任せても大丈夫と思えるような何かがあった。それ故、郁花は彼女を信頼して後衛を任せた。

 標的は狙い通り現れ、袋の鼠となった。他に襲うべき人もおらず、自然と神衛隊員に襲いかかったことで戦端が開かれ、以降現在に至るまで、吸血鬼及びその眷属と、神衛隊員及び非人間兵士達による縄張り争いが続いていた。

 神衛隊の人手は少ない。ただでさえ決して多くはない魔術師の中から、戦闘向けの人材を探すのは至難の業だ。そもそも魔術の用途は戦闘ではないのだから、当然と言えば当然のことではある。

 しかし、街に現れる敵性、即ち魔物・魔獣の類は数が多く強力で、少ない人手では対処しきれない。そこで考案されたのが非人間兵士というわけだ。士官のみ人間で、その者が兵士達の指揮を執るという形で隊が形成されている。

 知性の低い敵性が相手なら、或いは人と関わりの深くない敵性が相手であれば、非人間兵士と人間の士官との区別はつかない。総角あげまき明菜あきななる天才魔術人形師による傑作を基にして造られた兵士達は、それだけ精巧に出来ていた。

 だが、今度の敵は、知性が高く人間を襲う吸血鬼である。人間と非人間の区別が、出来てしまう。それ故に、神衛隊は苦戦を強いられていた。

 兵士なら幾ら破壊されようが補充可能だが、人間の士官はそうもいかない。指揮を執る者がいなくなれば、兵士達の統率もとれない。彼らには自我のようなものがあり、自律思考は可能だが、統率のとれていない兵士など、烏合の衆に過ぎない。そしてそのようなものが、吸血鬼の如き怪異にとって何ら脅威でもないことは、想像に難くないだろう。

 数の利を簡単に潰され、戦い方の見直しを迫られた郁花は、部隊を小隊ごとに分け、一気に全滅することを避けるという決断を下した。各個撃破の危険性は無視できないが、それで時間を稼ぐ間に瑠羅の助けを得ようという算段である。

『その先の広い公園だ』

 耳に装着した装置から、同僚友人の声がする。

 簡単に「その先」などと言ってくれるが、公園へ入れる道が目の前にあるわけではない。マンションをいくつか飛び越えて行けということらしい。

 幸い、今の郁花は単独行動中である。部下がついてこられるかを気にする必要はない。

 グッと踏み込み、魔力を脚に集中。地を蹴るのと同時にそれを放出し、常人には不可能なハイジャンプを軽々とやってのける。

 同じ要領で跳び続け、遂に目的の公園に到着した。しかし、先に瑠羅が言っていた通り、比較的広い公園である。取り敢えず中央の広場に着地したが、周囲に吸血鬼の姿はない。

 その時、首筋に鋭い痛みが走った。同時に両肩を強く掴まれる。どちらが先だったかは分からない。それほど迅速だった。

 何がおこったか理解するよりも早く、やられた、と思った。それから漸く、何を、という疑問。

 首は痺れるような感覚があるのみで、動かすことも出来ない。しかもその痺れはみるみる間に広がり、既に上半身は殆ど動かなかった。

 やがて全身が動かなくなり、それから幾ばくかして、郁花の体は解放された。尤も、支えを失って倒れただけとも言えるが。

 そんな状態であったがしかし、五メートル程後方に現れた足音は聞き逃さなかった。

「まだ意識はあるかい?」

 すぐ後ろのが振り返るのを、足音で感じた。

「四肢は動かないだろうが、意識を奪う程のものではない。会話も可能だろう」

 背後のそれは朗らかな声で応じた。

「それはよかった。意識のない奴と話しても仕方ないからな」

「面白いことを言う。貴様、ワタシを殺す気があるのか? 先程も、どこにいても聞こえるような通信で出鱈目な場所この公園を示していたな。この女を餌にワタシを釣り出そうというなら分かるが、それにしては現れるのが遅い」

 背後のもの――明らかに、これこそが吸血鬼――が、今度は怪訝そうに言った。

「勿論最終的には殺す。しかし物事には順序ってものがある。だから、今はもう行っていいよ」

 瑠羅は郁花の方へ歩み寄りながら言った。見えていなくても間違えようがない。郁花にとって瑠羅はかけがえのない友人なのだから。

 瑠羅の言葉を受けてだろう、背後の吸血鬼の気配が消えたのがわかった。

 瑠羅は郁花のすぐ後ろで止まった。手にした赤い大鎌の柄で郁花の肩を小突き、横向きに倒れていた体を仰向けにさせた。

「吸血鬼は自分の体を霧に変えることが出来る。知っていただろう?」

 上から覗き込むようにして、瑠羅が言った。

「瑠羅、私はいいから――」

「いいや、君が先だ。全軍の指揮を執る君がヤツの眷属になるのは、マズいなんてものじゃ済まない」

 瑠羅はキツい口調で遮った。

「手間を、取らせるわね……」

 瑠羅は頭を振った。

「問題ない。全て予定通りだ」

 不可解な言葉を聞いた気がした。

「……予定通り?」

「そう。そもそも何故あんな吸血鬼がこんな極東の島国に現れたと思う?」

「欧米から渡って来たのでしょ」

 それ以外には考えられない。真祖の眷属なのだから、ここで発生したわけではないし、真祖が来たという報告は無いから、あの吸血鬼が単体で来たのだろう。何故かは分からないが。

「その通りだ。ヤツは、私達わたしの眷属に追われてここまでやって来た。このタイミングで現れたのも、この夏山市に現れたのも、全て私達わたしが計画したことだ。そして今日、君をここへ誘い出すに際して場所を平文で戦場全体に送信した。それによってヤツは、ここへ指揮官が来ると分かって待ち伏せをした。これも私の想定通りだ」

 瑠羅は淡々と説明した。

「そこまで分かっていてどうして――」

「勿論遅れて来たのもわざとだ。君がもう助からず、かと言って完全に吸血鬼にはなってしまわないタイミングを狙って来た」

「そんな……」

 裏切り、という文字が頭の中で赤く点滅した。

「まァ運命か、生まれの不幸を呪うといい。君はいい友人であったが、君のお父上がいけないのだよ。……実際君には何の恨みも無いが、お父様に思い知らせるにはこうするしかなかった」

「お父様に……?」

 瑠羅は空いている左手で、顔を覆う仮面を更に覆うようにした。その手を顔から離すと、仮面は左手に吸い付いたかのように共に離れた。

 作り物のように美しい顔が、郁花の顔を覗き込んだ。

「貴女、は……!」

 郁花は息を呑んだ。全てを悟って。

「昼間言っただろう? 次は君だと。私達わたしならそうすると」

 黒縞瑪瑙ブラックオニキスのように美麗な瞳には、如何なる感情も浮かんではいなかった。

私達わたしも別に好き勝手出来る立場じゃない。どうにも助けられない状態にしなければ、君を排除することは出来ないだろう。だからこういう手段をとった。しかしね、さっきも言ったように君には何の恨みも無い。だから、ここで失敗すれば見逃すつもりだったし、そうあって欲しいと思って助言すらした。結局予定通りになってしまって残念だよ」

 顔が見えるようになっても、表情から感情が読めないのは変わらなかった。しかし、郁花はなんとなく、瑠羅は本当に残念に思っていると感じた。

「申し訳ありません、お――」

「止し給え。今更君からそんな呼ばれ方をしたくはない。他人行儀にして欲しくて正体を見せたわけじゃあないからな。さて、何か言い遺しておくことは?」

 郁花の言葉を遮った瑠羅は、腰のホルスターから拳銃を抜いた。

「……お父様は強いお方です。お気を付けて……」

 郁花がそれ以上喋らないのを見て、瑠羅は引き金を引いた。弾倉が空になるまで。

 郁花は動かなかった。

「……分かってるさ、そのくらい」

 瑠羅の呟きは、霧に溶けるように吸い込まれていった。


 フタフタサンマル。

 瑠羅は吸血鬼と対峙していた。

 仮面は着け直され、再び顔は隠された。

 手には大型のリボルバー。小柄な瑠羅にはやや大きすぎるようにも見える。それを構えるでもなく、ただ携えていた。

 吸血鬼が一歩踏み出した時、瑠羅はそれを合図にしたかのように銃口を向け、発砲した。

 轟音と共に弾丸が吐き出される。

 吸血鬼は右手を前に突き出して防御したが、衝撃を殺すには至らず後ろに吹き飛んだ。

 瑠羅はその隙に接近し、更に銃撃を加えた。

 一発、二発、三発、四発。

 吸血鬼の右腕が千切れ飛び、左脚が弾け飛んでいた。

 それでも吸血鬼はまだ生きていた。吸血鬼は手脚を再生させながら、反撃に転じようとした。

「遅いな」

 瑠羅はそう言って、吸血鬼の腹に拳を叩き込んだ。

 吸血鬼は声にならない悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちた。

「済まないね、私達わたしの右腕は特別製なんだ」

 いつの間にか、彼女の右手を覆っていた赤い手袋は外されていた。

 袖口から覗いていたのは、銀色に輝く腕。

「銀……いや、魔法銀ミスリルか!」

「ご明察」

 瑠羅は微笑んだ。目元の隠れたその笑顔はどこか不気味だった。

 ミスリルとは魔除けとして有名な金属である。

 錬金術師が作り出したこの金属は、魔力を蓄えて変質させる性質を持っている。そして瑠羅はこの力を自在に操れるようになっていた。

 いわば、魔物特効金属。それを腹部に突き込まれれば、流石の吸血鬼といえどもただでは済まない。

 郁花がわざわざ瑠羅を呼んだのは、彼女にはこういう切り札があるからだ。

「人間風情がよくも――!」

「元人間が偉そうに」

 銃声が轟く。頭部が吹き飛び、崩れ落ちる吸血鬼。

「立てよヴァンパイア。我々の目的は闘争だ、そうだろう? 血沸き肉躍る、命のやり取りだ。お前は私達わたしを殺さなければ生きられないし、私達わたしはお前を滅ぼさなければ生きられない。まだ幕引きには早いんじゃあないか?」

 瑠羅が煽ってから数秒ほど間をおいて、吸血鬼の頭部は復元された。

「ハ――」

 瑠羅が愉快そうに口を開いた。

 その瞬間。

 瑠羅の額に弾丸が命中した。


 吸血鬼は全てを黙って見ていた。

 嬉しそうに開かれた口。額の中央を貫いた銀の弾丸。吹き飛ぶ後頭部。狙撃された彼女が後ろ向きに倒れる。

 目の前の人間、噂に名高い「赤の女王」奈以亜瑠羅は死んだ。吸血鬼も当然、彼女のことは知っていた。どこからでも目立つ真紅の制服。同色で踝ほどの丈のある分厚いロングコート。顔の上半を覆い隠す仮面。真雪の如き白い肌。黒檀のような黒髪。血のように赤い唇。

 そんな容姿に当てはまる人物が二人といるはずがない。

 死んだ。殺した。殺させた。

 先程の狙撃は無論、彼の眷属によるものだ。この地域に現れた神衛隊員は、現時点で死亡している者を除き、全て彼の眷属となった。折角得た手駒を人間への盾にするのは勿体ない、という理由で瑠羅の前には出さなかったが、少し離れたところに待機させていた。初めのうちは瑠羅も吸血して眷属にしようと考えていたが、ミスリルの腕を見て気が変わった。近付くのは危険だ。ならば撃ち殺してしまえばいい。妙な仮面で顔は隠れていたが、貫通力を魔術によって高めた弾丸の前では紙も同然の防御力だ。拳銃なら彼も持っていたが、それではあの仮面は壊せそうになかった。

 正直にいえば、強敵であった。強大な力を持つ吸血鬼である彼も、死に対する恐れはある。先程まで、ハッキリとその気配を感じていた。それを切り抜けたことで、彼は大きく安堵していた。

「フ、フフフ――」

「!?」

 声がした。瑠羅の方から。だが瑠羅のものではない。彼女は死んだはずだ。そもそも声が似ても似つかない。瑠羅は少女と言っても通用する声だったが、今の声は明らかに壮年の男性のものだ。だが、どう見ても瑠羅の口から発せられている。

「脳を砕かれたのは久し振りだな、小娘。お前が今まで殺してきたのはあくまでも人間、未だお前の肉体は虚弱貧弱無知無能な人間どもと何ら変わらんということを常に意識しておかぬからこうなるのだ」

「何、何を……」

「嗚呼、気にするな吸血鬼ヴァンパイア。貴様に向けた言葉ではない。これはこの愚鈍な小娘への伝言メッセージだ」

 瑠羅の体は時間を巻き戻すかのように不自然に立ち上がった。吹き飛んだ後頭部も元通りに戻っている。

 だが、仮面は失われた。そこにあったのはヒトの顔などではない。額に、もう一つ眼が在る。それは上下に開く通常の眼と異なり、左右に開いていた。そして、それら三つの眼はいずれも燃え上がっていた。

 吸血鬼は、その異様な相手の様に恐怖を覚えた。先程までよりも強い死の気配に気圧されたのもある。

「誇るがいい吸血鬼ヴァンパイア。この五年間で脳まで破壊せしめた敵性はなかった。暫くこの小娘の意識は戻らぬ故、代理として貴様は私が殺すことにする」

 瑠羅の体を動かすモノは、そう宣言した。

 眷属に指示を送る。待機していた眷属達が一気に集結するが、安心感は生まれなかった。

「出せる限りの力を奮え吸血鬼。ともすれば私にも届くやも知れんぞ」

 瑠羅は虚空から銃を取り出した。

 古い小銃だということはわかったが、彼は全く知識を持ち合わせてはいなかった。

「二十発入っている。全弾撃ち終わった時に生きていれば、見逃してやろう。或いはもう一度私を殺しても善い」

 銃口が向く。

 再び眷属に指示を送った。何百という数の銃弾が、瑠羅へ向かって飛ぶ。

 確実に蜂の巣になる。そのはずだ。

「無駄だ」

 瑠羅は一発目を撃った。傷一つない体で。

 確かに命中はしている。しかし、傷がつかない。肉を抉れず、血を撒けず、骨を砕けない。

 一方で、瑠羅の放った銃弾は、狙い過たず彼の心臓に直撃した。

 これでは保たない。そう直感した。心臓に撃ち込まれても、一撃では死なない程度の力は持っている。しかし、あくまでも一撃目は耐えられる、という程度であって、何度も当たって生きていられる訳ではない。それは彼自身が一番わかっていた。

 既に一撃は受けた。もう一度当たれば命はない。

 眷属達に指示を出し、即席の壁を作る。足止めと、弾を無駄遣いさせるのが目的であった。

 しかし、その思惑も叶わなかった。

 瑠羅は、或いはそれを動かす何者かは、一瞬の間に左手で真紅の大鎌を持っていた。眷属の壁が瞬く間に薄くなっていくのが見える。

 吸血鬼は最早立ち尽くしていた。迫りくる死に対抗して何になるのか。

「何だ、もう終いか」

 瑠羅の体は相変わらず男性の声で言った。鎌は既になかった。

 銃口を突き付けられると共に、装着されていた銃剣が突き刺さった。

 霧になれば逃げられる。だが、この場から逃げて何が出来るか。結局結界を破ることは出来ない。いずれは追いつかれる。

「詰まらんな、少しは楽しめるかと思ったのだが」

 瑠羅が引き金を引く。フルオートで銀の弾丸が発射され、呆気なく吸血鬼は第二の生を終えた。

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