第15話 牡丹さんと宗冴くんのVD
勇樹と澪が帰った後、筒路家は一気に静寂を取り戻した。
ため息をついてリビングに戻ると、ダイニングの奥。キッチンで洗い物をしている牡丹が見えた。
いつの間にか客に出したコーヒーを下げて洗っていたようだった。
「牡丹」
名前を呼ぶと、少し驚いたように顔をあげる。
どこかうわの空だったのだろうか、隣に立って手元を見ると洗い物は終わっていた。
宗冴の家には食洗器があるので、適当に突っ込んでおけばいいのに、牡丹はいつも洗い残しがあるのが嫌と言って、軽く洗ってから食洗器に入れるのだ。
面倒くさいといってなんでも突っ込んでしまう母とは大違いだ。
「そんなの放っておいていいのに」
呟くと、牡丹は淡く笑って
「そんなに、大した量じゃないし」と言って、視線をあげようとしない。
目を合わせようとせず、どこかよそよそしい牡丹に胸が痛くなる。
初詣からしばらく、牡丹は宗冴と直接顔を合わせるのを避けているようだった。
それでもセンター試験の前日に、『忘れ物をしないように』『温かくして。』『試験頑張って』とLINEでメッセージが届いた。
随分と混乱しているみたいだったし、なんとなく避けられていた自覚があったので、言葉をかけてもらえたのは嬉しかった。
『ありがとう』と短くお礼のメッセージを返す。
もともとそんなにSNSで長々とやり取りする習慣もなかったし、私大の一般入試があったり、二次試験の準備があったりで無理に連絡を取る余裕もなかった。
返事は待つといった手前もあったし、自分で招いた状況でひとつでも受験を取りこぼしたら牡丹が気にするだろうし、自分がかっこ悪くて死にたくなる。
だがバレンタインデーの珍客に続いて、牡丹がひっそりとチョコレートを置いて帰ろうとしたとき、なぜか苛立ちが爆発した。
自分でもなんであんなに感情が乱れたのかわからない。
ただ目の前を見知らぬ人のように素通りされたような、そんな孤独感に耐えられなかった。
「出かけるところだったんでしょ。お邪魔してごめん、帰るね」
牡丹の労わるような柔らかな声に我に返る。
「ちょっと待って、まだ話が……」
またとっさに腕を掴もうとして、すぐに手を引っ込める。その代わり帰ろうとした牡丹の前に回って、行く手をさえぎった。
牡丹は少し困ったような顔をして足を止めて俯いた。
「ごめん」
思考より先に言葉が出ていた。
「さっき、触ったの。怒ってる?」
怒っているかと聞かれた牡丹はきょとんとした顔になって、少しだけ顔をあげた。だが宗冴と視線が合いそうになるとさりげなく逸らす。
その仕草に胸が少し痛んだ。
「約束したのに2回も腕掴んで……、痛かった?ごめん」
約束の意味が最初わからなかったのか牡丹は不思議そうな顔をしていたが、すぐに初詣の日、もう触らないといった宗冴の言葉を思い出したようだった。
「ぅ、ううん。痛くなかったよ。大丈夫。ちょっと、驚いただけ」
驚いたという言葉が小さくしりすぼみになって、なぜか牡丹はかすかに頬を染めた。
見下ろす角度のせいか、いやに色っぽい。
「驚かせてごめん」
上の空の言葉をこぼしながら、視線は牡丹に釘付けになっている。
俯くと背中の半ばまでの髪が柔らかそうに頬にかかり、表情を隠した。
身じろぎしたときに仄かに薫る優しい香りは、腕の中に納まる身体の温かさや柔らかさを思い出させる。
本当は以前みたいに触れたいけど、もうそれはできない。無邪気にじゃれつく権利を持った『弟』としての立場はもう失ってしまった。
「お互い謝ってばっかりだね」
牡丹が呟くのに、今度は宗冴が言葉に詰まる。
少しだけ顔を上げた牡丹が微笑んでいたので、そのかわいらしさにきゅうと胸が苦しくなる。
「話ってそのこと?」
「いや、そうじゃなくて」
早口に呟く。
「センターの前にメッセージくれたの嬉しかった。ありがと」
「ううん。何にもできないから、お邪魔にならない程度にせめて声かけたかったから。それだけ」
「あと、もし牡丹が嫌じゃなかったら、俺のこと避けないで」
「え?」
「返事は待つっていったけど、その間、顔も見ないくらい避けられるのはちょっとつらいし……傷つく」
牡丹は何か言いたげに口を開きかけたが、何かを飲み込むように唇を引き結んだ。
そして少し眉尻を下げて、「うん、わかった」と、答える。
「あ、そうだ。チョコレート食べてね」
わざと話題を切り替えた声は、細く掠れていた。
「宗冴くん、すごく甘いもの好きってわけじゃないけど勉強して疲れているだろうから。チョコレートは、休憩の時にでも食べて」
以前と同じにように微笑もうとする牡丹は、無理をしているように見えた。
「アソートでいろいろ入っているの。きっと宗冴くんはジャンドゥーヤのやつが好きだと思う」
「ジャンドゥーヤってなに?」
「ヘーゼルナッツのペーストをチョコレートに混ぜたやつ。他のもおいしいけど、試食したときに、これが一番宗冴くんの好みの味だなって思ったから」
わざと明るい声を出して、今まで通りに振舞おうとする牡丹は愚かしいと思う。
もう以前とは違うのに。
でもそうやって以前と同じ距離を保とうとする態度をかわいらいしとも思う。
「牡丹がそういうなら、そうだと思う。食べてみる」
そう言うと、牡丹はほっとしたように吐息を漏らした。
かわいい、俺の牡丹。
我慢の限界だった。
本当は自分から触れて、嫌がって怖がっても抱きしめたい。宗冴にはそれができるし、簡単なことだ。
でも、できない。そんなことして、牡丹に嫌われるくらいなら死ぬ。
「ねえ、牡丹」
「なに?」
「ハグして」
両手を広げて言うと、牡丹は目を丸くして宗冴を見上げた。
「俺からは触らないから。牡丹からハグして、頭撫でてよ」
「……えっと」
「お願い。……疲れていて限界なんだ。牡丹に『頑張って』って言われたら頑張れるから」
そう言って身体をかがめると、牡丹は少し眉尻を下げて戸惑っていた。
だが、結局腕を伸ばして宗冴の首に巻き付けた。
不安になるほど、どこまでも甘やかしてくれるかわいい人。
ぎゅっとハグされると柔らかい温かさが伝わって、甘い匂いが鼻孔をくすぐった。
胸いっぱいに牡丹の優しい甘い香りをかぐと、くらくらする。どんなドラッグより多幸感で満たされる。
小さな手が髪を撫でる。くすぐったい、でも気持ちが落ち着く。
「宗冴くん、もう少しだよ。頑張って」
「うん」
華奢な身体に腕を回し思うさま抱きしめて、その小さな唇にもう一度キスしたい。
その衝動をこらえながら、大人しく牡丹に抱きしめてもらう。
「あ、そうだ」
ふと思いついて、呟く。
「そういえばさっき。『姉です』って言わなかったな」
少し、からかうような声音になってしまったが、特に深い意味はなかった。
「ぇ、なにが……」
「さっきあいつらが来た時。牡丹、ついこの間まで誰に対しても『この子の姉みたいなものです』とか、堂々と答えていたから」
言いながら、まだ制服を着ていた頃の牡丹を思い出す。
「姉ですって言われないの、ちょっと嬉しかった。少しは俺のこと意識してくれているみたいで」
耳元で囁くと、牡丹の腕から力が抜けた。
ゆっくりと抱きしめていた腕が外れて、ふらりと後ずさる。
「牡丹?」
頬を赤く染め口元を押えて、牡丹はまた一歩後ろに下がる。
「え、ぼた……」
口を開きかけた時、
「わたし、帰る」と、口元から手を外してたどたどしい声音で言った。
ぎくしゃくとした足取りで踵を返す。
「ごめん。勉強頑張ってね」
肩越しにぎこちない笑みを浮かべて、牡丹は逃げるように宗冴に背中を向けた。
今度こそ引き止めることもできず、その背中を見送るしかなかった。
少しだけ見えた横顔が、泣いているみたいに見えた。
バタンと玄関の方で扉が閉まる音を聞きながら、そういえば牡丹が泣いているところを一度も見たことがなかったことを今更ながら気が付いた。
***
犀が家に帰ると、父親だけがリビングでテレビを見ていた。
「ただいま、ねーちゃんは?」
確か出張の代休がたまたま2月14日の今日のはずだ。いつもなら、夕飯の片づけが終わって、明日の朝食と弁当の準備をしているか、リビングでテレビを見ながらアイロンでもかけている時間だ。
「具合が悪いって。部屋で寝てるよ」
「え、マジで」
滅多に風邪もひかないタイプなので、ちょっと驚いた。
「あ、お前そういえば、今日はデートとか言ってなかったか?」
「デートだったよ。でも平日外泊すると姉ちゃん怒るだろ」
「そうだなあ」
そう言って、難儀そうに泰輔が立ちあがる。
「さて、俺は風呂入って寝るから、お前、最後の戸締りよろしくな」
「わかった」
浴室に向かった父親とは反対に、犀は二階に上がった。部屋に荷物と上着を放り出すと、牡丹の部屋の前に立つ。
「姉ちゃん」
ノックと同時に声をかけるが、返事はない。
「姉ちゃん、入るよ」
声をかけると、そっとドアを開いた。明かりのついていない部屋のスイッチをつける。廊下からの明かりでかろうじて見えていたベッドの上の丸い物体は、やはり毛布を頭からかぶって丸くなっている牡丹のようだった。
「姉ちゃん、具合悪いの?」
返事はない。
「飯食ってないみたいじゃん、大丈夫?」
「……放っておいて」
毛布の中からくぐもった声が聞こえた。
どっちが頭かわからないが、多分枕の方が頭のはずだ。おそらく背中だろうと思われるあたりをぽんぽんと叩く。
「俺の時は放っておいてくれなかっただろ。なあ、なんか持ってくる?」
「犀は今日、デートじゃなかったの?」
もそもそとした喉に絡んだ声は、なんとなく泣いていたのかなと思わせる。
「もう10時過ぎ。外泊したら怒るだろ」
まあ、俺は泊ってきたかったけど、と軽口をたたくと毛布が小さく動いた。
「なあ、宗冴と何かあった?」
少し真面目な声で聴くと、毛布はそのまま動かなくなった。
「今日、バレンタインだもんな。宗冴のところに行った? チョコレート渡せた?」
「なんで、そう思うの?」
さっきより少し低くなった声は、拗ねているように聞こえた。
「姉ちゃんがそんなに風になるの、もう宗冴のことしかないじゃん」
呆れて呟くと、毛布から足が生えて蹴られた。
「痛っ……蹴るなよ!」
「犀、生意気。かわいくない」
毛布に文句を言われた。
「はいはい、そんでもって宗冴のことはかわいくてしょうがないんだろ?」
「うるさい」
まるで恨み言っぽい、なにか不満を漏らす声が毛布の中からぶつぶつと聞こえてきたが、さっきよりずっと小さくて聞き取れない。
「なー、姉ちゃん。もう諦めて毛布から出てきたら?せめて顔だけでも出せよ」
「……。」
「何言ってるかわからないから」
一呼吸の間をおいて、もぞもぞと毛布が動いた。毛布をかぶったまま起き上がり、めくれた先から牡丹が不満そうに顔を出した。
予想通り、ぼさぼさの髪に泣きはらした顔。
「ひっでえ顔」
「犀が出て来いっていったんでしょ」
恨みがましく呟くと上目遣いに睨まれる。だが、そんな顔もなぜか微笑ましかった。
「姉ちゃんが泣いているの見るなんて何年ぶりだろ」
「うるさいなあ、どうせひどい顔だよ。ブサイクだもん」
そう言って目頭のあたりを指で撫でている。
「で、宗冴と何があったの?」
重ねて聞くと、牡丹はじっと自分の膝のあたりを見ている。
「今日、華さんが来てね、実家から送ってくれたリンゴを分けてくれたの」
いきなり話が飛んだように聞こえたが、とりあえず腰を折らずに黙って聞くことにする。
「その時、もうすぐ宗冴くんも出かけるからっていうから、チョコレートをね……郵便受けに入れておこうと思って。直接会って渡すほどのこともないし、邪魔したくないし」
『邪魔したくない』は最近の牡丹の口癖だが、これは言い訳に過ぎない。本当は宗冴と顔を合わせるのが気まずいのだろう。
「そうしたら宗冴くん家にまだいて、それにチョコレート渡しに来ていた同級生とも鉢合わせしちゃって……」
「うわ、修羅場かよ」
思わず呟くと、牡丹は少し呆気にとられた顔をした。
「そうかな、……そうかも」
しゅんと落ち込む牡丹に、どうせ宗冴がその同級生のことを一刀両断に断ったんだろうと言おうとして口を閉ざした。
おそらくその場に牡丹がいたとしたら、嬉しさよりも複雑な気持ちになったはずだ。
だが、そうだとしても泣くほどの精神的ダメージをどこらへんで受けたんだ?
「それで?」
鬱々として口を開かない牡丹を促すと、牡丹は細い声で続けた。
「すごく良い子そうだったけど、宗冴くんは断っちゃって、私はチョコレート渡して帰ってきた」
……だから、今の話のどこら辺に牡丹が落ち込むところがあったんだよ。
同級生の女の子がかわいかった?(牡丹は顔もそうだが、年齢とかも気にするだろうから)
その女の子に対して、宗冴が冷徹すぎる態度でも取っていたか?(俺は見慣れているけど、牡丹はあまり知らないはずだ)
「もうちょっと詳しく話してくれないと、なんもわかんないんだけど」
じれったくなってそう言うと、牡丹は犀のいうことなど聞いていないように視線を落とした。
「私、バカみたい」
ぼそりと呟いて、牡丹はまたベッドにつっぷした。毛布をかぶりはしなかったものの、顔を隠すようにうつぶせになる。
「これまで宗冴くんのことは弟と同じで、自分でも犀と同じにかわいがっていたつもりだったの」
ベッドのシーツに顔をうずめて呟く。
「一緒に遊んだりご飯食べさせてあげたり、他にもいろいろ……面倒見てあげて、それで自分ではお姉ちゃんのつもりだったの。でも全然違う」
「?違くないだろ」
「違うの。宗冴君は犀とは違う。だって……私、犀に彼女ができたらって想像したことない」
「は?」
さっきから支離滅裂すぎて、全然話がつながらない。
「犀にもし彼女ができたらとか、犀がもしかしたら大学で一人暮らし始めるかもとか、それが現実に目の前に来るまで考えたこともなかったの」
ただうわ言のように、牡丹は淡々と言葉をこぼし続ける。
「でも宗冴くんのことはずっと考えてた。もし彼女ができたら顔見せなくなるなとか、大学に行ったら一人暮らしするのかなとか、就職したら遠くに行くかもとか。いつか離れていくことを想像し続けていた。……本当にそうなった時、ショックで悲しくならないように」
突っ伏したままの肩が震えていた。
「自分でも気づかなかったけど、多分、宗冴くんがいきなりいなくなったら、寂しくて悲しくて耐えられない。『彼女だよ』って女の子連れてきた時に、なんの準備もなかったら、笑って『よかったね』って言えない。だからずっと無意識に準備してたんだ」
「なんだよ、それ」
思わず呟いていた。
だって、それって宗冴のことが好きだけど、振られる準備をしていたってこと?
しかも無意識下で?
「……本当にバカみたいじゃん」
「だからバカみたいって言っているでしょ!?」
がばっと身体を起こして怒鳴る牡丹の目が涙で潤んでいた。
「でも、宗冴くんだって私のことお姉ちゃんだと思ってくれているから、あんなふうに甘えて信頼してくれているって信じてたんだもの。だから私もお姉ちゃんでいなきゃって……頑張って」
パタパタと牡丹の頬から伝い落ちた涙が、シーツにシミを作る。
「泣くなよ、姉ちゃん」
「ゔ―……」
うなり声をあげて手の甲で涙をぬぐう牡丹は、なんだか自分よりずっと小さな女の子みたいだった。
姉というよりは、母のように自分の面倒を見てくれていた牡丹がいつもよりずっと小さく見える。
慣れない手つきで頭を撫で、抱きしめると牡丹は素直に犀の胸に顔をうずめた。
「せいー……」
「ずっと宗冴のこと好きだったってことだろ。宗冴も牡丹のこと好きなんだし、よかったじゃん」
「ふ……、ぅ、よくないー……」
「なんで?」
「……好きなの、気が付いたの、ついさっき……恥ずかしい、消えたい……っ」
ぶはっと思わず吹き出すと、背中に回っていた手に殴られた。
「笑わないでっ」
「ごめん」
小さく喉を鳴らして笑いながら牡丹の背中を撫でる。
「お姉ちゃんとか連発して、めちゃくちゃ甘やかして、触りまくって……、本当は好きだったなんて……今更、恥ずかしい。私、宗冴くんより、7つも年上なんだよ? 他の人からどう見えてたの……? ……あー、いや、もうヤダ」
「まあ、気にすんなって。大丈夫、牡丹が宗冴のこと好きなんだって、みんなに丸わかりだから」
「また! ……どうしてみんなそうなの!? 宗冴くんの告白の時も当然みたいに……っ」
「だって二人ともわかりやすすぎるから」
宗冴に至っては隠してもいないし。
「……っ、もうやだ、お家の外に出たくない。……もう、恥ずかしいよー、あー、やっぱり消えたい」
犀の胸に顔を押しつけてぶつぶつと文句を言っている牡丹を抱きしめる。
「恥ずかしくてもさ、消えないでよ。俺も寂しいし、なにより宗冴がかわいそうだろ」
「う……」
「あいつ本当に牡丹のことがずっと好きで、好きで好きで好きで、もう大好きだったんだから」
「あんまり好き好き言わないで」
「宗冴に言われたわけでもないのに、照れんなよ」
ずるっと牡丹の身体がずり落ちた。
泣きすぎて疲れたのか、少しずつ体重がかかってくる。
「今度からはさ、宗冴だけ特別甘やかしてもいいよ」
「何それ……?」
「俺の姉ちゃんはもう卒業してもいいからさ」
腕の中の牡丹はよほど疲れたのか、半分眠りかけていた。
「何言ってんの、お姉ちゃんは一生、……おねえちゃんでしょ」
それを最後に、ふっと意識を手放すように牡丹が寝息を立て始める。
「やれやれ」
ヒステリー起こして泣きわめいて、最後に力尽きて眠る幼児のようだった。
犀は牡丹を改めてベッドにちゃんと横たえると、布団をかけなおした。
それにしてもこの恋愛に関してのメンタルレベルの低さ。小学生だってもっとませているだろう。
まあ、その責任は自分と宗冴にあるのだが。
牡丹はモテなかったわけではない。
顔だってかわいいし、スタイルだってよかった。なにせあの有名コスプレイヤーの小鞠さんと並んで大きく見劣りしないのだから。
ただ雰囲気が徹底的に地味なのだ。
本来、芯の強いところがあるのだが、一見、ふわふわしていて優しくてなんでも受け入れてくれる。
だからその分、御しやすいと思われる。
言いなりになりそう。都合よくなんでもいうことを聞きそうな女。
なんでも好意的にとらえ疑いもせず、掛け持ちするには最適。
運の悪いことに、なぜかそんな連中ばかりが牡丹の周りに群がっていた。
許せなかった。
大事な大事な姉が、そんな連中にいいようにされるのは断じて許容できない。シスコンと言われてもしょうがないが、何と言われてもかまわなかった。
犀にとって牡丹は母親で、姉で、命の恩人だった。
宗冴に至っては言わずもがなだ。
手段を択ばず、牡丹にたかる連中を排除したことに後悔はないが、恋愛に関してはとんでもない幼稚……もとい、箱入りになってしまったことは否めない。
まあ、いいか。
どうせ宗冴のところに嫁に行くんだろうし。
静かな寝息を立てる姉をもう一度見下ろして、
「今までありがとうな、姉ちゃん」と、小さく呟く。
ベッドから離れると、部屋の電気を消して扉を閉める。
いまはまずぐっすり眠って、それからまた右往左往しながら、宗冴と幸せになればいい。
階段を下りていくと、風呂から出た泰輔とすれ違った。
「犀、牡丹の様子どうだった?」
様子を見に行っているのが当たり前のような口調に苦笑する。
「大丈夫だよ。明日にはいつも通りだと思うよ」
「そうか」
泰輔はそっけない口調で言った。そのまま通り過ぎて部屋に戻りそうになる背中に話しかける。
「なあ、父さん。うちの姉ちゃん、かわいいよな」
犀が少しからかうような口調でそう言うと、泰輔は肩越しに振り返った。
そして
「そりゃ、牡丹ほど気立てのいい子はいないだろ。あんないい娘、どこ探したっていないよ」
当然のように言って「お前は少し我儘だけどな」と、にやりと笑って部屋に入っていった。
「俺が我儘なのは、姉ちゃんに甘やかされたからですー」
犀は父親の部屋の扉に向かっていつもの常套句を呟いた。
誰もいないリビングはエアコンが切られており寒々しく、先に風呂に入ろうかと浴室に向かう。
2月が一番寒いよな。
そう思いながらふと窓の外を見ると、遠目に筒路家の明かりが見えた。
あと1週間もすれば、2次試験も終わりか。
宗冴もあと少しだな。頑張れよ。
明かりに向かって、そう心の中で呟く。
冬来たりなば春遠からじ、だっけ。
まあ、受験なんて宗冴にしてみたら、大した冬じゃないだろうけど。
牡丹を想い続けていた、あの子供の頃に比べれば。
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