第5話 牡丹さんと宗冴くんの誕生日

「誕生日、何がほしいと思う?」

 キッチンで食器を洗っていた牡丹の声に、犀がスマホから視線をあげる。ソファにだらしなく寝そべる格好のまま、顔だけをキッチンに向けた。

「何? 宗冴?」

「そう」

「本人に聞けばいいじゃん」

「露骨に興味ないカンジ」

 牡丹が不満そうに言うのに、犀もスマホに視線を戻す。

「だってあいつ欲しいものとかなさそうだし」

「そうなの」

 牡丹がため息交じりに言う。

「欲しいものないんですって」

 『ほらみろ』と、心の中で呟く。

 宗冴は家がそれなりに裕福な上に、両親が気前よく物を買い与える。

 その上、宗冴はあまり親から小遣いをもらったり、ものを買い与えられたりすることが好きではないらしく、去年まではバイトをしていて小遣いもろくにもらっていなかったらしい。

 そもそも何かが欲しいとか、強く何かを望むところを見たことがない。

 牡丹をのぞいては。

「聞いたの?」

「ん?」

「宗冴に。『欲しいものある』って?」

「うん、昨日。来ていた時に」

 食器を洗い終わったのか、牡丹がキッチンからリビングに移動してきた。

 犀がソファに乗っけていた足をつつくので、しょうがなくどかすとそこに腰を下ろした。

「いいじゃん、姉ちゃん、いつも世話してやってんだし。改めて何かやらなくてもさ。だいたい、そういうのって無理に押し付けてもしょうがないだろ」

 ソファの背もたれに身体を預けて牡丹は目を眇めると

「こら、言い方」と、犀の足を叩く。

「一応、セーター買ってあげることにしたんだけど」

「もう決まってるじゃん」

「でも、それだけだとさびしくない? 何か他にも……」

「いいよ。どうせ、高いやつ買ってやるんだろ?」

「値段のことは言わないの。だいたい宗冴くんに安物は似合わないでしょ」

「……ひいき目もいい加減にしときなよ、姉ちゃん」

 この間、超安売り店の500円のTシャツと1400円のデニム着ていたからな、あいつ。

 とはいっても、宗冴が身に着けると安物に見えないのも事実だ。

 犀からすれば『何を着ても、安物に見えない』だけなのだが、世の女性たちから見れば『やはり良いものを身に着けていてセンスがいい』となり、そこから『宗冴に安物は似合わない』となるのだろうか。

 長身スタイル良しのイケメンは得だなー。

 嫉妬と諦めが入り混じった気持ちでスマホを眺める。

「宗冴くん、身長も伸びたのよね。もうあと2センチで180センチだって。びっくりしちゃった。ちょっと大きいサイズだから、これからは思いつきで服買ってあげたりできないかもしれないな」

 そこで牡丹の言葉が止まった。

 しばらくスマホを眺めながら次の言葉を待ったが、あまりにも沈黙が続くので視線を牡丹に戻す。

「……、姉ちゃん?」

 牡丹は、なにやらぼんやりとしている。

 テレビを眺めているのかと思ったが、どこか視線が遠くを見つめているように見える。

「姉ちゃん、どしたの」

 もう一度声をかけると、我に返ったように牡丹が犀を見た。

「あ、……犀も、もうちょっと伸びてもよかったかもね」

「うっせーな。173は小さくないから」

「そうね。二瀬さんと並ぶとちょうどいい感じだったもんね。あ、ねえ、二瀬さん、また遊びに来ないの?」

 ニヤニヤ笑いを向けてくる牡丹に嫌な顔を隠しもせず

「来ーまーせーんー。せっかくのデートになんで家に連れてくんだよ。一人暮らしならともかく」と、本音も混ぜて言う。

「そうですかぁ。つまらないの」

 もっとしつこく絡んでくるだろうという予想は外れて、牡丹はあっさりというと立ち上がる。

 部屋に戻るのかと思ってちらりと視線をあげると、通り過ぎざまになぜか頭を撫でられた。

「なんだよ?」

「別にぃ。お風呂先に入っちゃっていい?」

「どーぞ」

 答えると、パタパタとそのまま2階にあがっていった。

 つけっぱなしのテレビの音を聞きながら、見るともなしにスマホのSNS画面を流し見る。

 宗冴、18かよ。

 心の中で呟くと、とっくに成人しているみたいな生意気な顔が思い浮かんだ。

 子供ガキのふりして牡丹に甘えるのもそろそろ限界だよな。

『いくつになっても可愛い弟』と公言してはばからないのんきな牡丹も、さすがにそろそろ宗冴の虎視眈々と自分を狙う気配に気づいてもいいと思うのだが。

「鈍いんだよなあ、壊滅的に」

 思わず、小さく呟いた。


***


 部屋に戻った牡丹は、小さくため息をついて棚の上の卓上カレンダーを見た。

 11月20日はちょうど土曜日だった。

 誕生日まで2週間くらいはあるから、今から聞いておけば大抵のものは用意できるだろうと思い、牡丹は夕食後、リビングでくつろいでいた宗冴に声をかけた。

「誕生日?」

 意外そうな顔をされて宗冴が繰り返す。

「うん、何が欲しい?」

 聞くと、宗冴は苦笑を浮かべた。

「自分の誕生日なんか忘れていた」

「あ、ごめん。受験生だもんね」

「そういう意味じゃなくて」と、優しく微笑んだ。

「牡丹にお祝いしてもらえるのは嬉しいよ。ありがと。でも、欲しいものとか別にないな」

「そういうと思った。だけど、今年は遊びに行ったりできない分、何かあげたいなーと思って。こう、宗冴くんのモチベーションがガーッとあがるようなもの」

 牡丹が言うと宗冴が小さく笑った。

「モチベーションが、ガーッと?」

「そう、受験でいろいろ大変だったり我慢したりすることも多いでしょう。だから、楽しくなるとか、嬉しくなるようなもの」

 宗冴は何がおかしいのか、くすくすと笑っている。

「何か私、へん?」

「変じゃないよ。ただ、俺のことこんなに考えてくれているの牡丹だけだと思って」

「え、そんなことないよ。華さんだって宗冴くんの誕生日だから、椿山荘のディナー予約するって言っていたよ」

 先日、回覧板を届けに行った時に宗冴の母親の華と久しぶりに会った。その時にした世間話の中で宗冴の誕生日には家族で食事でもしようかと思っていると、嬉しそうに言っていたのだ。

 だが記憶の中の華と違って、宗冴は面倒くさそうな顔になる。

「あー、……断ったよ」

「え、なんで!?」

「面倒くさいし。俺、受験生だから」

 こんな時ばっかり、受験生っていう……。

 ふいっと顔をそらす宗冴に、心の中で呟く。

「華さん楽しみにしていたのに」

「そう、自分が楽しみなだけ。俺はいい口実なの」

「そんなこと言わないの。大悟さんだって、その日は仕事の予定は入れないように約束したって」

「子供の頃ならともかく、家族で改まってちょっといい店で外食とかだるいだけ」

「宗冴くん」

「俺は、牡丹のごはんの方がいい」

 そう言って甘えるように抱き着いてくる。

「今日のご飯もおいしかったし。牡丹のごはん以上のものなんて、俺にはないよ」

 褒めてもらえるのは嬉しいけど、椿山荘のディナーよりいいと言われても。

「もー、たまにはご両親とゆっくりしてくればいいのに」

「うちはそれぞれ自由にするっていうのが家訓だからいいんだ」

 以前、宗冴は両親といざこざがあった。

 ただ今はもうわだかまりはなく、そっけないながらも仲良くやっているはずなのだが、たまにこういうことを言う。

 まあ、しょうがないか。

「ねえ、牡丹」

 牡丹の身体に腕をまわしながら、寄り掛かるように肩に頭を乗せていた宗冴が呟く。

「ん、なに?」

「誕生日のプレゼント。ものじゃなくて旅行がいいな。受験終わってから」

「旅行……」

「場所はどこでもいい。牡丹の行きたいところで。海外でもいいよ。それくらいの貯金はあるから」

「いいね!」

 思わず、牡丹も声が弾んでしまった。

「しばらく旅行にも行ってないし。受験が終わって、大学の準備が始まる前に。ね、宗冴くんはどこに行きたい?」

 宗冴を見ると少し意外そうな顔をして上目遣いで牡丹を見上げている。

「……いいの?」

「いいよ。犀と3人で旅行なんて久しぶりだね。北海道のおじさんのうちに遊びに行って以来? あ、でも宗冴くん、私たちと一緒に旅行していて大丈夫? ふつうは卒業旅行って同級生とか」

「そうじゃなくて」

 言葉をさえぎられて、宗冴を横目に見る。

 宗冴はもたれていた頭をあげて、間近で牡丹の顔を恨めし気に見ている。

「……そういうんじゃなくて。いや、犀と一緒に行ってもいいんだけどさ。俺は牡丹と行きたいの」

 拗ねたような声音で言う。あまりにもまっすぐに自分を見ている宗冴の視線に気圧された。

 先に視線をそらしたのは宗冴の方だった。

 ふいと、宗冴が耳打ちするように首を傾けた。

「二人で行こう」

 低くかすれた声が、耳朶に触れた気がした。

 ぞわりと肌が粟立つ感覚。

 じっと見つめてくる宗冴の顔を見つめ返す。

「牡丹は俺とじゃ、いや?」

「いやじゃないけど」

 なぜか急に心細くなって、視線をそらしたくなった。

 無意識に宗冴と距離を置こうとした身体が、腰に回った腕に阻まれて動くことができない。

 牡丹を包むような大きな体。

 これまでおおきなぬいぐるみにでも抱き着かれたような愛おしい気持ちにしかならなかったのに、落ち着かない気持ちになる。

 かわいい、私の弟。

「牡丹……?」

 甘えるように首筋に顔をうずめてくる。

 首筋をくすぐる甘い感覚。子供が母親に抱き着いて甘えるように顔を押し付けてくるのに似ていると思っていた。

 だから首筋に唇が当たっても、別になんとも思わない。

 でも

「宗冴くん。旅行は先のことだから、まずは誕生日の当日に何かあげたいな。そっちから決めよう」

 自分でも白々しいくらい明るい声が出た。

 この子は可愛い私の弟。

 並ぶと見上げるようになった背丈。自分を包み込む大きな手のひら。

 抱きしめる腕の力は強くなって、牡丹はたやすく引き寄せられるようになった。

 そして、いつの頃からか宗冴の身体からは、大人の男の人みたいなコロンが少しだけ香るようになった。

 それでも。

「当日にお祝いしたいから。まずはプレゼントさせて。ね?」

「……牡丹がそういうなら、それでもいいけど」

 宗冴は少しけだるげな声でそう言うと、ぎゅっと牡丹を抱きしめた。

 ぎゅうぎゅうと胸の中に抱き込まれる。

 少し痛いくらいの力だったが、かえってほっとした。

 いつもの宗冴だ。

「そういえば牡丹の着ているセーター、かわいいね。ふわふわだし、触り心地いい」

 ぬいぐるみを抱くように頬ずりされるのがくすぐったくて笑みが漏れる。

「これ、高かったけど気に入って買っちゃったの。……あ! そうだ」

 思わず声を上げるのに、宗冴がびくっと身じろぎし「びっくりした」と小さく呟く。

「あのね、このセーター、イタリアのブランドなんだけどメンズもすごく素敵なの。細身に作ってあるから人を選ぶけど、宗冴くんなら大丈夫。スタイルいいから。ね、これと同じ、カシミアのいいやつ買ってあげる。きっと似合うよ」

 はしゃぎながら見上げる。

 宗冴はじっと牡丹を見下ろしていたが、少し口元を緩めた。

「ん、牡丹が選んでくれるなら。楽しみに待っている」

「任せて。何色がいいかなぁ」

 何事もないような顔をして答えながら、なぜか胸の奥がかすかにキュウと絞られるような感じがした。

 その後も宗冴は普通通りで、今日も夕飯を食べて少し牡丹としゃべると帰っていった。

 カレンダーの日付を眺めながら、長く息を吐く。

「18歳になるのかぁ」

 犀が成人式をした時の気持ちにちょっと似ていた。

 もう世話をかけないようにするからという言葉は嬉しいはずだし、喜ばなきゃいけないと思いながらも寂しかった。

 大人になっていくんだな。

 宗冴くんも、もう甘えて抱き着いて着たりしなくなるし、そもそもウチにも寄り付かなくなるんだ。

 そもそも実家を出る可能性だって高い。

『宗冴くんは自立早そうよね』

 友人の小鞠が、何気なく言っていた言葉を思いだす。

 あの時は誇らしくさえ思えた成長が、ひどく寂しく感じる。

 なに、考えているのだろう。

 そんなことより宗冴の誕生日プレゼントを選ばなくては。

 さっさと風呂に入って、スマホを片手に海外サイトのチェックをしよう。

 そう思って着替えを用意する。

「そういえば、服のサイズ。海外だとサイズ表が違うんだよね。身長はともかくスリーサイズ確認したほうが」

 そこまで言って、ふいに昨日抱きしめられた時の感覚がよみがえる。

 耳朶に囁かれた宗冴のかすれた声。

 ぞわりと身体の芯が疼いて、体が震えた。

「……っ?」

 へたりと、その場に膝をついてしまった。

 だんだん頬が熱くなる。

「なに、……? 私、おかしい……」

 いつもしていることだった。

 それなのに、昨日に限ってなぜこんなに感覚が変になるんだろう。

 二人で旅行に行きたいと言っていた宗冴。

 いつもより手が熱かった。

 首筋に唇が触れた時、口づけられた気がした。

 柔からな唇の間から少しだけ覗いた舌の濡れた感覚を肌に感じたような。

「気のせいに決まっている」

 呟いて、牡丹は立ち上がった。

 熱を持った頬を両手で押さえる。

「可愛い弟に何考えているの。いくら寂しいからって……しっかりしなきゃ」

 呟くと着替えを手にして、逃げるように部屋を出た。



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