第二幕

 陽が落ちて外には街灯が点り、昨夜と同様に小雪が舞っている。それでも体感の寒さは今日の方が幾らかマシなように感じられる。普段と変わらない静かな夜だと、診察室の片づけをしながら一人ミオは思っていた。

 けれど。不意に、首筋に一瞬何かが走る。第六感と呼ぶべき理屈の無い感覚だが、これが外れた事はミオの経験上あまりない。

 外の様子を窺うように、窓の向こうに視線を遣る。宵闇に、音も無く紛れる黒ずくめの影が其処に居た。

 目が合った。目というのは正確ではないだろう、黒近衛は顔をガスマスクで覆っているのだ。目があるのかどうかすら怪しい。しかし、確かに黒近衛は此方を〝見た〟と、直感的にそう理解した。ミオが黒近衛に気付いたのと同様に、向こうもまた存在を認識された事を察した。

 目を付けられているのは想定内だ。昨夜の一件だけで撒けるほど甘い相手だとは見ていない。ただ、せめて今日一日くらいは穏やかに身体を休めてほしいと思っていたのも確かだった。彼に必要な休息が十分に取れたとは言い難い。

 それでも。今更嘆いた所で仕方がないと即座に頭を切り替える。今考えなければならない事は黒近衛の脅威から逃げる事、或いはそれを退ける事だ。

 決断し、行動に起こしたのは一瞬の事だった。彼は部屋に設置された、自身と同じ程の背丈の柱時計の前に立った。前扉を開いて、振り子の奥へと手を伸ばす。そこに隠されていたのは一振りの剣だった。一般的なそれより細い刀身は白磁の鞘で覆われている。

 〝これ〟を使う事はないと思っていた。しかし同時に手入れを怠った事はなかった。それを良しと捉えるべきなのかを考えるのも今ではない。手に馴染んだ重さに感傷に浸る事も無く、それを腰のベルトに挿して固定し、診察室から処置室へと向かう。恐らく、まだ眠っていない筈だ。扉のノックこそしたものの、ミオは返事を待たずして部屋に入った。

「Dr.……? どうしたんですか」

 相変わらず表情の変化は薄いが、彼が背負った只ならぬ気配を察したシキミが不安げに首を傾げる。「落ち着いて聞いて」と前置きをしてから、単刀直入に事実を告げた。

「外に奴らが居る」

 そんな、とシキミが顔色を失くす。

「流石に諦めてなかったんだね。昨日は憲兵だけだったから撒けたけど。今外を見たらブラックガードが一体」

 ミオの脳裏に昨日追い返した際の、憲兵の不服そうな顔が脳裏に過る。対応の仕方を悔やんでも後の祭りだ。冷静な声は相手を落ち着かせようという意図故のものだ。

「実力行使に出たのかもしれない」

「どうしたら……」

 相手が武力に訴えて来るのであれば此方も戦わなければならない。覚悟はしている。しかし、迎え撃つにしても此処では分が悪い。

 手袋越しに手を引いて診療所の裏口に向かった。表立ったものではない、ミオだけしか知らない通路に出る扉へとシキミを誘う。「大丈夫」という言葉と共に。

「昨日も今朝も言ったけれど。君を奴らの元に連れて行かせはしないから」

 淀みない口調で告げる。白銀の瞳はまっすぐに、護るという誓いを立てた時と同様に揺ぎ無い光を湛えていた。同時に手に込めた力が強まったのをシキミは感じた。

「僕は貴方を信じています」

 ミオの覚悟は疑いようがない。それならば、己だけの騎士を信じるほかは無いと、そう頷いた。

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