閑話 5 ガラス職人見習いの追憶
店を覗いた女性に、僕は懐かしい思いを抱いた。カルゼインでは珍しい褐色の肌、金色に燃えるウェーブのかかった髪。
輝くブルーの瞳。昔からあの人は背が高くて、近寄り難い雰囲気を持っていたっけ。
アトラス姉ちゃんだ。気づいたら僕は彼女の名前を呼んでいた。
「セオくん? セオルくんなの?」
アトラス姉ちゃんは驚いた様子で僕に聞いた。
やっぱり、アトラス姉ちゃんだ。
セオ。孤児院のみんなは僕のことをそう呼んでいた。アトラス姉ちゃんは優しい笑みを浮かべて、会いたかったと言ってくれた。
そんなアトラス姉ちゃんに、僕は少しだけ戸惑っていた。こんな人だったっけ? アトラス姉ちゃんって。
「大丈夫か、セオ」
孤児院のいじめっ子に泥だらけにされた僕を、アトラス姉ちゃんは腕を掴んで引っ張ってくれる。姉ちゃんは決していじめっ子の邪魔はしなかった。ただ僕を見守っていた。
「強くなれ。自分の力で」
いつもそう言う暁色の背中を、僕の瞼は忘れることなく脳裏に焼きつかせた。
そして、いつもこうも言っていた。
「いつか、私はここを出て行く。こんなしみったれた世界じゃない、もっと自由で広いところに」
ああ、この人はいつか遠くに行く。
僕では行けないようなところへ。
僕では進めないような世界へ。
そしてある日、アトラス姉ちゃんは孤児院から消えた。
きっと自由を掴みに行ったんだ。
不思議と寂しくなかった。羨ましいとさえ思った。でも僕はアトラス姉ちゃんのようにはなれなくて、ただ流されるように孤児院で暮らす日々を送っていた。
あの日まで。
孤児院が燃えた日。僕は、建物の瓦礫に下敷きにされて、死を悟った。
ああ、もっと足掻けばよかった。こんなクソみたいな運命から。あの人みたいに。
アトラス姉ちゃんみたいに、自分から運命を変えようとすればよかった。
朦朧とする意識の中、僕は後悔と一緒に最後の足掻きを声で伝える。
助けて。助けて、僕はここにいる。
空を掴む手が恨めしい。ああ、このまま死ぬのか。もっと、もっともっと僕もあの人みたいに生きれたらよかったのに……。
体の感覚はすでにない。火が僕の前まで迫っている。痛みは感じない、でも死ぬ覚悟ができなくて、ぶつぶつと助けてと呟き虚空を掻く。
幻影が見えた。緑に輝いた目をした、天使の姿が。彼は泣いていた。悔しそうに泣いていた。
僕は何故だか悲しくなった。ごめんなさい、こんな最期で。ごめんなさい、と謝った。
「せめて、私にできることを」
天使が近づいてくる。いつのまにかミヤエル兄がいた。いや、天使は幻覚でミヤエル兄だったみたいだ。ミヤエル兄、助けて。
ミヤエル兄は泣きながら瓦礫をひっくり返し、僕を両手に抱えて燃え盛る孤児院から脱出した。
僕は赤赤と輝く光を最後に、意識を失った。
それから目覚めて、僕を含めて三人の孤児とミヤエル兄しか生きていないことを知った。
僕は泣いた。悔しくて悲しくて、口から血の味を感じながら泣き叫んだ。僕と同じく生き残った子たちも、泣いていた。
でも僕はそこで終わらない。新しく再建された孤児院を出て、ガラス職人のおやっさんに弟子入りした。何故ガラス職人かというと、孤児院のステンドグラスが大好きでずっと見てもあきないくらいだったから。
僕の夢は、いつか自分で作ったステンドグラスを孤児院に寄贈すること。そう決めた。
あれから二十歳を越え、ある程度仕事も任されたりして、春ノ市である今日は店番をしていた。
アトラス姉ちゃんは変わった。きっといろいろなことがあったんだろう。
どこか悲しみを秘めたその瞳が、そう物語っている。
アトラス姉ちゃんは、今はミヤエル兄と暮らしているらしい。二人とも元気だと聞いて安心した。
ミヤエル兄にプレゼントをしたいと言うから、僕は僕の作ったステンドグラスを勧めた。
セフィリナ様を描いた小さなステンドグラス。
僕の祈りの結晶。アトラス姉ちゃんは喜んで買ってくれた。
「いつかナランに遊びに来てね」
優しく微笑むと、アトラス姉ちゃんは行ってしまった。そうだ、一人前になったらナランに行こうかな。ミヤエル兄にも、アトラス姉ちゃんにもまた会いたい。
僕も少しは変われたはず、だよね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます