都市マラソン

@minaminaminatto

都市マラソン

 思えば引っ越しの日も入学の日も空は曇っていた。しかし、新幹線に乗っていた僕は一人の写真家として世界に歓迎されていると思っていたし、それほどの才能があると思っていた。実際に小さいころから撮った写真を褒められることが多く、勘違いをするだけの才能は持っていたのかもしれない。

 入学式の日に席が近かった何人かと話をした。芸術学校ということもあり変人もいたが、専攻に関わらず皆一様に大きな夢を語り、尊敬する芸術家のことを嬉々として話していた。そして皆自身に満ち溢れた顔をしていた。芸術家として成功することがいかに難しいかなんて考えていないように見えていた。

 案の定僕は初日に学校のレベルが低すぎると感じた。一限の基礎構造論も二限の現代建築論もレジュメを一目見れば誰でもわかる内容だったのだ。しかし、周りを見渡してみると空席だらけの教室にいる生徒は真面目に講義を受けている。高校までひたすら真面目に授業を受けることしか教わってこなかったのだろう。僕は彼らに同情しながらもスマホを片手に講義を聞き流した。

 授業が終わると一人の生徒が話しかけてきた。そいつは高校の同級生の恒志だった。彼は大学に進学したものの、写真家になる夢を諦めきれずにこの学校に入学したそうだ。一通り彼が話し終えると僕に話を振ってきた。

「慈信は何でここに入学したの?」

「何でだろう。自分でもわかんないわ。」

僕が正直に答えると彼は不思議そうな顔をしていたが、再び彼自身の話を始めた。

 次の週から僕は学校に行かなくなった。しかし、それからも恒志は僕を食事に誘っては写真家の講演会に行った話や、聞いたこともない賞で入選した話などを話してきた。

「慈信は公立の小学校に通ってた?」

突然彼は聞いてきた。

「小学校は公立に通ってた。」

また僕のことを聞いてくる彼にうんざりしつつも正直に答えてあげた。

「言葉にするのは難しいんだけど、子供は成長するにつれてどんどん関わる人の幅が狭くなっていく気がするんだ。小学生のころは近くに住んでいるというだけで、お金も能力も性格もバラバラな人と過ごしている。だけど、受験が必要な高校では学力や家庭環境が近い人と過ごすことになる。そのあとにたいていの人は大学や就職で社会の広さを知るはずだと思うんだよ。だけど僕たちは専門学校という極めて狭い場所にいるんだ。似たような夢を持つ人は考え方まで一緒のことが多い。だから、どこかで社会の広さを知りたかった。学校に来なくなっても僕が君とご飯を食べに行きたいのは君がこの学校で異質な存在だったからだよ。」

「そんなにすぐにわかるのか?」

「自覚はないかもしれないが君はすごく変わっていたよ。大体この学校に来るやつは夢のためには努力を惜しまないタイプが多い。簡単な授業でも真面目に受けてるのがいい証拠だよ。だけど君は違った。余裕とか片手間とかそんな感じがしていたんだよ。僕は写真家としてどんなときでも広い世界を理解したかったんだ。だから、君のことがとても気になるんだ。僕とは大きく離れた存在だと思ったからね。」

正直複雑な気持ちだった。学校の他の奴らと僕とでは大きな違いがあることは自覚していた。だが、こうも簡単に僕に言ってくるとは思わなかった。僕にとっては彼こそ不思議な存在に思えた。彼は僕ではなく、学校の奴らと同じ立場の存在だった。それなのに僕に話しかけてきて、対等な立場で僕のことを探りに来ている。普通の人なら僕に関わりに来ることは無いはずだった。彼も僕と同じ立場だったのかそれとも、僕より広い世界を見ていたのかわからなかった。僕の人生の全てを見られているようでなんだか嫌な気分なった。僕が不機嫌そうになったのを彼は気付いたようだった。

「上から目線で変なこと言ってごめんね。ただ、道を拓くのは君じゃないってことは覚えておいて欲しい。」

彼の言葉は僕に対しての宣戦布告であり、上から目線で写真家気取りの彼の態度を凝縮した言葉のように感じた。

 それから、彼とはあまり会わなくなった。時折メールを見ると学校の様子だったり賞の話だったりを送ってきていたので、適当に返信した。

息がつまるほど暑い日に僕はテストを受けに学校へ向かった。この学校は専門のくせにテストがあったのだ。教室は相変わらず人が少なかったが、生徒はいくつかのグループを作り雑談をしていた。その中に恒志の姿もあったが、彼は僕に気づかない様子で友達と話していた。

 案の定テストは簡単で講義を受けなくても誰でもわかるような問いばかりだった。帰り際に僕に気付いた恒志が僕の方に近寄り「ここを卒業する気はあるんだね」と言い残して帰っていった。

 夏はあっという間だった。テレビで外の様子を見るだけで暑苦しくなり、とても外に行く気にはならなかった。かといって、何か勉強するわけでもなく、親の仕送りを使って家に引きこもる生活が続いた。

そんな夏の終わりかけのある日、僕は恒志に呼ばれて街へ出掛けた。いつもなら彼自身の話をしてくるものだったが、その日は彼はすぐに話し終え、僕に話を振ってきた。

「そういえば慈信君、君は学校のテストを受けに来ていたね。君に卒業する気があるだなんて僕は驚いたよ。わざわざ入学したのに学校には行かず、卒業はしようとする。何かの賞に応募するわけでもないし、一体何がしたいんだい?」

「僕も写真家になる気はあるけど学校の講義は簡単すぎんだよ。あんなことは一般的な常識なんだよ。それに、名前も聞いたことがないような賞に応募する程僕は暇じゃないんしね。」

「ずいぶん暇そうに見えるけどそうでもないんだね。ただ、こんな簡単なことにも本気になれない君が本気になれるものなんて無いんじゃなくて?本気になることから逃げ続けるのも辞めたら?才能があるならもったいないし、無いなら時間の無駄だし、いいこと無いよ。」

彼が僕にこんなに厳しいことを言ったのはこのときだけだった。彼が何を考えてこんなことを言ったのか今もわからないが、手遅れになる前に引き留めたかったのかもしれないそして、次の週に僕は学校を辞めた。写真家になるのを諦めたわけではなく、独学で目指すことに決めたのだ。

 それからは僕なりに頑張ったつもりだった。このまま何もしなくなることを恐れた僕は小さな賞にも応募し、毎月図書館でじ写真の月刊誌も借りた。実力は着実についてきて、賞にも入選するようになってきた。しかし、どんな大変なことでも惰性でしか動けなくなってしまっては状況のさらなる好転は望めないのである。そのことに気付かなかった僕はひたすら同じことを繰り返すうちに自分の実力が一定のとこらで止まっていることに気付いた。そのときはスランプに陥っているだけだと思い気にとめなかった。

 ある冬の日、僕はある賞に応募することにした。その賞は公的機関が主催するもので、自殺防止ポスターに使う写真を募集するものだった。写真家という表現者である以上、今までも生と死についての写真は撮り慣れていた。だが、引き留めるとなると急に難易度が上がるのだ。生きることが嫌になった人たちに生きることの素晴らしさを説いても無駄であり、死の恐怖を煽るのは根本的な解決にならない。

僕はどんな写真を撮るべきか悩み、図書館に籠り、色んなジャンルの本を片っ端から読み漁った。結局何の発想もないまま時間は過ぎ、日が暮れてきたので家に帰ることにした。駅の近くにある図書館を出て、長い商店街を抜けて、住宅街をかなりの距離歩いたところに僕の家がある。その日はその年一番の冷え込みで商店街の途中であまりの寒さに足取りが重くなった。もう少し図書館で温まっておけばよかったと後悔しつつコンビニで肉まんを買った。

 結局その賞にはお花畑と小川の美しい風景の写真を応募した。これでは自殺推奨ポスターになりかねないと自分でも思ったが、これが僕の精いっぱいだった。

 その頃から賞の佳作に選ばれることも減っていった。落選が増えるにつれてモチベーションが下がっていき、自分でも納得のいく写真が撮れなくなっていった。そして、自分には才能があるわけではなく、実力も少し上手な一般人レベルだと自覚した。自信を無くした僕はまた家に引きこもるようになった。


 結局僕には才能がなかったのだ。恒志の言っていた通り僕には写真家としての未来を拓ける能力はなかった。今は親の仕送りで生活ができているが、いつまでもこの生活が続くはずがない。学歴も職歴も実績もない二十二歳の僕には社会的に価値があるはずない。

 小さいころから僕は成長していない。小学生の頃に習っていたピアノも、中学受験をした時も最初の頃は周りの同級生より秀でていて、親からよく褒められた。そして、宿題をしなくなった僕はどんどん周りの同級生に抜かされて、最終的には中途半端な結果になった。それでも努力をしなかった僕は大学受験で大きな壁に当たった。どんなに成績が悪くても、どうにかなると楽観的に考えた結果、友達は現役で合格していき、僕だけが取り残されて二浪した。浪人すれば大丈夫だろうと考えた結果、現役のときより成績は下がった。どんな時でも「私たちは慈信を応援してるからお金の心配はしないで」と言ってくれた親に申し訳なくなり逃げるように上京して専門学校に入学した。専門学校に行きたいと初めて伝えたときの親の顔は今でも覚えている。

 僕は武器になるものはなく、どう頑張っても一番にはなれない。そんな人は誰からも必要とされない。考えるのが嫌になる。


 目が覚めると不思議な部屋にいた。全面ガラス張りの狭い部屋にベッドだけが置いてある。そして、何より不思議なことは同じ部屋が無限に続いていることだ。よく見るとどの部屋にも人が一人いて、隣の部屋には会話をする二人の人がいるようだ。しばらくすると隣の部屋から見知らぬ男が入ってきた。

「ここにいるのは全て仲道慈信さんです。近くの慈信さんとは話が合うと思うので是非話してみてください。」

言い終えるとすぐに隣の部屋に行った。壁にはドアがついてある。普通の人ならパニックになる状況だろうが、現実逃避をしていた僕はむしろ落ち着いている。とりあえず、現実に戻ることは考えずにさっきの男性に従い、隣の部屋に向かう。そこには僕とそっくりの人がいた。

「はじめまして。君も仲道慈信なんだよね?」

「うん。君もなんだよね?」

「そうだよ」

やはり目の前にいる人は僕であるのだ。僕のクローンなのか未来の僕なのか、どういう存在かわからない。困惑する僕にもう一人の僕が質問してくる。

「君はここに来る前何をしてた?」

「特に何も。最近家に引きこもってて、気付いたらここにいたんだよ。そっちは?」

「専門から帰ってきて、いつも通り寝たらここにいたの。」

「専門は写真の学校?」

「そう。もしかして君も同じ?」

「僕はもう辞めたんだ。もしかして、君は過去の僕だったりするのかな。僕は二十二歳だけど、君は何歳?」

「いや、僕も二十二歳だよ。もしかしたら君はパラレルワールドの僕なのかもしれない。」

恐らく目の前にいる僕は学校を辞めなかった世界の僕なんだろう。

「そうかもしれない。他の僕とも話してくるよ。」

そう言い残して、反対側の部屋に向かった。

反対側にも僕と似た姿の僕がいた。部屋に入るとすぐに声をかけてきた。

「君は本当に平行世界の僕なの?さっきの人が言ってたけど。」

僕には言ってくれなかったことだ。さっきの男性を完全に信じることはできないが、今は目の前の僕を信じるしかない。

「そうみたい。周りの僕たちを集めて話してみない?」

「いいんじゃない?」

僕の周りの三人を僕の部屋に呼んだ。少し気まずい空気だが、集めた僕が話し始めたほうがいい。

「とりあえず、自己紹介しますね。僕は二十二歳で、こないだ専門学校をやめて今はフリータ。家で寝てたはずだけど気付いたらここにいました。」

周りにいるのは全員僕だけど、なぜか敬語を使ってしまう。

 皆順番に自己紹介をした。一人目は専門学校を辞めなかった僕。二人目は大学受験に成功した僕。三人目は僕と同じ僕だった。

「最後の僕も僕と同じなのか。じゃあ君もここに来る前は家に引きこもってたの?」

僕はここにいる僕がどんな存在か何となく察した。多分ここにいる僕たちは、僕が失敗したり後悔してるところで成功した僕だ。

「引きこもり?そんなことはしてないよ。いつも通り写真を撮って帰ってきただけだよ。」

やはりそうだ。最後の僕は学校を辞めても写真家として成功した僕だ。多分この僕たちとは会うことがないだろうから正直に話してみる。

「多分君たちは僕が後悔してるところで違った選択をしていた僕なんだと思う。僕は大学受験に失敗したし、専門学校を辞めたし、写真家としても成功しなかった。でも、ここにいるのは大学受験に成功した僕と、専門学校を辞めなかった僕と、写真家として成功し始めている僕だ。誰が何のためにここに僕たちを連れてきたのかはわからないけど、この中で僕だけが後悔と失敗だらけの人生を歩んでるんだ。」

「そうみたいだね。」

大学生の僕が同意してきた。

「確かにそうかもしれない。でも、それは僕も同じだ。もしかしたら僕には写真の才能があるのかもしれないし、周りの人もそう言ってくれる。けど、いつ僕の写真が評価されなくなるかわからない。今後僕の写真が評価されなくなったり、僕には才能なんてなく運が良かっただけだとわかったりしたら僕はもう立ち直れない。ずっと不安だし、最初のうちに努力と挫折を経験しておけばよかったと後悔してる。それに、大学受験に成功してたら今頃もっとましな人生を送っているだろうしね。」

写真家の僕の言葉に僕は驚いた。正直贅沢な悩みだと思うが、彼の悩みはたぶん本当だ。さらに学校を辞めなかった僕が口を開く。

「僕も同じだ。今でも学校を辞めなかったことが本当に良かったのか考える時がある。学校にいれば基礎は学べるしいい友達もできる。だけど、このままで写真家になれるのか不安だ。このまま卒業しても写真家にはなれなくて、ただ時間を無駄にしてるだけなんじゃないかってね。」

これも僕から見れば贅沢な悩みだ。学校を辞めることはいつでもできる。でもその逆は簡単にはできない。そう思っていたらつい口に出てしまった。

「それでも僕より二人のほうが成功する可能性があるし、やめることならいつだってできるじゃないか。」

「僕にはそんな勇気はない。僕はずっと惰性で生きてきた。今更大きな決断をできるような人じゃないんだ。

つぶやくように専門学生の僕が話す。

 突然ずっと黙っていた大学生の僕が口を開いた。

「はっきり言うけど、僕はこの中で一番成功してるし、いい選択をしてきたと思う。正直ちょっと見下してる部分もあるかもしれない。でも、君たちの話を聞いててちょっと思い当たる節があったんだよ。僕は君たちと違っていい大学に進学して就職も決まってる。でも、就活の時に悩むことがあったんだ。もっと大学生のうちに経験を重ねておけばよかったとか、社会に役立つ専門的なことを学んでおけばよかったとかね。企業の面接に行くと、僕よりいい大学の人とか大学ですごい経験をしてる人とかが山のようにいて自信なくなっちゃって。全てにおいて僕を上回っている人がいると何のために僕がいるのかわかんなくて。そう考えると早い段階で自分が好きなものを見つけて自分で進学した君たちのほうがいいんじゃないかと思ってきちゃったんだよ。ないものねだりだってことくらいは自分でもわかってる。」

意味が分からない。大学受験に成功したのに満足していないのか。僕はどんな選択をしても、どんなに成功しても結局は自信を持てずに悩んでしまう運命なのだろうか。そもそも僕が自信を持てたことがあっただろうか。僕はこのまま自信を持てないまま生きていくのか。そうだとしたら悲しすぎる。

 僕たちが何も返せずにいると、隣の部屋から最初に説明した男が入ってきた。

「次の部屋に行くよ。」

男が言い終えるとすぐに僕は気を失ってしまった。


 目を覚ますとやっぱり知らない部屋のベッドにいた。最初のガラス部屋とは違ってビジネスホテルの一室のような部屋だ。周りを見渡すと僕に背を向けて本を読んでいる人がいる。明らかに僕ではない。

「おせーよ慈信」

振り返りながらこう言った彼は恒志だった。

「恒志?」

「そうだよ」

もう目の前の恒志が僕の知っている恒志なのかはわからない。

「久しぶりだな」

「うん。会えてよかったよ」

これは僕の本心だ。

 「僕は恒志だけど、本物とはちょっと違うんだ。」

さっきまでパラレルワールドの僕と話していた僕はもう驚かなかった。

「僕は慈信の中にいる恒志だ。だから今から僕が話すことも慈信の心のどこかで僕にいてほしいと思ってることなんだ。だからって何かあるってわけじゃないから安心してほしいし、多分今の慈信は心の中の僕と話したほうがいいと思う。」

僕は恒志に話してほしいことなんてないし、特に気にすることはない。

「そんなことなら大丈夫。気にしないよ。」

僕が返すと、恒志は話をつづけた。

「ありがとう。僕は一つ慈信に謝らなければならない。僕は前に『道を拓くのは君じゃない』と言ったね。でも、それは間違ってた。もう道は拓かれてたんだ。そして皆その道を通ってる。だから慈信は何の心配もせずに堂々と歩けばいいんだよ。皆と同じようにね。」

僕は恒志に謝ってほしいとは一度も思っていなかったから理解が追い付かない。でも、何となくわかった気がする。

「それなら恒志も一緒に歩けばいいさ。」

「そうだな。」

恒志はそう言うとすぐにドアから外に出ていった。取り残されたベッドに戻り二度寝をした。次に目が覚める時には家にいることを確信していた。

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