第13話 宗冴くんと同級生のVD①
2月7日。
「いくらなんでも、余裕すぎじゃない? 一応、高校3年生なわけだからさ……」
「だって、卒業までにできること全部やりたいんだもん!」
女性の化粧品や高価なお菓子というのは、なぜあんなにも小さくて高級感のある紙袋に入っているのか。
勇樹はしみじみと澪の手の中にあるかわいらしくもシックな紙袋を眺めた。
10×15×3センチというサイズ感。なのに中のチョコレートは三千円以上もするのだ。
「この半年くらいで筒路に脈なしなのわかっていて、よくそこまで頑張れるね」
「藤袴くん、言い方」
「だって、そうじゃん。これまでいろいろアピールしてたけど、反応薄過ぎて俺の方がいたたまれなかった」
「いいの! 推し活みたいなものなんだから」
澪の力強さに反して、勇樹はだんだん元気がなくなっていく。
「推し……」
「そう、推し。
「ま、いいけどさあ。で、どうすんの? 次に学校に来るの卒業式だし、予備校に凸るの?」
「うーん、……待ち伏せてるんだけど、なんだかすれ違っちゃうっていうか、逃げられちゃうんだよね」
逃げている気はないのかもしれない。
そもそも興味のない対象に対して無頓着だから、わざわざ避けるような態度をとっているとも考えづらい。
「ということで、藤袴君にお願い!」
「え?」
「筒路くんのお家の住所教えて」
「はぁ!?」
「最初は郵送しようかと思ったんだけど、もういっそ直接私に行きたいの」
「ちょくせつ……?」
「それでもって、できれば一緒に来て」
両手を合わせて頼まれても、さすがにすぐに頷けなかった。
「え、ちょっと待って。山吹さん本気?」
「本気、本気。今日はそれをお願いしたくて来てもらったんだよ」
「いや、それはちょっと……」
「先にお礼のフラペチーノもごちそうしたでしょ?」
先ほど買い物の前に、まずはお茶でもと誘われて入ったのは罠だったのか。いや、おごるからという時点で気づくべきだったのだ。
「俺、筒路の家に行ったことないよ」
「仲がいいから、行ったことあるのかと思っていた。同じ部活だし」
澪はへにゃっと笑って見せるのに、勇樹は大げさに額を押えて見せた。
この口ぶりからすると、おそらく部員の住所録を狙って勇樹に声をかけてきたのだろう。
「ホントにやるの?」
「うん。こんなこと頼めるの藤袴くんしかいないんだよ」
「あー……信頼が厚いのはありがたいけど。山吹さん、誰しもできることとできないことがあるんだよ」
「大丈夫だよ、藤袴くんはデキる子だよ!」
かみ合ってない。
しかし、その時ふと勇樹にもいたずら心が湧いた。
宗冴の家に行けば、例の『隣のお姉さん』が見られる可能性あり?
このまま卒業してしまえば、宗冴と疎遠になるだろうし、そうなったら幻の隣のお姉さんは一生見られない可能性もある。
これはチャンスかもしれない。
「……んー、どうせ断れない流れだし。ま、いいか! よし、連れてってあげよう」
「やったー!」
無邪気に喜ぶ澪の隣で、とりあえず勇樹は本気で怒った宗冴につるし上げられる覚悟をした。
ハイリスクだけど、ハイリターンかもしれないしさ。
***
バレンタインデー当日。
最寄りの駅で待ち合わせをして、部活の住所録に載っている住所を頼りに二人で筒路家に向かった。
「もしかして連絡とかした?」
「いや、全然。下手に連絡とかしたら不在とかありそうだし」
「えー、しないでしょ」
「アイツは俺に対して余裕でそういうことするね」
「……藤袴君、筒路くんの友達なんだよね?」
「俺はそう思っているけど、筒路はどう思っているかは謎」
単に部活が一緒で、行動がかぶるだけとか思われている可能性もある。
「ま、他の連中よりかはしゃべっている方だよ。これはマジで」
そもそも
3年間、同じ剣道部。どうやら小学生の頃からやっているだけあって、筒路から来てから大会出場してもかなり勝ち進むようになったと先輩方から喜ばれている。
だが同中の生徒から話を聞こうとすると、知らない。覚えてない。あるいは、学校にあまり来ておらず、どうやら他の中学の素行の悪い連中と付き合いがあったらしい。
などなど。
真偽の怪しいうわさ話ばかりで、本人は無表情で聞いても何も答えない。
まあ、悪い奴ではないと思っている。
剣道の太刀筋がまっすぐだし、何より後ろ暗い奴が子供の剣道教室の臨時コーチでわざわざ警察の道場まで平気で出入りしたりしないだろう。
「お、そろそろ住宅街に近づいてきた感じ」
商店街を抜け、少しずつ住宅が増えていく。
駅前はマンションやアパートが多かったが、少しずつ戸建てが増えていく。
「筒路くんちって戸建てなんだ。なんか高いマンションとかに住んでいそうって思ってた」
「いや、高級マンションかはともかくアイツん家、何気に金持ちって噂は聞いたことあるけど」
スマホのナビゲーションアプリと、電柱の地番を頼りに歩く。
一度、犬の散歩の奥さんとすれ違ったが、横目で見られた。
見たことのない学生っぽいのが二人。平日に、スマホ片手にきょろきょろしながら歩いていたら不審かもしれない。
「この辺だと思うんだけど」
「あ、ねえ。番地、めっちゃ近くまで来てるっぽい。ほら、あと一区画先じゃない!?」
テンションが上がっている澪の声が、静かな住宅街に響く。
ひとつひとつ表札を確認しながら進むと、やがてやたらと庭が広いモデルルームみたいな戸建てが見えた。他の家より少し高めの家を囲う鉄柵。門の表札は『筒路』
「ここだ」
「うわー……。なんか広い。3階建て? 屋根じゃなくて屋上なんだー」
二人でしばし家を眺めて、ため息をつく。
いや、金持ちは噂だけではなかったようだ。
「インターフォンは?」
「そこ」
勇樹が門前のインターフォンを指さす。
「さ、どーぞ」
進めるが、澪は動かない。ただじっと、インターフォンを見ていたかと思うと、視線をあげてその奥のこじゃれた家を見上げ、それからインターフォンに視線を戻した。
「……山吹さん?」
「ちょっと、待って。緊張する」
「いや、ここまでめっちゃリラックスしてたよね!?」
「だって、本当にお家に来られるとは思ってなかったんだもん!」
「それじゃ、何のために俺は同行したわけ?」
勇樹が呆れて呟くと、
「ヤバ……、いざとなるとすっごい緊張する。ちょっと待って!」
澪が胸に手を当てて数度、大げさに深呼吸する。
「……よし、行く!」
「いってらっしゃーい」
面白半分で声をかけると、澪の指がゆっくりとインターフォンを押した。その指が細かく震えていたのは、多分寒さのせいだけではないだろう。
緊張しているというのは、あながち大げさなことでもないようだ。
インターフォンを押して、数秒。
反応がない。
ドアが開く気配もなければ、インターフォンから家人の
「も、……もう一回」
澪がそう言って、もう一度ボタンを押したが同様だった。
「留守じゃん」
そう言って不満そうな声を出したが、表情がなぜかほっとしていた。
「留守だったかぁ」
勇樹も心の中で少しほっとする。
澪には悪いが、連れてきたことに関しては絶対に怒られる自信がある。
「がっかり」
「まあ、しょうがないね」
「えー、どうしよう。どこに行ってるのかな?」
「予備校で自習とか? 今日は確か講義はないからな」
同じ予備校に通っている勇樹は取っている講義は違っても、それなりに宗冴の受講予定を把握していた。
「予備校か。だとしたら、しばらく帰ってこないよね」
「運が良ければコンビニに買い物とか? 待ってりゃワンチャンあるかもだけど」
二人は空を見上げる。
曇天である。
ここまでは意識していなかったが、今日は今季一番の寒さと天気予報でも伝えていた。
「帰ろっか」
「意外に挫けるの早くない? 山吹さん」
「なんかさー、盛り上がった分、落ちるのも早いというか。この肩透かし感が筒路くんらしいというか。まあ、こんなもんだよねーって気持ち」
乾いた笑いを浮かべて、がくりと肩を落とす。
とりあえず帰ることで意見が一致したので、筒路家の門前を後にしようとした。
少し離れたところで門扉の開く音がして、2件ほど隣の家から人が出てくる。
ふと、そちらに視線を向けると、若い女性がこちらに向かってくるところだった。
背中までの長い髪にロングスカート。背は低くはないが、華奢で柔らかい印象だった。
一瞬、この辺に住んでいる若奥さんかと思ったが、ちょっと若すぎる気もする。
平日に家にいるなら、大学生?
すれ違う瞬間に、なんとなく頭を下げると、口元に少しだけ笑みを浮かべて小さく頭を下げ返された。
ふわりと大人の女性のいい匂いがした。
香水とも違う。でもシャンプーとかボディーソープとかとかだけじゃない、多分、化粧品の匂い。
勇樹にもガサツな姉がいるが、きちっと化粧をして会社に行く時にあんな匂いがする。
ぱっと見だったが、近くで見ると目が大きくて、唇が小さくて大人しい感じ。
『綺麗』か『かわいい』か問われれば、かわいい方だ。
大人の可愛い人って感じだな。
一瞬、例の『隣のお姉さん』かと思ったが、社会人だと言っていたから違うだろう。
今日平日だし、社会人なら働いている時間だもんな。
そう思って歩いていこうとすると、背後でぱたんと音がした気がした。
何気なく振り返ると筒路家の前に彼女が立っているのが見える。
「あれ?」
どうやら澪も気になったのか、振り返って見ていた。
物音はどうやら、彼女が郵便受けに何かを入れた音だったようだが、そのまま玄関を離れようとした時だ。
「
声と共に、家の玄関ドアが勢いよく開いた。
「しゅ、宗冴くん?! ……え、出かけたんじゃなかったの?」
小さな悲鳴めいた彼女の声が、二人のところまで聞こえた。
家の玄関から駆け出すようにして門扉まで来て乱暴に開けると、後ずさる彼女の腕をつかむ。
「は、なにそれ? 留守を狙ってきたってこと?」
「あの、それは」
「なんで、そんなにコソコソするわけ?」
「コソコソしたわけじゃないの! ただ、……勉強の邪魔になるかと思って……」
「そういう態度取られる方が気になる。っていうか、郵便受けに何か入れていただろ、なに!?」
「あ、……っ」
彼女の腕をつかんだまま、まくしたてる宗冴を呆然と見守ってしまったが、はっと我に返る。
「筒路!」
「え、藤袴くん?」
勇樹が踵を返して駆け出すと、それまでただ茫然と見守っていた澪も慌ててついてきた。
駆け寄ってきた二人に、腕を掴まれていた彼女はびっくりしてこちらを見た。
宗冴は興味なさげに一瞥しただけだったが、
「筒路、お前……っ」と、息切れしながら怒鳴る。
「家にいたなら出ろよ!」
思い切りそう叫ぶと、宗冴は面倒くさそうに「まだいたのか」と、舌打ちする。
「勧誘とか変な営業だって来るのに、誰彼かまわず顔出すかよ」
「せめてインターフォン越しに確認くらいはするだろ!?」
「カメラで確認したよ」
「級友の顔を確認したのに出なかったのか!?」
「なんの連絡もなく、いきなり訪問してくるような不躾な友人を持った覚えはない。そんなことより、いまこっちは大事な話をしているから黙ってろ」
本気で睨まれて勇樹がうっと息を飲む。
戸惑った表情の彼女の腕を引いて門扉の中に入ると、宗冴は郵便受けの中を見た。取り出したのはシックなダークブラウンに金のリボンがかかった明らかにチョコレートとわかる代物だ。
宗冴が、ため息をつく。
「どうして直接くれないんだよ」
「あの、宗冴くん。それは」
「俺の顔、見るのも気まずいの?」
「あの、違うの。そうじゃなくて……」
両肩を掴んでキスでもするのかというほど顔を間近に近づけ、視線を合わせようとしない彼女の顔をのぞき込む。まるで二人がいないかのようにふるまう宗冴と、それとは正反対に彼女は気まずそうな顔で二人の方をチラチラとみている。
「宗冴くん、まずは手、離して。落ちついてちゃんと話そう。ね?」
「でも離したら、逃げようとするだろ」
「逃げるなんて、そんな……ご近所に住んでて、逃げるも何も」
蚊の鳴くような声で言うが、宗冴は意に介さずますます彼女のことをじっと見つめる。
おい、お前は俺たちのことはまるで無視か。
「帰らないから、手、離して」
「本当に?」
「うん、だから……。その、さっきからずっと、お友達が見ているから」
とうとう恥ずかしそうにそう言うと、宗冴は面倒そうに短くため息をついて、やっと勇樹たちに視線を向けた。
今更ながら彼女を隠すように背中に押しやると、
「牡丹が気になるみたいだから、お前らどっか行ってくれ」と、犬を追い払うように片手をシッシッと払った。
宗冴の人間性をなんとなく知っていた勇樹だったが、この時ばかりは自分の額に青筋が浮かんでいたのではないかと思う。
「お前、ホンットに俺たちに対する態度ぞんざい過ぎない!?」
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