第2話 宗冴くんのこと

 筒路宗冴つつじしゅうごの初恋は、お隣のお姉さん。

 そういうとひどく陳腐に聞こえるが事実だから仕方がない。

 6歳の時に好きになった人に今でも恋焦がれている。

 彼女の名前は宿木牡丹やどりぎぼたん

 華やかな花の名前であるが、彼女自身はつつましやかだ。

 綺麗で清潔感があって年上なのにかわいいところもあり、思いやりに溢れる優しい女性だ。

 牡丹以外の相手など考えられない。

 彼女がその場にいる時、他の女性はかすんで見えるし、牡丹がいない時でも記憶の彼女の方が鮮明で、目の前の女性の方がいいとは到底思えない。

 それほどに特別で大切で大事だった。

 宗冴にとって宿木牡丹ほど完璧な女性はいなかった。

 だから彼女にふさわしい男にならなくてはならないと、日々研鑽を積んだ。

 この11年間、そうやって生きてきたのだ。


***


 予備校の最寄り駅に降りると、背後から声をかけられた。

「筒路」

 振り返ると、嫌というほど見慣れた能天気な顔。

「ウス」

 笑顔で隣に並んでくるのに「おはよう」と、短く答える。

 彼の名は藤袴ふじばかま勇樹ゆうき

 同級生で共に三年間剣道部だったが、特に気が合っているというわけでもないのに、妙に宗冴のことを気に入って何かと声をかけてきた。

 悪い人間ではないのだが、いかんせん軽薄なところがあるのと、しつこいところがあるのでたまに面倒くさい。

「今日は顔色がいいな」

 言われて、少し考える。

 久しぶりに宿木家に言って食事をして牡丹に会ったからだろう。

「昨日は珍しくよく眠れた。それよりも勇樹、お前、どうしてここにいるんだ?」

「どうしてって」

 勇樹は目を丸くした。

「俺、言ったじゃん! お前と同じ予備校の夏期講習を申し込んだからって」

「そうだったか?」

 そんなことを聞いた気もするが、あまりよく覚えていない。

 学校の補習と予備校の通常講座、それに部活を引退しても身体がなまらないようにと道場にたまに顔を出したりもしていた。

 忙しくて興味の薄いことは忘れてしまっていたかもしれない。

「お前ほんとに、俺に興味ないんだな」

「まあ、あんまり」

 しれっと答えたが、

「昨日の夜もメッセージ送ったのに。既読ついてないから見てないのは知っていたけどさ」と、勇樹は怒るでもなくスマホを出す。

「何時ごろ?」

「8時頃かな。そのうち気づくかなと思っていたけど、お前、全然スマホ見てないだろ」

「ああ」

 ちょうどその頃は宿木家で食事をして牡丹の膝枕をしてもらっている最中だった。

 そんな貴重な時間に、友人からのメッセージをみるわけがなかった。

 かわいくてきれいな牡丹は、相変わらず優しく労わってくれた。

 柔らかな声で話し、甘い良い香りがする身体で抱きしめてくれる。

「もしかして、その時間まだ家にいなかった?」

 聞かれて、一瞬言葉に詰まる。

 その間を敏感に察したのか、勇樹が片方の口の端をあげる。

「あ、もしかして『隣のえっちなお姉さん』のところだろ?」

 楽し気に言う勇樹を、反射的ににらみつけた。

「低俗な言い方をするな」

「あ、図星。……つか、そんなおっかねー顔すんなよ、怖いから」

 無視して足を速めると

「ちょ、ま、悪かったって。あやまるから」と、小走りに隣に並んでくる。

「でもさ、正直、まだ信じらんないんだよね。そんなラノベとか深夜アニメみたいな女いる?」

「……。」

「お隣に住んでる優しくてかわいくて年上のお姉さん。スタイルよくて、ご飯作ってくれて、添い寝とか膝枕してくれて、なにしても許してくれるとかさ。しかもビッチ系じゃなくて清楚系なんだろ。お前にだけ特別に優しくて、いろんなことしてくれているってことなんだろ?」

 そうだよ、その通りだ。

 確かに派手な美しさはないが、牡丹は本当にホンッ……ト―に、かわいくて特別な人なのだ。

「なにその最強生物。マジで架空の存在かと思ってもしょうがなくねーか?」

 何と言われても実在するものは実在する。

 だが、牡丹の尊さはどんな言葉でも足りないくらい筆舌に尽くしがたい特別なものだ。

 まだ本物を目にしたことがないコイツが信じられないのも無理はない。

「この三年間、ずっとその『牡丹』さんの話聞いてきたけどさ。未だに写真一枚見せてくれないじゃん。見せてよ」

「いやだ」

「ケチ」

 なんとでもいえ。

 そう思って、視線を逸らす。

「だからお前の中のイマジナリー彼女かと疑うんだぞ。それとも写真1枚も持ってないとか……」

「持っている」

 出かけたり、旅行に行ったりして一緒に撮ったものから、本人には秘密の隠し撮りまで。

 枚数を数えたことはないが、この間クラウドサービスの容量を超えたので、まあまあな枚数になるはずだ。

 とりあえずパソコンと外付けのSSDにバックアップを取っているが、ベストショットは別にフォルダを作りクラウドに入れて、いつでもどこでも見られるようにしている。

「だったら見せろよ。減るもんじゃなし」

「いやだ、減る」

「いや、減らねーよ。見せたくらいじゃ」

 押し問答をしていると、またもや横から声をかけられた。

「藤袴君、筒路くん、おはよう」

 今度は女子の声だったが、名前を呼ばれて怪訝に思う。

 予備校初日で、まだ知り合いもいないはずだが。

「おはよう」

 宗冴の気配を察してか、ひときわ明るい声で挨拶をする。そうしながら勇樹は見えないところで脇を小突いてきた。

山吹やまぶきさんも、この予備校の夏期講習申し込んだんだ」

「うん、文系の方だけどね」

 終始にこやかに話しかけてくる。

 勇樹の知り合いなのかと思ったが、宗冴の名前も知っていた。

 制服じゃないからわからないが、同じ学校の生徒か。

 そう思い至ったが、自分は直接話したこともないだろうと押し黙る。

 勇樹とは部活も一緒でクラスも理系特進なので、おそらく一緒に行動している勇樹のクラスメイトとして名前を知られている。その程度の話だろう。

「あのさ、うちの学校の生徒、私たちだけみたいなんだけど、慣れるまでお昼とか一緒していい?」

「いいけど」

 勇樹がちらっと横の宗冴を見たので、「別にかまわない」と答える。

 本当にどうでもよかった。

 短い休憩の時間くらい、どうとでも。

 予備校の入口で

「よかった。それじゃお昼にね」と、彼女と分かれた。

 後ろ姿が見えなくなってから

「よかったのか?」と、勇樹に聞かれたので、

「ああ。かまわない。お前の知り合いだろ」と、答えると呆れた顔をされた。

「……お前、もうちょっと他人に興味持てよ」

「なにが?」

「彼女、1年の時に同じクラスだったし、お前とは委員会が一緒だったろ」

 そうだったのか。

 全然、覚えてない。

 ……いや、覚えているかもしれないが曖昧だ。言われてみれば、あんな女子もいたような気がする。

「あんまり記憶にない。だから俺の名前も知っていたのか」

 呟くと、勇樹は疲れたように肩を落として「そーだね」と投げやりな口調で呟いた。

「本当にお前の見る世界には、女性は牡丹さんしかいないんだな」

「? 今更なにを当たり前のこと言っている」

 当然のことを聞かれて首をかしげると、勇樹が「顔がいいだけに、ちょっと怖いわ」と呟いた。


***


 予備校の講習1日目を終えて帰宅。

 昼に一緒だった山吹という子は電車も同じ方向ということで、勇樹と別れた後もずっとついてきた。

 電車の中でも随分と熱心に話しかけられたが、内容は他愛ないものだった。時に興味のない話に生返事をしてやりすごしていた。

 随分と人懐っこい。

 こういう性格だと他に知り合いのいない予備校に一人というのは、不安だったのかもしれない。

 だが来年度、大学に進学したら、最初はやはり一人から始めなくてはいけない。こんなに人に依存していて大丈夫なのだろうかと思わなくもない。

 そろそろ自分の最寄り駅につくなという時に、ポケットのスマホが震えた。

「ごめん」

 何か話している途中の山吹に一声かけて、スマホを見る。

『定時に上がれたから、いつでもウチに来て大丈夫だよ』

 牡丹からのメッセージに、気が緩む。

 ニヤケそうになるのを我慢しながら、スマホをすぐにしまった。さすがに大した知り合いではないと言っても、目の前で返信するのは気が引けた。

 それにもうすぐに駅につくし、電車を降りてからゆっくり返信すればいい。

「メッセージ、もしかして彼女?」

 聞かれて「いや」と、一瞬言葉に詰まる。

「友達?」

「いや、家族……みたいな」

 世間的には隣人というだけの存在だが、なんとなくそう言いたくはなかった。

「そうなの。なんか一瞬、雰囲気変わったから、もしかしたら彼女かなって思ったんだけど」

「雰囲気、変わった?」

「あ、いや! ……そんなに表情なんかは変わらないけど、なんか空気というか……、一瞬、柔らかくなった気がしただけ」

 山吹は慌てた様子で早口になる。

 気分を害したと思われたらしいが、怒ってはない。

 ただ牡丹からのメッセージを見ただけで、他人が分かるほど脂下がっていたのかと、少し恥ずかしくなっただけだ。

「筒路くんっていつも冷静っていうか、あんまり他の男子みたいにはしゃいだりしないし、剣道部の主将だったせいもあるのかな。クールなオトナってイメージだったんだよね。でも、家族に対してだと結構、普通の男の子と変わらないのかなあって……、あ、家族みたいって言ったっけ? ってことは、親戚の人とか?」

「まあ、そんな感じ」

 適当に答える。

 牡丹のすばらしさに関してはいくらでも語れるが、だからと言って誰彼かまわず吹聴するほど頭がおかしわけではない。

「その人って……」

 何か言いかけた山吹の言葉にかぶるように車内アナウンスが響く。

 ゆっくりと減速する電車に、ほっとする。むやみやたらと話しかけてくるこの女子から、やっと解放される。

 ホームに滑るこみ停車すると、ドア付近に立っていた宗冴たちのまわりに降りようとした乗客が集まってくる。

「それじゃ、さよなら」

 宗冴はその人たちに紛れて電車を降りた。

 日が落ちかけたとはいえ、むっとする暑さに包まれる。

 宗冴は改札に向かう人たちの流れから外れて、ホームの壁際に寄った。

 スマホを取り出すと、牡丹のメッセージに返信する。

『いま、駅に着いた。これから帰る』

 送信してすぐに『OK』というスタンプが送られてきた。

 特別なやりとりはしなくても牡丹とやりとりをするだけで幸せだ。

 宿木家に向かう足取りが、先ほどよりもさらに軽くなった気がした。


***


 家の近くまで来ると、コンビニから出てきた犀とエンカウントした。

「ウス。おつかれー、受験生」

せい、バイトは?」

「今日はバイトなし。お前は夏期講習か」

 頷くと、「偉い、えらい。これご褒美」といって、ショルダーバックから小さな金色の袋をくれた。

 食べきりサイズのマカダミアナッツチョコレートだ。

「ありがと」

「今日もウチ来るんだっけ?」

「うん。しばらくは飯食わせてもらう」

「親御さん、また海外か」

 すげえなあと、しみじみと犀が呟く

「海外出張とか、いまどき普通じゃないの」

「普通の定義は人それぞれ。父親は大手商社に勤務、母親は海外輸入雑貨のセレクトショップ経営者とか、俺にとってはすごいことなんだよ」

 ふたりで宿木家の門扉を抜ける。

 犀が言うこともわからないでもないが、俺は宿木家の方がいい。

 すごいことは何もないかもしれないけど、家族仲が良くて帰る場所って感じがする。

 今は親のことは嫌いじゃないが、そういう意味では筒路家はどこかしら欠如した家だ。

 玄関ドアを開けて犀が先に家に入る。

 夕食を作っているのがわかるいい香りがした。

 醤油と、何か甘辛い香り。

「ただいまぁ」

「ただいま」

 犀に続いて家に入ると、キッチンダイニングを覗く。

 システムキッチンの前に立って、鍋の中をのぞいていた。

「おかえり。あれ、ふたりとも一緒だったの」

 牡丹が振り返って微笑む。

 黒のサマーニットにピンクベージュのふわりとしたスカート。

 背中の真ん中くらいまである栗色の髪を、今日はひとつに結んでいる。そのせいで少し艶めかしいうなじがあらわになっていた。

 大きな優しい色をした目が宗冴を映している。

 可憐でかわいくて、声は涼やかで甘く響く。

「ただいま、牡丹」

 たまらなくて抱きしめる。

 柔らかくて小さくて甘い匂いがする牡丹の身体は、宗冴の腕に中にすっぽりとおさまる。

「はいはい、お腹すいた? もうちょっとでできるから待ってね」

 耳に優しい、心地よい声にうっとりと聞きほれる。

 今日も俺の女神は、慈愛に満ちてかわいい。

「暑苦しーい」

 冷蔵庫に直行して炭酸飲料のペットボトルを出しながら、犀が横目に言うのに

「犀もこっちおいで。おかえりのハグ」と、牡丹が犀に腕を伸ばす。

 宗冴の腕がまだ牡丹の腰に回ったままだったが、牡丹は母のように犀に両手を広げて見せてにこにこしている。

 だが犀は

「いらんし。つか、マジでべたつかないで」と、冷たく言い放つ。

「中学生までは犀の方から抱き着いてきたくせに」

「いつまでも中学生じゃねーよ。貴方の弟は大学3回生ですー」

 べーっと舌を出されて牡丹が不満そうに口をとがらせる。

「犀はいつも彼女できると、そうやって冷たくなるんだから」

「誤解を生むようなこと言うなよ! そうじゃなくても、大学生にもなったら普通は自分の姉ちゃんとハグしねえし!」

 犀がむきになって怒鳴るのに、宗冴が改めて牡丹の身体を抱き寄せる。

「牡丹、俺は大学生になってもハグするよ」

 ぎゅっと腕に力を込めて首筋に顔をうずめると、牡丹がくすくすと笑った。

「宗冴くん、優しいなぁ。よしよし」

 自分の腰に回る腕を軽くあやすように叩いていたが、うなじに唇を触れさせるとくすぐったそうに、牡丹が身をよじらせる。

「くすぐったい」と、笑う声は鈴を震わせるようだ。

 放すのは名残惜しいが、あんまりしつこくして嫌われたくない。

 渋々、腕を緩めると牡丹は身体を離して宗冴を見上げた。

「お茶入れるから、リビングで待っていて」

「いや、手伝うよ。昨日は何もしなかったし」

「俺、部屋にいるから。メシできたら呼んで」

 犀がさっさと部屋に引き上げようとするのに、牡丹が声をかける。

「あ、犀は手伝ってよ。お風呂洗って」

「えー? 俺だって疲れてんのに」

「お願い。いま火のそばから離れられないの」

 不満たらたらの犀に

「だったら俺が風呂掃除するよ」と、宗冴が言うと牡丹が首を横に振った。

「宗冴くんは休んでいて。受験生なんだし。犀、お願い」

 もう一度名前を呼ぶと、犀はいやいやながらも「へーい」と返事をした。

 文句を言う割には、犀は牡丹のいいなりだ。

 なんだかんだ言って、宿木家は牡丹が中心に回っている。

 風呂場に向かおうとする犀に

「俺も手伝う」と、後ろをついていく。

「二人がかりでやることでもないけどな。そんなデカい風呂ってわけでなし」と、犀が小さくため息をつきながら呟く。

 それから振り返ってじっと宗冴を見た。

「なに?」

 聞くと、犀は一瞬、宗冴の背後に視線を向けた。

 牡丹はキッチンの方に引っ込んでいったのを確認してから

「お前、最近、姉ちゃん触る時に、なんか……やらしいよ」と、ぼそりと囁いた。

 やっぱりそうか。

「犀から見てもそうか」

 悪びれることもなく口元に手をやって言うと、犀が呆れた顔をした。

「確信犯か」

「触る時はそういうつもりはないんだけど、触っているうちに、つい」

「……お前さ、自重って言葉知っている?」

「最近、受験のせいかストレスがたまっていて、ただハグするだけじゃ物足りなくなってきている」

「お前が受験程度のことでストレス感じるかよ」

 犀が目をすがめて言う。

「感じてるよ、ストレス」

「嘘つけ」

「だからつい今まで我慢できていたことが我慢できなくなってるかも。ハグだけじゃ物足りなくて、もっと触りたい」

「おい」

「他にもしたい。キスとか」

 犀が声に出さずに『うわ』という風に口を開いた。

「身内のそういう話、マジで勘弁だわ」

「でも、俺、牡丹を結婚するから」

「まずは告ってから言え。つか、お前、やめろよ。その……いくら姉ちゃんが鈍くても、無理やりとか」

「は?」

「同意を得てからにしろよ」

 苦々しい顔をしてもごもごと言うのに、微笑んで答える。

「そんなことしないよ。俺、牡丹が嫌がることする気ないから」

 犀は眉間にしわを寄せて、ものすごく何かと葛藤しているような顔をした。

「お前の、その整った顔で真面目に言われると信用しそうになるけど……。いや、それはそれとして。そもそも姉ちゃんがどういうつもりなのか、イマイチわかんねーんだよな。宗冴の前でこんなこと言うのも悪ぃんだけどさ」

 犀にしてみれば、そう思うのも当然だろう。

 どんなに仲が良くても赤の他人なのに距離が近すぎる。

「姉ちゃん。お前のことバカかわいがりしているから何でも許しそうだけど、男として見ているかっていうと、めちゃくちゃギモン」

「そんなの誰から見ても弟扱いだろ。男相手にしては無防備すぎる」

 気を使って言葉を選んでいた犀と違って、宗冴はきっぱりと言い切る。

「でも今はそれでいいかな」

「そうなの?」

 犀が意外そうな顔をした。

「どうせガキのうちにハメ外してもいいことないし。なにより牡丹に迷惑かけたくない。なら、今のうちはせいぜい弟のポジションでかわいがってもらっていた方がいい」

「正直つか……、やっぱりお前、確信犯じゃん」

「いまさらだろ」

 宗冴は低い声をさらに低くした。

「牡丹に距離置かれたら、死ぬ」

「怖ぇから物騒なこと言うな。お前の場合、冗談にならないし」

 犀が苦笑する。

「ま、ともかくほどほどにな。受験失敗したらシャレになんないだろ」

「そうだね。とりあえずは受験頑張るよ」

 数少ない本音を言える友人であり、信頼できる幼馴染が少し心配そうな顔をするので、宗冴にしては珍しく微笑んで見せる。

「二人とも、どうしたの?」

 ちょうど、キッチンからお茶を持った牡丹が顔を出した。

「なんでもない」

 犀がそそくさと逃げるように浴室に向かう。

 一緒に浴室に向かおうとした宗冴のシャツが引っ張られる。

「宗冴くんは、いいから。リビングでお茶飲んでいて」

 牡丹に言われて振り返る。

「今日はそうでもないみたいだけど、昨日は本当に疲れていたみたいだから。無理せずに休める時はしっかり休んで」

 そう言って見上げてくる最愛の人に逆らえるわけもなく

「うん。わかった」と、答える。

 宗冴の返事を聞いて、安心したように表情を緩める牡丹に邪な思いがうずく。

 リビングのソファに座ると、牡丹が宗冴の前にお茶のグラスを置いた。

「ごはん出来たら呼ぶから」

 かがんだ牡丹の胸元に思わず視線が吸い寄せられる。

 黒のサマーニットの胸元は下品でない程度に開いて、白い滑らかな肌が覗いている。

 触りたい。

 抱きしめたい。

 あの匂いやかな肌にもっと触れてみたい。

 柔らかそうに濡れてピンク色をしている唇に自分の唇で触れて、舌で味わってみたい。

「宗冴君?」

「え?」

 牡丹の声に我に返る。

「真面目な顔して、また難しいこと考えている」

「いや、そんなことないけど」

 牡丹とえっちなことする想像をしていた。

 しかし天使のような思考の牡丹は、そんなことは思いもよらないようだ。

「いくら受験生でもずっと勉強ばっかりしていたら倒れるよ。まだ夏なんだし先は長いから」

 本当に心底心配してくれているんだろう。

 申し訳なく思う半面、牡丹の優しさはどこまでのことを許してくれるだろうと思ってしまう。

 とりあえずキスしたいって言ったらさせてくれそうな気もするが、それは宗冴の望むものではなかった。

 やっぱり、弟じゃなくなってから。

 とりあえず志望校合格して、高校卒業してからだろうな。

 だいたいキスしたら、そこから歯止めが利かなくなりそうだし。

「宗冴くん、聞いていますか?」

 ぼんやりと牡丹の顔に見惚れていたので、聞いてないと思われたらしい。

「聞いていたよ」

 にっこりと微笑む。

 牡丹が安心するように。

 宗冴がこんな風に気を遣うのは牡丹に対してだけだ。

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