第3話 君を探してた

 コンコン……


 学科長室の前に到着し、ドアをノックすると、すぐに部屋の中から学科長の声がした。

「どうぞ!」

 俺はおそるおそるドアを開け、中に入る。もちろん学科長室なんて、初めて入る。

「十一時から面談の、下野敦盛しもつけあつもりくんだね?」

「は、はい……」

 そう言うと学科長は、座っていた自分のデスクから立ち上がり、応接用の向かい合わせのソファーに座るよう指示する。

「そこに座りたまえ」

「失礼します……」

 俺は軽く会釈し、言われたとおりにソファーに座る。

 異様に緊張するこの雰囲気。なんせ目の前にいるのは、放送学科のトップである学科長だからな。

 こんな俺のために時間を作ってくれたと思うと、なんか悪いなあと言う気分になる。


「えっと、まずは退学届を見せてくれるかな?」

「はい……」

 俺は言われたとおりに、親の捺印済みの退学届を渡す。学科長は老眼鏡をかけ、その書類に目を通す。

「ふむふむ……」

 一分ほどではあったが、重苦しい沈黙が走る。かと言って、俺からなにか話すわけにもいかないので、そのまま学科長が口を開くのを待った。

「えっと、退学したいと言う考えは、だいたいわかった。軽くだけど、質問させてもらうよ……」

「はい……」


 非常に重苦しいムードの中で、面談が始まった。

「退学理由は、一身上の都合とあるけど、なにか理由はあるのかな?」

 退学届における退学理由の欄は、ほとんどの学生が一身上の都合と書くと聞いたことがある。

「は、はい……実家に帰って、家業を継ぐことになってます」

 一応、親父と約束した本当のことなので、正直に答えておく。

「そうか、自営業なんだね?」

「はい、飲食店をやってまして……」

「なるほど……一応、次の進路は決まっていて、お父様のサインと判子が既にもらえているから、親御さんは納得してくれたと見ていいね。親に内緒で退学しようなんて学生も、結構いるからね。結局はここでバレるんだけど」

「は、はあ……そうなんですね」

 そう言う人って、俺のようなパターン違って、退学にあたっては親と揉めに揉めるんだろうな。

「では、次の質問だけど……」

 やはりちょっとのそっとじゃ済まず、いくつかの質問をされた。なんと言うか、頭の中が真っ白になっていて最初に理由を訊かれた以外は、正直言って覚えていない。

 気付いたら、面談は終了となっていた感じだ。


「事情はわかった。では、私の印鑑も押しておこう。これを学生課に持って行きなさい」

「はい、すみません……」

 いくつか質問はされたものの、やはり面談自体は形式的なもので、とくに引き止められるようなことはなかった。

「では、失礼しました!」

 俺は学科長に頭を下げ、ドアを閉めると早足にその場をあとにし、学生課へと向かっていった。


 学生課に行くと、前回応対してくれたのと同じ職員が、また応対する。

「学科長の印鑑も、もらってきたのでお願いします」

「では、確かに預かりました。」

 退学届をもらうときはいろいろと言ってきたその職員も、今度はなにも言ってこなかったので、俺はホッとして学食へ向かった。


 講義室では、まだ二時限目の途中だったが、途中から講義を受ける気持ちなど、これっぽっちもなかった。

「なんか、重苦しいムードから解放されたせいか、眠くなってきたぜ・・・」

 学食は常に営業しているが、二時限目の講義中である今の時間は、学食にいる学生の数もまばらで、空いている席の方が圧倒的に多い。

 急に眠くなった俺は、そのままテーブルに前のめりになって、眠ってしまった。


 俺が寝ている間に二時限目が終わり、学食にも大勢の学生が入ってきて、ざわざわと騒がしくなる。その騒がしさで目が覚めた俺も、昼飯を食べることにした。

「さて……と。俺にとって、唯一の楽しみの時間だ……」

 俺は席を立ち、食券を買いに行く。

「やっぱここのメニューといえば、カレーだよなあ」

 食券を購入し、カツカレーの大盛りをトレーに乗せてもらう。俺はカレーが好きで、いつも学生食堂ではカツカレーやビーフカレーと言った、カレー系メニューを食べることが多い。

 中でもこのカツカレーこそ、俺お気に入りのメニューなのだ。

 

 ちなみに、うどん屋の息子でもあるけど、うどんは別に好きでも嫌いでもなく、普通って感じだ。この学食にもうどんはあるが、注文したことはほとんどない。


 席に戻ると、一組のカップルの姿が目に入った。

「あれ、マジで鬱陶しいんだけど……」

 俺が食べているテーブルの、斜め左横のテーブル席に座って食べているカップルらしき学生を、時折ちらりと横目で見る。

「はい、あーん……」

 そのカップルらしき学生は、わざわざ四人掛けのテーブルに隣同士で並んで座り、彼女が彼氏の口に手作り弁当を運んでいる。

「美味しい?」

「うん、君の作る料理は最高だ!」

 一つ一つ彼女が口に運んでくれる料理を、彼氏も満足そうに食べている。

「お前らなあ……学食は弁当を持ち込んで食べることは控えるよう、貼り紙で通告出てるだろう……」

 プルプルと右腕を震わせながら、なるべく無心でカレーを口に運ぶ。それと同時に、羨ましさが込み上げてくる。

「悔しいけど、あいつらが羨ましい。俺もああ言う彼女がいれば……いや、それ以前に友達すらろくにいないのに、夢のまた夢だな……」

 ぼそぼそと独り言を言いながら、カレーを食べ終えた。

「うーん、今日も美味かった。ごちそうさん……」

 もうすぐ午後の講義が始まるので、俺はトレーを持って席を立つ。


 どうせ退学する身だし、無理に授業に出る必要もないのだが、帰ったところでこれまたやることもない。

 せっかくなら、退学の日までこの大学の光景を目に焼き付けておくかと言う思いで、出席することにした。


「あのー……」

 食器を返却して、さあ行こうかとしたとき、一人の男子学生に声をかけられた。

「はい?」

 背後から声をかけられ、俺はその声のする方へ振り向く。

「突然のお声がけ失礼。君は、放送学科の下野しもつけくんかな?」

 見たことのない男子学生が立っている。誰だこいつは?

 身長は一七五センチほどで、俺とほぼ同じくらい。黒い無地のTシャツにグレーの薄手の上着、青いデニム柄のジーンズ言う出で立ちであった。

 首にかけた銀色のネックレスがきらきら輝いていて、異常におしゃれな感じを醸し出している。

「あ、ああ……そうだよ。確かに俺は、放送学科の下野しもつけだけど?」

 そう返すと、その男子学生はやっと見つけたよと言う感じで、目を輝かせた。

「やはりそうだったか、やっと見つけた」

「えっ?」


「君を探してたんだ!」


「俺をか?」

 わざわざ俺を探している人が、この大学にいるとは思えず、誰かと間違えているのではないかと疑った。


 だがやはり、その男子学生は俺に用があるようだ。

「俺に用なんだよな?」

「うん、そうだよ!」

 その男子学生は、さわやかな笑顔を見せた。

「俺を探してたって?」

「そうなんだよ。僕が知る限りの……とは言っても、三人くらいしかいないけど、放送学科の人たちに聞いてみたんだ。でも、みんな君の行動パターンを知らないようだったから、見つけるの大変だったよ」

 そう言って、クスッと苦笑いして見せる。見た感じ、さわやかな好青年のようだ。

「へえ、そうだったのか? まあ、そりゃ俺もつるみ仲間なんてろくにいないから、俺の行動パターンなんて、放送学科の奴らでもみんな知らんだろうしね……」

 初対面の人との会話は、どうも苦手だ。この多数の学生の中から俺を見つけて嬉しそうな感じで言ってくる彼に、俺は素っ気無くそう返す。

「しかしあんた、俺を探してたって、なんでだ?」

 なによりも、そのことが気になる。明らかに見覚えのない、初対面の人である。そんな人が、なんで面識のない俺を探していたのだろうか?

「あっ、そうそう……それはねえ、ここで今話したいところなんだけど、もう午後の授業が始まるから……」

 腕時計に目をやると、授業開始五分前となっている。

「とりあえず、これを渡しておくよ。今日の放課後、この地図の所にきて欲しいんだ」

 その男子学生は、A4サイズのビラを俺の手に渡し、その右下に書いてある地図の場所を指差した。


「どれどれ……」

 よく見ると、サークルの勧誘ビラであった。スターズ&ザ・ムーンと言う名の、天文サークルであった。

「天文やってるのか? 望遠鏡で星とかを見るアレか?」

「そうそう、そのとおり。詳しいことはきてくれたらちゃんと話すから、とにかく今はなにも聞かずに、放課後になったらここにきて欲しいんだ」

「あ、はあ……」

 話が急展開過ぎて、俺は返事にならない返事を返す。


「じゃあ、確かにこれ渡したよ。あっ、僕は写真学科二回生の、唐綿とうわたかなめ。それじゃ、放課後待ってるから。お忙しいところ悪いけど、よろしくね!」

「あっ、おい……」

 にこやかに微笑みかけ、俺が呼び止めるよりも早く立ち去ってしまった。あいつ、何気に足速いじゃないか、おい……


 だが、この人との出会いこそが、俺にとって「退学まであと三ヶ月の友情物語」の始まりになるとは、このときは思いもしなかった。

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