第二話 計画への誘い

 彼、結城将嗣が後のADAM計画と命名されるそれに参加する事になったのは、1973年の末の事だった。彼は当時、千葉工業大学の機械制御工学に在籍し、修士課程を終え、次の段階の博士課程に移ろうとした頃の事である。

 通う大学が異なっても朋友であり続けた藤原龍貴からその話が持ちかけられたのは12月もあと三日と経たないうちに終わりを告げる30日。

 都内の公園の石造りの長椅子に座る男二人。

「どうかしたのかい、龍貴、その様な深刻な顔して、まあ、君の顰めっ面はいつもの事だがね。篠葉君のお陰で大分ましになったかと思っていましたが」

「うむ、似たような面のお主に云われとうないわっ・・・。ああ、まあ、今日は、ちとお前に頼みたい事がってな・・・」

「僕にですか?一体何ようですかね」

「いやなに、うむむ・・・」

「なんだ、ハッキリしないな、思った事は何でも言葉にする君らしからぬ」

「美鈴が始める研究のための施設を海外で建設する事になったのだが、そう、ほら、以前、将嗣は将来、大規模施設を通信回線網で制御してみたいと言っていたではないか、だから、これを機会にそれを実現してみないか。今後のお主のやりたい事もあろうからな、無理強いするつもりはないが、考えてほしい。始まるまで暫くある、熟慮してくれたまえ」

 将嗣は龍貴の言葉を噛み、その意義を理解しようと頭を働かせる。現代の様に高性能な電子演算機(コンピュータ)等ある筈もなく、ましてや通信回線網で機器制御など確立していなかった時代にそれと似たような事を実現させたいと思っていた将嗣にとって龍貴の誘いは夢をかなえる為の大きな足掛かりになる事は間違いなかった。

 龍貴は将嗣が慎重派で物事を決定するのに色々な材料を揃えて己が納得するまで突き詰めてからでないと答えを出さない事を知っていたので、直ぐに返事を呉れないだろうと思っていた・・・、だが。

「それは面白そうですね。で、君はその計画には参加するのですかね?」

「いや、美鈴とは畑違いだ、今は大学の講師でもやりながら、新動力理論の研究を続けて行く予定だ」

「そうですか、そうでんすね、篠原君とは分野その物の方向性が違うのだから、仕方が無いのですね・・・。わかりました。君は僕が直ぐに答えを出さないと思って、猶予を呉れたみたいですが、参加の旨を伝えさせていただきますよ、ここで」

「いいのか?行く末が不透明な計画だぞ」

「新期で始める事は何でもそうでしょう?君もそのような事、重々承知なくせに。で、計画の期間、施設の規模、全体の人員はどの程度予定しているのかい?」

 将嗣の問いに、龍貴は現段階での計画概要を口頭ではなく、鍵盤式印字機(タイプライター)で作成した三十数枚の書面を彼に渡す。

 それを渡された男は一枚目からゆっくりと眼を通し、内容を可能な限り理解しようと努めた。龍貴は将嗣がそれを読んでいる間、静かにピースという銘柄の煙草を吹かしていた。

 男が読む紙面の内容には、研究内容、その活動理念と目的、施設建設の場所、その施設にはどのような部門を設け、どれだけの人員を割くか、どのような人材を必要としているか、研究施設完遂までの大凡掛かるであろう予算、運営開始後の施設維持等が事細かく書かれていた。

 文面には場所を完成させるまでの綿密且つ精確でさらに効率的な計画が記されていたのだ。そして、将嗣は知っている誰がそこまで、全体を見通し末端に至るまで漏らさず進行予定を書き上げたかを。

 将嗣はその男の表情を見ると濾過(フィルター)部無いタバコの火が後一吸いもすれば指間に差し込もうとする直前だった。

 龍貴は彼の視線に気が付き、目だけを向けて、口に当てていた煙草を遠ざけ、胸のポケットにしまっていたピースの箱を取り出し、何も言わず将嗣へと向けた。

「ありがたく頂くよ、龍貴」と将嗣は言い、一本抜き出すと口に銜え、自前のマッチで火を興し、それで煙草の先を灯す。大きく吸い込み、ゆっくりと肺に一度、侵入した煙を口からゆっくりと吐き出し、小さな雲海を目の前に生み出した。

「いいねぇ・・・」

「お主もそう思うか、いいだろう、この吸い味・・・」

「ちがうぞっ、龍貴。たばこのことじゃなくて、この計画がだ。君は概要と言ったが、かなり細密じゃないか」

 龍貴は将嗣との『いいね』との解釈の違いに鼻で笑って、彼の言葉の続きを聞いていた。

「僕が参加する事で一つ頼みたい事があるのだけど」

「何がだね?」

「電機、電子、機械制御などの技師は僕が集めたい」

「いいだろう。そこに書いてある人員で足りなければ増やしてもかまわぬ。そこら辺はお主の裁量に任せるとしよう。ただ、拙くとも英語が出来る事、それは必須であるのを忘れるな」

「習うより、慣れろ。全員、日本人だけで固めるつもりはありません。ぼくのそういった友達は海外にもいますからね」

「あい、わかった。建設開始はその書面に書いてある通りだ。それまで人材を集めてくれ。面倒故、お主が探した人材を私に顔通しなどさせる必要はないからな。さて、話はこんな処だ、時間も時間だしな。何か食いに出かけるとしよう」

 龍貴はそう言って、将嗣の返事も聞かず歩きはじめた。

 研究施設受け入れ地の整地から区画分割は1974年の一月半ばから二月の後半まで行われ、建設は雨期の明ける四月から開始される。施設外装が完成するまでの作業員は大凡、一万人弱になるだろう。

 将嗣が最初に担当するのは建設と並行する電設であり、その中には建築物完成後の通信網機器制御回線敷設を織り込んだ物だった。一度引いてしまった回線網は末端でのやり直しは可能でも施設全体では簡単ではない。故に彼は集めた技術者と何度も検討を繰り返し、技術向上後の拡張性を見越した敷設を徹底的に編み、その年の十月頃にやっと着手できるようになった。彼が集めた作業要員は現地の人々を含め百四十四人。一組十二人で作業をする事になっていた。

 各組に必ず作業責任者を置き、責任者会議を設け、伝達事項の統制を図り、作業の徹底的効率化を進めた。

 将嗣が担当する作業の中で基幹となる部分、この男の考えた通信網設備の概念は半世紀以上もの先を見越した物で、当時は機械式シーケンサーを制御する専用回線や、RS232Cという規格を繋ぐもの、後のLAN規格までも対応できるような柔軟性を持ち合わせていた。

 100m単位で中間増幅器や中継機を設置する事により通信損失を解消させる。中間を端子台経由で一本の送信線を32芯単位にする事で機器規格による接続端子内配線数が増えてもある程度対応できるようにしていた。そして、接地線を別に敷く。

 それにより、一本の送信線でRS232Cの9配線型なら接地を共通化する事により、最大四本。25配線型なら一回線分、電信電話系四芯多重方式なら八回線分。現行のLANなら八芯で四回線分。

 すべて地下の配線専用経路を設け、断線などがあれば、人が作業可能な空間分の広さを建設した。

 人の出入りが出来るだけの広さがあるという事は、その時代では考えられていない送電線の材質が出来たとしても容易に入れ替えが出来る仕様になっていた。故に中間路線に光が導入できるような時代になるといち早く研究所の回線網に将嗣、その男は取り入れたのだ。

 日に日に完成に近づく建物群。将嗣はそれを現場で眺めながら満足そうな表情を浮かべながらも、次の事を考えていた。

 男は藤原龍貴が用意してくれた住まい、朋の向い近所の一軒家に戻ると建設資料を取り出し確認する。それは建造物が出来た後に必要な機器類一覧だった。

 すでに発注済みの物品から候補として上げているが購入に至っていないものさまざま。未発注の物それらをどの時期に押さえるかなど、色々と思案していた。

 将嗣なる男は私生活にあまり頓着しない方で、自ら家事をやることなど稀だった。仕事で忙しい時には食事をしない事も多くあり、龍貴によく体調管理を怠るなと叱責される光景は普通だった。

 その様な理由で龍貴は自分の伴侶に将嗣の分の食事の料理を願ったり、彼女が忙しい時にはわざわざ日本から家政婦を呼び、生活の支援をさせたりした。幾ら龍貴が親から受け継ぐ資産が多くとも、仮令、無二の親友と云えども、通常他人へそこまでの施しはしないだろうが、龍貴はそれを怠らなかった。なぜなら、将嗣の努力のすべては妻、美鈴の将来に通ずると信じていたからだ。

 1976年8月、雨期に入る前に建物外装は完遂し、内装も残り一、二割程度の物となった。十月に入れば導入計器類も完全に動かす事が可能になるだろう予定は携わっていた人員誰もが思う以上に順調に進んでいた。

 八月の中頃に入ると全体の完成を待たずして、稼動する研究部門もあった。それは医療機器開発部門である。更に九月には物質構造解析研究が続いて、生命保全。十月に入り、特殊脳細胞解析が完成後に動き出した。生命応用は運営開始、五年後に、汎用製薬開発は更に四年後に増設された研究部門である。

 夏の頃に出会った巫神奈は藤原美鈴と共に生命保全研究所勤務であり、全施設の制御統括長に任命された結城将嗣も生命保全の運営維持、各機器の保守、通信制御等が主な仕事となる予定になっている。その中には装置の開発も含まれており、誰が見ても彼のこなさなければならない仕事への負担は過剰に思えた。だが、それを任された男は何一つ不平を垂らす事なく、寡黙に続けて行く。

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