カーテンコール

「――君の身の上の話は聞いたけど、僕の方はまだ何も話してなかったね」

 診療所に戻った二人は今、向き合う形で座っていた。卓上にはマグカップが二つ、ほのかな湯気を立てている。

「壁の外に居た事は話したけど、そこで何をしていたのかについては言ってなかったよね」

「はい」

 壁の外の世界を教えたのは今朝の事だ。随分と遠い事のように感じながら、ミオは過去の事実を語り始めた。

「この壁の中の人達には伝えられていないけど。フォートヴラッド政府は壁の外の国と戦争をしてね。僕はそこに居たんだ」

 最初の記憶は二十年近く前のものだ。武器の使い方と怪我人の治療方法を真っ先に教えられた。戦場に出されるまでに時間は掛らなかった。過酷な場所だった。生き延びる事が出来たのは奇跡のような偶然の結果だと思っている。死んでいたとしても何ら不思議は無かった、そんな環境だった。

「戦争……? では、Dr.は軍人……?」

「一応、そうなるかな。物心ついた時からそこに居て、壁の外の国と戦うのが当たり前の毎日だった」

 困惑も露な声にミオは頷く。戦闘と治療を両立して熟していた過去を思えば軍医という立場が最も適切なのだろうが、細かく説明しても今は混乱を招くだけだろう。

「でも戦争があった事自体、街の人達は知らない筈なんだけどね」

「はい。初めて聞きました」

 真面目に頷いてみせるも、シキミ顔色はあまり良くはない。ごく正しい反応だと思いながら言葉を続ける。

「言ってしまえば、勝ちも負けもしなかった、だから〝無かった事〟にしたかったんだと思う」

 それがもう十数年前の事だ。過去を語る声に感情の色は無い。数えきれない程負った外傷も、今となっては殆どが癒えている。

 けれど、決してそれらは〝無かった事〟ではなかった。確かに存在した過去があったからこそ、ミオは此処に居るのだから。

「本当なら、その戦争と一緒に僕達も〝無かった事〟にされる筈だったんだけど、流石にそれは僕達も嫌だったから」

「そんな……」

「半分くらいは無かった事になっているんだけどね。軍籍と戸籍上では僕は既に死者だから」

 声色こそ柔らかいが、話の内容は酷く重いものだった。絶句してしまったシキミを責めるのは酷だろう。

 シキミとは別の意味でミオの辿って来た境遇も過酷なものであった。物心ついた時には武器の扱いと応急処置の術を教え込まれ、その後の人生の半分以上を戦地での戦いに費やしていたのだから。

 彼の場合、当人が全てを過去に起こったものとして抗う事なく己の中で受け入れている。その上で町医者として生きてきた。そして、シキミと出逢った。

「中々信じられないような話だろうけどね」

 今に至るまで街の中で生きてきた彼にとって衝撃は大きいだろう。外の世界の存在すら数日前まで知らなかったのだ。しかし。常識の範囲外であろう話を聞いた彼は取り乱した様子もなく、何処か腑に落ちたように見開いていた目をそっと伏せた。

「驚きました……でも、言われてみれば納得です。壁の外を知っていた事も、暗がりの騎士としての戦いに戸惑いが無かった事も」

 常人であれば戸惑う所だろう。武器の扱い一つとっても動きは素人のものでは無かった。しかし、それも戦う術を最初から知っていたというのであれば合点がいく、と。

 戦闘で自身の怪我に対する恐怖を覚えるには、ミオは戦いの中に身を置き過ぎた。戦禍から離れていた時期は確かにあったけれど、慣れとは恐ろしいものである。尤も、今回はそれで逆に良かったのかもしれないが。

「戦場から離れた時には、また剣を揮う事になるなんて思わなかったけど。腕が鈍ってなくて良かった、なんて思う時が来るなんてなぁ」

 彼にしては珍しい、自嘲を滲ませた声を零す。その手で命を屠った事はミオにとっては決して誉れではなかった。無論、シキミを守り抜けた事に後悔は無く、無事で良かったと心底思うけれど。複雑な内心を抱えるミオに「何と言っていいのか分かりませんが」と前置きしたシキミが思いがけなかった言葉を零す。

「お見事、でした」

「それは……えっと、どうも?」

 揶揄したものではない、本心からの賞賛だと分かるから少し反応に迷う。その様にシキミが小さく笑った。

「そうだったんですね。分からなくて不安だった事が分かって、ほっとしました」

 彼が初めて見せた微笑に、ミオは僅かに目を見開いた。過酷な話を聞いたばかりだとは思えない程に和やかな表情だった。ミオの話を真実として受け止めた上で、安心したとそう言うのだ。混乱の種が解消したと言う彼は、ミオが想像していたよりもずっと懐が深いのかもしれない。

「あまり大声で言える話ではないからね。言えば自分だけじゃなく、患者さん達の身を危険に晒す事になり兼ねない」

 政府は戦争の事実を抹消したがっている。危険分子は摘み取っておきたいというのが正直な所だろう。ミオにその気は無いとはいえ、周囲の人々を巻き込む事は絶対に避けたかった。

 それに、とミオは少し声を潜めた。視線を己の手へと落とす。

「沢山の人を手に掛けてきた――その手で治療されている事を知って、あまり良い顔をする人はいないだろうからね」

 嘗てはこの手で多くの命を奪ってきた。同時に味方の兵の治療に当たり、傷の癒えた彼らは戦場でまた血を流した。戦争や命令であったとしても、人殺しという事実はミオの中では揺るがない。人を救いたいという意思は真実のものでも、過去の行いを責められても仕方のない事だとミオは捕らえていた。それだけの業を背負っているのだと。

「でもDr.は、僕を守る為に戦ってくれました。僕にとってはそれが全てです」

 柔らかな声で、しかし迷い無く言った。ミオと出逢わなければ、今こうして無事ではいられなかった、と。零した弱音すらも強さの裏返しだと、シキミは淡い色の虹彩を細める。

 咄嗟に言葉が出なかった。怯えられるとさえ危惧していたのに。全てを知った上で肯定されたとあっては、もう情けない事は言えなかった。代わりに、もう一つ正直な胸の内を告げる。

「……僕もね。確かにこうなるとは思ってなかったけど、剣を取った事に後悔は無いよ」

 喩え怯えられていたとしても、守る為の行いはしていただろうけれど。再び手が血で濡れる事への恐れも、悔いも無い。守り切れず、傷を負わせてしまう事の方が恐怖だ。

 そっと、手袋に包まれたシキミの手を取った。

「無事で良かった」

「では。どうかこれからも、よろしくお願いします」

「よろしくね」

 互いに軽く頭を下げ合う。今更なような気がして、顔を見合わせて小さく笑った。

けれど事実、まだ二人が出会ってようやく一日が経ったばかりである。これから続く日々の始まり、その発端だ。



 これは、灰色の壁に覆われた街の外を目指す――白いヤドリギを冠した暗がりの騎士とオリジンが紡ぐ、最初の物語だった。

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銀剣のステラナイツ 灰壁のフォートヴラッド『White Mistletoe』 ゆたか@水音 豊 @bell_trpg

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