第9話 牡丹さんと小鞠さんの初売りデート

 年末の大型イベントも終わり、ひと段落した柏木小鞠はさっそく親友に連絡した。

 衣装制作を協力してもらっている牡丹と、打ち上げもかねて初売りに行くのが毎年の楽しみなのだ。

 だが親友に会ってみると、いつも以上にぼうっとしている。

 もともとおっとりした性格だが、ちょっと目を離すと心ここにあらずという顔でぼんやり何かを凝視している。

「牡丹、なんかあった?」

 お気に入りブランドの初売りを次々と覗いたあと、カフェで休憩中に我慢できなくなって直球で聞いてみた。

「え?」

「いつにも増してぼーっとしてる」

 言うと牡丹も隠す気がないのか、がっくりと肩を落とすと

「小鞠ちゃん~」と情けない声を出した。

「なに?」

「私、いま混乱してるの。っていうか、なんか私だけが違う世界線にいたみたいな」

「中二病みたいなこと言ってないで。ちゃんとわかるように話して」

「ぁー……、あの、年末にちょっと」

 そこでいったん言葉が切れて、視線を落として言葉を探していた。だが、何かがひっかかったような表情のまま

「あのね……一昨日、初詣に行ってきたの。それで、その時……宗冴くんに」

「宗冴くんに?」

「私のこと姉として見たことないって、言われて」

「は……?」

 言いよどむ牡丹の表情が落ち込みより困惑の色が濃いことと、かすかに頬が赤く染まっているような気がして、歯車が合うようにいろんなことを察する。

「……ああ、とうとう我慢できなくて告ったのか。センターも直前だってのに、神経太いわ」

「どうして、犀と同じリアクションなの!?」

 カフェのテーブルが小さいせいで、牡丹の手が伸びて小鞠の肩を掴んで揺さぶる。

「落ち着いて、牡丹。お茶がこぼれるから」

 どうどうと牡丹の肩を叩くと、がっくりとそのまま項垂れる。

「それで? 可愛い弟だと思っていた子が急に男の顔で迫ってきて、混乱中って感じ?」

「それもあるけど、なんだか落ち込んじゃって」

 困惑ならともかく落ち込むところがあっただろうか。

 小鞠が首をかしげると、牡丹が暗い表情のままカフェオレの入ったカップに視線を落とす。

「もしかして私、すごく無神経だったんじゃないかと思って」

「例えばどういう風に?」

「お姉ちゃん連発して、家族みたいに世話焼いてたし。朝起こしたり、洗濯してあげたり、とかは中学に上がる頃にはさせてもらえなくなっていたけど、膝枕とかハグとか、べたべた触られたの、きっと困ってたんじゃないかなって……」

「いや、困らんでしょ。嬉しいだけでしょ」

 もごもごと反省する牡丹を、目を眇めた小鞠が一刀両断する。

「膝枕にせよハグにせよ、役得と思っていたに決まってるよ。冷静に考えてみなさいよ、健康な高校生男子よ。好きな相手に触るチャンスを喜ばないわけないから」

「でも」

「そのむちむちの柔らかそうな太ももで膝枕してもらったり、あまつさえふかふかのおっぱいに顔をうずめたり、いい匂いのする身体をハグして身体触りまくって。これって据え膳以外の何物でもないよね。むしろあんたが気づいてないだけで、あの子、内心では性欲持て余して内心はどろっどろ。だけど、表面ではいい子の弟の顔であんたの身体を……」

「やめてぇ、小鞠ちゃん! うちの宗冴くんは、そんな子じゃないから!!!」

 牡丹が赤面を通り越して、青くなって悲鳴をあげる。

 いや、そういう子だよ。

 以前、自分のコスプレ衣装を着た隠し撮りの牡丹の写真を売り払った小鞠としては、はっきりとその使用用途を問いただしたりはしなかった。だが何に使われたかは考えるまでもなく、いま牡丹に言ったことも、客観的に見て『そうであろう』ととらえていた。(ちょっと大げさな言い方だったかもしれないが)

 宗冴はその容姿のせいでストイックに見られがちなようだが、小鞠はむっつりスケベだなと常々思っていた。

 だが、それは別に責められることではない。

 オタクであるせいか、小鞠は人の性癖には極めて寛大であった。むっつりスケベは彼女が嫌じゃなければ、全然悪いことではない。(多分)

 だが、今の牡丹はそれ以前の問題のようだ。

「牡丹、……あんたそういうところよ」

 呆れたように言うと、牡丹は訳が分からないという顔で小鞠を見た。

「自分の態度が無神経だったとか。そういうことよりもまず、宗冴くんが生身の男だって認識してあげないとね」

「なにそれ?」

「宗冴くんってさ、学校じゃ文武両道だし、牡丹の前だと随分聞き分けがいいけど、本当にそういう子なのかな」

 半ば涙目の牡丹に、小鞠は少しいじめ過ぎたかと苦笑する。

「あの子が大きな猫かぶっているのって、牡丹のせい……いや、牡丹の為みたいに見える」

 言われた意味がわからなかったのか、牡丹は少し考えたがそれでも小さく

「宗冴くんは、いい子よ」と呟いた。

 まあ、人に言われてもわからないだろうな。

 小鞠はしょうがないかと、牡丹に気づかれないように小さくため息をついた。


***


「ただいま」

 自宅に戻ると、泰輔はすでに風呂に入って寝るだけの状態になっていた。

「お父さん、犀は?」

「部屋にいるだろ」

「二人ともごはん食べた?」

 聞くと、「食べたよ」と言って、テレビを眺めている。

「お前は、柏木さんと食事してきたか?」

「うん」

 そう返事をして、そのまま二階に上がる。

 犀の部屋からは、何やらゲームをしているらしい音が漏れてくる。

「はぁー……」

 部屋に入ってコートをハンガーにかけると、そのままベッドに倒れこんだ。

 小鞠に話して少しはすっきりしたような。もやもやしたものが増えたような変な気分だった。

 ただ一つ確かなのは、牡丹以外の全員が宗冴の気持ちを知っていたこと。

 あの元旦の日の昼間。

 夜中に自宅に戻って、混乱したままベッドにもぐりこんで眠った。

 そして目が覚めると見計らったように宗冴からメッセージが入った。

『これから迎えに行っていい?』

 初詣のことだとわかり、すぐに返事をしようとして指が止まった。

 こんな風に普通に連絡が来ると、昨日のキスが、なんだか夢の中のことのように思える。

 本当に何かの勘違いなんじゃ。

 例えば、間違って唇が触れてしまったとか。事故のような……。

 そこまで考えて、ため息をつく。

 どう考えてもあり得ない。そんな触れ方じゃなかった。

 スマホの画面を見ながら固まってしまっていたが、我に返り

 『用意するから、ちょっと待って』と、送ると『1時間したら、そっち行く』と返信があった。

「用意、しなくちゃ」

 シャワーを浴びる用意をして1階に降りていくと、泰輔と犀がリビングでくつろいでいた。

「シャワー使うね」

 声をかけると、泰輔が振り返った。

「なんだ、出かけるのか」

「うん、宗冴くんと初詣に」

「そうか」

 そっけない返事が返ってくる。ふと思いついて

「ねえ、犀。あんたも一緒に行かない?」

 声をかけると、肩越しに犀が牡丹を見る。

「行かないよ。俺、昨日、行ってきたもん」

「そうだけど、ねえ……、もう一回行ってもいいでしょ。出店でたこ焼き買ってあげるから」

 気を引こうとしたが、今度は振り向きもせず

「いいって。宗冴と行って来いよ。でも、たこ焼きは買ってきて」

 調子のいいことを言う。なんて薄情な弟なのか。

「だめ。買ってこない。一緒に来ない子には、買ってあげないから」と、ふてくされて言うと、今度は不審そうな顔で見られた。

「……なに、姉ちゃん、怒ってんの?」

「別に怒ってない」

 言い捨てて、脱衣所に入る。

 イライラしている。犀に八つ当たりしてしまった。

 シャワーを浴びながら、冷静になるように自分に言い聞かせた。

 身支度を整え終わると、ほぼ時間通りにきた宗冴と一緒に家を出る。

「早かった?」

「そんなことないよ」

 行ってきますと玄関からリビングに声をかけて家を出る。

 黒のロングダウンジャケットにジーンズの宗冴は、いつもの何も変わらなく見える。

 ……急に変わるわけないか。

 我ながら間が抜けたいるなと考えながら、お天気の空の下、ぶらぶらといつもと変わらない道を歩いて近所の神社に向かう。

 近くに住む人たちが参拝する程度の小さな神社だが、それでも大みそかから三が日中は参道に出店が並ぶ。

「結構人いるな」

「そうだね。元日だし、今が一番多いかも」

 人ごみにもまれて、ふと隣に立つ宗冴を横目に見る。

 去年、一緒に来た時は、はぐれると困るからといって宗冴が手をつないでくれた。

 たくさんの人と一緒に参道を歩いているから、くっついている。でも、なんとなく距離を取られている気がした。

 そのまま拝殿まで並び、お賽銭を入れて両手を合わせる。

 神様に申し訳ないくらい、頭の中はからっぽだった。拝殿から離れて、甘酒が振舞われている作務所の前を通るまで。

「よろしければどうぞ」

 巫女さんににこやかに甘酒を進められ、宗冴を見上げる。

「いただいていく?」

 聞くと、宗冴は「うん、寒いし」と答えるので、二人で甘酒の入った紙コップをありがたくごちそうになることにした。

 立って飲んでいる人たちもいたが落ち着かないので、少し人ごみから離れた神社の境内の隅に向かう。

 申し訳程度の休憩用の簡易ベンチが設置されていて、ちょうど飲み終わった家族連れが立ったので、入れ替わりにそこに腰掛ける。

「温かい」

 甘酒を一口すすって呟く。

 天気がいいが、風が冷たい。

 隣に座っている宗冴も黙って甘酒をすすっていた。なんとなく話すこともなく、甘酒に口をつけていると

「昨日は」と、隣からかすれた声が響いた。

「昨日の、驚いた?」

「ぇ、……ぅん」

 声が上擦るのに、恥ずかしくなる。それになんだか気の抜けた返事で、自分で呆れる。

「驚かすつもりはなかったし、そもそもあんなことするつもりじゃなかった。今は、まだ」

 そう言うと、宗冴は手にしていた紙コップを手の中で弄ぶ。

 宗冴の声はちゃんと聞こえているのに、意味が少しも理解できない。

 なぜか自分の心臓の音がひどく大きく聞こえて、息苦しくなった。

「牡丹のことが好きなんだ」

 はっきりとした声音に、息苦しさが増す。

 いつもだったら、『私も宗冴くん、大好き』と、能天気に返していたところだ。だが、今は頭の中が真っ白で、何も言葉が出てこない。

「牡丹は俺のこと弟って言って可愛がってくれていたけど、俺はずっと牡丹のことが好きで……正直、姉として見ていたことなんて一度もなかった」

 言葉が突き刺さる。

「ごめん」

 謝られるようなことじゃない。

 宗冴に悪いところなんてなくて、そんな申し訳なさそうな顔をしなくていい。

 私が悪い。悪い……のかな。善悪ということではないような気もする。

 いや、そうじゃない。そういう問題じゃなくて。

 ぐるぐるといろんな思いが混ざって、訳がわからなくなりそうだった。

「昨日は、珍しく牡丹が酔っぱらってつぶれて、俺に弱音吐いただろ。寂しいって。……あれ、ちょっと、嬉しかった。いつもは弱いところ見せようとしないのに、俺に甘えてくれたみたいで」

 そう言うと、宗冴は飲み終わった紙コップをくしゃりと握りつぶした。

「だから、ちょっと気が緩んだ。本当はあんないきなりじゃなくて、ちゃんと手順踏むつもりだった」

 宗冴の言葉が、頭の中に入ってきて渋滞を起こしている。理解しようとしているのに、全然頭が働かない。

「牡丹は俺のこと弟としか見てないよな?」

 自嘲するような声に、ぎゅっと胸の奥が苦しくなった。

「でも俺は弟じゃないよ。ただ隣に住んでいる赤の他人」

 赤の他人という言葉、それはどんな言葉よりも冷たく感じて、足元から力が抜けそうだった。

 瞼が熱くなる。

 迷子の子供が親を見失って、不安になって泣き出すように。

「赤の他人なんて、言わないで」

 自分の声がみっともなく震えている。宗冴が身じろぎした気配がしたけれども、顔を見られなかった。

「うん。ごめん。でも、他人だけど牡丹のことが好きで、牡丹にも同じように好かれたい」

 最後の言葉だけ、少し、いつもの宗冴の声音だったように思う。

 牡丹は大人なので泣き出すわけにはいかないし、ちゃんと宗冴の言葉に何かしらの答えをしなくちゃいけない。

 その牡丹の思いを見透かすように、

「すぐに、何か返事しなくていいよ」と、そっけなく言う。

「俺もこれから忙しくて、ほとんどそっちに行けなくなるし。だからその間に、考えといて、俺のこと」

 そう言って立ち上がる。

 宗冴が立ちあがった気配に、牡丹は顔をあげる。

「帰ろう」

 のろのろと立ち上がると、宗冴が手を差し出してきた。

 びくりとして身体をこわばらせると、宗冴は一瞬、目を丸くしてから

「紙コップ。捨ててくるから」と、疲れたように呟く。

 気まずい気持ちのまま紙コップを差し出すと、受け取りながら宗冴が聞こえるかどうかわからないほどの声音で呟いた。

「牡丹がいいって言うまで、触らないよ、もう」

 その言葉に、ひどく自分の態度が嫌になった。

 自分の方が年上で、大人で、社会人で……、もっと冷静に話を聞かなくちゃいけないというのに。

 ただみっともなく、おろおろするだけだった。

 思い返すと、後悔しかない。

「ホント、私、ダメだ」

 ぽつりと、小さく呟いた。


***


 三が日過ぎれば、通常どおり仕事が始まる。

 お店の方は初売りということで2日から営業していたが、事務方の牡丹たちは4日から仕事始めだった。

 お店はそれなりに忙しく、裏方も年度末も迫るので経理関係の処理を進めなければならない。経理は牡丹の担当ではないが、人の少ない中小企業だ。いろんな人の手伝いをするのは当然だった。

 実際、在庫の棚卸は牡丹が中心にやっているが、大掛かりな時は社員総出でやるのだから。

「会計士の方が来るまでにファイルをそろえるのが、毎年、骨なのよね」

「もし社長に聞いて来客の予定がなければ、もう応接室に資料並べ始めましょうか」

 牡丹は言いながら、内線をかける。

 仕事していると気がまぎれる。

 処理の手順を考えながら、頭の隅でそんなことを考えていると、すぐに応答があった。

『はいはい』

「あ、社長。宿木です。あの、会計監査のことなのですが、準備した資料、もう応接室に運び始めていいですか?」

『あー、いいよ。お願いします。あ、あとね、宿木さん。こっちも連絡しようとしていたことがあって』

「はい?」

『例のイベント。去年、秋鳴先生がチケット持ってきてくれたヤツ。あれね、行ってきてくれない?』

 言われてすぐに思い出せなかったが、すぐに年末に秋鳴先生が来た時のことを思いだした。

『休日出勤と出張、両方つけていいからさ、頼むわ』

「わかりました」

 卓上カレンダーを見て、改めて日付を確認する。

 センター試験の前日だったっけ?

『基本的に葵先生のところと、あとお得意さんに挨拶してきてくれれば、他に何もしなくていいから。楽しんでくるつもりで、よろしくね』

「はーい、失礼します」

 牡丹が受話器を置くと、那賀が意味深な視線を送ってきていることに気がついて苦笑する。

「なんですか?」

「秋鳴先生、直々に宿木さんをご指名なんだって?」

「あー……、社長が行けないとなると、自動的に私か那賀さんじゃないですか。この時期、経理担当している那賀さんに出張は無理って、誰が考えてもわかりますよ」

「そうかしら」

「そうですよ。もうまとめ終わっているファイル。応接室に運んじゃいますね」

 言いながら、牡丹は立ち上がった。


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