第肆話

散歩にはいい夜だなNice night for a walk, eh?

 後ろから声がした。ハッとして振り返る。

 そこには、一度見れば忘れられないだろう女が立っていた。

 魔性の白い肌。黒曜の如き黒い髪。炎のように赤い唇。

 そして何より、その身を包む真紅の軍服。顔の上半を覆う仮面。

「……その台詞は、殺される側が言うものだよ」

私達わたしを殺しに来たくせによく言うよ。それに、話しかける側が言う台詞でもあるぜ」

 八年前と変わらぬ調子で、軽口を叩く。それは出合いの挨拶のようなものであり、同時に別れの挨拶でもあった。

「君が切り裂きジャックだな、七島少尉。いや、折角だ。玲と呼ぼうか」

「やっぱり分かってたんだ」

橋姫紫音ホームズのおかげでね。アイツが見付けて私達わたしが殺す。そういう作戦さ」

「……変わったね、瑠羅」

 以前の、八年前の彼女なら、体制側につくことは有り得なかった。それが、今や神衛隊少佐だ。しかも二つ名付きの英雄。

「君も大概だけどな。よりにもよって白狐とはね。まぁ、私達わたしが推薦したんだから責任は私達わたしにあるか。しかし、此処に許可なく入ってくるのは頂けないねえ」

 瑠羅は肩を竦めた。

「……まるで自分の持ち物みたいに言うね」

「そりゃあ私達わたしのものだからねえ、この城」

「!」

 瑠羅はにんまりと笑い、両手を広げた。

「君も知っていると思うが、私は器のようなものだ。死んだ人間の存在を注ぎ込む器。この城で死んだ者達全てが、私に注ぎ込まれている。私が唯一愛した彼も、それを殺したアイツも、君の想い人も、彼を殺したあの騎士も、全て!」

 瑠羅は手を降ろした。あたりの気温がいきなり数度下がったかのような寒気を覚えた。

「そうして私達わたしは生まれた。私達わたしを構成する要素の中に、この城の持ち主も含んでいる。だから今や、私達わたしこそがこの城の所持者だ」

「そんな横暴……」

「違うな。言っただろう、存在が注ぎ込まれていると。私達わたしは既にそれらの人物そのものだ。彼らのものは全て私達わたしが引き継ぐ。モノであれ、力であれ。さて、私達わたしは自分の拠点領域に入った者を生かして帰したりはしない。勿論、旧知だろうと容赦はしない。加えて、今しがた殺されて生き返って帰って来たところでね。日にそう何度も殺されちゃ堪らない」

 瑠羅は腰の剣に手を伸ばした。玲はナイフを握り直した。

 弾けるように駆け出す。狙いは瑠羅の首元。体は駄目だ。あの制服には攻撃が通らない。だからまず喉を掻き切る。

 スッとナイフが入ったかに思えた。狙い通りに。だが、その感触は妙だった。余りにも硬い。すぐに動かなくなった。

 右腕を掴まれる。何故か横から。

「この城を造った奴は魔術師でね。幻術が最も得意だった。ソイツも既に私達わたしの一部だ。君が斬りつけたのは、ただの石像だ。ナイフがそこまで入ったのは驚きだったけど、無駄なことだね」

 景色が変わった。ナイフは、何か悍ましいものを象った石像を、一センチほど斬りつけて止まっていた。そしてそれを握る右腕は、瑠羅の左手によって掴まれていた。

 初めから、瑠羅は横にいたのだ。

「速さもパワーも上がったね、玲」

「今それ言う? 完全に嫌味だよ?」

 先程からめいいっぱい力を込めているが、掴まれた右腕はピクリとも動かない。

「そりゃあねぇ。敦の怪力だって私達わたしのものだ。君じゃ振り解くことは出来ないよ」

 力で敵わないと理解した玲は、右脚で思い切り蹴り上げた。瑠羅が一瞬にしてその体を非物質化したので、玲の脚は空を切った。しかし、腕は解放される。

「互いに最愛の人を亡くした者同士、ちょっとは仲良くしようよ」

 五メートル程離れて肉体を再構築した瑠羅が言った。

「……その気もないくせに」

「バレてたか。でも前半は事実だろ。何もいきなり斬り込んで来なくてもいいと思うな」

「一緒にしないで。私は想いを伝えることすら出来なかったんだから」

 絞り出すような声で玲が言った。

「そもそも私を生かして帰さないって言ったのはそっちじゃん」

「あは、違いないね」

 瑠羅は腰のベルトに提げた剣を抜いた。それは斬るにはあまりにも細く、専ら刺突に用いるべきものなのは明白だった。

 玲も同様の剣を作り出す。かつてはナイフしか作れなかった彼女も、今では刃物ならだいたい作れてしまう。

 先に動いたのはやはり玲だった。

 滑るような動きで瑠羅の元へ駆け寄り、最小限の動きで剣を突き込む。瑠羅はそれを右腕で防いだ。

私達わたしの腕は特別製だ。そう簡単に壊せはしないよ」

 実際、基本的にはミスリルを使用しているが、一部の重要な内部構造はそれより硬いアダマンティンで出来ている。ミスリルですらダイヤモンドに比肩する硬さを持つのだから、破壊は非常に困難である。元々は全てミスリルで作られていたのだが、左右の腕の重さを均等にするために、重りとしての役割を兼ねてアダマンティンを取り入れたのだ。もっとも、そういった神秘世界特有のものにあまり詳しくない玲には、なんだかやたら硬い金属、くらいの感想しか浮かばない。

 玲は剣を捨てた。リーチは長いが、その分重く、速度が出にくい。それではまた防がれてしまう。だったら、最早体の一部と言ってもいいナイフを使う方が勝算はある気がする。

 強く踏み込む。飛ぶように駆ける。何も持たないまま攻撃を仕掛け、当たる直前でナイフを創造する。それは彼女のやり方を知らない者に対してはある程度以上の効果を期待できる戦法ではある。だが、残念ながら眼前の女は七島玲の戦い方を熟知したプロである。

 ナイフが届く直前で上体を少し後ろに下げ、目の前を通る腕を左手で掴んだ。万力のような握力で締め上げられ、玲は堪らず手を開いた。落ちるナイフ。

 そのまま片手で投げ飛ばされ、背中から城壁に激突した。

 全身を駆け巡る痛みに耐えながら立ち上がると、瑠羅は剣を左手に握ったまま歩み寄って来ていた。体を動かせるようになるには、まだ数秒かかる。逃げる術はなかった。

「あ」

 瑠羅は何かを思い出したように声を上げ、足を止めた。

「そういえば、流血無しで処分するように言われてたんだった」

 明白あからさまに不服な顔をしながら剣を納める。

 恐らく、玲が今回の切り裂きジャックであることと同時に、彼女の裏にいる者の狙いを聞かされているのだろう。

 この夏山市は、円を描くような形の地霊脈流、即ち大地を流れる根源魔力エーテルによって囲まれている。黒幕はその地霊脈流を利用して、町そのものを飲み込む巨大な魔術陣を描いている。そのためには、人の命と魂の通貨である血液を、魔術陣の要所に振り蒔く必要がある。そしてそれは新鮮なほどよく、男性より女性がよく、ただの魔術師よりは神の力の混ざった者の血がよい。

 それが発動するとどうなるのか、玲も知らされてはいない。ただ新たなる主人であるの命に従って標的を殺めるのみ。ただ、これ程大規模な魔術陣を使って夏山市が無事で済むとは思っていなかった。

 一方の瑠羅は――玲の知る限り――魔術連盟というより、この街のためにその強大すぎる力を奮う。戦闘狂ではあるが、それ以上に舘田たちだ祐翔ひろととの思い出の場所を失いたくないという想いが強いのだろう。彼こそ、彼女が唯一人だけ愛し愛された男性なのだから。

 街を危険に晒した以上、瑠羅は徹底的に潰しに来る。その証拠に、納めた剣が形を変え始めた。

 姿を変えた剣を引き抜く。その剣には、確かな見覚えがあった。

「懐かしいだろう? 太陽の騎士ガウェインの愛剣ガラティン。忘れられるような代物じゃあないよね、殊に君にとっては」

「……あの人を焼き殺した剣」

 瑠羅は微笑で以て肯定した。

 玲は奥歯を噛み締めた。それは彼女にとって強い感情を圧し殺すための仕草だった。

 恐らく誰もが分かっていることだが、瑠羅は性格が悪い。何をすれば相手が嫌がるか分かっておいて、敢えて実行する。ただただ刹那的な楽しみのためだけに。だが、今、玲に強い恐怖を与える剣を持ち出したのは、単に楽しむためではあるまい。玲をもまた、その剣で焼き殺そうという魂胆であるのは明白だ。

私達わたしの中で聖司せいじに会わせてやるよ」

 瑠羅が剣を構えながら言った。

「……人でなし」

「連続猟奇殺人犯に言われたくはないねえ。それに、私達わたしは根本的にヒトじゃない。忘れてもらっては困るな」

 瑠羅の言葉が終わるのを待たずに懐へ飛び込む。再度首筋を狙って振るわれたナイフは、瑠羅のガラティンに触れるなり融解した。そのまま向かってくる灼熱の刃を、玲は難なく躱した。

 確かに瑠羅は強い。ガラティンは恐ろしい。しかし、それだけだ。素の戦闘力なら玲の方が高い。

 この差は、致命傷をも即座に回復させられる瑠羅と、死んだら終わりの玲との、戦いへの想いの違いによるところが大きい。瑠羅は、死なずに勝つ必要がない。何度殺されようが、死ぬより前に再生すればいい。斬られながら斬ればいいのだ。

 その甘さに、玲はつけ込もうとした。

 刃よりも瑠羅の体に近いところで、ナイフを創り出す。如何に瑠羅が卓越した技術を持っていようと、懐に潜り込まれては剣を振るうことは難しい。十分に勝機はある。

 しかし、玲のナイフは空を切った。

「――!」

 顔の上半を覆う仮面を着用していながら如何にして周囲を見ているのか分からないが、瑠羅はその身にナイフが刺さる直前に姿を消した。肉体を非物質化させる能力を持つのだから、その程度のことは朝飯前だと想像するのは難しいことではない。

 だから、直後にその右手を斬り落とされたことも、ある意味必然なのだろう。傷口から血は出ない。高温で一気に焼かれて塞がっているから。そのまま右脚まで斬られ、その場に崩れ落ちる。

 確かに、先程までは勝機があった。

 ただし、相手が奈以亜瑠羅でなければ。

「或いは、もっと早い段階で、例えば私達わたしが姿を見せた時点で能力スキルを完全解放すれば、勝ち目があったかも知れない」

 瑠羅は仮面を外した。その下の目は、やはりなんの感情も浮かべてはいなかった。

「君の知っている奈以亜瑠羅と違って、私達わたしは殺しに楽しみは感じない。でも仕事だからね」

 瑠羅の手にした剣が、更に強烈な熱と光を放つ。形のない暴力によって、玲の意識は消え去った。


 焼けるどころか蒸発し、もはや何の痕跡も残していない、玲が倒れていた場所を、瑠羅は暫くじっと見つめていた。やがて立ち去ると、城の裏手に設けられた小さな墓碑の前で立ち止まった。

「やっと最後の一人になったよ、祐翔」

 瑠羅自身の手で、舘田祐翔を埋葬した場所だ。

 彼女が頑なにこのキャメロット城を拠点としているのには、こういう理由があった。

 瑠羅の持つ能力スキルの数々を駆使すれば、祐翔を蘇らせることすら可能だろう。けれど、それは祐翔が望まないからやらない。存在が同化しているのだから意思の疎通は出来るはずなのだが、彼を含め誰も瑠羅と会話しようとはしてこなかった。その為、彼女が認識している祐翔の望みはあくまでも生前のものである。

 彼女の行動の根底には、祐翔の存在が大きく影響している。それはある意味で、人類にとって救済であった。彼女が魔術連盟に協力し、神衛隊員として――即ち人類の味方として――活動しているのも、祐翔がそう望んだからだ。ただし、守る対象は人ではなく、街の方だが。とはいえ、人が在ってこその街である。十分に神衛隊員として行動出来る指針だ。

 だから、瑠羅は玲の生存を許さない。街に危害を加えようとした者を、決して許しはしない。

 八年前から、二人はいずれ殺し合うべき関係にあった。八年前の巫山戯た「実験」とやらの生き残り。何方かが死ななければ、街への危険が在り続ける。しかし、瑠羅は神衛隊に、玲は白狐に所属していた。理由なく手を出していい相手ではない。

 殺されたと聞いたとき、誰よりも安堵したのが瑠羅だろう。かつての仲間を己の内で揃えられないのは少し残念だったが、それも実際には殺されていなかったことで、そして今彼女自身の手で殺害したことで解決した。

 凡そ大団円だ。

「やっと全部終わった……終わったんだね」

 墓碑の前にしゃがみ込む。

 八年間肩に乗り続けていた重荷が、ようやく一つ降りていった。年頃の乙女として、誰かに大いに甘えたい気持ちになったが、甘えたい相手はもういない。

「……こうすれば君が出てきてくれるかな、なんてちょっと思ったんだけどな」

 思わず、そんな言葉が口から溢れた。

 勿論、そんなことはまず有り得ない。今まで誰も――ホテップを除いて――瑠羅とコンタクトを取ろうとはしてこなかった。それを今更覆してくるとは思っていない。

 それでも、期待してしまうのが乙女心というヤツだ。そんなものが欠片程でも残っていたのが自分でも驚きだが。

「全く、つくづく私達わたしは半端者だな」

 自分で自分がヒトでないことを公言する癖に、人間らしい心を捨てられないままでいる。

 人間社会で暮らしていくのであれば、それも悪くないだろう。しかし、実際にはキャメロット城に籠もったまま、仕事の時以外出てこない。何のための人間性か。

 考えれば考えるだけ虚しくなるので、瑠羅は考えるのをやめる。

 そして徐ろに立ち上がると、己が居城へ帰っていった。

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