ベレー帽が倒せない

永久保セツナ

ベレー帽が倒せない 1話読み切り

 俺はタージ・マハル。

 ――いや失敬、タージ・マハルはペンネームだ。本名は田島たじまはる。売れない弱小漫画家だ。

 しかし、俺は売れっ子漫画家になる方法を発見してしまった。

 小学校時代の同級生がタイムマシンを発明し、俺に試乗を頼んできたのがきっかけである。その同級生は卒業文集で「タイムマシンを開発したい」なんて夢物語を書いてクラスのみんなに笑われたものだが、案外捨てたもんじゃない。

 さて、タイムマシンということは、過去に戻れるだろう? そこで俺は閃いた。

 例えば、手塚てづか治虫おさむ。彼の漫画は何を描いても傑作である。その漫画のアイデアを我がものにできるとしたら?

 つまりは、手塚治虫御大が漫画を発表する前に、俺がその漫画を描いて発表してしまえばいいのだ。流石に絵柄は似せられないが、俺だって漫画家の端くれ、画力には自信がある。手塚治虫の漫画のアイデアさえ盗めれば、富と名声は俺のものだ。

 というわけで、俺は二つ返事でウキウキとタイムマシンに乗り込んだのである。

 ――時は1949年。手塚治虫が『ジャングル大帝』を発表する一年前。俺はアパートを借りて漫画を描き始めた。手塚治虫が『ジャングル大帝』を描きあげる前に、俺が先回りして作品を発表するのだ。俺は手塚治虫の大ファンだから、話の流れはすべて頭の中に入っている。

 そうして、俺は出版社と掛け合って『ジャングル大帝』を発表した。我ながら上手く描けたと自負している。

 しかし、妙なことが起こった。思ったほど人気が出ないのだ。あの『ジャングル大帝』だぞ? 名作だぞ? この時代の人間には見る目がないのか?

 俺の描いた『ジャングル大帝』は半年ほどで打ち切りになった。

 そして、手塚治虫はどうしたのかというと、別の漫画を発表した。その漫画のタイトルは、俺には見覚えのないものだった。仮にも手塚治虫ファンを自称している俺が知らない漫画とは、よほどのマイナー作品か? しかし、流石は手塚御大、拝読したがやはり面白かった。

 いやいや、手塚治虫にかまけている場合ではない。俺は次の作品の執筆に取り掛かった。

 『鉄腕アトム』、『リボンの騎士』、『火の鳥』……。俺はガムシャラになって次々と作品を描いた。しかし、どの名作を描いても閑古鳥。半年から、酷い時には三ヶ月ほどで打ち切りになった。一方、手塚御大は別の作品を発表し続けた。どれも見たことのない作品だったが、何を読んでも面白い。これが俺と『漫画の神様』の圧倒的な差だった。漫画のアイデアを盗んだだけでは、到底敵わないのだ。おまけに、手塚先生の貴重な漫画を俺が打ち切り漫画にしてしまった。もう先生の『アトム』や『ブラック・ジャック』は読めないのだ。俺は後悔に打ちひしがれた。

 そんなある日のこと。

 弱小漫画家の俺はその日も手塚治虫の漫画のアイデアをパクリながら原稿をインクで汚していた。

 もう俺には自分の力で漫画を描くという誇りは残っていなかった。手塚御大のアイデアに頼らなければ何も描けない。手塚先生のアイデアで無理なら俺自身の描く漫画なんてウケるわけがないからだ。そろそろタイムマシンを使って諦めて元の時代に戻ろうか、と思っていた矢先。

 玄関のチャイムが鳴った。

「はい……新聞なら取りませんよ」

「田島晴さんですか?」

 新聞勧誘かと思ってドアを開けると、スーツ姿の男が二人立っていた。

「はい、田島ですけど……どちら様?」

「時間警察です」

 俺は突拍子もない単語に、一瞬あっけに取られた。

「じ、時間警察……?」

「あなたにはタイムリープで過去を改ざんした容疑が持たれています。ちょっと中、失礼しますよ」

「ちょ、ちょっと……!」

 スーツ姿の男二人は俺の制止もきかず家の中に入ってくる。

「先輩、ありました。手塚治虫氏の漫画の偽原稿です」

「十四時四十分、現行犯逮捕だな。タイムマシンも家の中にあるし、確定だ」

「ええと、侵入時代は……令和元年? 随分大昔から来たんだな。その頃にタイムマシンなんかあったか?」

「田島さん、ひとまず我々の時代まで同行願います。改ざんされたこの時代は修復しておきますので」

 ――ああ。

 これで、手塚治虫の作品は、手塚治虫に還されるんだな。

 俺はなんだか救われた気がした。

 正直なところ、俺はずっと手塚治虫の漫画に取り憑かれていた気がする。さっさと元の時代に帰ればいいものを、手塚治虫を超えようとムキになっていたのだ。

 手塚治虫のモノマネで手塚治虫を超えられるわけがないというのに。

 そうして、俺は今、二十五世紀の日本で、懲役刑を課されている。

 小学校時代の同級生に、タイムマシンを返せなかったことだけが気がかりだ。


〈了〉

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