第2話 相乗り馬車での出会い



ガタゴトガタゴト。


  馬車に揺られながら、景色を眺める。

帝都を出てから、二ヵ月半にしてやっと帝国から出ることができた。


高く聳える山の雪は消え、緑を取り戻した森が続く。北に位置する帝国から出た証だ。

時たまウサギやキツネが道端から顔を出したり、飛び出してくる。

久しぶりに見た緑。帝国では見られない自然豊かな景色には心が癒される。

死ぬ前も、白い無機質な病室にうんざりしていた。だから森や湖を見た時は感動した。

自然ってなんて素晴らしいんだろう。


それに、帝国はなんだか息苦しかった。皇帝の独裁政治のせいか、空気も鬱々としていた気がする。そんなのだからか、帝都には殺し屋とかスパイとか、物騒な人たちが多い気がした。

まあ、わたしアトラスもだったのだけど。


ガタゴトガタゴト……。


 この馬車は相乗り馬車と呼ばれるらしく、同じ目的地の人間たちが一緒に乗り合っている。

商人や、故郷に帰る者、旅を続ける人、相乗り馬車にはさまざまな理由を持った人たちが乗っていた。

故郷のカルゼイン王国にはまだ二ヶ月はかかる。長い旅になりそうだ。


 わたしはリュックから毛糸玉とかぎ針をとり出して編み始める。

なににしようか迷って、ハンドウォーマーを作ることにした。この辺りはまだ北に位置するので、春先の日が落ちた時間は寒い。

雪のように白く輝く、スノウシープの毛糸玉で作る。

聞いたことのない糸だったけど、その色に惚れこんで大人買いしてしまった。保温性にすぐれ、ふわふわで手触りもいい。

スノウシープって名前も可愛いものね、アルプスの女の子のお話に出てきそう。


ちょっと厚めに編もう。うね編みでいいかな。

小さなくさり編みの後に、丁寧にかぎ針を穴にすべりこみ、毛糸をひっかけて入れこんでいく。

うーん、少しいったら編み方を変えてみるかな。おしゃれになりそう。シンプルにうねあみだけももこもこであったかいけどね。

わたしが夢中で編んでいると、小さな影がちらりと目の端についた。


「すっごーい!すごいよお姉ちゃん!編み物、上手だねえ!」


ツインテールの可愛い女の子が、キラキラした瞳でわたしの手元を見ていた。確か、一昨日から相乗りしている子だ。お母さんもいるはず。


「ありがとう。あなたも編むの?」


女の子は大きく頷いた。


「うん! そうだよ!」


女の子はお母さんのいる場所へ戻ると、青色の編みかけの靴下を見せてくれた。

少しガタついているけど、形はちゃんとしているし温かそうだ。


「お父さんにプレゼントするの!お父さん、編み物得意だから、ユナも上手になるの!」


「そうなんだね。すごいね、ユナちゃん」


ユナちゃんはくすぐったそうに、可愛いく笑う。嬉しいのか飛び跳ねるので、お母さんがなだめていた。わたしや相乗り馬車に乗っている人、全員が微笑ましくユナちゃんを見つめる。


ユナちゃんはまたわたしの隣に来て、熱心に編むのを見つめる。ちょっと恥ずかしいな。

お母さんもやってきて、わたしたちは自然を話し始めた。


「二人は帝国生まれ……じゃないよね」


わたしが聞くと、お母さんが頷く。


「わかります? あそこは編み物は男性だけのやることですものね。でも、わたしたちの故郷では、女性も糸紡ぎや編み物をします」


そう。帝国では編み物は男性がやることとなっていて、編み物士と呼ばれる職業もある。

でも、編み物は男性というイメージでやはりというか編み物士に女性はなれない。

わたしの住んでいた世界も、昔は編み物は男性がやるものだったと聞いたことがある。


「えーと、あなたは……」


「アト……アトラです」


ついとっさに、そう答えた。

なんとなく、アトラスと名乗れなかった。殺し屋という暗い過去があるからかな。帝国から相乗り馬車に乗ってる人は、アトラスって名前を知っているかもしれないし。

アトラって名前もなかなか良い気がする。

新しい人生として、今日からアトラと名乗ろう。


「アトラさんも帝国人ではなさそうね」


「ええ。カルゼイン王国出身なので」


「あそこはいい国だね」


隣にいたおじさんが口を開く。


「花と緑が美しい。帝国より自由だし」


「みなさんも王国へ行くんですよね」


なぜか相乗りした人たちと話が弾む。

不思議な体験だった。こんな旅なんてしたことないし。日本では病気で倒れるまで会社で働いて、倒れてからは病院が世界。

旅行にも行けなかったし、朦朧とした意識だと話もできない。


和気藹々と盛り上がる会話が、楽しかった。


 夜に今日休む町へと着いた。宿はみんな別々だ。わたしは殺し屋時代のお金がたくさんあったので、少し良さげな宿に泊ってみた。

部屋は小綺麗だし、向かいの梟亭のごはんも美味しくてなかなかいい。スープが特に美味しくて気に入った。帝国とは味が違うし、病院食より断然美味しいよ。当たりね。


この世界に来てからお米が少し恋しい。

実はパン派なんだけど、なければないで寂しくなるのよね。たまに美味しくない硬いパンに当たったりするし。


梟亭はにぎやかで、その雑音がまた心地よい。

スープをすくったところで、わたしの背筋がぶわりと逆立った。

この感覚はアトラスのものだ。


普通の人でない気配を感じる。店の奥へ目をやると、見覚えのある顔にさらに戦慄した。

帝都で有名な殺し屋の男。通称、赤蝙蝠。


ひええ、なんであいつがこんなところにいるのよ。こっち睨んでるし。アトラスは仕事でもずっとローブを被っているので、顔は知らないはず。同業者の匂いでもするのかも。

心臓がバクバクと鳴り、冷や汗が落ちる。

どうしよう? 今見つかったらいろいろと面倒くさい! もう見つかってるのかもだけど!


ちなみに赤蝙蝠は顔出しオーケーなので帝都の人間なら誰でも知っている。何よ顔出しオーケーって、ネット社会だったら大変なんだからね。

そういえばけっこうヌケてるって聞いたことあるかも。


何か変装できないかと思って、慌てて作りかけのポンチョを羽織った。そして席にお金を置いて離れる。とたんに赤蝙蝠は驚き、周りをキョロキョロ見回している。

どうしたのかな? 見失った? やっぱりちょっとヌケてる? でも丁度いい、今のうちに逃げちゃお。


 なんとか宿屋に帰れた。あれから気配も感じないし、見つかってないみたい。

はあ、どうしよう?

明日は宿屋の主人からいい毛糸を揃えているお店があるらしいと聞いたので、早起きして買って相乗り馬車に乗るつもりだったのに。


さっさと相乗り馬車に乗って逃げよう。


少し動悸が落ち着いてきて、わたしは今後について考え始める。


 さてと。わたしはリュックから袋を取り出して金貨を並べる。アトラス時代に稼いだお金だ。


「これならしばらく仕事をしなくても暮らせるかな」


所持金を見て呟く。一年くらいは何もしなくても暮らせそう。正直、殺しで得たお金って使いづらいんだけど。

ただ、どのみちいつかは働かないといけない。


「働くって言ってもなぁ」


アトラスの反射神経や運動神経はピカイチだと思うけど、殺し屋は論外。冒険者も論外。

戦うのも殺すのも、アトラスの経験だけで充分だよ。


カルゼイン王国に着いたらどうしよう?

何も考えずに帝都を逃げ出して、カルゼイン王国に行こうとしていた。


「とりあえず、孤児院には行きたい……かな」


アトラスが昔暮らしていた孤児院。

わたしは本当のアトラスではないけど、なんだか気になってしまう。


後は、好きなだけ編み物をする生活をしたい。

仕事もブラックでない、スーパーホワイトなやつじゃないと。


「いっそのこと、小さな町か村でスローライフでも送るかなぁ」


いいかもしれない。

スノウシープでも飼ってみようかな。アルプスの少女みたいに、一人で暮らせるほどの畑を作って、羊を育てて、糸を作って編み物をしながら暮らす。


アトラスだったら考えられない生き方かもなぁ。


「よーし。目指せスローライフ!」


とりあえず目標が決まったね。


「でも、まだ寝ないんだなぁ」


と、うきうきしながら昼間調達した毛糸をリュックからとりだす。


「なに作ろっかな? ちょっと変わり種でも……」


わたしの夜は、まだまだ長い。

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