第8話 牡丹さんと宗冴くんのゆく年くる年

 12月31日。


 ここ数年のカウントダウンは宿木やどりぎ家の家族が招待され、筒路つつじ家で行われるのが通例となっていた。

「いつも宗冴しゅうごがお世話になっているから、お正月はうちで接待させてほしいわ」

 はなさんがそう言いだしから、宿木家の面々は31日の夕方からお邪魔して年越しそばや華さんが取り寄せたおせちをフライングでごちそうになり、日付が変わったら新年の挨拶。初詣に行って解散となる。

 30日で年内の仕事を終え、31日の午前中は大掃除をしていた牡丹ぼたんは忙しかった。

「父さーん、窓ふき終わった?」

 朝から家中の窓を拭いている父親に声をかけると、「もう終わる」と短い答えが返ってきた。

 各自自室の掃除と、牡丹は台所とリビングと廊下。

 せいは風呂場と二階の廊下と階段。

 父の泰輔たいすけは玄関と1階2階の窓ふき。

 それぞれの分担を夕方までに終えるのが目標なのだが、そこそこ順調のようだ。

 時計を見るともう十二時近い。

「お昼、どうしよう」

「弁当でも買ってきたらいいだろ。」

 独り言のつもりが、いつの間にか泰輔が雑巾を片手に庭から戻ってきていた。

「でも」

「お前も大変だろうし、夕方までに掃除をひと段落させなきゃいけないんだから、ちょっと休憩しなさい」

 言うと、二階に向かって怒鳴る。

「犀、弁当買ってきなさい」

「えー」

 自分の部屋の掃除が一番てこずっている犀が面倒くさそうな声が返ってくる。

「何がいいの?」

「なんでもいい。コンビニでも弁当屋でも」

「ん」

 上着に袖を通しながら階段を下りてくる犀が、父親の財布から出された千円札2枚を受け取る。

「ねーちゃんは?」

「何でもいいけど、麺類はパス」

「夜、年越しそば食うもんな。了解」

 言いながら靴を履くと、玄関を出て行った。

 疲れてソファに座っている泰輔の前にお茶を持っていくと、「ああ、ありがとう」と、もたれていた背中をあげた。

「今年も、もう終わりか。早いな」

「ねー」

 言いながら、父親の前に座って自分もお茶に口をつける。

「今年もお邪魔することにしたけど、よかったのかな」

「筒路さんの方が良いと言っているんだし、あんまり遠慮しても変だろう」

「そうなんだけど。私も助かっちゃうし。でも、犀が受験の時はピリピリしていたのに。ホントに宗冴くんは手がかからないというか……」

 牡丹が言うと、泰輔が視線だけを牡丹に向けた。

「宗冴くんは結局、どこに大学行くんだ?」

「知らない。教えてくれないんだもん」

「そうか」

「そういうところが、そっけないのよね」

 泰輔は「そうか」ともう一度言うと、湯呑を置いた。テレビのリモコンを手に取ると、スイッチを押す。

 ちょうどドラマの一挙再放送がやっていて、泰輔が無表情にチャンネルを変えていく。

「あの年頃は、いろいろ気にするんじゃないのか」

「え?」

「進路のことで悩んでいるのを見せたくないとか、志望校落ちたらかっこ悪いとか」

「そうなの?」

「それならお前、自分が受験の時、志望校とかみんなに言って回ったか?」

「言わないけど……。私の時は宗冴くんに話したと思う」

 口を尖らせて不満を口にすると、泰輔がチャンネルを変えながら

「自分が言ったから相手も話してほしいって気持ちもわかるが、親しくても言いたくないことは言いたくない。そういうこともあるんだろう」と、興味なさそうに呟いた。

「ましてや、格好つけたい相手となれば」

 泰輔が改めて牡丹を見る。

「なに?」

 泰輔の視線の意図を測りかねて牡丹が首をかしげると、泰輔はテレビに視線を戻した。

「……母さんも鈍いところがあったな。お前、ちょっと似たところあるぞ」

「どうして急に母さんが出てきたの?」

 眉尻を下げて聞くと、父親はそれ以上何も言わずにお茶を飲みながらテレビを見始めてしまった。

 そもそもマイペースな父親はそれ以上、何を聞いても生返事がかえってくるばかりだった。


***


「いらっしゃい、待ってたよー!」

 珍しくデニムにエプロン姿の華が賑やかに出迎えてくれる。

「今年もお呼ばれしまして、遠慮なくごちそうになりに来ました」

「お待ちしていましたよ。さ、上がってください」

 華の後から出てきた大悟だいごが泰輔と笑顔で話している。

「犀くん、久しぶりだね」

「どうも、お久しぶりです。あの、これ皆さんで」

 毎年恒例の一升瓶を2本、風呂敷に巻いておいたものを犀が差し出すと、大悟が相好を崩した。

「ああ、ありがとう」

 筒路夫婦は酒豪なので、年末年始の差し入れはたいていお酒と決まっていた。

「華さん、今年はおせちも純和風って言っていたから、差し入れ」

「なになに?」

「豚の角煮と中華ちまき」

「やだ、おいしそう。ありがとうー。あとであっためて出そうか」

 牡丹が差し出した紙袋をのぞき込みながら声をあげる。

 モデルルームのような筒路家のリビングに通されると、ちょうど二階から宗冴が降りてきた。

「いらっしゃい」

「お邪魔してます」

 牡丹が微笑むと、少しだけ宗冴も口元を緩めた。牡丹の隣でひらひらと手を振る犀を見てから、泰輔に頭を下げる。

「宗冴くん、騒がしくして申し訳ないね」

「いえ、どうせ朝から騒がしいですから。仕出しのおせち並べるだけなのに」

「ちょっとは自分でも作ってるわよ!」

 宗冴の言葉を聞きつけて、華が怒鳴るのにうるさそうに軽く眉を寄せる。

「牡丹、差し入れ持ってきてくれた?」

「ちょっとだけね」

「何?」

「豚の角煮と中華ちまき」

 宗冴がその言葉に「やった」と小さく呟くと、後ろから煮物の大皿を持った華が宗冴の背中をどついた。

「私の作ったものも食べなさいよ」

「母さんの筑前煮は昨日までに散々食っただろ。……父さんが食うよ」

 うんざりという顔を隠しもせずに宗冴が言う。それぞれ席に着くと華がグラスを用意する。

「とりあえず乾杯しましょ。何飲む? ビール、ワイン、持ってきていただいた日本酒も開けちゃいましょうか? シャンパンは年が明けてからがいいかな」

「犀くんは去年からもう飲めるよな」

 大悟に言われて、犀が軽く手をあげて酒を断る。

「あ、でも、今日はやめときます。ジュースで」

「あら、残念。どうしたの? 体調悪いとか」

「違うんです。この後、友達と……」

 言いかけた脇で、牡丹がニヤニヤ笑いながら口をはさむ。

「犀はこの後、彼女とデートなんです」

「姉ちゃん!」

「一緒に初詣行く約束なのよねー?」

 恨めし気な目を向ける犀を後目に、華の目がきらきらと輝く。

「ええ、犀くんの彼女? あら、聞きたいわ、その話」

二瀬ふたせ蘇芳すおうさんって大学の同級生なのよね。かわいらしいお嬢さんで……」

「姉ちゃん、ほんとやめろよ!」

 犀がわめく隣で「二瀬さんも連れてくればよかったのに」と、宗冴がぼそりと呟く。

「え、なに。宗冴、あんた知ってるの?」

「一回会ったよ」

「宗冴~」

 犀がいよいよ本気で嫌がる顔をしたところで、大悟が

「まあまあ、ともかく乾杯しよう。みんなグラスもって」と、グラスを持った。

 大悟と泰輔が父親同士で酌をし合い、他の人たちの飲み物を華と牡丹で用意する。

「じゃ、乾杯」

 家主である大悟の合図で、両家の合同の宴会は始まった。


***


 カチカチと、秒針が刻む音がかすかに聞こえていた。

「……ん?」

 少し薄暗い中、牡丹は目を開いた。

 あれ、なんだっけ。

 ぼんやりとした頭で考えたが、すぐに思い出す。

 いつもの年越しの宴会で筒路家に招待され、ごちそうになっているうちにアルコールが回って眠くなってしまったのだ。

『あら、牡丹ちゃん。大丈夫? ちょっと横になる?』

 華さんがそう言われ、宗冴に支えられてソファに連れて行ってくれたのを思い出す。

 疲れていたのかな。

 いつもはそんなに眠くなったりしないんだけど。

 間接照明を残して、明かりが落とされた筒路家のリビング。ソファに横になっている牡丹の上には毛布が掛けてあった。

 リビングのテーブルには誰もおらず、ダイニングキッチンの方が明るい。

「……宗冴くん」

 テーブルに向かっていた背中が振り返る。

 手元を見ると、参考書やノートが広がっているから勉強していたのだろう。

「宗冴くん、みんなは?」

「元朝参りしてくるってさ」

 犀は牡丹が酔っぱらって寝てしまう前から、とっくに二瀬さんと会うために出かけてしまっていた。

 大人たちは近所の神社に行ってしまったのだろう。

「宗冴くん、行かなくてよかったの?」

「寒いからヤダ」

 そう言うと、持っていたシャープペンを置いた。

「牡丹は、もういいのか?」

「うん。なんかすごく眠くなっただけだから。疲れたのかな」

 かけてもらっていた毛布をたたんでソファの上に置くと、のろのろと立ち上がってキッチンに向かう。

 流しに立つと、水をグラスに注ぐ。

「冷蔵庫にミネラルウォーターあるけど」

「いいの。水道水で」

 グラスの中の水を飲み干すと、振り返って宗冴を見る。眼の間を指で挟むようにして揉んでいる。

「勉強してた?」

「ん」

「コーヒー淹れようか」

「欲しい」

 勝手知ったる他人の家。コーヒー豆を冷蔵庫から取り出して、ケトルに水をためて火にかける。

 筒路家はコーヒーメーカーがない。ドリッパーにフィルターを設置してサーバーの上に載せる。コーヒー豆を計って入れてからマグカップを用意する。

 食器棚に視線を向けて、宗冴のマグカップを探していると

「食洗器の中」

 言われて、食洗器の扉を開ける。

 そこには他の食器と一緒に、いつも使っている宗冴の青いマグカップがあった。

「……よくわかったね」

「なにが?」

 マグカップを探しているのが、と言いかけてやめた。

 代わりに

「なに勉強してたの?」と、手元をのぞき込む。

「赤本。この時期、他にやることないだろ」

 ひどくあっさりというのに、じっと宗冴の手元を見てしまう。

「なに?」

 もう一度聞かれて、「どこの大学のかなぁって……思って」と、口の中でもごもご呟く。

「Y大、他もあるけど、とりあえず第一志望の学校を中心にやろうかと」

「他って?」

「K大とH大。第一志望はYの法学部」

「宗冴くんって、法律のお仕事につきたいんだ」

 無意識に小さな声になってしまった、その途端、背後でけたたましい音がしてびっくりして飛び上がってから背後を見る。

 ケトルの口から、白い湯気が猛然と吹き上がっている。

 慌てて火を止めると、ケトルをとってコーヒーにお湯を少しだけ注ぐ。

 いったん、少量のお湯で豆を蒸らして香りが立つのを待ちながら、横目に宗冴を見た。

「……どうして急に教えてくれる気になったの?」

「え?」

「この間、聞いた時に教えてくれなかったじゃない」

 少し拗ねたような口調になってしまっていた。宗冴は少しだけ意外そうな顔をして、それから何かを思い出そうとするように視線をそらした。

「聞かれたっけ?」

「聞いたよ。夏休みに予備校の集中補講受けてた頃に」

「ああ」

 何か思い出したように宗冴が呟く。

「あの時はまだどこを受けるとか、滑り止めどうするかとか進路指導の先生と相談してる最中だったから。決まってなかったから答えられなかっただけ」

「そうなの?」

 香ばしい香りが鼻孔をくすぐるのを合図に、少しずつお湯を注ぐ。

 薫り高い湯気が、牡丹の頬の触れては消えていった。

 サーバーに二人分のコーヒーができあがると、マグカップにそれを注ぐ。

 両手にマグカップをもって、宗冴の隣に座った。

 青いカップを宗冴の手元に、もうひとつの客用の白いカップを自分の前に置く。

「ありがとう」

 宗冴がマグカップに手を伸ばすのをじっと見つめていた。視線に気づいたのか、一度、口をつけた後カップをテーブルに戻す。

「牡丹?」

 内心の不満が顔に出ていたのかもしれない。

 不審そうな表情でのぞき込まれて、少しだけ顔をそむけた。

 言いようのない苛立ちが胸の奥で渦巻く。

 なんだか、無性に腹が立ってきて宗冴に身体をぶつけるようにして寄り掛かる。

「ぅわ!? なんだよ、牡丹」

「……。」

「なに、まだ酔っぱらってんの?」

 呆れた声で言われて「違います」と、口をとがらせる。

「お姉ちゃんがこんなに心配しているんだから、受験する学校が決まったらすぐに報告するのが筋じゃない?」

「……はぁ?」

 宗冴の方を見ずに言うと、少しだけ宗冴の方が動いたのが伝わってきた。

「希望する学部すら教えてくれなくてさ。将来何がやりたいとか、初めて知りましたけど?」

 自分でもだんだん剣呑な声音になってくるのが分かった。

 最初は意味が分からないという顔をしていた宗冴が、困ったように眦を下げる。

「犀には少し話していたんだけど……」

「どうして私だけ、仲間外れなの?」

 本格的に拗ねた声で言うと、今度こそはっきりと宗冴の肩が震えた。

「……っ、ちょっと、どうして笑ってるの!?」

「だって、仲間外れって……」

「なによ?」

「ガキみたいな言い方」

 喉の奥を鳴らしてくつくつと笑っているのに、寄り掛かっていた体を起こして背中を殴る。

「痛って」と、声を漏らしたが、笑いを含んでいてちっとも痛そうじゃない。

「ごめん、ごめんって。仲間外れにしたんじゃないよ。単純に言うタイミングがなかっただけ」

「宗冴くんの薄情者。犀も……、二人はいつもそう。こっそり相談して私が知らないところで何でも決めて」

「そんなことないって、絡むなよ。牡丹、まだ酒残ってるだろ?」

「残っていません」

 そう言って白いマグカップを手にして、ぐいっと一口飲んだ。

 いい香りのするコーヒーは、おそらく華さんのお気に入りのブルーマウンテンだった。おいしいけど、苦い。

 コーヒーを飲んでいるうちに、少し冷静になった。

「ごめん」

 ぼそりと呟く。

「ただ、寂しかっただけなの。みんな遠くに行っちゃう気がして。犀も来年は就職だし。なんとなく家、出て行っちゃうんだろうなって思っていたところだったし。私だけここに取り残されているような感じがして。ホントにごめん……もう、言わない」

 視線を落としたまま呟く。

「牡丹」

「なに?」

「こっち向いて」

 言われても顔をあげるのがひどく億劫で、そのまま俯いていた。

「牡丹」

 重ねられる宗冴の言葉を無視していると、両手を温めるように持っていたマグカップが、横から取り上げられる。

 驚いて思わず顔を上げると、そのまま引き寄せられ抱きしめられた。

 なすがまま宗冴の胸に顔をうずめていると、よしよしと子供のように頭を撫でられる。

「寂しいなんて言わないで」

「宗冴く」

「俺は牡丹のそばにいるって、ずっと言っているのに」

 久しぶりのハグは温かくて、ふっと気が緩んだ。

「あのね、好きなことを好きなようにしてほしいと思ってるんだよ」

「うん」

「みんな自由にしていてほしいって思っているの。本当に」

「うん、わかってる」

 頭を撫でていた手が下がり、背中を撫でられてぽんぽんと叩かれた。

 温かくて触れる手が優しくて、ほっとする反面、子供扱い過ぎて少し恥ずかしくなる。

 7つも年下の男の子に、子ども扱いで慰められてしまった。

「やっぱり私、少し酔っぱらってたのかも」

 恥ずかしさを紛らわすように呟いて、宗冴の腕の中から身体を起こそうと身じろぎする。

 まだ背中と腰に宗冴の腕が回ったままだったが、身体を離すと微笑んで見せた。

「宗冴くんは優しいね。同じこと犀に言ったら、今頃ケンカになってた」

「俺は犀とは違うよ」

「うん、宗冴くんの方がしっかりしているし、それに……」

 言葉の途中で引き寄せられてもう一度抱きしめられる。

 顔を上げようとすると、額にキスされて反射的に目を閉じてしまった。それから眦と頬にキスされて、くすぐったくて笑ってしまう。

「ちょ……、宗冴くん、待って。待って待ってってば、くすぐったい」

 なんだか大きい犬にじゃれつかれて、舌で舐められているみたいな気分になってくすくすと笑って、気が付くと目の前にある宗冴の顔があった。

 いつも不愛想とか怖いとか言われているが、牡丹は怖いと思ったことは一度もない。整った造形に表情が浮かぶことは少ないが、それでも牡丹には宗冴の感情の変化がよく分かった。

 でも、この時だけはわからなかった。

 ただ自分が甘えた分、甘え返されているのかと、くすぐったい気持ちになっただけで。

 腰に回った腕に引き寄せられ、宗冴の吐息を唇に感じた。何か思う間もなく、そのまま柔らかな薄い唇が牡丹のそれに重なった。

 最初は、触れただけだった。

 もしかしたら震えていたかもしれない。

 軽く吸われた感じがして、唇は怯えるようにすぐに離れていった。

 だが、牡丹がかすかに吐息を吐き出すと、何かの合図のように強く抱きしめられもう一度、唇が触れた。

 二度目は深く、押し付けるような触れ方だった。

 押し付けられ、どちらともわからない乱れた吐息が二人の間で交わされた。

 唇の間から、柔らかく濡れた感触が割り込んで来ようとして、びくりと身体が震えた。

 自分でも無意識に体が動いて、宗冴の腕に指をかけたが、ぎゅっと袖をつかんだだけで、自分でも何をしたいのかよくわからなかった。

 突き放したいのか、すがりたいのか。

「ん……っ」

 小さな悲鳴のような声が自分の唇の端から洩れると、怖気づくように宗冴の腕から力が抜けた。

「……っ……」

 引きはがすように体を離す。

 自分でもびっくりするくらい息が上がっていた。

 頭の中が真っ白で、何も考えられない。

 ただ、呆然と宗冴を見つめていた。

 頬を上気させ、乱れた吐息で熱っぽく潤んだ瞳には、情けない顔をした自分の顔が映っていた。

 宗冴の手が触れている尾骶骨のあたりから、ぞくりと背筋を甘いしびれのようなものが走る。

 なに……?

「牡丹、俺は……」

 低くかすれた声で名前を呼ばれて、息を飲んだ瞬間、

「ただいまー」と、玄関から声がした。

 二人とも同時に身体をこわばらせたと思う。

「いやあ、寒かった!」

 そう言って、華と大悟、泰輔の順番でリビングに入ってくる。

「おかえり」

 宗冴は牡丹から離れて、立ちあがる。

 急に宗冴の熱が離れて行って、牡丹はやけに頼りない気持ちになる。

「宗冴、ただいまー。はい、これ受験のお守り」

 華はご機嫌でお守りが入っているらしい神社の袋を宗冴に渡す。それからダイニングキッチンの方に座っている牡丹をみて

「牡丹ちゃん、大丈夫?」と、心配そうにのぞき込まれる。

「大丈夫です。眠ってしまってすみません」

 笑顔で答えると、大悟が客間に布団を用意するから泰輔と牡丹は泊って行ってはどうかと言われたが、

「どうせ隣ですし、犀が帰ってきて誰もいなかったら驚くだろうから」と、泰輔と一緒に丁重にお断りした。

 時計を見ると、夜中の1時も過ぎていた。

 あまり大きな音をたてないようにして、玄関まで出ると

「今年もすっかりごちそうになって、ありがとうございました」

「いいえ、牡丹ちゃん、またね」

 華がご機嫌で手を振るのに、

「はい。ごちそうさまでした」と、軽く頭をさげる。

「じゃあ、行こうか」

 泰輔に促され、その後ろから筒路家を辞そうとしたとき、

「牡丹」

 名前を呼ばれて振り返る。

「初詣、あとで一緒に行こう」

 宗冴が言うのに、牡丹は「そうだね」と、うわの空で呟いた。

 さっきの熱を帯びた艶っぽい様子は微塵も見当たらない。

 どこかふわふわした感覚のまま、たった数十メートルの帰路につき、そして泰輔に就寝の挨拶もそこそこに自室に戻った。

 ぱたりと背中で自室の扉を閉めた途端に、足から力が抜けた。

 頬が熱くなり、床にへたり込んで途方に暮れる。

 さきほどの行為は『キス』だった。

 牡丹は、この時やっと理解したのだった。

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