第22話 魔女からの引っ越し祝い
よーいしょ。って声を上げながら「定休日」の看板を持ち上げる。フックに穴をひっかけて、OKね。って、おばさんみたいな掛け声出しちゃったよ。まだ二十六……いやもう二十六歳。
アラサーへのカウントダウンが、ああ、迫る。
いや、今日はそんなことで落ち込んでられないよ。今日は、今日こそは、お迎えするんだ。
羊ちゃんを!
わたしはリュックを背負うと、町へと向かう。北東にある農業区に行くのだ。ちょっと距離はあるけど、アトラスの体力ならなんてことない。この体にもすっかり慣れたなあ。死ぬ前のダルさも何もかも忘れそうになる。ふつうに生きられるのがどれだけ幸せか痛感した日々。
ダルさは忘れても、体を動かす喜びや幸せは忘れない。
カルゼインもどんどん暖かくなってきた。草や花は萌え、太陽の光が眩しい。この国には梅雨がないから、このまま夏へ突入かな。日本よりは蒸し暑くないだろうけど。
「やあアトラちゃん、おはよう! 何しに行くんだい?」
町へ入ると、声をかけられる。小さな町だから知らない人はいない。
「羊を飼いに行くんです!」
「お、とうとう羊を飼うのか。いってらっしゃい!」
わたしの夢である「羊を飼いながらスローライフ」はナランの町では知らない人はいない。
酒場で酔って延々と語ってしまったから、みんな知ってるのよね。恥ずかしい。
西区を抜けて農業区へと入る。建物はまばらで、広々とした草原に牛や羊が草を食み、犬が駆け回っている。
畑仕事をしているおじさんやおばさんにあいさつをしながら、とある牧場へ着いた。
「ダンくん、こんにちは!」
羊飼いのダンくんに声をかけた。彼はわたしを見ると、犬と一緒に走ってくる。
「アトラ姉ちゃんおはよー! 今日はどうしたの?」
わたしが羊を買いにきたと話すと、ダンくんのお父さんもやってくる。
「とうとうか。アトラには世話になってるからな。希望はできる限り応えるよ。さ、こっちへ」
牧場へと柵を股にかけて入る。目の前には羊たちがいた。もふもふな羊たち。ああ可愛い。
さて、と。どんな羊を飼おうかな。羊毛を糸にするなら、種類は限られる。食肉用と羊毛用はまた違うからね。
一番欲しいのは、スノウシープ。最高品質の毛を持つ羊だけど、寒い地域にしか生息しない。帝国辺りじゃないとダメなんだよね。
だから、カルゼインにいる羊の種類から選ぶ。
ここの羊達はなかなか品質の良い種類が揃っている。けで、あまり高いのはさすがに買えない。わたしの持ち金で買える、品質の良い羊を探そう。
「とりあえず、二頭ほど買いたいんですけど」
一気に三頭以上は無理がある。少しずつ増やしていこうと頭の中のスケジュールはばっちり決まっているのだ。
「歳は若い方がいいよな。品質が良いとオードン種だけど……ちょっとこれは貴重だからな」
わたしの世界でいう、メリノ種みたいな羊かな。ウールの中でも品質の良い種類で、さまざまな衣類に使われている。
「うーん、セテム種はどうだ? わりかしリーズナブルで毛糸に使うには持ってこいの種類だ」
わたしの世界ならコリデール辺りかな。食肉種と毛皮種を掛け合わした価格も割と安い羊。
毛糸にはだいたいコリデール種が使われている。費用も考えるとセテム種がいいのか。
オード種も気になる……。いや、またいつかにしよう。もっと余裕ができてきたら、いろいろ飼ってみたいね。
「セテム種にします。良い子、います?」
「ああ。この辺は全部セテム種だ。好きに見ていいよ」
羊の群れに近づいてみる。みんな人馴れしているのか、わたしを避けることがない。
「若い子ならこの辺り。みんなニ、三歳くらいだよ」
ダンくんが教えてくれる。ふーん、若いのがやっぱりいいよね。いずれは食肉用になるわけだし。でも、わたし、歳をとっても飼ってあげたいな。
普通、歳をとった毛皮用の羊の最後は食肉になってしまう。いろいろ考えるとその方がいいんだろうけど、でもせっかくなら長くお世話してあげたい。
日本にも歳をとった羊を飼う人だっている。その中から品質の良い羊毛を作る人もいる。
わたしもそんな育て方をしてあげたい。それに、歳をとった羊の方が安い価格でもらえるだろうし。
わたしは五歳と六歳のオスとメスのセテム種を買うことにした。二人共、若い方がいいと言うけどわたしの決意は変わらない。いつも魔物除けのあみぐるみと、歳のとった羊だからとかなり安く貰えることになった。
知り合いのおじさんが荷台に羊を乗せてくれて、わたしもそれに乗って家を目指す。三十分もしたら家に着いた。おじさんに礼を言うと、羊を誘導して柵の中へ入れた。緊張しているのか、キョロキョロ周りを見回して、動かない。
「怖くないよ、大丈夫だからね。よし、次は名前をつけよう」
背中を撫でてあげながら、名前を考える。
日本っぽい名前にしようかな。この世界に来てから、アジア系の名前をとんと見かけない。
ちょっと寂しく思っていたので、羊達には日本の名前をつけることにした。
「女の子のあなたはツバキ、君はサカキはどう?」
サカキは、神道で使われる榊の葉から。ツバキは、榊の葉がツバキ科の木からとることを思いついてつけてみた。
「サカキ、ツバキ、よろしくね!」
めえ、とツバキが鳴いたので、可愛いくて頭を撫でてあげる。 羊って、撫でて喜ぶものなんだろうか? 二匹の食料ももらったし、これで大丈夫ね。
よし。羊も来た。準備万端。今からグロレアさんのところへ行って、糸車を教えてもらおう。
「おーい! アトラ!」
「アーレンス?」
何やら大きな包みを抱えたアーレンスがやってきた。ミロ森から近いので、グロレアさんの家にも行きやすい。アーレンスもよくウチに遊びに来たりするのだ。グロレアさんも来て欲しいけど、滅多に森から出ないらしい。残念。
「どうしたの? その、それも」
「これか? へへへ。驚くと思うぞ」
とりあえず店の中へ案内する。アーレンスはわたしの定位置である椅子の前に包みを置いた。
「グロレアさんから、引っ越し祝いだ」
貴重品に触るかのように、そっと、優しく包みを剥がす。見えてきたものに、わたしは言葉を失った。
これ……これは、糸車だ。
「アーレンス、これって!」
「お古だけど、よかったら使えってさ。これで家で糸紡ぎができるだろ? お、そういや羊もいるな。準備オッケーじゃん」
と、窓を覗いている。
「どうだ? お古だけどなかなか−−」
わたしは嬉しさのあまりアーレンスに抱きついた。森の匂いが髪に残っている。グロレアさんも同じ匂いがするんだ。
「お、おい、ちょ、何して」
「ありがとう……! すっごく、すごく嬉しい! グロレアさんにもお礼を言わないと」
アーレンスがくすりと笑ったのを感じる。
「また森に来てお礼を言ったらいいよ。あー、で、いつまでこうするつもりなんだ?」
「ご、ごめん」
恥ずかしさで頬が火照る。つい抱きしめてしまったよ。でもそれくらいの嬉しかったのだもの。アーレンスも顔が赤くなっていた。ちょっぴり気まずい。
「じゃ、俺は町に用があるから。またいつでも遊びに来いよ」
アーレンスと店の前で別れる。姿が見えなくなったら、わたしは店に入って糸車に近づいた。
飴色に輝く、小さな糸車。ところどころに傷がついているのもご愛嬌かな。
グロレアさんには、今度しっかりお礼を言わないと。そっとペダルを踏むと、カラカラと動輪が回る。
「わたしの、糸車」
愛おしくて、動輪に優しく触る。窓からサカキの鳴き声が聞こえてきた。つい笑ってしまう。
夢にまで見た生活が、こんなにも近づいた。
ああ、わたし、本当は天国に来てたりして?
神さま、セフィリナ女神さま、ありがとうございます。わたし、今とっても幸せです。
「……よし、週末の編み物教室も頑張るぞ!」
やる気が体の奥からふつふつ湧き上がってくる。今週末はミヤエルさんと一緒に、孤児院で編み物教室だ。子どもたちに喜んでもらえるようにいろいろ考えないと。
糸車は、また羊毛を手に入れてからだね。
今日は編み物教室で編むモノを考えて、編み図も書いておこう。オーダーされた品も進めないとね。
時間がとれたらグロレアさんのところにも行きたい。何か持っていこうかな。せっかくオーブンも手に入れたし、クッキーでも焼いて持っていくか。
はあ、糸車で紡ぐのが待ち遠しい!
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