第35話 追われる少年
午後。わたしは大きく伸びをして、目の前の編み物を見た。花火祭りは終わり、わたしたちはナランへ帰ってきた。アーレンスが試験結果に怯えていたりとか、みんなから祭りの感想を聞かれたくらいで、それから大きなイベントもなく。
あのオルウィンさまの動向も落ち着いていて、特に危険を感じることはない。
今まで通りの当たり前の日常を過ごしていた。
今はちょうど、オーダーメイドの編み物を仕上げているところだった。紫外線をブロックするアームウォーマーを気に入ったお客さんが、色やデザインを変えたいとのことで作っていたりする。
ムーとスーはほうきで掃除をしている。夏の日差しが強いので、窓は閉め切っていた。湿気がないから助かっている。
わたしは開け放った入り口を何となく見て……二度見した。何だか、茶色いものがうごめいているような。
「ねえ、ムー、スー。なんかあそこにいない?」
二人に声をかけると、ムーとスーも入り口を見る。二人で顔を見合わせた。
「たしかに、いますですね」
「魔物でも生き倒れたのでしょうか?」
魔物がこんなところに出てくるわけがないと思うけど。わたしは編み物をテーブルに置いて、立ち上がり歩いた。入口までいくと、それがなんなのかがわかった。
「人……? 子ども?」
アトラスと同じ褐色の肌の、黒い髪の少年だった。息は荒く、目を閉じて呼吸をしている。わたしはしゃがみこみ、少年をまじまじと見た。
体はやせ細り、ガリガリだ。骨が浮いて出ている。髪の毛は汗で濡れていた。
軽く匂いもする。しばらく体を水で拭くこともなかったのかも。
「誰か倒れてますですね」
「行き倒れでしょうか?」
「うん。とにかく、中へ入れてあげよう。スーはミヤエルさんを呼んでくれない? あと、オズさんも」
オズさんはナランのお医者さまだ。これだけ酷い様子じゃあ、何かあるかもしれない。
「わかりましたですわ」
スーは店を飛び出し、教会の方へと走っていった。ムーはお水を用意しにいっている。わたしは少年を抱えると、自分のベッドに彼を乗せた。
冷感ストールを首に巻き、回復効果のある編み物のブランケットをかけてあげる。
「う……」
少年の目がうっすらと開いた。
「大丈夫?」
「うう……」
意識が朦朧としてるのか、うなされている感じだ。
「お水持ってきましたですー」
これだと、まだ水は飲めないかな。でも、夏の暑さで熱中症になっているかもしれない。わたしは少年を起き上がらせて、口元にコップを近づけた。
少年の目がさっきより大きく開く。こちらに瞳孔が向いた。
「お水飲んで。熱中症になってるかもしれないから。今からお医者さまが来るから、もうちょっと待ってね」
少年は三口、水を飲んで、息を吐いた。ぼんやりしている。
「君、名前は?」
なにも言わない。
「どうしてあんなところにいたの?」
「……逃げてきた……」
それだけが、聞きとれた。
逃げてきた? なにかに追われていたのかな。魔物? 人?
わからないことが多すぎる。
「ご主人さまー。神父さまとお医者さまがいらっしゃいましたです!」
わたしの部屋に、ミヤエルさんとオズさんが入ってくる。
「この子は……」
「わたしの店の前で倒れていたんです」
いきさつを話している間に、オズさんが診察を始める。
「かなり衰弱してるな。暑さで体もやられてる。とりあえずうちの診療所に……」
ドンドンと、一階から騒がしい音が聞こえた。
私たちが降りると、太った男の人と、ガタイのいい男の人二人、計三人が店に入っていた。
「あの、なにか用ですか?」
「ここに、ウチの息子がこなかったかね?」
周りをキョロキョロ見回しながら、太った男の人が言う。
「ええと……どのような容姿の?」
「褐色の肌に、黒い髪で黒い瞳のやつなんだがなあ」
さっきの子を探しているのかな? でも、なんだか様子がおかしい。
わたしは見定めるように三人を見た。太った男の人は、そんなわたしにつくろったような笑みを浮かべる。
「ウチの大事な息子なんですよ。もう、目を入れても痛くないくらいねえ」
それにしては、彼はボロボロで衰弱しているけど。可愛がっているとは思えない。
「本当に、息子さんなんですか? 褐色の肌に黒い髪と目って、あなたに全然似ていませんけど」
「とにかく、いるなら持ってこい!」
太った男の人が、いや、男がでいいや。彼は顔を変えて激怒する。わたしはミヤエルさんとオズさんを見た。二人も怪しんでいるようだ。
「どこにいるんだ! リオ!」
男が怒鳴る。
「ボス、あんなガキ一匹いいじゃないですか。言うこと聞かないし、いりませんよ」
「そういうわけにはいかんのだ。あいつには」
「もしかして、さいきんウワサの奴隷商人か?」
オズさんの言葉に、わたしとミヤエルさんは太った男を見る。男はびくりと肩を震わせて、目をそらす。なるほど、そういうこと。
「カルゼインでは奴隷制度ははるか昔になくなりました。今は厳罰を受ける可能性もあります」
ミヤエルさんの言葉に、男は汗を玉のようにかく。図星ってわけだ。
「アトラさん。仕方ありません、通報を……」
「ああーいや気のせいだったかな! そうだそうだ! 息子は家に帰っているんだ! 悪かったですね、では!」
男たちは大きく足音を立てながら、慌てて帰っていった。
「とりあえず、あの子はうちに……」
「いえ。私かアトラさんが様子を見ましょう。またあの男たちがやってきたら、入院したり診察に来るお客さんに迷惑がかかると思いますから」
キッパリと断るミヤエルさん。チラリとわたしを見た。なにか理由があってそうするみたいだ。私も頷く。
「うちならあみぐるみゴーレムもいるので、安全だと思います」
「そうか。では、とりあえず薬を処方しておこう。あと、安静にさせて栄養のあるものをしっかりとらせるんだよ」
オズさんは薬を置いて帰っていった。残された私とミヤエルさんは、テーブルに座って話をする。
「どうやら彼はスキル持ちのようです。きっと彼らはそれを知っていて、利用しようとしていたのでしょう。スキル持ちも珍しいですから、またやってくるかもしれません。あみぐるみゴーレムで見張っておいてください」
「わかりました」
ミヤエルさんとキッチンに立って料理を作る。食べやすいようにスープにした。ミヤエルさんが持ってきたハーブと、ウチの野菜をたっぷりと入れておいた。
ガタン、と二階から音がした。上がってみると、少年が床に倒れていた。起きあがろうとしているけど、力が入らないみたいだ。
「無理しちゃダメだよ」
わたしが駆け寄ると、少年が睨んだ。突然の敵意に、一瞬わたしは怯む。
でも、すぐに気をとり直して少年を安心させるように笑いかけた。
「大丈夫。わたしはあなたにひどいことなんてしないよ。今はゆっくり休んで。後で、美味しいスープを持ってくるから。ね?」
少年はしばらくわたしを見ていたけど。すぐにまた気を失った。ベッドに横たわらせて、顔を見つめる。
とりあえず、回復魔法のブランケットをかけて様子見かな。安眠効果のある枕カバーをかけておこう。ぐっすり寝れば、元気の素になるはずだし。
あざのある腕を見る。オズさんが言うには、酷い暴力を受けてきたのだろう、と。酷い。スキル持ちだからって、こんな風にするなんて。
この子は道具じゃないのに。怒りが沸々湧き上がる。
次にあの男たちがきたら、粛清タイムだね。
料理を作ってミヤエルさんが帰ると、わたしは少年の眠るベッドで編み物をしていた。オーダーメイドの納期があるからね。でも、心配だから隣で。
少年は最初は時折うなされていたけど、安眠魔法のある枕カバーをつけたら落ち着いた。少しだけ安心する。
目が覚めたらスープを飲ませて、薬を飲ませてまた休ませよう。
あみぐるみゴーレムたちに家の周りを監視させているから、夜は大丈夫だ。
わたしは眠くなるまで編み物を続けた。
そういえば、アトラスとそっくりな顔立ちだったな。アトラスと同じ国の出身なのかな。確か、海の向こうだって、そんな記憶が……。
うとうとして、意識が途絶えてくる。
この子は、わたしが守らないと……。
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