閑話 9 引っ越し前日の話


 私はアトラさんのまとめた荷物を、一階へと下ろした。アトラさんの部屋は、物がない。編み物の道具や資材は多いのだが、女性らしい可愛い雑貨などは見かけない。

あまりじろじろ見てもよくないだろう、と荷物を下ろすのに集中する。


「ミヤエルさん、ありがとうございます」


アトラさんは荷物を確認していたところだ。私が全ての荷物を下ろすと、労ってくれる。

私は「構いませんよ」と隅に置かれた荷物を見た。明日にはこの荷物たちも、アトラさんもいなくなる。

新しい家を買ったアトラさんは、明日引っ越していくのだ。


「わたし、家を買います」


つい二週間前の、アトラさんの言葉を思い出す。

突然のことで驚いたが、喜ばしいことだ。一人で食べていけるくらいのお金もいただいているようだし、神父といえど、男女二人で暮らすのもあれだろう。

何よりアトラさんの夢が叶うのだ。祝福してあげたい。


「羊を飼いながら、糸を紡いで編み物をするのが夢なんです」


アトラさんは、しょっちゅうそんな話を人に語っていた。それほど夢見ているのだろう。夢の為によく頑張ったと思う。


明日には荷物を馬車に乗せて、ナランの西にあるアトラさんの新居へ運ぶ。明日からアトラさんはいないというわけだ。寂しい気もする。

だが、ここはしっかりと祝ってあげたい。


 夜はささやかだが、引っ越し祝いをした。いつものスープにも野菜を多めにいれる。卵も落としておいた。アトラさんはスープに卵を入れるのが好きだった。

みそ汁に卵をいれる、というのが一番好きと聞いたが……みそ汁とは、帝国の料理だろうか?


パンは久しぶりにパン屋で購入した。奮発して、柔らかいパンにしておいた。アトラさんは嬉しそうにパンをちぎってはバターをつける。


「すみませんね、アトラさん。私は神職ですから、肉や魚が料理に出なかったでしょう? 寂しい思いをしたのではないですか」


神父として、肉や魚などが食べることはできない。だが、敬虔な信徒でもないアトラさんにはなかなか酷だったのではないだろうか。

いつも私の生活に合わせてくれたのには、感謝しかない。


「いえ。野菜だけでこんなに美味しい料理ができるんだって、いつも新鮮でした。やっぱりとれたての野菜は美味しいですよね。引っ越したらわたしも育てようと思います」


アトラさんはにこにこと笑って答える。その横に、小さな頃の「アトラスちゃん」の面影が浮かび上がった。痩せた体に、鋭い目つきの少女。どこか棘のある雰囲気。それでも自分には懐いていたと思う。だけどいつも、ここではないどこかに目線は向いていた。

そんなアトラスちゃんも、「アトラさん」として穏やかな女性となった。きっと帝国で苦労してきたのだろう。棘も張り詰めた空気も、丸くなっていた。


「何かあったら、いつでも教会に来てくださいね。力になりますから」


「はい。ありがとうございます」


「あの……」と、アトラさんは小さな包みを私の前に置いた。


「これ。お礼です。行く当てもなかったわたしに、ここに住めばいいと勧めてくださったこと。いつも面倒を見てくれたこと。いつ渡そうか、悩んでいたんですけど」


包みを開ける。すると、セフィリナ女神の描かれた、小さなステンドグラスが出てきた。


「ガラス職人になったセオルくんの作った、ステンドグラスです。今まで、ありがとうございました」


目頭が熱くなって、涙が滴となりテーブルに落ちた。セフィリナ女神の姿が、今までの努力を讃えてくれるようだ。

私は無力だ。火事の時だって、大切な子ども達や仲間、院長様も救えなかった。

スキル持ちとしていいように扱われるのに嫌気が差し、逃げるようにこの町へ来た。

私は神父だが、そんな立派な人間ではない。


でも、それでも、見てくださる方はいらっしゃるのだ。


「大切に飾らせてもらいます。これを見たら、貴女と貴女との時間を思い出すでしょう。私の大切な思い出です」


これから、アトラさんが幸せになれるように。

そう願い、祈り、生きていこう。

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