第2話 学科長室へ

 無事に親父から退学届に認印をもらって週が明け、月曜日の朝一番に学生課に退学届を提出。すると学科長との面談も、これまたあっさり水曜日の十一時からと決まった。

 

 そして迎えた今日、学科長室へと向かって俺は歩いていると言うわけだ。


 アカンサス芸術学院は、芸術に力を入れた芸術学部のみの大学であり、とにかく学生の数が多い名門のマンモス校。俺はその中の放送学科に所属している。

 他には美術学科、デザイン学科、環境デザイン学科、映像学科、キャラクター造形学科、音楽学科、建築学科、舞台芸術学科、写真学科に分かれていて、各学科ともそこからさらにいくつかのコースから、一つを選択することとなっている。


 俺が所属する放送学科も、また三つのコースがある。

 一つ目は、テレビカメラマンや脚本・演出家、ディレクター、プロデューサーなどを目指す学生が集まる制作コース。

 二つ目は、アナウンサーや声優、ナレーターなど声を生かす仕事に就くことを目指す学生が集まるアナウンスコース。

 そして三つ目は、広告デザイナーやライターなどを目指す学生が集まる広告コース。

 

 俺は、その中のアナウンスコースに所属している。


 放送学科はこの大学でも人気の学科で、ここ数年で急激に志望者が増えている。

 近年、声優を目指す人が増えたこともあってか、アナウンスコースは近畿二府四県どころか、全国から受験しに来ると言うかなり狭き門となっている。

 かく言う俺も、徳島と言う地方からの進学組に入るわけだが。


 その倍率の高さの中で俺は、合格を勝ち取って入学した。しかし今、自主退学しようとしているのだ。

 ラジオパーソナリティになることを夢見て、この大学に入学した一年前。

 高校時代も放送部に所属していて、地元のラジオ番組で出させてもらって喋ったりしたこともあり、少なくとも現場を経験しているとあって、他の学生と比べてアドバンテージはあるだろうと思ったりしていた。

 しかし、同じアナウンス系の道を目指す者たちが全国から集まるこの学科の中で、俺は目立った存在ではなかった。

 まだ実習は週一度の1コマしかなく、講義がメインとなる一回生の頃は、なんなくこなして進級。

 二回生になると週三回、アナウンスに必要な朗読、滑舌を鍛える実習が組まれ、待ちに待った実習だったはずなのだが、不覚にも俺は、そこでつまづいた。


 アナウンサーや声優、ボイストレーナーと言う、プロ経験者の教授が教える実習。人を見る目は厳しかった。


 これは、先週の朗読実習のときのことだ。

「それじゃ次、下野しもつけくん。物語のこの部分を朗読してみて」

「はい」

 座っていた椅子からゆっくりと立ち上がり、テキストに掲載されているストーリーを読み始める。

 担当しているのは、現在も現役の語り部として活動し、プロ活動と並行してこの大学でも教鞭を取る五十代後半の女性教授。

 アフロのようなパーマのかかった白髪頭に、無駄に濃い化粧で真っ白な顔が印象的。

 実習担当教授の中では、厳しい指導で有名で、ちょっとアクセントが正しくなかったりするとすぐ見抜き、ストップさせる。

「ストップ!」

 今日もまた、安定と言わんばかりのストップがかかる。その厳しい指導には、女子学生を中心に泣かされた人もいるほどだ。

「ちょっと駄目駄目。そこ、アクセント間違ってる!」

「えっ?」

 自分ではきちんと読めていたつもりだったので、ここで止められてしまうのかと唖然としてしまう。

「えっ? じゃないでしょ。この前教えたところよ! はい、もう一回!」

「えーっと……彼女はまた、大声を上げて叫んだ……」

 俺が朗読課題の物語の続きを読み始めて数秒後、教授が両手を叩いてまた中断させる。

「ストップストップ! 訛ってるわ!」

 痛いところを指摘された。

 

 俺は徳島で生まれ育ち、高校卒業まで実家で過ごし、鳴門海峡と明石海峡を渡りここ大阪に来た。

 自分では気を付けているつもりでも、ところどころで地方訛りのアクセントになってしまうようだ。

「あなたもう二回生でしょ? 標準語の発音は、一回生の頃の講義でしっかり習ったはずでしょ? 二回生になって、こんなところで指摘されてたら駄目よ?」

「あ、はい……」

「アナウンスの現場で食べていくのなら、標準語を使いこなせないことには、話にならないんだから!」

「はい、すいません……」

 教授は呆れ顔でそう指摘し、俺の後ろに座る女子学生を指した。


 放送学科の実習授業で教鞭を執っているだけに、各教授とも放送業界に何人の生徒を送り出せるかで教授としての自身の評価や、大学との契約にもかかわってくる。

 

 俺の後ろの席に座っているその女子学生は、中学校時代から放送部に所属していて経験豊富。

 数々の語りのコンテストで優勝したり、地元のラジオ番組に出演していたり、地元のイベントでは司会も経験したりして喋りを磨いてきた、放送学科期待のホープなのだ。

 台詞部分では、まるでプロの声優であるかのように、キャラクターになったつもりで演じた。


 さっき俺を酷評した教授も満足そうに、うんうんと頷きながら耳を傾けている。

 大手放送局のアナウンサー試験に通るのも、夢ではないだろうと言われていて、他の教授からも気に入られている。

「はい、そこまで。うん、バッチリね、言うことなし。一度教えたことがちゃんとできてるわね」

 さっきの顔からは想像付かないにこやかな顔で褒めた。元々このようなことは、今に始まったことではない。

 何度も指摘を受け、そのたびに俺なりに修正しようとしたつもりだったが、プロを認めさせるのはたやすいことではなく、いつの間にかラジオパーソナリティになる夢も、自分に将来はあるのかと言う不安へと変わっていった。


 俺がとくに気合いを入れていた、ラジオ番組制作の実習のときも、俺はこのようなことを指摘されていた。

「うーん、君の場合……どうもリスナーを引き寄せようと言う感じがしないんだな。なんと言うかこう……暗いんだよ」

 ラジオ実習担当の男性教授は、頭を悩ませるような表情で言う。

 

 この教授もまた、東京の大手ラジオ局でパーソナリティを四十年勤めて退職した、経験豊富な人である。

 年齢は六十代中盤くらいだが結構若い感じで、蓄えられた口ひげが印象的でダンディーさが漂う。

「暗い……ですか?」

「うーん……君、元々わいわいがやがやと、騒いだりすることが好きなタイプじゃないだろ?」

「えっ? ま、まあ……」

 図星。痛いところを突かれたと思った。サークルにも入っておらず、入学してから今まで、飲み会などをする友人もいなかったため、そう言った雰囲気は経験不足。

「ラジオ番組も様々なジャンルがあるけど、君のような若い者が主に担当するであろうラジオ番組とかは、若者向けのにぎやかな感じのものが多い。それに対応できるような、明るくて聴き応えのあるノリのいい喋りができなきゃなあ……」

「はい……」

 俺は、力なくそう返事する。

「じゃあ、次の人と交代。君、喋ってみたまえ」

 教授はそう言って、次の学生を指名した。


「あーあ、嫌なこと思い出してしまった!」

 イライラした俺は、転がっていた小石を、右足で思い切り蹴った。小石はライナー性の当たりで勢いよくそばにあった花壇の中に入り込んだ。

 学科長室は、スタジオ棟の二階にある。建屋の前に来ると、がやがやと学生の声が響き渡る。

「夏休みどうする?」

「旅行でも行くか?」

「一回ぐらい会って遊びたいよねえ」

 そのような会話が、あちらこちらから聞こえてくる。無事仲間を作り、楽しそうにしている連中だ。

「ちっ……」

 そのような仲間もいない俺にとっては、聞いているだけで無性にイライラしてくる。

 スタジオ棟の横にある喫煙スペースに入ると、鞄の中から煙草を取り出しライターで火を点けた。

「あのときの希望に満ち溢れていた俺は、どこ行っちまったんだろうな……」

 口から白い煙を吐きながら、ぼそりと呟く。


 入学当初は本当に楽しかった。自分が目指している、アナウンスの勉強ができると言うことで、講義内容も非常に興味深く、なにもかもが「へえーっ」や「ほうーっ」の連続であった。


 しかし二回生になってからと言うもの、実習授業では教授にほとんどいい評価をされなかった。

 さらに周囲には高レベルな人が多く、実力差を見せ付けられ苦しんだことで、悩みや不安は日に日に増していき、いつの間にか実習にも気合いが入らなくなっていった。

 コンパや飲み会も参加したことがなく、部活動やサークルにも所属せず、一日ひたすら講義や実習を受けたら帰ると言う、その繰り返しであった。

 帰ったら帰ったでとくにすることもなく、じっと夜空を見上げて過ごすだけのことも多かった。

「星はいいよな、輝いてるだけでいいんだから……」

 悩みすぎて将来に向けての不安が増し、生きるのさえ嫌になり、いっそのこと本当に自分も星になってやろうかと考えるほど病んだこともあったほどだ。

 

 もちろん、一瞬そう思うだけで、実行には移さないけどね。


 お袋も言ってたように、暗い性格なのが災いしてか、寄り付く人がほとんどなく、彼女もいなければ友達と呼べそうな人も同じ放送学科にはいない。

 そして今日も、これまでと同じ一日が始まるのであった。

「ぐっ、やめないといかんとわかってるんだけど、ついつい吸っちまう……このままじゃ生活不適応者になるな」

 俺は退学を決意したここ一ヶ月ほどの間、煙草の量がグンと増えてしまっている。禁煙しようと思ってはいるが、イライラするたびに吸うことが癖となってしまった。


「もうすぐ十一時か……」

 

 灰皿に吸殻を入れ、のこのこと足取り重く、俺は学科長室へと向かっていった。

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