第6話 牡丹さんとニットの貴公子①
唐突だが、
恋をしていると言っても片思いだが、さかのぼること1年ほど前から、ずっと気になっている女性がいた。
秋鳴は思い込みが激しい方ではない。
何かに強く執着するということもなかった。
大抵のことにはあきらめがつくし、しょうがないと思える。
だが、彼女だけは違った。
彼女のことで頭がいっぱいになって、他のことが手につかなくなることもしばしばだ。
そんな秋鳴だったが、いま何度も確認したメールをまた開いては、ため息をついた。
すでに就業時間も過ぎているというのに事務所一人残って、パソコンの画面を眺めている。
出入りの業者、『まいやま手芸店』からの納品の確認メールだった。
送信者は『まいやま手芸 商品管理担当:
産休の人の代わりでしばらくは店舗の方の仕事に回っているって聞いていたけど、メールが来たってことは事務の方に戻ったのかな。
「来週の納品、
誰もいないのをいいことに、声に出して呟く。
いや、いっそこっちから引き取りに行きますとか連絡しようかな。どうせ、今週末までなら僕のほかにも留守番いるし。
まいやま手芸さん店舗と事務所が同じビル内だから、もし事務所にいなくても店舗の方に顔を出して挨拶くらいできるし。
でも店舗の方にもいなかったら、完全に無駄足なんだよなぁ。
この間みたいに、すれ違いになってバイトの子に絡まれても面倒だし。
「はあぁー……」
ぱたりと机に突っ伏してため息をついていると、
「なに、メール眺めてため息なんかついて。辛気臭い」と、突然背後から声がした。
「……っ!?」
かろうじて悲鳴は飲み込んだが、心臓が飛び出すかと思った。
事務所に一人だと思って完全に油断した状態だったが、慌てずにわざとのろのろと体を起こし、何事もないような顔をして振り返る。
「葵先生、おかえりなさい」
ショートカットにハイネックのセーターを身に着けた、やや気が強そうな目をした女性。
産業ニットからオートクチュールまで幅広くニットデザインを手がけるニットデザイナーで、編み物学院の講師でもある。さらに言えば、秋鳴の上司で母親だ。
普段は自分のデザイン事務所内の作業部屋で制作をしているが、今日は東京で開かれるイベントの打ち合わせに出張の予定だった。
「なにやってんのよ、仕事がないなら帰りなさいよ」
そう言って、どさりと机の上に紙袋を置かれる。
勢いよく置かれた紙袋に軽く上半身をそらしてから、それの中身をのぞき込むとスヌードやニット小物のサンプルが入っていた。
「それ、今度のイベントの販売ブースで並べるから追加で手配して。搬入数は前回と同じで」
「わかりました」
返事をして中身を確認していると、
「あと、今度の本のモデル。手配するの面倒だから、またあんたやってくれない?」
「いやですよ」
即答すると、葵は目を細めた。
「なによ、せっかくイケメンに生んであげたんだから、協力してくれたっていいでしょ」
「ああいう教本のモデルは、プロの人に頼んだ方がいい。売れ行きに関わりますから。編集の人も言っていたでしょう」
「その編集の人が、あんたに頼めるといいって言ってたの」
秋鳴は内心げんなりしながら、「お断りです」と、もう一度、ゆっくりと言う。
前々回の編み方読本の撮影の時、モデルが急病で手配が付かず、もう苦肉の策ということでしょうがなく秋鳴がニットを身に着けて撮影をした。
それがなぜか妙に好評だったらしく、最近は葵や編集の人からやたらとその手の仕事を回されそうになる。
もう二度とごめんだ。秋鳴は人前に出るような派手なことは嫌いだった。
「予定通りモデルさんに来てもらってください。もう手配済んでいるんですから。だいたい僕だって事務所の仕事が山積みで暇じゃないんです」
少しでも隙を見せると強引な母親の思うとおりにされてしまう。秋鳴はなるべく事務的に言うと、葵はむっとした顔のまま腕を組んでぼそりと呟く。
「なーにが、忙しいんだか。……まったく、ひとつのメールをぼんやり眺めてため息ついて。そんなことしている暇があるなら、一回食事にでも誘ったらいいのに」
聞えよがしの声に、思わず顔をあげた。
ほとんど工房にこもりっきりの葵だが、事務所の奥にはきちんと席が用意されている。そこに身を投げ出すように座って、不満そうな顔で秋鳴を見ていた。
今度はさっきと違って取り繕った表情を作らずに
「何のことです?」と、とぼけた。
「今年で28にもなろうっていう男が遠くから眺めるだけなんて。一途通り越して気持ち悪いわよ。ストーカーじゃないの」
「ストーカー……」
「煮え切らない態度でグズグズして。せっかくイケメンに生んでやったのに、無駄遣いしないでよ」
ひどい言われようだ。
身内からだこそ歯に衣を着せないのだろうが、それにしたってあんまりだ。
だが、葵のいうことは間違っていない。
こんな風に何も行動に起こさずに、ただ思っていることは昨今ではストーカー扱いされる可能性が非常に高い。
それは秋鳴にもわかっていた。
「で、今度、いつ来てくれるの?」
「……誰の話です?」
「まいやま手芸さん」
葵が自分のPCを起動して、メールを確認しながら独り言のように言う。
「納品は今週の金曜日の予定です。授業用のキットは学校に直接ですが」
「最近はメールも那賀さんばっかりだったのに、久しぶりに宿木さんからね。事務所の方に戻ったのかしら」
秋鳴が眺めていたメールは葵にもCCが入っていたので、それを読んでいるのだろう。
マウスを操作するカチカチという小さな音が響く。
「さて、私は帰るけど」
「僕はもう少し作業していきます」
先ほど頼まれたイベント追加搬入分について依頼のメールを作りながら答えると、がたんと席を立った気配がした。
「それじゃ、お疲れ様」
「お疲れ様です」
モニタから目を離さずに答える。
後ろを通り抜けていく葵が、
「あ、そうだ。秋鳴、来月のイベントのチケット渡しておいて」と、呟くと机の上に封筒を置いていった。
「どちらに?」
「まいやま手芸さん。……何度言わせんよ。郵送してもいいけど、できたら直接行って舞山社長に挨拶してきて」
「……わかりました」
返事をすると、そのままとっとと事務所を出て行ってしまった。
机の上に置かれたチケットを手に取って、長く息を吐く。
うまく乗せられている気がする。親に背中を押されてというのも、情けないことだと自覚もある。
でも、何もしないより絶対いいんだ、……と、思おう。
秋鳴は事務所のグループウェアを起動する。
予定表に明日の午後、『出張:まいやま手芸(直帰)』と入力した。
***
「宿木さん?」
はっと気が付いて顔をあげると、
もしかしなくても、何度も呼ばれていたのだろう。
「すみません、ぼうっとして」
「珍しい、具合悪い?」
「いえ……、年末でちょっと忙しいせいでしょうか。なんだか魂が抜けてしまって」
冬のコミケに参加する
苦笑して答えると、那賀が微笑んだ。
「今年はなんだか去年よりバタバタしているものね。今朝も葵先生のところから連絡あって急に納品準備だし」
「まあ、でも……考えようによっては助かったというか」
牡丹が呟くと、那賀は肩を落としてため息をついた。
「そうよね。金曜日の納品行かなくてすんじゃうし」
そう。本来なら金曜日、牡丹は納品のため出張となるはずだった。だが今朝、社長から
『葵先生のところの商品、もうそろっていたよね? 今日、秋鳴先生が来る時についでに持って行ってくれるって。だからお昼までに用意しておいて』と、言われて慌てて準備をしたのだ。
おかげで一日の作業予定は狂ってしまったが、金曜日は定時に帰ることができるのは嬉しかった。
金曜日のタイムセールお肉だから助かる。少しまとめ買いしよう。
お父さんと私と、……
最近、宗冴は自宅で食事をすることが多くなった。
『仕入れなんかはまだ人に任せられないけど、店は少し人に任せてもいいかなと思って。今更だけど、宗冴も受験だし。ちょっとは受験生の親らしく家のこともしてみるわ』
そんな風に屈託なく笑うのに、ほっとした半面少し寂しかった。
それでも宗冴が宿木家に顔を出さなくなったわけではなく、以前より少なくなったというだけだ。ほとんど毎日来ていたのが、週に1日、くるかわからないくらい。
「宿木さん、また考え事?」
那賀に半分呆れたような顔をされて、牡丹は「すみません」と、早口に応える。
「本当に体調、大丈夫? 今日はこの後、特別に何もないし早退してもいいのよ」
「いえ、本当に大丈夫です。あの……ちょっと、最近、近所の子が顔を見せないもので、気になっていて」
「ああ、いつもご飯食べさせているっていう」
「そうです。今年、受験なんですけど、ちゃんとご飯食べているのかなって」
呟くように言うと、那賀が噴き出した。
「やだ、心配しすぎよ」
「え、そうですか?」
「だって、いくら男の子って言っても高校生にもなって、そんな……お腹がすいたら自分で何とかするわよ」
「いや、それはそうだと思うんですけど。偏っちゃったりしないかなって、コンビニのお弁当とかカップラーメンとか」
「最近はコンビニのお弁当の方がよっぽど栄養バランス考えて作ってあるし。カップ麺が多少続いたところで死にはしないわよ。大丈夫、大丈夫!」
「そうですよね……、わかっているんですけど」
牡丹が思わずつぶやくと、那賀が少し首を傾げた。
「なんだか、宿木さんって、今時珍しい過保護のお母さんみたい」
「え?」
「確か、ご両親ともお忙しいってことだったけど、ご健在なのよね」
「はい。それに、最近は受験だからって気遣ってお家にいるみたいで」
「ますます心配することないじゃない」
言われて、本当にその通りだなと感心してしまう。
自分は何を心配しているのだろう。
そもそも、本当に心配しているのだろうか。
心配していると言いながら、ただこの心の中のガランとしてしまう居心地の悪さに耐えられないだけなのかも。
「随分と仲良くしているみたいね」
「ええ、私にとっては本当の弟みたいで」
そう答えると、那賀が何か考えるように腕を組んだ。
「まあ、そうはいっても男の子なんて、懐いてくれるのは小さいうちだけだからね。そのうち、そっけなくなるものだから」
「そっかあ」
「そうよぉ。ま、宿木さんは面倒見がいいから気になっちゃうのかもしれないけど、ほどほどでね」
牡丹はその言葉に曖昧にほほ笑む。
近いうちに宗冴もそっけなくなるのだろうか。
無邪気に『ただいま』と帰ってきて、『お腹がすいた』と抱きついてきたり、ご飯を食べた後、一緒にテレビを見たり今日会ったことを話したり、たまにそのまま泊まっていったり。
そういうことがなくなってしまう。
遠くの大学に決まったら、一人暮らしなんて始めてしまったりして。
そうしたら宗冴はお隣さんではなくなって、もう頻繁に顔を見せることもなくなるだろう。
会うのも長期休暇で、たまに実家に帰ってきた時くらいになる。
……もしかして、この間の旅行に行きたいって話は、そのせい?
遠くの大学に行くし滅多に会えなくなるから、大学入学前に『お姉ちゃん』と旅行に行って、それで思い出作ろう、とか。
この後は大学に行って勉強だって忙しくなるし新しい友達もできて、彼女だって出来るだろうし。
新しい生活の中に、牡丹と過ごす時間はなくなっていくだろう。
それならあんな行くのか行かないのかわからないような答えじゃなくて
「行くって、言えばよかった」
「どこへ?」
心の声のつもりが口に出ていた。
心配そうな顔をする那賀に、「いえ、なんでもありません」と、慌てて笑顔で答えた。
***
廊下を歩きながら、宗冴はため息をついた。
12月上旬の受験生なのだからため息の一つもつきたくなるのは当然だろうが、宗冴のため息の原因はおおよそ世の受験生とはかけ離れていた。
宗冴のため息の原因は11月までさかのぼる。
いつものように宿木家でご飯を食べて、少し休憩のつもりでテレビを眺めていると、牡丹が誕生日プレゼントは何が欲しいかと聞いてきた。
誕生日なんてすっかり忘れていた。ただいつものように牡丹が覚えてくれていたのは嬉しかった。
別に物はいらない。
牡丹が欲しい。
牡丹を自分だけのものにして、独り占めしたい。
心の中では即答だったが、まだ口に出すわけにはいかない。
牡丹はそれでも何かないのかと重ねて聞いてきた。
受験勉強で疲れている『弟』を元気づけたい励ましたい。そんな気持ちが言葉にも表情にも溢れていて嬉しかった。
……と、同時に、あまりにも無邪気で無防備な態度に、少しだけがっかりした。
ぴったりとくっついて、ともすれば肩に頭を乗せて甘え、抱きしめると優しく抱き返され、頭を撫でられる。
男として見られていたらこの距離感はありえないのだろうけど、あまりにも無警戒な態度は傷つく。
なんだかモヤモヤしたまま、プレゼントはいらないから一緒に旅行に行きたいとねだってみると、牡丹はいつもの犀と一緒に行く家族旅行みたいなものかと喜んだ。それを見て、モヤモヤした気持ちは苛立ちに変わった。
どうしてこう危機感がないんだろう。
昔からこうだった。
宗冴をかわいがってくれているのはわかる。慈しんでくれるのは嬉しいが、いい加減、これだけ図体のでかくなった男が、ただ子供の頃から仲がいい近所のお姉さんに、いつまでもベタベタと懐いてくる意味を少しは考えてもいいのではないだろうか。
苛立ちが収まらず、『二人で行きたい』と迫った。
あの時の牡丹の不思議そうな顔を思い出すと落ち込みそうになる。
いまなら少し頭が冷えているからわかる。
いきなり距離を詰めすぎた。
いつもと違うと感じた牡丹が無意識に体を引こうとしたのに、反射的に抱き寄せた。そして抱きしめるだけじゃ足りなくて、首筋に唇を軽く押し当てた。
身じろぎする体の震えと体温と共に伝わってきて、深く息を吸い込む。
牡丹の首筋から香る、甘い芳香にくらりと目の前が揺れた。
もっと触れたい。
牡丹のこの柔らかな身体ごとソファに倒れて、そのままもっとこの香りに溺れてしまいたい。
そう思った瞬間、背中に回っていた指先がこわばるように宗冴の服を掴んだのがわかった。
指はすぐに力が抜けてすぐに離れていったが、それでもその瞬間、牡丹が明らかに宗冴の腕の力に、肌に触れたことに身体をこわばらせたのが感じられた。
さっと、頭の芯が冷えた気がして、腕の力が自然と緩んだ。
牡丹はくすぐったそうに身をよじり距離を置くと
「旅行は先のことだから、まずは誕生日の当日に何かあげたいな」優しくそう言うと、なだめるように背中を撫でられた。
慈愛に満ちた笑みと柔らかく触れる小さな手。
腕の中の華奢な身体は、自分よりも大きくなった宗冴を母親のように抱きしめる。
苛立ちがすっと波のように引き、少し肩の力が抜ける。
危なかった。
焦って、苛立ってバカなことをしかけた。
そう思うと、本当に後悔だけが残った。
自分では無自覚だが、入試が近くなってきているせいか余裕をなくしているのかもしれない。
平常心だ、平常心。
心の中で言い聞かせる。
言い聞かせたところで、やはり気持ちがささくれ立っている自覚もある。
また理性を失って牡丹に手を出さないように、物理的に距離をおくことにしようと思い、宿木家に通う回数を極端に減らしてから一か月。
めちゃくちゃキツイ。
これ、意味あるのか?
かえって気持ちが荒れてないか、俺?
「あ、
名前を呼ばれて視線をあげる。
階段から降りてきた
「ちょうどよかった、お前さ、予備校の冬期講習受ける?」
「受ける。お前も受けるのか」
「うん。推薦決まっていても、結局、センターは受けるしかないだろ」
進路が決まっていてもセンターは受ける。
よほどの理由がない限りは担任と進路指導教員に圧をかけられて受けることになる。少なくとも宗冴たちの学校ではそう決まっていた。
「あんまりひどい結果出すと呼び出しされるし、そこそこの結果だしとかないとさ。でも一人で勉強していると、結局遊んじゃうし」
勇樹はそういうと、宗冴と並んで歩き始めた。
「なあ、これから予備校行くんだろ。俺も申し込みするから一緒に行こうぜ」
「いいけど」
適当に返事をしていると、じっと宗冴をのぞき込む。
「なんだよ、うっとうしい」
「いや、えらい難しい顔して歩いていたからさ。なんかあんのかと思って」
「別に、何もない」
「そっかあ? ま、確かにお前、志望校A判定っつってたもんな」
へらへらと笑いながら言う勇樹を、軽く睨みつける。
「……おい、誰から聞いた?」
「うわ、怖い顔すんなよ」
「だいたい誰にも言ってない……、伊藤先生か」
この間、部活の引継ぎの件について呼ばれて話をした時に、最近のことを聞かれて顧問に模試の結果を話したことを思い出す。どうせ進路指導の先生から筒抜けだろうと思って話したのだ。
それにしても口が軽い。……知っていたけど。
嫌な顔を隠しもせず黙り込むと、藤袴はごまかすように笑って取り繕う。
「筒路はさすがに真面目に勉強しているって褒めていたぞ。いいじゃん、俺なんか説教だぞ。引き合いに出されて、楽な学校の推薦取らずに、お前ならもっと上を目指せたとかなんとか」
「その通りだろう。受験勉強ムリとか言って日和ったんだから」
話しながら、帰宅する生徒で混雑する昇降口で勇樹と分かれる。
それぞれ履き替えて玄関から出ると、再び並んで歩き出した。
「なー、そうじゃなくてさ。なんか機嫌悪いの?」
「あぁ?」
「なーんか、すげー不機嫌な顔で歩いていたじゃん」
「別に」
「このままペース崩さずに行けば合格確実だろ。何が不満なわけ? あ、親と揉めた?」
放任主義でいくらでも金を出す、というか出させろと言っている親と何を揉めればいいのか。
「違うの? それじゃ、……あ! お隣のお姉さんと何か……」
皆まで言わせなかった。
睨みつけると、それだけで勇樹は自分で自分の手で蓋をした。
フルフルと首を横に振って、『これ以上余計なことは言いません』と視線で訴えてきた。
鬱陶しい。面倒くさい。
「……帰る」
「え?」
「予備校にはお前ひとりで行け。俺は家に帰る」
「え、え? ちょっと……おい、筒路!?」
背中に勇樹の声を聴きながら、苛立ちも隠さずに速足で駅に向かった。
***
「あーあ、失敗」
宗冴を見送った勇樹は独り言を呟いた。
「『あーあ、失敗』じゃないよ」
数メートルも離れたところからついてきていた女子生徒、
小走りに勇樹に駆け寄ると、不機嫌な顔で勇気を見上げる。
「聞いてくれた?」
「いや、無理だろ。最初から機嫌悪かったし。後ろから見ていてもわかっただろ?」
「う、……まあ、それは」
口ごもる澪に、ため息をついてみせる。
「山吹さんも諦めないね~」
「だって3年越しだもん。これが最後のチャンスだし、頑張れるだけ頑張りたいの!」
「なるほどね」
高校入学した時から宗冴のことが好きだった。協力してほしいと言われたのが、今年の夏、予備校で一緒になった時。
澪は勇気と一緒でとっくに推薦が決まっていたが、宗冴と同じ予備校に通いたくて親に頼み込んだのだと打ち明けてきた。
頼み込まれて特に面倒くさいとも思わなかったし、基本的に面白そうだと思うことは断らない性分だ。
それ以来、何かと宗冴からいろいろ聞きだしたり、澪と宗冴が一緒に行動できるように裏で動いたりとして見たのだが、どうにも澪の旗色は悪い。
まあ、宗冴の『お隣のお姉さん』は、もはや信仰に近いからな。
実在すれば、だけど。
「やっぱり今日もつけてなかった。マフラー」
澪が小さく呟くのに、我に返る。
宗冴の誕生日に澪はマフラーを送っていたが、それを身に着けているところを見たことがない。
正直、受け取り拒否をしなかっただけ扱いはいい方だと勇樹は思っている。
これまでの3年間で、宗冴の顔とスタイルだけにつられて付きまとった女子たちのことを思いだす。
贈り物の類は、一切拒否だったのだ。
今回だって誕生日だというだけで渡していたら断られたことだろう。
だが今回は、
『予備校で一人の時、筒路くんにお世話になったから。勉強もいろいろ教えてもらったし、これはお礼っていうか、……ぁ、いえ、藤袴くんにも同じの渡したの! 二人にはいろいろ感謝しているし、……あ、筒路くんが誕生日って聞いたのは偶然で、誕生日プレゼントとか、そういう特別なことじゃないから』
そう言われて、渋々、宗冴は受け取ったのだ。
無論、勇樹があまりに無下にするのは失礼と後ろからつついたせいもある。
「はー……、趣味じゃなかったのかな」
いや、多分、あいつはそういう理由で身につけないと思う。
隣のお姉さんが送ったものなら、毎日でも身に着けて歩きそうだが。
いや、それとも大事にしまっておくか?
「ねえ、例の『お隣のお姉さん』って、見たことある?」
「ないよ」
勇樹があっさり答えると、澪は軽く眉間にしわを寄せた。
「そんなに美人なのかな」
「さあね。でも、筒路曰く、『美人でかわいくて優しくて、声も柔らかくてきれいで、気が利いて料理がうまくて最高の女性』らしいよ」
「何度聞いても、『なにそれ?』って感じなんだよね。それに……社会人でしょ?」
「だね」
「私らとは全然世代が違うし、こんなこと言ったらアレだけど……おばさんじゃない? ……すっごく綺麗な、女優さんみたいな美人なのかな」
「んー? さあ、なんせ写真も見せてくれないし。正直、実在するのかも不明」
軽薄な口調で言うのに、澪が少し膨れた顔で勇気を見上げる。
「なんとか見られないかな!」
たまりかねたように言うのに、
「それに関しては全面的に同意。見てみたいよね、『お隣のお姉さん』。いや、マジで」と、勇樹も苦笑して返した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます