第16話 宗冴くんと合格発表
3月のひな祭りが過ぎて、店舗のディスプレイをしまいながら
あと数日で
判定はいいと聞いているし大丈夫だとは思うけど、なんとなく気になってしまう。
「牡丹さん、こっちも倉庫に入れていいですか?」
「はーい」
声をかけられて顔をあげる。
丁寧にしまわれた吊るし雛のパーツを確認しながら、段ボールに蓋をする。
「それじゃ、こっちと一緒に倉庫にしまっておきましょうか。湿気とりと防カビ剤入れた?」
「ばっちりです。っていうか、宿木さん」
バイトの
「なに?」
「なんか、最近ぼうっとしてますね?」
「え、そう?」
内心やっぱりと思いながらも、表面はとぼけてみる。
「いつもの通りだと思うけど。弟からもよくぼうっとしてるって言われるし」
「えー、そういうのじゃなくて」
響子は意味深な目を向けた。
「バレンタインとか、何かあったんじゃないかなーって」
内心、驚いて心臓が跳ねたが、なんとか笑顔を絶やさず答える。
「何かって言われても、いつも通りのバレンタインだったな。家族にチョコレートあげておしまい。井成さんこそ彼氏にあげた?」
「あげましたけど、それよりも宿木さんです!」
話をなんとかそらそうとしたが失敗した。
「本当は今年こそ家族以外の誰かにあげたり、もらったりしてませんか?」
まさか宗冴のことを知っているわけもないのに、やたらとぐいぐい来る。
「友チョコとか? そういえば友達からもおいしいチョコをもらって……」
「もう、そうじゃなくて!」
焦れたように響子がじっと牡丹を見る。
「この際、気になっちゃっているのではっきり聞きますが、
「……秋鳴先生?」
「そうですよ。秋鳴先生、誰が見ても牡丹さんにアプローチしていたじゃないですか。お店に来るたびに宿木さんとめっちゃ話したそうに眼で追っていたり、イベント誘ったり」
誰の目にも明らかだったらしい。
「
お店の人、ほぼ全員じゃないの。
まくしたてられ、改めてへこみそうになるのをこらえた。
「それは勘違いだから。単純に私と一番やり取りがあるから、話したそうにしていたのだと思うけど」
「そんなことないですよ。秋鳴先生、好き好きオーラ駄々洩れで隠せてなかったし」
「あんな素敵な人が、私なんて相手にするわけないから」
言われれば言われるほど、じわじわと首を絞められるような感覚を受けながら、苦し紛れに答える。
だが響子の追随の手を一向に緩める気配はない。
「そんなことないですよ。宿木さん、商店街で美人だって評判ですよ。ちょっと所帯臭いけど」
「商店街のおじさんたちなんて、親戚と同じでしょ。身内の誉め言葉なんて真に受けていたら大変よ。それはともかく、やっぱり所帯臭いのね、私」
「ちょっとだけ」
「……それならますます秋鳴先生とは釣り合わないでしょ」
そういえば出張の時のことをすっかり頭の片隅に追いやっていた。
申し訳ないことをした自覚はある。
ただあれから何も言ってこないし、態度も以前と変わらないし、メールではきちんと仕事の話で終始しているので、牡丹もこれまで通りの態度で接していた。
しかし、こうやって考えてみると秋鳴は大変な人格者だった。
今思い返しても、牡丹の態度はまともではなかった。
告白された直後に、泣きながら他の男の人の話をしたのだ。
相手の告白をそっちのけで、無意識化で好きな子に告白されて動揺していますと説明したようなものだった。本当に自分でもどうかしていると思う。
それなのに秋鳴先生はよく話を聞いてくれて、親身に応えてくれた。
謝罪と感謝の気持ちはあるのだが、それ以外の感情がない以上、秋鳴に連絡を取るのはかえって失礼になるのだろう。
そう思って、あえていつも通りにしていたのだが
「そっか。秋鳴先生ふられたのか」
響子がつまらなそうに呟くのに、少し顔をしかめる。
「……あのね、井成さん。本当に秋鳴先生とは何もないの。冗談も過ぎるとご迷惑になるから」
「はーい」
返事はいいが、わかっているのかいないのか。
いい子なんだけど。
段ボールを倉庫に運んでいく響子を見送って、牡丹はふらふらと事務所に戻る。
「戻りましたー、…ぁ、痛っ」
なぜかぼんやりとしていたので、入口のすぐわきに置いてあった透明ケースに足が当たる。
「宿木さん。大丈夫?」
「平気です」
「そろそろ、それどかさなくちゃね」
経理関係のファイルが収まったケースをそろそろ所定の場所に戻さないといけない。
「明日、まとめてやりましょうか」
「そうね。それにしても最近ぼうっとしてない?」
ここでも言われてしまった。
「いえ、いつもこんな感じですよ、私。ぼんやりしているって家族にも言われていて」
愛想笑いをしながら自席につく。
那賀さんも内心、秋鳴先生と何かあったと思われているのだろうか。
ちょっとやっかいな感じだが、このまま普通にしていれば、みんなも忘れてしまうだろう。
それよりも今は。
「宿木さん?」
「は、はい」
返事をして顔をあげると、
「やっぱりうわの空ね」と、苦笑する。
「すみません。ちょっと夕飯のこととか考えていました」
ごまかすように笑って言うと、那賀が目を丸くする。
「今日、商店街の方でお魚が安いんですよ」
「あ、そうね。水曜日だったわ」
「最近、肉料理ばっかりだったから、そろそろあっさりしたものにしようかなーって」
「そうね。私も寄っていこう」
笑顔の下で、ふと気が付く。
響子が言っていた『所帯臭い』は、きっとこういうところなのだろう。
***
そもそも、所帯臭いとかなんとかいう前に自分は何のとりえもない人間なのだ。
一番得意なことと言えば、かろうじて刺繍くらい。それも、特別に達人というわけではなく趣味の域を出ない。いいところ小鞠のコスプレ衣装の作成に役に立てるくらい。
それに7つも年上だ。
宗冴と並んで歩いても姉弟に見られるだけで、恋人同士というには随分見劣りするのではないだろうか。
宗冴くんは気にしないと言うだろう。
この間、同級生の前気まずい思いをしたことを思い出す。
あの子たちは特に何も言わなかったが、きっと心の中では色々な感想があったはずだ。
こんなおばさんが?とか、どうせ年上の女性というなら、もっと綺麗で色っぽい人じゃないの?とか。
こんな世帯臭い平凡な女が宗冴くんの相手だなんて、納得いかないに決まっている。
「お、牡丹ちゃん。いらっしゃい、今日は何にする?」
魚屋の店先でぼんやり魚を見ていると、中からおばさんに声を掛けられる。
子供の頃から通っているが、『まいやま手芸店』に勤めるようになってからは同じ商店街の人間ということでますます親しくさせてもらっている。
「今日はアジにカレイ、それにサワラ。この辺がおすすめ」
元気に言われて、牡丹は「どうしようかなあ」と呟く。
カレイは煮つけにしたら父さんが喜びそう。サワラは漬けておいて幽庵焼きかな。
「んーと、カレイをください。あとサワラも」
「はいはい、毎度」
心に決めて注文すると、おばちゃんがにこにこ笑いながら奥に引っ込む。
どっちも余ったらお弁当に入れられるし、しばらく肉が続いていたから魚がいいだろう。犀も最近は魚を出しても残さないし。
今日明日の夕飯の献立があっさりと決まったので、少し気分が上に向いた。その時、
「なに楽しそうにしてんの?」と、背後から耳元に囁かれて、驚いて財布を落としそうになった。
「しゅ、……うご、くん」
「そんなに驚く?近所で会ったくらいで」
呆れたように牡丹を見下ろす宗冴に、「驚くよ」と、小さく答える。
「はい、お待たせ」
魚屋のおばさんに袋を差し出されて、慌てて代金と引き換えに受け取る。エコバックにそれをいれると、宗冴が牡丹の手からそれを引き取った。
少しだけ指が触れただけなのに、一気に心臓の音がうるさくなる。
「今日、魚?」
「うん。カレイ。煮つけにしようかなって。しばらくお肉続いていたから」
「俺の分ある?」
「うん、大丈夫。あるよ」
答えながら、必死で平常心と声に出さずに自分に言い聞かせ続ける。
「今日は和食だよ。最近は犀もお魚黙って食べるし」
「へえ」
夕暮れ時になって点灯した商店街の明かりが目に眩しかったのか、宗冴が少し眩しそうに目を細める。
綺麗な鼻筋の通った横顔。
長い前髪の間から見える切れ長の目も、頬のシャープなラインも、形の良い薄い唇も全部最良の位置に納まり、本当に整っている。
見上げる宗冴の横顔につい見惚れてしまった。その視線に気が付いたのか、不思議そうに宗冴が見下ろしてくる。
「なに?」
「え、いや……、なんでもないよ」
慌てていいながら視線をそらして俯く。
いくら宗冴が美形といっても随分前から見慣れているはずなのに。
顔が熱くなるのを感じながら、なるべく宗冴に顔が見えないように商店街の店先を眺めるふりで明後日の方を向く。
あれ以来、ダメなのだ。
宗冴と顔を合わせると、つい意識してしまって顔が勝手に熱くなる。
自然にしていようと努力すればするほど、ぎくしゃくして逃げ出したくなる。
宗冴くんがかっこいいのなんて今に始まったことじゃない。スタイルが良くて、声が通って耳に心地いいのも、気遣いが細やかで優しいのも以前からずっとそうなのだ。
それなのに、今になって急に何もかもが何倍にも素敵に見えて、見惚れて胸の奥がきゅうとなる。いい年して、中学生みたいに浮足立っているのが恥ずかしい。
今は律儀に約束を守って宗冴は牡丹に触れてこないが、以前のようにハグしたり、体に触れたりしたら、きっと心臓がもたない。
爆発しそう。
「牡丹」
「え?」
「前見て」
電信柱につっこもうとしていた牡丹は腕を引かれて、ふらつく。
「あ、ありがと」
「どういたしまして」
宗冴はそっけなく言うと、さっと手を離した。
律儀で真面目だと思う反面、寂しくなる。我ながら自分勝手だ。
「他に何か買い物ある?」
「ん。大丈夫」
数歩前を歩く宗冴の背中を見て、牡丹は切ない気持ちになった。
***
家についても誰も帰ってきていなかった。
「宗冴くん、できるまでゆっくりしていてね」
「俺も何か手伝う」
「そんなのいいよ。いま、お茶入れてあげる。テレビでも見てて」
牡丹がダイニングキッチンのテーブルの上に買ったものを広げていると、宗冴はその手元をのぞき込んで言う。
「手伝いたいんだ。覚えたいから」
「え?」
「料理」
思わず宗冴を見上げてしまった。
「……覚えたいの?」
「うん。さすがに米の炊き方くらいはわかるけど、いい加減、それだけしかできないっていうのもなんか」
「そう」
呟きながら、視線を落とす。
この間まで『自分で作る料理なんて食べる気しない』って言っていたのに。
『ここに来れば何かは食べさせてもらえるから』なんて、甘えてたのに。
「牡丹?」
「え、あ、……なんでもない。えっと、カレイは下処理してもらっちゃったから、煮るだけだし、あとはほうれん草の胡麻和えだからほとんどやることないし。でも、宗冴くんは煮物と副菜だけじゃ足りないよね? なにかもう一品……、鶏肉と野菜のホイル焼きにしようか?」
「ゆず味噌とマヨネーズ混ぜたソースかけて焼いたやつ?」
「そう。おいしいって言っていたでしょ」
「うん、美味かった」
「じゃあ、それにしよう」
冷蔵庫からホウレンソウやパプリカ、ナスにエリンギを出して下処理を始める牡丹の手元を真面目な顔で見ている。
ほうれん草を洗い、根元に十字に切れ込みを入れて水につけながら、牡丹は隣に立つ宗冴にばかり意識が向いてしまっていた。
どうして急に料理覚えたいなんて言うんだろ。
私にはもう作ってもらわなくても大丈夫なように?
もしかしたら、やっぱり一人暮らしする予定なのかな。
第一志望受かったら、片道2時間くらい通学にかかるみたいだし、そうすると大学行く以外に何もできないよね。
本当なら授業受けるだけじゃなくてバイトだってしたり、サークル入ったり……。
「ほうれん草、全部ゆでるの?」
「え?……ああ、このままにしておいてもしおれちゃうから、今日使わない分は、ゆでて冷凍しておくの」
「ふうん」
珍しそうに見ている宗冴を横目で見る。
「どうしたの、急に」
「んー」
「料理、覚えたいなんて。面倒くさいって言ってたのに」
牡丹の言葉に、のぞき込んでいた宗冴が長く息を吐いた。
「なんかさ、ここしばらく珍しく母さんがいただろ。そんで料理作ってもらってたんだけど、ともかく時間がかかるんだよな。遅いの」
「へえ」
それは手の込んだ料理を作っているからだろう。
「父さんは喜んで食ってたけど、俺はもっとサッと出てくる方がよかったし、いかにも手間暇かけてつくりましたって料理、押しつけがましくて苦手」
「贅沢なこと言ってる」
牡丹が苦笑して言うと、宗冴は少し拗ねた顔をした。
「ともかく普通の料理でいいからって言ったら、母さんすっかり臍まげるし、父さんは大げさに感謝しろとは言わないが、もう少し思いやりを持てとかすごい怒られるし」
「ちょっとだけ、
「牡丹まで、そんなこというなよ」
ほうれん草の処理を終えて、調味料を入れて煮立てておいた鍋の様子を見る。頃合いを見計らって魚を煮汁に浸るように並べて落し蓋をする。
「『だいたい普通の料理ってなに?』 って言われたから、『牡丹が作るごはん』って答えたんだ。そうしたら、お前は贅沢が過ぎるってさらに怒られた。それで、そんなに牡丹のご飯が好きならずっと食べさせてもらうか、自分で作れって」
「うーん」
率直な感想としては、宗冴に褒められるのは嬉しい。だが、華さんのことを考えると気の毒としか言いようがない。
「そこは料理を覚えようと思うより、
「なんで?」
「なんででも! お母さんが息子の為を思って作った料理がどんなものより最強なの」
宗冴は真面目な顔で黙りこんでしまったが、牡丹の手元を見ながら何かを考えている風だった。
一方、牡丹は自分でも呆れるほど、内心ほっとしてしまった。
なんだ、一人暮らしする準備じゃなかったのか。
「牡丹がそういうなら、謝る」
納得したのかしてないのかわからないが、いつもの弟ムーブの宗冴の物言いに口元が緩む。
「ん、素直でいい子。宗冴くんエライ」
いつもの癖で横に立つ宗冴のことを見上げて、思いのほか顔が近くに会ってぎょっとする。しかもまともに目が合ってしまった。
え、え、近い、そんなに近くにいたの?
油断してた。
途端に自分の顔が段々熱くなる。やだ、私いま顔真っ赤?
「牡丹……!?」
「え?」
声に驚いて自分の手元に視線を戻す。
気が付いた時には、ナスのヘタと一緒に自分の指にも包丁の刃を当ててしまっていた。
大した切り傷ではなかったがうっすらと血がにじむ。指の皮一枚より深く切った程度だ。
痛いというよりむず痒い痛み。
「牡丹、何やってんだよ。血が出てる」
宗冴は苛立ったように牡丹の手をとり、指をティッシュで押さえたままリビングに移動した。
ソファに牡丹を座らせると、宗冴は焦ったように
「救急箱どこだっけ?」と、呟く。
「脱衣所の棚の2段目。宗冴くん、そんな大げさにしなくても」
「大げさになんてしてない。でも血が出てるんだから絆創膏くらい必要だろ」
尖った声で言うと、そのままリビングを出て行った。ティッシュで押さえた傷は本当に大したことはなく、すでに血も止まりかけていた。
「本当にたいしたケガじゃないのに」
牡丹が独り言を言っている間に、宗冴が救急箱をもって戻ってくる。
「手、出して」
子供のように素直に手を出すと神妙な顔で絆創膏を巻いてくれた。
「ありがとう」
見上げると、心配そうな宗冴の顔が自分を見ている顔が間近にあった。
さっきと同じですごくドキドキするし、どんな顔をしたらいいのかわからないけど、いろんな感情が後から泡のように沸いてきて処理が追い付かない。
「ただいまー」
玄関から犀の声がして視線を逸らす。
「ただいま。お、宗冴」
「おかえり」
リビングに顔を出した犀に、宗冴が答える。
「どうしたんだよ、救急箱なんか出して。姉ちゃん怪我?」
「指切っちゃった。そんな大したことないんだけど」
「血が出てただろ」
少し咎めるような声で言う宗冴に微笑んで見せる。
「これくらい、昔はよくやってたの。大丈夫」
夕飯の準備の続きをしようと立ち上がると、宗冴が一緒に腰を浮かせかけた。
「宗冴くんは、ゆっくりしてて」
「でも、怪我しているし手伝い……」
「お料理を覚えるよりも?」
「……母さんに謝罪?」
口の中でもごもごという宗冴に微笑む。
「そうそう。もしそれとは別に本当に料理覚えたいなら後でちゃんと教えてあげる。さ、できたら声かけるから、犀もちょっと待っててね」
そう言ってキッチンに戻る。
二人の視線を感じたが、特に何も声をかけられることもなかったので、夕飯の支度を再開した。
***
救急箱に絆創膏を収めている宗冴を見ながら犀はテレビをつけた。
「姉ちゃんがケガするなんて珍しい」
ぼそりと呟くと、ちらっと宗冴が視線だけを上げた。
何も言わずに救急箱をしまいに行った宗冴は戻ってきて犀の隣に座る。しれっとしたその横顔は口を開かないので、わざと肩をぶつけるようにして身体を寄せた。
「なに?」
少し鬱陶しそうな宗冴の声を無視して声を潜める。
「姉ちゃんから返事もらったのか?」
「まだ」
「それにしちゃ、なんかちょっと余裕だな」
この間まで死にそうな顔をしていたくせに。
合格発表も数日後を控えているのに、なんだか宗冴の雰囲気は穏やかだ。
「余裕ないよ。前と違って牡丹といちゃつけないし」
「……お前な」
「2月の終わりぐらいまではマジで死にそうだったけどとりあえず入試終わったから、その分だけ少しだけ楽になったけど」
言う割には宗冴の表情に余裕があり、自分の現役の時と比べるとなんて可愛げがないのかと思った。
だが、それは今は置いておく。
「結果待ちのみか」
「そう。だからジタバタしてもしょうがない。それよりも牡丹だよ。全然、返事くれないし」
宗冴が拗ねたようにぼそりと呟く。
「試験終わったらなんか返事くれるかと思っていたけど、まったくそんな様子もないし、なら避けられるかなと思ったけど態度あんまり変わらないし。意識されている感じはするけど」
宗冴は肩越しにキッチンを見た。廊下を隔てたキッチンではいつものように牡丹が夕食の用意をしている後姿が見える。
「わかんの?」と、聞くとやたらと冷たい横目で見られた。
「前は抱きしめようが、どこ触ろうが平気な顔でにこにこしていたのに、最近は目が合うだけで顔真っ赤になる。意識されてるなってわからないほうがどうかしている」
こともなげに言うのに、犀は内心苦笑する。
さすが牡丹。超恋愛初心者なの丸出し。好きって自覚してからの態度が小学生並み……、いや、最近の小学生の方がまだ展開早いわ。
姉に知れたらめちゃくちゃ怒られ、拗ねられそうなことを考えていると
「俺のこと好きな癖になんで何にも返事くれないんだ?」
傲慢ともとれる宗冴の発言だが、その表情は途方に暮れていて少し気の毒だった。
だが、そこにはあえて触れずに
「自信満々だな、お前」と、少しちゃかすように肘でつつく。
宗冴は鬱陶しそうに軽く眉根を寄せたが、
「好きって言われるよりわかりやすいだろ、あの態度」と、面倒くさそうに言った後、ふと何を思ったのか
「あー、……ホントかわいいな、牡丹」と、漏らして犀は思わず眉尻を下げた。
「なに? その呆れた顔」
「いや、なんでもない。それよりも返事は合格発表後とか思ってんじゃないの、姉ちゃんのことだから」
「ありえるけど。……実際さ、なんでこんな焦らされてんの? っていう気持ちではある」
「そう、だよなぁ」
姉と幼馴染の間で板挟みになっている犀にとっては、どちらの気持ちもわからないでもない。困ってごにょごにょと口の中で言葉を弄ぶ。
このまま何事もなく物事が進めば、二人は晴れて恋人同士ということになるだろう。
だが、そうスムーズに物事が進むとは限らない。
犀が心配しているのは牡丹の性格上、宗冴とは付き合えないとお断りする可能性だ。
確かに宗冴のことを好きだと言っていたが、牡丹の内気さと謙虚さは異常だ。自己に対する過小評価が過ぎて、釣り合わないとか言い出さないとも限らない。
ついごちゃごちゃと考え込んでいる内容を悟られないようにと、スマホをいじっているふりをしていると、
「あ、そうだ」
宗冴が何かを思い出した顔で口を開いた。
「あとでちゃんと話すけど、4月から俺、一人暮らしっぽくなるかも」
「はあ?」
スマホから顔をあげる。
微妙な言い回しに、口を半開きの間抜けな顔で声を漏らした。
***
数日後。
宗冴の最後の合格発表があった。
結果は合格。誰の目にもあまり意外性のない結果だったが、おめでたいニュースであることに変わりない。
宿木家にもこのニュースは早々に報告された。
牡丹は合格発表の2分後にネットで確認をした宗冴から連絡を受けた。
あまりにもその報告が早かったので、『おめでとう』と共に連絡が早くて驚いた旨をメッセージで送ると
『誰よりも先に牡丹に報告した』と、レスが来た。
『少なくとも犀よりは先に言わないと、牡丹がまた拗ねるから』
年末に絡んだことを揶揄われているのだとわかったが、キスしたことまで思い出してしまい牡丹は職場で赤面することとなった。
「別に拗ねませーん」
誰にともなく小さく呟いて、メッセージを返す。
『合格祝い考えておいてね』
送ってから長くため息をつくと、牡丹はぱたりと机に突っ伏した。
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